かーがみっちー、間延びした声が火神の名前を呼んでいる。目を開けようと寝惚けた意識を懸命につなぎとめていたまさにその時に、首筋にひやりとしたものが押し当てられて文字通り飛び起きた。お、起きたっスね。黄瀬が子供のようにぱちぱちと手を叩く。脇に置かれた保冷剤(!)が安眠の妨げであることは明らかだった。もう少し、飲み物なんかならわかるが、保冷剤って何だ。起こし方雑すぎんだろ、呻くように呟くと、いいじゃんケーキ持ってきたし、と黄瀬はテーブルの上にある有名な洋菓子店の名前が書いてある四角い箱を指差した。どうやら元凶はそれらしい。寝転がっていたソファーから立ち上がって欠伸を一つ。驚きに霧散していた思考を取り戻して、火神は至極当たり前のことを聞いた。つーか、お前何でいるんだ?マンション入ってインターホン押したけど出ないし何か鍵開いてたし、あ、気にしないでもちゃんと閉めといたっスよ。お、おう、サンキュ。強盗でも入ってきていたら洒落にならなかった、ととりあえず感謝だけはしておいて、フォークやら何やらを取りに行く。ケーキなんだよな?うん、ショートケーキと…あー、何だっけ?知らねぇよ、じゃあコーヒーでいいか。頷く黄瀬を横目に、冷蔵庫に入れてあったパックからコーヒーを注いで、ふと、合鍵でも渡すかな、と思い至った。テーブルに戻って、楽しそうに皿にケーキをのせる様子を眺めながらタイミングを窺う。ハイ、こっちアンタの。ショートケーキを皿ごと受け取って、このままだと言わずに終わってしまいそうだと慌てて口を開いた。そうだ、合鍵、いるか?ブルーベリーソースか何かがかかった、白っぽいケーキにフォークを突き立てようとしていた黄瀬の動きがぴたりと止まる。アイカギ。まるで外国語であるかのように発音するので言葉選びを間違ったかと、鍵の予備、と付け足すとようやく黄瀬はまばたきをして、それからフォークを皿に落として両手で顔を覆った。がしゃん。えっ、何それ火神っち唐突すぎ、ちょっと待って、心の準備が!勝手にああとかううとか言っている黄瀬に、思考を巡らせる。もしかして合鍵渡すのって心構えが必要な程のイベントなのか、例えばそう、告白みたいな。こちらまでじわりと何とも言えない恥ずかしさに浸食されてゆく。どうすればよいのかわからなくなって取り敢えず、脇にある棚の引き出しから、引っ越し以降一度も使っていないぴかぴかの鍵を取り出した。声を掛けてもこちらを見ない黄瀬に、火神は息を吐く。もうどうにでもなれ。涼太、一言呼ぶと、黄瀬はびくりと肩を震わせて、指の隙間から視線をこちらへ向けた。黙って鍵を突き出す。あ、りがと。顔を覆っていた手を解き、小さな鍵を大事そうに受け取ってわずかに赤い顔でゆるりと瞳を細める様子は、本当に嬉しそうだった。つられて火神の口元も緩む。黄瀬が、テーブルに鎮座しているケーキのことなど忘れたように、幸せを溶かしこんだような笑みを浮かべているので、おいしいと評判のそれは、まだまだ食べられそうもない。


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菜乃さんにリクエストしたものをいただきました。とても可愛らしいお話で大満足です。


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