※未来設定。


輝けエトワール




瞬く星をいくつも散りばめた空間に揺蕩っているようだった。星空へ向かっているのか、星空を反射した海に沈んでいるのか分からない。ただただ美しい場所で、まるで水に浮かんでいるかのようにふわふわと漂っている。
暗い中で、星の光だけがいくつも数えられるだけの空間に、ふと、左手が何かに触れる。自分だけしかいないと思っていたから驚いて、常よりずっと緩慢な動作で視線を遣ると、眩いくらいの明るい色が目に留まった。星の光があるとはいっても顔の前に持って来た自分の手を見るのが精一杯の視界で、それはまるで自らが発光して存在を知らせているかのようだ。人間が自ら光を放てるわけもなく、また例えそのような人がいたとしても左手に触れるか触れないかの位置にいる男には、そのような特質はなかったはずだった。
この暗さの中でも不思議とよく見える男の手首を掴む。触れた肌は僅かに暖かくて、緑間を安心させた。腕を引くと、男は何の抵抗もなくすんなりと緑間の胸に納まった。
いつ見ても、美しい男だ。
出会った頃よりも長くなった光色の髪に指を滑らせ、硬い石で飾られた左耳をなぞる。瞼は伏せられたままで、その蜜色の瞳を見ることは出来ず、緑間は残念に思った。久しく見ていない綺麗な虹彩を目にしたかったのだ。





おかしな夢を見た。寝付きは悪くなかったにも関わらず、悪夢と呼ぶには悪い要素がなかった夢のせいで休んだ気がしない。そういうときはリラックスですよ、と寝不足の原因を知らない看護師に促され訪れたコーヒーショップで、緑間は眉間に深い皺を刻むはめになった。
今日は厄日に違いない。もちろんラッキーアイテムで補正はしているが、かに座の順位は悪かった。もう少し大きいラッキーアイテムを入手すべきだったか、と店を前にして唸っている緑間に、おーい、と何年も前からの聞き慣れた声がかかる。

「みどちん、ここ座りなよ」

「やぁ、緑間。ご機嫌いかがかな」

とてつもなく大きい男と、標準体型だがやけにオーラのある男が、同時に手を上げる。いやに目立つ二人を避けるようにして客が座っているため、空いている席は彼らの傍にしかなく、緑間は深い息を吐き出し諦めることにした。職場が近いからというだけの理由で、彼らがわざわざ病院内のコーヒーチェーン店の常連となっているはずがない。この病院が緑間の職場であるということが大きく関係しているのだ。
頼んだブラックコーヒーは、赤司の手によってハーブティーと取り替えられた。ティーバッグでも、こちらの方が今のお前には良いだろう。赤司が穏やかに微笑んで、緑間から取り上げたコーヒーに口を付ける。
仕方なく、独特な味のするお茶を何度かに分けて飲み干したところを見計らったかのように、アイスクリームの浮かんだソーダをストローでくるくると掻き混ぜて遊んでいた紫原が口を開いた。

「ねぇ、最近黄瀬ちんと会ってる?」

紫原の眠そうな目がこちらを見てきて、『きせ』と音に出したと思った言葉は口の中に残ったまま消えて行ってしまった。
晩に見た夢を思い出す。美しい男だ。そして、緑間の恋人でもある。

「いや、ここ数カ月会っていないが……」

「電話とかメールもしてないでしょ?」

「……あぁ、そうだな」

つい先月は黄瀬の誕生日だったが、その二週間ほど前からパリに滞在することになったという旨のメールが来ていたので、ならば誕生日を祝うのは帰国してからがいいだろうと思ってそのままにしていた。思い返せば、パリに行くという内容のメールにも、返信をしていない。
だんだんと深く刻まれていく緑間の眉間の皺と、それと比例するように溶けてぐちゃぐちゃになっていく紫原のフロートを興味深げに眺めながら、赤司はまた一口コーヒーを啜った。

「あんまり放っとくと、黄瀬ちんどっか行っちゃうんじゃないの、野良猫みたいにさ」

黄瀬は猫ではないだろうと思ったが、紫原がどこか寂しげに見える表情をしていたので緑間は口を噤んだ。

「いつも可愛がっていた猫がいなくなって、少しナーバスになってるんだ、気にしないでやってくれ」

もう話すことはないとばかりにクリームが溶けて濁ったソーダを飲む紫原に代わって、赤司が口を開く。

「あぁ、そう、黄瀬のことだけれどね。パリで、仕事相手の写真家に気に入られたそうだよ。良かったらこっちで仕事をしないかと熱烈なラブコールを受けているらしい」

ずずっ、と紫原がグラスを空にした音がする。『パリ』と呟く緑間の肩を軽く叩いて立ち上がった赤司が、困ったように付け足した。

「別にお前たちの関係に口を出したいわけじゃないけれど、一応ね」





黄瀬に電話をかけると留守電に繋がった。緑間の休みは明日で、また次に休むのには日数がかかってしまう。黄瀬が緑間と同じように明日が休みである可能性は低く、悩んだ末に日中でない方が都合もつきやすかろうと、日時と場所だけをメッセージに残した。会うことが叶えば、と考える。
ゆっくりと瞼を閉じればそこに浮かぶのは星を塗り込めた空間に眠る黄瀬の姿で、久々に会いたい、と緑間は強く思ったのだった。





