※パラレル。 |
『りょうたくん、ぼくのおよめさんになってください』 血のつながらない弟の告白を、涼太は昨日のことのように鮮明に覚えている。それは、結婚したらずっと好きな人と一緒にいれるのだ、と母に教えられた後のテツヤの言葉だった。五つも年の違う涼太の手を取り、大きな水晶の目でしかと飴色の目を見つめて、テツヤは言ったのだ。すきです、と。 兄弟に向ける愛情でも、自分よりも小さな子に感じる愛しさでもなく、何か心臓が大きく跳ねるような衝撃を、涼太はそのとき感じた。じわりじわりと、左胸の辺りから温もりが全身に伝わって行く感覚を味わいながら、涼太はテツヤを見る。意志の強い水色の目で真摯に見上げてくるテツヤに、涼太はふわりと嬉しそうに微笑った。 それは、十一年前の三月。沈丁花の香りが甘く漂う、小さな庭でのことだった。 二度目の瑞香 閑静な住宅街の一角に、古民家を改装したカフェがある。店長と料理人だけの小さな店ではあるが、料理が美味しいこと、働く者二人の見目がとても良いことが影響して、近所に住む奥様方に絶大な人気を誇っていた。 専門学校を卒業してレストランで働いていた涼太を、大学を卒業したばかりの赤司が誘って、二人三脚で経営しているカフェだ。近くに緑間の通う大学もある。表の扉に『closed』のプレートをかけた後、気の置けない幼馴染三人で集まってお茶を飲むのが毎週恒例となっている。 「テツヤくんが好きすぎて辛い」 そう呟いてテーブルに突っ伏した黄色い頭を、隣に座っていた赤司が優しく撫でた。その正面に座る緑間は淹れられたばかりの紅茶を口に運びながら、眉間に一つ皺を寄せる。 「お前はバカなのだよ。いつまで弟を好きだと言い続けるつもりだ」 涼太の恋は、十一年前、七歳のテツヤに告白されたことから始まっていた。子供の、それも血の繋がらないとはいえ弟からの告白を、いつまで引きずっているつもりなのか。少しは寛容になってきたとはいえ、同性愛など歓迎されるようなものではないだろう。現実を見ろ。緑間の言葉は全て、涼太を慮ってのことだ。大切な幼馴染が傷つき泣く様を見たくはないのだと、深緑の双眸は雄弁に語っている。 「涼太はこのバカなところが可愛いんじゃないか」 さらさらと、指通りの良い光色の髪を弄びながら赤司は微笑んだ。それに、と柔らかく続けられる言葉に、涼太が伏せていた顔を上げる。 「真太郎はお前が心配だから、きついことを言うんだよ。万が一、弟くんに失恋しても、涼太には僕たちがいる」 だから心ゆくまで恋しておいで。 赤司の柘榴色の瞳がやんわりと細められ、緑間の眉間から皺が消えたのを見て、涼太は安心したように笑った。優しい幼馴染たちはいつも、涼太のことを甘やかしてくれる。 生まれたときからずっと母と二人で暮らしてきた涼太に、新しい家族が出来たのは十二歳の秋のことだった。初めての父親と、ずっと憧れていた兄弟。大好きな幼馴染たちと離れてしまうことは残念だったけれど、転校せずに済む距離だったし、春から通う中学校も同じであると分かっていたこともあって、弟が出来るということの方が嬉しかった。 弟になったテツヤとは五つも年が離れていたけれど、すぐに仲良くなることができた。新しい母よりも、涼太の方に懐いていたように思う。年に似合わず丁寧な話し方も、澄み切った空のような色の目と髪も、涼太は大好きだった。だから、春を迎えたばかりの庭で、両手を握りながらされた告白が強く印象に残っている。あのとき、涼太は幼い弟に惚れてしまったのだ。 それからの涼太の成長には、テツヤが大きく影響している。部活を見に来たテツヤにかっこいいと言われれば、誰よりも一生懸命練習に取り組んだ。