※パラレル。


黄瀬は、氷室辰也という男のことが好きだった。初めての恋だった。



Never let me go




モデル業で忙しく学業の覚束なかった息子の進路を心配した両親の手配により、家庭教師がやってきたのは中学三年生の頃だ。初めまして、と自己紹介をするその大学生は、モデルの黄瀬でも一瞬見惚れてしまうほどの綺麗な顔をしていた。
氷室の教え方は分かりやすく、休憩時間に挟まれるプライベートな話もどれもが面白く、すぐに黄瀬は氷室のことが気に入った。帰国子女だというだけあって、英語の発音なんて学校の教師よりも流暢で格好良かった。
指や肩が触れるたびにドキッとするようになったのは、いつからだろう。この人じゃなきゃ俺の成績どんどん悪くなるから、と両親を説得して、無事に志望校に合格してからも家庭教師を続けてもらうことにした。
大学生ってどんなところで遊ぶの、と問えば、高校生の黄瀬が一人では入りにくいようなお洒落なカフェに連れて行ってくれたし、氷室さんってどんなところで服買うの、と尋ねれば、買い物にも付き合ってくれた。家庭教師とその生徒というには少しだけ親密な関係だったけれど、それだけで満足だった。
就職活動や卒論で忙しい時期も、二週間に一回は必ず来てくれる。どんどん氷室のことを好きになる。



会えるだけで満足だった拙い恋をしていた黄瀬が不安に駆られたのは、受験シーズンである冬を迎えた頃だった。大学生になってしまえば、家庭教師の必要はなくなる。氷室に会えなくなってしまう。
志望していた大学の合格発表の日。掲示板に張り出された合格者の受験者番号に自分のそれがあるのを確認するとすぐ、震える手で氷室に電話をかけた。合格していたと告げると、お祝いをしようと誘ってくれた。間接的にでも氷室との繋がりを持ちたくて大学は彼と同じところを受験していたから、そのまま構内で合流して氷室のお気に入りだという喫茶店に入る。そこでケーキセットを御馳走になり、おめでとう、俺の後輩だね、と優しく言われてしまえば、今まで我慢していたものがみっともなく零れ落ちてしまった。
好き、と言えば、彼は困ったように笑う。降り出した雨のせいでさして明るくなかった店内は一層暗くなり、一番奥の席に座る黄瀬たちに店員が注目することもなかった。氷室さんとずっと一緒にいたい。想いのまま口にしてしまった言葉はまるでプロポーズのようだった。少しだけ考えて、氷室は頷いた。四年間受け持った生徒に、少なからず情が湧いていたのだった。





氷室の卒業と入れ替わりに大学に入学した黄瀬は、何事もなく学生生活を過ごしている。彼の優先順位の一番上には氷室がいて、講義もモデルの仕事も二の次になった。氷室とは、先生と生徒であった頃の関係に加えてセックスもするようになっていた。
大学三年生になった春。出張等が重なったことで一カ月会えなかった氷室の左手の薬指には、プラチナの指輪が鈍い光を放っていた。

「……それ、どうしたんスか?」

恐る恐る口を開いた黄瀬に、氷室は軽く笑って返す。

「結婚したんだ」

「え」

「社会的な体裁ってものがあってね」

「そう、なんスか」

ショックでその言葉しか口から出てこない。婚約ならまだ分かる。でも、結婚?黄瀬は氷室の何もかもを知っているわけではなかった。氷室の家にも、一度も行ったことは無い。同棲している彼女がいるからだとか、その可能性はできるだけ考えないようにしていたのに。待っていたのは、彼女なんて陳腐なものじゃなかった。

「今日、買い物付き合って欲しいんスよ」

黄瀬はどうしても氷室との繋がりを絶ちたくなかった。初めての恋なのだ。少なくとも、氷室自身からこんなお遊びは止めようと言われるまでは、どんなに女々しくても氷室の手を離すことはしないとそう心に決めて。氷室のずっと見つめていたくなる節ばった長い指に光る指輪の存在は、無視することにした。



買い物と食事の間は気にすることもなかったマリッジリングの存在は、ホテルのベッドに押し倒されたあたりで一気に無視できなくなった。シャツの下に忍び込んだ手が胸に触れたとき、ひやりと冷たい無機物の温度が伝わってきてわけの分からない気持ち悪さに鳥肌がたつ。

「氷室さん、それ、外して欲しいっス」

「これ?」

何かを考えるように左手薬指を暫く見つめた後、氷室は意地悪く笑ってそのまま指を黄瀬の方へと差し出した。

「自分で外したらいいじゃないか」

「でも、手が」

そこまでを言葉にし、そして口を噤んだ。黄瀬は後ろ手にネクタイで縛られている。氷室は何かと拘束するのが好きで、黄瀬もそれが嫌ではなかった。だから、初めてのセックスのときからずっと黄瀬の両手が自由になったことはない。
何とか上半身だけを起こして、目の前に差し出されていた薬指に唇を寄せた。

「ん、っふ、」

ぴったりとはまったプラチナの輪に舌で唾液を纏わせて、歯で挟み少しずつ引っ張る。なかなか外れないそれに苛立つし、拘束されている両手が使えないのがもどかしかった。
眉間に皺を寄せる黄瀬を見て、氷室はアッシュグレイの瞳を満足気に細める。ちゅぱ、と黄瀬の口から漏れる水音が部屋に響いた。
第二関節までずらしてしまえば、指輪を動かすのは随分と楽になる。ゆるりと動くようになったマリッジリングには歯をたてたまま、このまま飲み込んでしまったらどうなるだろうと黄瀬は考えた。怒られるだろうか。もう付き合いきれないと、関係を絶たれるだろうか。
けれど、ゆるゆると第一関節を抜けて口内に入り込んだ指輪は素早く氷室の右手で取り出されてしまった。涼太はバカなことを考えるね、と氷室が笑う。

「こんなもの飲み込んでも、お腹を壊すだけだよ」

そのままベッド脇の棚に置かれた指輪は、行為が終わるまで黄瀬の視界に入ることはなかった。





いつも以上に好きだと口にして声を嗄らしながら喘ぎ、涙を浮かべて気を失った黄瀬を見つめて氷室は微笑む。何て可愛い教え子だろう、と。今まで直接口にしたことはなかったけれど、氷室は黄瀬のことをちゃんと愛しているのだ。愛情表現が少しばかり捻くれているだけで。
一生懸命口だけを使って指輪を外す姿は動画にでも撮っておくべきだったな、と氷室はそう考えながら棚に置かれたままのマリッジリングを、ティッシュに包まれたコンドームの入ったごみ箱へと落とした。黄瀬の綺麗に整った顔が悲痛に歪むのを見たくて購入した安物の指輪だ。おかげで可愛い顔が見れた。満足している。
黄瀬が目を覚ましたら、すぐに嘘だと告げよう。騙されたと怒るだろうか。いや、そんなことはあり得ない。可愛い可愛い教え子は、氷室から離れることはないのだ。離れたいと願う日が来ても、氷室はそれを許さない。永遠に、黄瀬は氷室のものだ。



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口を使って指輪を外す黄瀬くんを書きたかった。
氷室さんちょっとゲスっぽくなってしまってすまんかった。
氷室さんは犠牲になったのだ。



2012.10.19.
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