指定した時刻から五分ほど遅れて、黄瀬は現れた。つい数分前まで降っていたひどいにわか雨の影響で小川のようになった歩道を長い足で駆けて来て、緑間が事前に伝えていた特徴通りの車に乗り込んだ。
運転席に緑間が座っているのを確認してへらりと笑い、久しぶりっスねぇ、と間延びした声で言う。

「遅れてすみませんっス、どこ行くんスか? あ、これ、誕生日おめでとう、緑間っち!」

シートベルトを装着して、鞄の中から綺麗にラッピングされた箱を取り出して、緑間に見せる。

「パリで買ったんだけど、運転前に出さない方が良かったっスかね」

帰りに渡すっス、とごそごそとまたプレゼントを仕舞い込んだ黄瀬は、どこか緊張しているようだった。夕飯は摂ったのだったな、と届いていたメールを確認するように尋ねると、うん、と短い答えが返ってくる。
背の高い男でも窮屈じゃなく乗れるだろうと、こうなることを予想していたかのように赤司に貸し出されたアメリカ製の車を、黄瀬は物珍しそうに見ながらそっと緑間の様子を窺っている気がした。
車内には、どこかぎこちない空気が湿気を含んで固まっている。苦し紛れに操作したカーステレオからは、赤司の趣味だろうか、古いジャズが流れて来た。





三階建てほどの白い建物の入り口に着くと、ラフな制服姿の職員が一人、お待ちしておりましたと出迎えてくれた。館内は灯りを絞ってあるため薄暗く、案内される時に、足元にお気をつけくださいと注意を促される。
階段を上がり、重そうな扉が開かれるとそこにはいくつかの座席があった。映画館のものよりも背もたれが高く、ゆったりとリクライニング出来るようになっている。
一番前の席に座るよう告げた職員はすぐに姿を消し、椅子に深く腰掛けた黄瀬が、プラネタリウム……?と呟くと同時に、照明は消え真っ暗になった。ふっ、と隣の黄瀬が息を呑む。次の瞬間、見上げた空間には満面の星空が広がっていた。夢で見た淡い星よりも、自らの存在を主張するように強く、美しく、星が輝いている。星を解説するアナウンスはない。ただ、隣にいる黄瀬の息使いだけが聞こえてくる。
緑間の頭上には立派な天の川が広がっていて、まるで本物の川のように流れているようだった。

「……星が、ながれてるみたい」

小さな黄瀬の呟きに緑間は体の力が抜けた気がして、ゆっくりと息を吐き出した。
黄瀬、と呼ぶと、彼がこちらに顔を向けるのが分かる。夢の中のように黄瀬が発光しているわけもないから、表情は分からない。手探りで黄瀬の左手を取る。ポケットから出したものを、親指から数えて四番目の指に通す。関節で少し引っ掛かりながらも途中で行き詰ることなく根元にすっぽりと納まった指輪は、まるで黄瀬のために造られたかのようだった。

「え、」

黄瀬の戸惑う声が聞こえる。こういうときは何と言えばいいのだったか。困った時に限って、幼い頃に行く度も録画を見せられた母の結婚式という、まるで関係のないものばかりが浮かんでくる。

「一年に一度だけの逢瀬では、我慢できるはずもないのだよ」

徐々に、照明がついていく。今まで見えていた星が遠く薄く消えて行く。

「俺と、ずっと一緒にいきてくれないか」

あ、と思う。『一緒にいてくれないか』というはずだった言葉に、勝手にひとつ音が加わってしまった。『生きてくれないか』では、あまりにも重くはないだろうか。
夕日が沈む間際程度に明るくなった中で、黄瀬は大きく目を見開いて、そうしてゆっくりと瞬きした。

「ねぇ、緑間っち、それってプロポーズ?」

尋ねる声は穏やかだ。黄瀬の瞳は光の加減で濃いブランデー色になっていて、その双眸が緩やかに細まって綺麗な笑みを形作った。

「嬉しい」

と黄瀬が言う。
左手の薬指にはまった指輪を確かめるように、壊れ物にでも触れるかの如く慎重に撫でながら、黄瀬は続けて言葉を発した。

「実はね、不安だったんスよ。もう何か月も会ってないし連絡も取れてないのに、緑間っちは平気なんだと思ってた。俺がどっか遠くに行ってしまって、もう日本に帰って来なくっても大丈夫なんだって考えたら、悲しかった。こんな女々しい自分を見るくらいなら、いっそのことさよならしようって」

今日別れるときに言おうとしてた、と告白されて、緑間は心臓がぎゅっと掴まれたように感じた。黄瀬に不安を与えているなどとは、全く考えていなかったのだ。あの、星ばかりの空間に揺蕩う夢を見なければ、紫原と赤司に急かされなければ、もう黄瀬との関係は終わっていたのだということに息が止まる思いがした。
ありがとう、と黄瀬が言う。それを追うように緑間も、謝罪と感謝の言葉を伝えて、ゆっくりと黄瀬の左手に己の手を重ねた。薬指の指輪を撫でて、緑間は黄瀬の額に自分の額をことりと当てる。指輪の裏側に星の形をした黄色い石が嵌められていることに、黄瀬がいつ気付くかと思うと自然と笑みが零れる。
瞳を閉じると瞼の裏に、夢でもプラネタリウムでもない本物の星空が美しく輝いて広がっていた。





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緑間くん誕生日おめでとー!

2014.07.07.

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