見様見真似で作ったオムライスをテツヤに美味しいと褒められて、料理が好きになった。それは、部活での全国大会優勝、調理師という結果に繋がっている。今ここにいる涼太は、テツヤがいなければ存在していない。 涼太はゆっくりと息を吐きだした。同じ方向に帰る赤司と緑間とは別れて、家までの道を考え事をしながらのんびりと歩いている。夜闇には、秋だと知らせる金木犀の香りが散乱していた。 緑間に言われたことも、黄瀬はちゃんと分かっているのだ。血の繋がりは無いとはいえ弟に恋愛感情を抱いているなんて、周りに理解を得られるようなことではない。だから、この想いは秘めたままにしておこうと決めている。テツヤに家族よりも大切な人が出来て、幸せそうに寄り添って微笑む様を目にすることができたなら、涼太は笑って諦めるつもりだ。十年以上も積み重ねた恋心は簡単に消えてくれそうにはないけれど、どこまでも優しい幼馴染たちに馬鹿だなぁと慰めてもらって、そうして少しずつ無くなってくれることを願いながら毎日を過ごす未来なら、うっすらと想像できる。 血が繋がっていれば良かったなぁ、と涼太は思った。どうせ無くなってしまうのなら、気持ちも告げられないのなら、たった一つテツヤとの間に確かな繋がりが欲しかった。 「彼女が出来たら紹介してね」 帰宅するなりそう告げた涼太を、ソファに座って文庫本を読んでいたテツヤは怪訝そうな目で見上げる。またですか、と言いたげな視線に苦笑して、涼太はテツヤの隣に腰をおろした。これは自己防衛なのだ。テツヤから言われる前に涼太自ら言うことで、少しでも傷が浅くなるようにという工夫だ。テツヤが高校生になってから度々口にするものだから、この頃は呆れられてしまっている。 「彼女なんて出来ませんよ」 「そんなことないっス。自分では気づかないかもしれないけど、テツヤくんほんとにかっこいいんスから」 「……そうですか」 「そうだよ。だから、恋人が出来たら、ちゃんとお兄ちゃんに紹介してね」 どこか寂しそうな色を湛えた黄金の双眸と目を合わせて、けれどもテツヤは頷かなかった。五つも年の離れた涼太の頭をそっと撫でながら、テツヤは言う。 「涼太くんがそう言うのは、いつも決まって疲れているときです。さっさとお風呂に入ってきてください。蜂蜜のたっぷり入ったホットミルクを作って、待っててあげますから」 *** 梅や桃が可愛らしい花を咲かせる季節になり、涼太は毎日忙しく過ごしていた。カフェのオープン一周年となる来月までに、新メニューを考えなければならない。何時間も赤司と話し合い、ときには緑間にも助言をもらいながら、涼太は試作を繰り返していた。これがなかなか上手くいかない。 「征くーん、俺、一回帰って夕飯作ってくるね!」 「あぁ、今日はおばさんたちがいない日だったか」 「うん、家にはテツヤくんしかいないから。二時間くらいで戻って来るっス」 「行ってらっしゃい。気を付けて」 庭木に水を遣っていた赤司の許可をもらい、涼太は一旦帰宅の途に就いた。どこもかしこも春の匂いに包まれていて、桃や梅に混じって微かに沈丁花の香りも漂っている。擦れ違う人の誰もが幸せそうに見えるのは、春の陽気がそうさせるからだろうか。涼太が浮かれているからだろうか。 テツヤは先日、志望大学に見事合格した。大学は自宅から十分通える場所にあり、あと四年間はテツヤと共に暮らせるのだと涼太は嬉しく思う。今日の夕飯は、合格おめでとうという気持ちを込めてテツヤの好物を作ろうと決めていた。 「ただいまっス」 玄関のドアが背後で閉まる音を耳にしながら靴を脱ごうと屈んだ涼太は、見慣れない靴がきっちりと踵をそろえて並べられていることに気付いた。ピンクのパンプス。