※パラレル。


「トリックオアトリート!」

商店街の一番端っこにあるお菓子の店には、可愛らしい仮装をした子供たちの声が響いていた。いつもは閉店する時間であるが、今日は特別に夜まで店は開いている。毎年10月31日は、お菓子を買いに来店する客よりもお菓子を貰いに訪れる愛らしいお化けたちでこの小さな店は賑わうのだ。



ふぅ、と一息吐いて黄瀬は壁に掛けられた時計を見た。そろそろ九時を差そうとしている針を確認して、閉店の準備を始める。子供たちのためにラッピングしていた焼き菓子は無くなってしまったし、こんな時間だ。明日も平日で学校はあるのだから、もう仮装した子供たちがやって来ることもないだろう。
まずは店の入り口を施錠しよう、と黄瀬が小さなカウンターから出たところで、カランカランと扉についたベルが来客を知らせた。貴族のような格好をした男は黒いマントを身に付け、ヴァンパイアの仮装をしている。

「申し訳ないっスけど、もうお菓子無くなっちゃって……」

眉を下げて謝る黄瀬の言葉を聞いているのかいないのか、青白い顔をした男は一歩店の中へと足を踏み出した。顔色は悪いものの、その整った顔立ちに黄瀬は一瞬見惚れてしまう。左目は長い黒髪に隠れているが、右目の下にある泣きぼくろが色気を醸し出していた。
この町の人間だろうか。こんな印象的な人ならば、一目見ただけで忘れることは無さそうなのに。そう考える黄瀬の腕を、男が掴む。

「血が、」

「え、ちょ、なんスか?お菓子持ってないから悪戯って、そんなベタな……」

「血が足りない」

悲鳴を上げるまでもなく、黄瀬より数センチ低いところにある頭が動いた。開かれた口から尖った犬歯が覗いて、黄瀬は息を呑む。

「……っ!」

つぷり、と首筋の柔らかい皮膚が裂ける音がした。



囚われベリィ




「うわ〜ん、黒子っちぃ〜〜!」

町の中心部から少しばかり東へと移動した住宅街の片隅。小ぢんまりとした煉瓦造りの家に泣き喚きながら黄瀬が飛び込んで来たのは、太陽が南の空に昇り切る前のことである。

「どうしたんですか、黄瀬くん」

家の主人である黒子は泣き続ける黄瀬を出迎えて、リビングまで案内し、お茶を淹れて渡した。グスグスと鼻を啜る黄瀬にタオルを与えて、僅かに眉を下げてみせる。

「俺、どうすればいいんスか?こんなんじゃお店続けられないっスよぉ」

そう言って、黄瀬は腕に抱えていた大きな袋をテーブルの上に引っ繰り返した。どさどさと音をたてて袋から出て来たのは、どれもが赤みのさした菓子ばかり。マカロンもパウンドケーキもシュークリームも赤色だ。

「……赤いですね」

「作るお菓子が全部赤色になっちゃうんスよ……。気付いたら、さくらんぼとかラズベリーとか材料に混ぜ込んでるんス」

垂れた犬耳が見えそうな黄瀬の頭を優しく撫でてやってから、黒子は口を開く。

「何か、心当たりがあるんでしょう?」

その言葉に促されるように、黄瀬は話し始めた。昨夜ヴァンパイアのようなものに襲われて、そのまま気を失ったのだということ。店の床で目を覚ましたのは早朝で、急いで身支度を整え、店頭に並べる菓子を作り始めたらどれもが赤い見た目ばかりになること。だから今日は臨時休業にして、黒子に助けを求めたのだ、と。

