※原作より数年後設定。

Je t'aime, in Paris


硬い石畳に打ちつける雨の音は、バレーボールを奪っていった音に似ていた。体の中で響くのはブチっというポップ音だと聞いていたけれど、及川が感じたのはそんなに生々しいものではなかった。石畳を軽く弾くような音。高校三年生だった及川徹の右足の靭帯が断裂した音は、パリを濡らす雨の音によく似ていたのだった。
石で出来た建物を雨が伝っていく様子を想像しながら、及川は大きく息を吸い込んだ。空気と共に肺に入って来たのは、独特の絵の具の匂い。初めは慣れなかったそれも、今では体に沁みついたみたいで落ち着きを感じるようになった。持っていた筆をパレットの上に投げ出して、付けていたエプロンを椅子の背にかける。小さく唸りながら思いっきり伸びをして、それから及川は財布を手にして部屋を出た。時刻は午後二時。朝から何も食べずにキャンバスと睨めっこしていた分、胃がこれでもかというくらいに空腹を訴えていた。玄関扉を開けると、焼き立てのパンの香ばしい匂いが漂ってくる。それに及川はくんと鼻を鳴らして、僅かに口の端を上げた。
及川がパリで暮らし始めて、もう四年が経とうとしている。靭帯断裂によってバレーボールが出来なくなってから四年以上が過ぎた。
推薦をもらっていた大学には進学せず、実家から通える大学に行って、ぼんやりと講義を受けるだけのつまらない日々に頭がおかしくなりそうだった時期に、パリにいる画商からラブコールが来た。フランス語訛りの日本語で受けたのは、君の作品をもっと見てみたいんだという熱烈なプロポーズだった。及川が高校生の時に美術の授業の一環でコンクールに出した絵を、たまたま目にして気に入ったのだという。美術の勉強もしたことのない学生が授業で描いただけの絵なのにそんなうまい話があるわけない。詐欺だと疑ったけれど、そのパリジャンは手紙や電話だけでは飽き足らずに直接宮城に来ては及川を幾度も口説いたのだった。それに根負けしたわけじゃない。バレーボールのない、退屈で退屈でそれこそ死んでしまいそうな日常に終止符を打つには、ガラリと環境を変えるしかないと思ったのだ。
そうやって、十九歳になったばかりの及川はスーツケース一つだけを持って異国の地へと飛び立った。行き先を知っているのは、家族と幼馴染の岩泉だけ。一緒に青春を捧げた同級生にも後輩にも、細い糸が幾重にも絡まり合ったような複雑な想いを抱いていた中学校時代の後輩にも何にも告げずに、及川はパリで暮らし始めたのだった。





パリに着いたその日、空港に迎えに来た画商に連れて行ってもらったアパルトマンの一階はパン屋で、そこの奥さんが日本人だった。彼女は留学中にパン屋の主人と恋に落ちそのままパリにいるそうで、遠い故郷から来た及川をとても歓迎してくれた。アパルトマンの部屋には家具が揃っていて、近くには市場もある。こぢんまりとした美術館もたくさんあるらしい。そこで色んな作品を見てみると良いよ、と買ったばかりのパン・オ・ショコラを食べながら画商は笑った。空よりも青い眼で一つウィンクをして、ここはゲイの聖地でもあるから学ぶことはいっぱいあるかもね、と茶目っ気たっぷりに言う彼に、及川は何と返せばいいのか分からずにとりあえず口元だけで笑ってみせた。会ってから数カ月しか経っていない男に、自分でも説明出来ないもやもやとした想いを見透かされたとは考えにくかったからだ。
何もかもが日本と違う環境に、及川は随分と救われた。新しい環境に慣れるのが精一杯で、バレーボールのことなんて考えている暇なんてなかった。絵を描いて、語学教室に通って、美術館を巡って、また絵を描く。時には画商に連れられて、及川のパトロンに会うこともあった。
親や岩泉からのメールには、バレーボールの文字は一言もなかった。皆、及川に気を遣っていることは知っていた。幾度も悔しい思いをして血の滲みそうな努力をしたってバレーボールの神様には愛されなかった。あの激しい衝動の火はもう灰になってしまって二度と燻ることはないと知っている。バレーをしていたときのような情熱を絵にぶつけることはないけれど、ゆっくりと穏やかに真っ白なキャンバスに色を重ねていくのは、どこか禅問答のような自分の気持ちが次第に整理されていくような清々しい気がした。
バレーボールに未練はないといえばもちろん嘘になるけれど、箱の中に閉じ込められて少しずつ水を流し込まれていくような息苦しさだとか、今まで一生懸命上ってきたどこまでも続く長い階段の途中で膝をついてもう動けないと呟いた瞬間に、すぐ傍を二つ年下の後輩が軽やかに通り過ぎて行くような絶望感を味わわなくて良いのは、とても楽だった。飛べなくなった右足を切り取ってやりたいくらいの残酷な気持ちは、日本を離れてからは随分と落ち着いている。まるで静かな森に横たわる湖のような、老成した気持ちになりながら及川は日々を過ごしていた。熱くて苦しくてもどかしい気持ちは、もう一生経験したくないとさえ思っていた。