まず男物ではないし、涼太の母はもういい年だからと言って若者向けのデザインのものは履かない。テツヤの靴の隣にきちんと揃えられている靴。可愛らしい女の子が好んで履いていそうな、桃色のパンプス。 どくん、と大きく心臓が脈打った気がした。リビングと廊下を隔てているドアが開く音がする。玄関に屈んだままの涼太の元へと、二つの足音が近づいてくる。 「お帰りなさい、涼太くん」 ゆっくりと顔を上げる涼太の視線の先には、テツヤと、その後ろに控えるように立つ桃色の髪の少女がいる。涼太に紹介されるのを待っているかのような素振りで立つ女の子は、とても可愛らしかった。 紹介しますね、と口を開いたテツヤの、その後の言葉はもう涼太の耳には聞こえていない。彼女が出来たら紹介してほしいと強請っていたのは涼太だったけれど、こんなにショックを受けるとは思わなかった。心臓がさっき大きく動いたのを最後にして、止まってしまったように感じた。ぼんやりと紗がかかったような視界の中で、テツヤの隣に並んだ少女が柔らかく微笑む。テツヤの表情も和らいで、幸せそうに二人は笑った。 夕飯を作りに自宅へ帰ったはずの涼太が一時間もしないうちに店先へと現れたのを見て、赤司は何が起こったのかを大体理解した。呆けたように覚束ない足取りの涼太の手を引いて椅子へと座らせ、気分が落ち着くようにとローズペタル入りの紅茶を用意する。子供のように両手でマグカップを持ち紅茶を一口飲むと、涼太はぎこちなく微笑んだ。ありがとう、と呟く声は音にならず、飴色の瞳は見る見るうちに潤んでいく。 「テツヤくんが、彼女連れて来てたっス。俺、お兄ちゃんとして喜ぶつもりだったのに。笑って、諦めるつもりだったのに」 泣くつもりなんかないのに。こんなに、自分が女々しいなんて思ってなかった。ぽろぽろと大粒の涙を零す涼太の頭を、赤司はいつもしているように優しく撫でる。それは、泣いている幼い子供を宥めるような動作だった。 「十年以上も好きだったんだ。そんな簡単に諦められるわけがないだろう。涼太が泣くのも、仕方のないことだよ」 視線を一瞬だけ窓の外へと遣った赤司は、目を擦ろうとする涼太の手をしっかりと両の手で掴まえる。こら、そんなに擦ったらうさぎさんのお目目になってしまう。そう言って、赤司は涼太の濡れた眦へと唇を寄せた。ちゅ、と軽いリップ音が聞こえて、涼太は目を瞬かせる。赤司の唇は、目尻から瞼、額へと移動した。母が子にするような、優しいキスが降る。 「弟くんに失恋しても、涼太には僕と真太郎がいるだろう」 ぼんやりと涼太が頷くのを見て、赤司は笑った。 「僕たちはいつでも、涼太のことを想っているよ」 飴色の双眸が、随分と近いところにある柘榴色を映して揺らめく。瞼でも額でも頬でもない場所に、赤司の唇が触れようとしている。睫毛と睫毛が触れて微かな音をたてそうな距離、口付けまであと数ミリも無いというところで、店のドアが勢いよく開かれた。ドアについていたベルがカランカランと高く鳴る。 「涼太くん!」 店に入って来たのは、テツヤだった。驚いた涼太が振り返り、赤司は掴んでいた幼馴染の手を離す。 「涼太くん、話があります」 「え?」 「……用事を思い出したから、僕は一旦店を空けるよ。涼太、留守番を頼んでもいいかな」 戸惑う涼太が助けを求める前に、赤司は店を出て行ってしまった。どんな顔をしてテツヤを見ればいいのか分からないまま、涼太は席を立って厨房へと向かおうとする。 「とりあえず座ってくださいっス。何が飲みたいっスか? いい茶葉が手に入ったって征くんが」 そこまで言ったところで強い力に手を引かれ、涼太は近くにあったソファ席へと座らされた。