「こうなった原因は、昨日の綺麗なヴァンパイアに違いないっス!黒子っちなら、居場所も分かると思って」

黄瀬はそう言うと、首の吸血跡をまじまじと眺めていた黒子を見つめた。目元は泣き腫らして赤いが、蜂蜜色の双眸はキラキラと輝いている。

「そういう事情なら仕方ないですね。黄瀬くんの作るお菓子は赤くても美味しいでしょうが、赤色ばかりというのも味気ないものです」

黒子は近くの棚から町の地図を取り出し、お菓子の山を隅に退けると、テーブルの上に地図を広げた。ここら辺ですかね、と青色のペンで囲まれたのは、町の外れにあり今は誰も住んでいないはずの館である。
小説家という本業の傍ら占い師という副業もしている黒子は、この小さな町ではちょっとした有名人だ。ずばり彼の言葉は百発百中、外れることは無い。

「ここに、あのヴァンパイアがいるんスね?」

「絶対とは言い切れませんが、可能性は高いと思います」

今にも飛び出そうとする黄瀬を引き留めて、黒子は言った。

「お菓子、忘れずに持って帰ってください」

シュークリームだけ貰ってもいいですか、という言葉に、黄瀬は要望通りシュークリーム以外のお菓子を再び袋に収納してから黒子の家を後にする。太陽はちょうど南天に達したところだった。





大きな荷物を抱えたまま、黄瀬は村の外れにある館へと辿り着いた。まだ昼間だというのに薄暗いのは、周りを覆う背の高い木立のせいだろうか。
お邪魔します、と呟きながら重くて古びた扉を開けて入り込んだ館の中は、埃っぽく暗い。くすんだ赤い色の絨毯を踏むと、積もった埃が舞い上がる。
黄瀬は足音を忍ばせることもなく歩いて、一番大きな部屋の扉に手をかけた。腕に抱えたお菓子の袋が邪魔をしていたことを差し引いても、大きい音を響かせて扉が開く。

「誰だ。何をしに来た……?」

この館の部屋一つ一つを探索しなければならないかと予想していたよりも遙かに早く、目当ての人物を見つけることが出来た。広間のソファにだらしなく凭れかかっている体勢のまま、白いシャツに黒いスラックスというラフな格好をした男は黄瀬に向かって問いかける。

「黄瀬涼太っス。あんたに責任とってもらいたくて!」

ずかずかと物怖じせず近付いて来る黄瀬の、お日様のようなキラキラと光る金髪に眩しそうに瞳を細める男の膝の上に、軽い音を立てながら赤い色の菓子が降った。一つ一つ簡単な包装はしてあるものの、それを通り越してふわりと甘い匂いが香る。

「俺の作るお菓子が全部、赤色になっちゃうんスよ。あんたに血を吸われたからだと思うんス」

だから元に戻して、と全部の言葉を言い終わる前に、目の前のヴァンパイアが口を開いた。

「これは君が作ったの?食べてもいいかい?」

「……いい、っスけど」

ペリ、と透明な包装を剥がして取り出したマドレーヌを、男は口に運ぶ。アッシュグレイの瞳が少しだけ赤みがかって見えた。

「うん、美味しい」

最後の一口を咀嚼して飲み込んだ後、男は笑う。そうやって微笑むと、まるでどこかの王子様のようだ。

「えっと。あんた、ヴァンパイアなんスよね?お菓子も食べるんスか?」

本来の目的も忘れて、黄瀬は首を傾げる。男は包装を破ってさくらんぼを練り込んだクッキーを取り出しながら、その問いに答えた。

「赤いものであれば何でも食べるよ、たまには人間の血も必要になるけど。血液だけで生きているヴァンパイアの方が、今時珍しい」

「俺の血を吸ったのは、その“たまには”だったってこと?」

「そうなるね。君の血も、すごく美味しかった」

黄瀬は大きく二三度瞬いて、幸せそうに自分の作った菓子を頬張る男を見つめる。

「……お腹、減ってるんスか」

「君の血が久々の食事だったんだよ。でも、吸血し過ぎて殺すわけにもいかないから、あれでも控えたんだ。この辺りは赤い食べ物が少なくて困るね、ずっと空腹だ」

赤いものしか作れないって、どうしたら元に戻せるのかな。俺にとっては、すごく羨ましいけれど、と口の端についた赤いラズベリージャムを舐め取りながら呟くヴァンパイアの手を掴んで、黄瀬は言った。いきなりのことに驚いて、男が目を見開く。