作品を描き終えた日は、部屋をすっきりと片付けて市場へ買い物に行くようにしている。そこで新鮮な果物をいくつか買い込んで、サングリアを作るのだ。母親がスペイン人だったという老婦人のパトロンに教えられたものがとても美味しく気に入って、一仕事終えた自分へのご褒美にするのが習慣になっていた。
市場へ行く前に小腹がすいていたのをガレットで満たして、小さく鼻歌なんかを歌いながら果物を買い込んだ。果物が詰まった茶色い紙袋を胸に抱え込んで、石畳を歩く。空には重たい雲が立ち込めているけれど仕事を終えた分だけ気持ちも良くて、及川と同じように観光客も地元の人も皆幸せそうだ。アパルトマンに戻るには少し遠回りになる道を選んでしまうくらい、素敵な日だった。
目の端に写った黒い色をカラスだと思って振り返った。日本にいたときにはそんなことはしなかったけれど、パリではカラスをあまり見かけない。公園の傍でもないのに珍しいなと思って振り返ったことを、及川は後悔した。
黒だ。最初の印象はそれだ。頭のてっぺんから足の先まで真っ黒。様々な色が溢れている花の都パリで、それは一際目を引いた。真っ黒は人であってカラスではなかったけれど、濡れ羽色の髪と瞳はカラスと同じ色をしていた。
頭のどこかで大きく警鐘が鳴る。それが毎日聞こえてくる教会の鐘の音だと気付いて、こんなところでもパリに馴染んだなと現実逃避をしている思考の一方で、体は動き出していた。視線の先にいた男が、及川を見て口を開くのが見えたからだ。
体を反転させて、すぐ傍にあった路地に入る。及川さん、と異国の地では違和感しか覚えない自分の名前が後ろから聞こえてきたのに気付かなかったふりをして、一刻も早く絵の具の匂いが沁みついてしまった部屋に帰りたかった。
それなのに、急な動きを求められた右足が悲鳴を上げた。瞬間的な痛みに引き留められた左足は一歩を踏み出すことに失敗して、石畳に膝をつく。腕から落ちた紙袋から、オレンジやレモンがころころと転がり出た。

「及川さん!」

駆けて来る足音と自分の名前が路地に響く。四年間、忘れていた。忘れていたのに、音を聞いた瞬間思い出す。最後に会ったときより、落ち着きが滲んだ声をしている。

「立てますか?」

差し出された手は、しっかりとした大人の男のものだ。ジャージの袖に隠された手首から腕、肩と順に視線を上げて行くと、端正な顔に辿り着いて真っ黒な瞳と目が合う。影山飛雄だ。記憶に残っていた頬のまろやかさはなくなっている。あんなに仏頂面だった表情はマシになっていて、きっとモテるのだろうなと思った。
影山は及川が立ち上がるのに手を貸すと、及川のズボンについた汚れを軽く払ってやってから、好き勝手に転がって行った果物を拾い出す。転がっていった果物はすっぽりと元の紙袋に納まったのに、及川の胸の奥に仕舞われていた複雑な気持ちをまとめた糸の塊は勝手に転がり出てしまったようだった。ころころと感情の糸が転がって、火種もないのに燻り始める。逃げてきてやっとこの地で落ち着いたのに、またあんなにもどかしい気持ちが蘇ろうとしている。冷たい汗が滲み出て来る及川を、じっと見つめて影山は言った。