テツヤにそうされたのだと理解する前に、空色の瞳に不機嫌さを滲ませたテツヤが口を開く。 「涼太くんは、何かを誤解していませんか」 「誤解、なんて、してないっス」 何を誤解したというのだろう。あの桃色の可憐な少女がテツヤの恋人だと、ちゃんと分かっているのに。赤司に止められた涙がまた出て来そうになるのを、涼太は必死で堪えた。テツヤの前で、弟の前で、みっともなく泣いてしまったら、秘めようと、諦めようと決めた想いが口から飛び出してしまいそうだった。 「いえ、誤解しています。君は僕の話が聞こえていないようでした。慌てて桃井さんを帰して追いかけてきたら、男にキスされようとしているし」 「……桃井さん?」 「さっき紹介したでしょう。桃井さつきさん。青峰くんの幼馴染で、今日は、卒業式の写真を届けに来てくれたんですよ」 青峰という涼太も知っているテツヤの友人の名前にゆっくりと瞬いて、涼太は正面に立ったままのテツヤを見上げる。 「テツヤくんの彼女じゃ、ないんスか?」 「違います。ほら、勘違いしてるじゃないですか」 あまり表情を露わにしないテツヤが、少しだけ眉を下げて困ったような顔をした。そうして近付いて、涼太の背後にあるソファの背もたれに右手をつき、薄く水の膜の張った飴色の双眸を覗き込む。 「僕は、涼太くんのことが好きです。ずっと。君に出会った時から」 背もたれについた手とは反対の手で、テツヤは涼太の頬をするりと撫でた。それだけで、涼太ばびくりと震えて、白い顔は面白いほどに赤く染まる。赤司や緑間に向ける安心しきった表情ではなく、例えるならば小動物が捕食者に追われているような怯えに近い反応を見せる涼太に、テツヤは微笑んだ。 「あの人に、ここに、キスされました?」 ゆっくりと、テツヤは涼太の唇に指を這わせる。赤司からの唇へのキスは、未遂に終わっている。ふるふると首を振る涼太が、どうしていいか分からないといった風に言葉を漏らした。俺たち兄弟なのに。小さく呟かれたそれは、至近距離にいるテツヤの耳にもしっかりと聞こえている。 「僕たちは戸籍上は兄弟ですが、実際に血の繋がりはありません。……僕は、君と血が繋がってなくて良かったと思っています」 ただでさえ近い場所にあったテツヤの顔が徐々に近付いて来て、涼太は息を止めた。空色の瞳に、みっともなく赤面している涼太の顔が映っている。 「血が繋がっていたら、こんなことも出来ませんから」 掠れたテツヤの声が涼太の耳に届くのと同時に、柔らかいものが唇に触れた。涼太の唇をやんわりと食んで、舌で舐めて、そして離れていったテツヤをぼんやりと涼太は見つめる。喜びと困惑と恥ずかしさとが混ざって、止めようとしていた涙が飴色の目から零れてしまった。 「涼太くん、好きです。僕は、君とずっと一緒にいたい」 ひんやりと冷たい手が熱を持った涼太の頬を掠めて、目尻に溜まっていた涙を拭う。ねぇ、涼太くん。君の気持ちを聞かせてください。テツヤに促されて、涼太はゆっくりと言葉を紡ぎ出した。 「俺も、テツヤくんが好き。ずっと、好きだった」 テツヤは幸せそうに微笑むと、涼太の頬を両手で包む。君は覚えていないかもしれませんが、これは二度目の告白ですよ。柔らかなテツヤの声に、涼太も和らいだ笑みを浮かべた。ちゃんと覚えてるっス。俺が恋に落ちた日のこと。 小さく開けられていた窓から、穏やかな春の香りを乗せた風が吹き込んで来た。ゆっくりと二人は目を閉じる。 十一年前と同じ沈丁花の甘い匂いに包まれて、涼太とテツヤは再びキスをした。 → - - - - - - - - - - 診断メーカーより:血の繋がらない兄弟の設定で受が片想いしている黒黄の、漫画または小説を書きます。 2012.12.29. |