「俺、あんたのために作ってもいいっスよ、赤いもの」

そう言葉を紡いだ黄瀬自身、何故こんなことを言ったのか分からなかった。黄瀬の作ったお菓子をあまりにも美味しそうに男が食べるものだから、魔が差したのかもしれない。
ゆっくりと黄瀬の手を握り返した男は、見る者全てを魅了するような美しい微笑を浮かべていた。





町の人々はいつもと同じように黄瀬の店へと菓子を求めてやって来る、菓子店を兼ねる家に新しい住人が増えたことも知らずに。それは氷室と名乗る男がヴァンパイアであり、店の開いている日中は眠っていることに起因していた。氷室ほどの美青年なら、この小さな町ではとうの昔に噂になっているに違いない。
無意識にイチゴなどの赤い材料を混ぜ込んでしまう問題は、まだ太陽が顔を出さぬ早朝に、氷室が黄瀬の隣でお菓子を作る工程を見守ることで解決した。無意識にクランベリーソースに手を伸ばして生地に練り込もうとする黄瀬を、氷室は優しく制するのだ。そのため、店のショーケースが赤い菓子たちに占領されることもない。

「それで、あなたはまんまと快適な食事を与えてもらうことに成功したわけですね」

商店街メンバーでの話し合いがあるのだと黄瀬が出かけて行った夕方。寝起きに留守を預かる形となった氷室の元へとやって来たのは、黒子だった。勝手知ったるといった様子でお茶を淹れ、菓子を添えて差し出した氷室へ向かって、黒子は僅かに棘を含ませて先程の言葉を紡いだ。

「人聞きが悪いことを言うんだね」

「僕は黄瀬君ほど無知ではありませんから」

正面の椅子に座る氷室は、興味深げに黒子のことを見つめている。

「ヴァンパイアに吸血された人には、惚れ薬を用いたときのような症状が見られるという報告がいくつかあります。黄瀬くんは気付かないうちにあなたに惚れた、いや、惚れさせられていた」

ガラス玉のような水色の瞳に友人を誑かされたことへの怒りを滲ませて、黒子は氷室を睨んだ。それを面白そうに見遣ってから、氷室は口を開く。

「君が魔法でも使えたら、涼太を救えたかもしれないな。けれど、君は魔法を使えない。ただの小説家で、占い師だ」

黄瀬の血は今まで襲ってきた人間の中でも一等美味しかったから、氷室は黄瀬を殺さなかった。生かしておいて傍におき、好きな時に吸血することを望んだのだ。

「悪いヴァンパイアから涼太を救う王子様が現れることを、祈ってるよ」

それは到底あり得ないことだとでもいうように、氷室は灰色の瞳を美しく細めてみせる。人間にはとても真似できない怪物の微笑みだった。




「あれ、誰か来てたんスか……?」

帰宅した黄瀬は、テーブルの上に置かれたままのティーカップと菓子を見て首を傾げる。一口も口をつけられていないように見える紅茶は、淹れてから時間が経ったのか随分と温くなっているようだ。

「黒子君が来たんだ」

「え、黒子っちが?」

「涼太がヴァンパイアなんかと暮らしてるから、心配だったんだろう」

氷室の言葉に少しばかり眉を下げて、黄瀬は言う。

「何も心配することないのに」

氷室は微笑んで、黄瀬の傍へと移動した。黒子っちは心配性なとこがあるっスからね、と呟いている黄瀬の、雪のように白い滑らかな首筋へと舌を這わす。

「こんなことされるから、心配なんだよ」

ペロ、と真っ赤な舌で首を舐め上げる氷室を見る黄瀬の蜂蜜色の双眸は、とろりと今にも蕩けそうだった。

「……お腹空いたんスか?」

「うん。涼太の血が飲みたいな」

唾液で濡れた肌を、白い犬歯が刺す。その感覚に背筋を震わせながら、黄瀬は氷室の背へと手を回した。




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ハロウィンと氷室さんのお誕生日が近かった記念。


2012.10.23.
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