「やっと見つけました、及川さん」





本当は家に入れたくなどなかった。手近なカフェで話を済ませたかったけれど、影山の身に着けている黒いジャージに控えめに主張する日の丸と『JAPAN』の赤い文字がそれを許してはくれなかった。影山自身は及川と話が出来るならどこでもいいと言ったけれど、そういうわけにもいかないだろう。異国の地とはいえ、ここは日本人に人気のある観光地だ。影山がどんな話をするのかは分からないが、久しぶりですね、元気ですか、から始まる一般的な世間話でないことだけは想像できるし、ちょっとした不注意がきっかけで中学校時代の先輩と確執があるというような日本を代表する選手のスキャンダルとなることだけは避けたかったのだ。
仕事が終わったばかりで部屋を片付けていてよかったと思う。反対に、仕事が終わらなければ影山と会うこともなかっただろうにとも考える。
影山にはとびっきり甘いチョコレートドリンクを作って出した。甘さで舌が回らなくなってしまえばいいのに、なんて考えて出したのに、影山はそれを一口飲むと美味しいです、と感想を述べる。
記憶の中にある影山の顔は表情豊かとはいえないものなのに、チョコレートドリンクを飲んだ影山は表情を緩めた。目尻が下がって、口角も僅かに上がる。自然な笑顔は、ただ及川だけに向けられている。真っ黒な髪も目も、真ん丸な形をした頭も変わっていないというのに、身長や表情が違うだけで知らない男のように見えるのだから不思議だ。そうやって穏やかに微笑むことが出来るのなら、女性からの人気も凄いのだろう。つい三十分ほど前に思ったことを反芻する。
影山の真っ直ぐに見つめて来る視線に耐えられなくなったのは及川だった。グラスに注いだレモンの浮かんだ炭酸水で唇を湿らせる。

「誰に俺の居場所を訊いたの」

及川がパリにいることを知っているのは、家族と岩泉だけだ。影山と面識があるのは岩泉しかいないことを知っているから、答えはほぼ確定だというのに尋ねてみる。岩泉が教えたのであれば、後で文句の一つでも言うために電話をしようと考えていた。

「……猛くんです」

「は?」

「及川さんの甥っ子の、猛くんです」

少しだけ逡巡した影山の口から漏れて来たのは、及川が想像もしていなかった固有名詞だった。姉の子である猛は、北川第一中学校に入学してバレーボールをしているのだと親から聞いていた。

「何で、猛が飛雄に」

関わりなんて、なかったはずだ。そういえば一回だけ会ったことはあるかもしれないけれど、猛と影山はお互いに自己紹介なんてしなかったはずだし、言葉を交わしたかどうかもあやふやな接点だ。岩泉の方が、猛より何倍も影山と関わっている。

「少し前、バレーボールをしている学生たちとの交流会があったんです。ボールを触りながら子供たちの悩みをきいたりアドバイスしたりするんですけど、そこに猛くんがいました」

影山は一回だけ会っただけの猛のことを覚えてはいなかったけれど、猛は覚えていた。
俺のこと覚えてますか? 一回だけ会ったことあるんだよ、徹と一緒に。
その言葉で影山も思い出したという。あの暑い夏の日に、及川の隣にいた小さい子供を。

「チャンスだと思いました。国見や金田一に聞いた大学に及川さんはいなくて、岩泉さんには及川さんがどこにいるか教えてもらえなくて、バレーで有名な大学にもどこのチームにも及川さんの名前はなくて、もう一生会えないのかと途方に暮れていた時だったんです。この機会を逃すわけにはいかないと思いました」

「っ、汚いなぁ、子供を利用したわけ?」

「及川さんと会えるかもしれない可能性を、自分から手放すわけにはいきませんでした」

唇を噛む及川とは反対に、影山の表情はどこまでも真摯だった。黒い瞳は及川から逸らさ
れることは無い。これまで会えなかった分の記憶を補うかのように、影山はひたすらに及川を見つめている。
猛が知っていたのは、及川の住んでいるパリの地区名だけだった。それだけでも、何の手がかりもなかった影山にとっては格段の進歩だった、と彼は言った。九月にフランスで親善試合が行われることも時期が良かった。空いた時間が少しでもあれば、及川を探すつもりだったのだ。

「こっちに来てすぐ、及川さんに会えて幸運でした。まさかすぐに見つかるとは考えてもいなかったので」

「……俺は不運だったわけだけどね」

暗にお前には会いたくなかったよと言ってみる。
頑なに逸らされることのない影山の視線に灼かれるように喉が渇く。
影山は及川の嫌いな天才だったけれど、その素直さは愛おしかった。天才でさえなければ、同じポジションでさえなければ、及川は影山にもっと先輩らしい振る舞いを出来たのにと思える。
完璧なトスを上げるその手が羨ましい、己の才能に奢ることなく上を目指す様が憎らしい、その後ろ向きな感情がどこかで変に絡まりあって、同性の後輩に向けるにはおかしい想いに変化していたことに及川は気付かないふりをしていた。高校三年生の一年間で三度も対戦したときの背筋が粟立つほどの高揚感を覚えている。積もりに積もった想いはどんどんこんがらがって、及川自身の手では解けないほどになってしまったから胸の奥に仕舞いこんでいた。右足が使いものにならなくなったときには、もう二度とこの糸の絡まりを思い出すこともないだろうと確信していたはずだったのに。影山はあまりにも鮮やかな手つきでそのぐちゃぐちゃになった糸玉を解していくのだから驚愕する。色んな色が混ざって汚く濁ったその糸は、影山が解いていくのと同時に淡い一色に塗り替えられていくようだった。
及川にとってはぎこちない沈黙が、そう広くはない部屋に落ちる。何時間も経ったような気がして壁に掛かった時計に目を遣るけれど、針はさほど進んでいなかった。溜息を吐きたい気分だ。早く影山を追い返して、サングリアを作りたい。それから今日は外で甘いものを食べよう。クレームブリュレの固いカラメルの上に、オレンジリキュールをかけたのが良い。そして、影山の真っ黒な目に見つめられて穴が開いてしまったように感じる己の体を再生させたい。
意識をそうやってあらぬ方向に飛ばしていたところで、影山がゆっくりと薄い唇を開くのが見えた。低く、落ち着いた声が聞こえる。

「及川さんに、ずっと言いたかったことがあるんです」

「ずっと、って?」

「はっきりと言葉になったのは高校二年のときですけど、言葉になる前の分も含めるなら、きっとあなたに出会った時から、ずっと」

まるで愛の告白でもするみたいだね、トビオちゃん、と揶揄ってやるには会わなかった時間が長すぎたし、及川自身がそうやって誤魔化して話題を変えるのも下手くそになっていた。
影山が一度唇を舌で湿らせるのを見てドキリとする。この空間から今すぐにでも逃げだしてしまいたかったのに、足も、手も、何もかも全てが動かなくて及川は影山に釘付けにされたような気分だった。

「日本語じゃ分からない」

苦し紛れに口から出た言葉に、影山は大きく一度瞬いた。今までの影山の話は当たり前だが全て日本語だったのに、今更何を言い出すのかと思っているのだろう。

「もう四年以上もパリにいるんだから、日本語で言われても分からないよ」

悪足掻きだ。どうしても逃げ道を作っておきたかった。影山のことだから、日本語以外の言語が喋れるとも思えない。中学・高校で嫌でも勉強させられる英語なら、かろうじて単語くらいは分かるのかもしれないけれど。
及川が逃げよう逃げようとしているのはもう影山にも分かっているだろう。会った瞬間から逃げ出していたのだから。
少しの沈黙を挟んでから、影山はテーブルの上で水滴の浮いたグラスをなぞっている及川の右手を取った。驚いて手を引こうとする及川の動作を許さずに、強い力のまま引き留めて、

「逃げないで聞いて下さい」

と言う。
固い指先が、及川の手の甲をなぞって手首を掴む。

「Je t’aime」

うっすらと開いた唇から出て来たものが優雅な響きのフランス語で、発音も綺麗なものだったから及川は驚いた。意味を反芻するまでもない。きっとフランス語の分からない日本人でも、この言葉の意味を知っている。
何をふざけたことを、と突っぱねようとした及川の手首を影山が一層強く握る。影山自身は椅子から立ち上がって、及川の耳元へと唇を寄せた。

「Je t'aime à la folie」

少しだけ掠れた声が直に鼓膜を震わせる。背骨に沿って産毛が逆立つのが分かって、一気に耳まで赤くなったという自覚はあった。心臓が胸を突き破ってしまうのではないかというほど大きく鳴っている。『狂おしいほど愛している』なんて、言われる時がくるなんて想像したこともなかった。
影山が解いていった糸の塊が、淡い色から濃さを増したように感じた。あまりのことに自分の目が潤んでいるのが分かった。喉が震えて言葉が出ない。

「フランス語だから通じましたよね」

及川の手を掴んでいるのとは反対の手で、影山が及川の目の縁を辿る。火照っている及川の皮膚とは対照的に影山の手は冷たい。

「ひどい」

喉から絞り出されるように出て来た言葉は、音になったのかも分からないうちに部屋の空気に溶けて消えた。
まだ子供の猛を利用して及川の居場所を探ったことは卑怯だ、ずるい大人のすることだ。及川がもう一生経験しなくていいとさえ思っていた感情を、簡単に蘇らせては苦しい思いをさせる。無闇に愛の言葉を囁いて及川の息を止めようとする。異国の地での、死ぬ前のように静かで穏やかな暮らしを、熱くて苦しいものに変える。
ひどい、と言わずに何と言えばいいのか。
降り出した雨が窓を叩く甲高い音が二人分の呼吸しか聞こえない静かな部屋に響く。しっとりと湿気を含んだ空気の中で、暖炉に薪がくべられたように体の中に赤い火が燻り出したのを及川は確かに感じていた。





親善試合を終えて日本に帰る前の影山と待ち合わせている駅近くのカフェで、たまたま画商と出くわした。やぁ、憑き物が落ちたような顔をしているね、とにこやかに手を上げる彼は、これからパートナーと出かけるところだという。相手の仕事が終わるのを待っているんだ、と笑って、及川を隣の席に座るように促した。
コーヒーを飲みながらゆっくり世間話をしていると、及川さん、と後ろから影山の声がした。相変わらず黒い格好をしている。それに小さく笑って、日本の友人です、とでも紹介すべきかと思って隣を見遣ると、画商の青い眼は大きく見開かれていた。
カゲヤマじゃないか、とフランス語で呟いているのに驚いて、知っているのかと尋ねた及川に、画商は子供っぽい動作で大きく頷いた。元々日本が好きな人だしバレーボールの日本代表を知っていてもおかしくはないかもしれない、という考えに至った及川に、画商は興奮を上乗せした声で言った。リーグAで活躍している日本人セッターだよ、と。

「リーグA?」

思わず声に出した言葉は画商につられてフランス語だったが、そんなことを気にしている場合ではない。リーグAといえば、フランスのプロバレーボールの一部リーグだ。バレーボールに触れなかった期間が四年以上あったとしても、その名詞を忘れたりなどしていない。プレーの参考になればとネットで動画を見たこともある。『日本人セッター』だと画商は言った。影山は日本のチームでプレーしているものだとばかり、及川は思っていた。
咎める口調で飛雄と口にすれば、いつの間にか画商とは反対隣りに座っていた影山が訊かれませんでしたからと答える。
通りでフランス語の発音が綺麗なはずだ。パリジェンヌに言われたのか、チームメイトに教え込まれたのかは知らないが、フランス語での愛の告白が様になっていたのも頷ける。そう納得する傍らで、あの言葉に認めたくは無いながらもドキリとさせられた感情が半減していくようだった。眉を寄せる及川を見ても影山は動じない上に、そんな表情すると幼く見えますね、と余計なことを言う。

「俺がリーグAに移籍したのは一年近く前のことですけど、まさか及川さんもパリにいるなんて思ってもみませんでした。猛くんからあなたがパリにいると聞いて、こんなに近くにいたと知って驚きました。運命だと思いました」

余計なことついでに本当にいらないことも付け足してくれた。いつからこんな恥ずかしいセリフを言うようになったのだ。
機嫌の損ね方も分からなくなって唸っていると、画商の存在を思い出した。影山がリーグAにいるということが衝撃的すぎてすっかり忘れていたが、彼は日本語が分かるはずだ。ハッとして隣を見ると、青い眼をしたパリジャンはにこにことして言った。王子様を見つけたから今日のトオルは綺麗なんだね。バッチリとまるでお手本のようにウィンクを決めて、パートナーが来たからと画商はカフェを出て行った。
影山のことを『王子様』だと言われてしまった。元々は日本の友人だと紹介するつもりだったのに。青い眼のパリジャンは勘が良いからいつかはバレるかもしれないが、一時だけの誤魔化しをしようと思っていたのが台無しだ。
恨みのこもった目で見ても影山は気にしない。そればかりか、長い間会えなかった分を補おうといわんばかりに及川を見つめて来るのは、再会してからずっと変わらない。
大人になった男の顔で、だけど目だけは変わらない真っ黒なままで、影山は唇だけで呟いた。愛してる、と。





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影及ちゃんは二十歳を超えてから雨降るパリで幸せになる…と一年近く呟いていたのを何とか文章にしました。

2014.09.28
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