桃色の疑問 |
その少女は美しかった。 桃の花のように愛らしく、梅のように凛として、牡丹のように高貴で華やかだ。町娘が好んで着るよりも地味な色の着物を着ているが、却ってそれが彼女の魅力を一層惹き立てている。 淡い薄紅色の髪を結い上げて、垂れ目がちな大きな目を細めて笑う桃井は、まるで天女のようだと思ったのだ。 黄瀬が桃井に出会ったのは、紫原に連れられて団子の美味しいと評判の茶屋に連れて来られたときのことだ。紫原と二人きりでの外出は珍しくて、きょろきょろと興味深げに辺りを見回していた黄瀬に合わせてか、随分と時間をかけて辿り着いた店に桃井がいた。 花色の髪に美しい顔。黒子に読んでもらった草紙に出て来た天女とは彼女みたいな容姿だろうか、と黄瀬が呆けている間に、隣の紫原が少しだけ咎めるような響きを滲ませて彼女を呼んだ。 「あー、さっちんじゃん。こんなとこにいていいのー?」 「ムッ君!しーっだよ、内緒だよ」 唇の前で人差し指を立てて、悪いことを見つかった子供のように唇を尖らせる仕草をすると、大人びた見た目に幾分か幼さが加わって愛らしいものになる。 “さっちん”と呼ばれた彼女は、大きな紫原の影に隠れてしまっていた黄瀬を見つけて小さくお辞儀をすると、紫原と黄瀬の後ろを窺うように二三度視線を彷徨わせた。少しだけ眉を下げて、彼女は紫原に問う。 「テツくんは、いないの?」 「うん、黒ちんは留守番」 あまりに分かりやすく残念そうな顔をした桃井と、その隣に腰を下ろして店の主人に団子を注文する紫原を見て、黄瀬は一瞬迷ってから紫原に倣ったのだった。 甘辛い醤油だれが絡んだ団子を頬張りながら、黄瀬と桃井は間に紫原を挟んだまま自らの名前を名乗った。桃井さつきです、とだけ答えた彼女の声に付け足すように、いつもより潜めた声で紫原が言う。 「さっちんはねー、お殿様の末娘なんだよー」 だからほんとはこんなとこにいたらだめなんだけどねー、と続けられた紫原の口を片手で塞ごうとしながら、桃井は小さな小さな声で黄瀬に弁解する。 「お忍びなの! お城の中にばっかりいても、楽しくないでしょ。きーちゃんも、お家の中ばっかりじゃつまらないわよね?」 きーちゃんと可愛らしい呼び名で呼ばれたことに嬉しくなって、黄瀬は勢いよく首を縦に振って同意を示した。屋敷の中にいるのも楽しいけれど、屋敷の外に出て広い庭で遊ぶのも、こうやって町に遊びに来るのも大好きなのだ。 口を塞いだ桃井の手をやんわりと退けた紫原が追加で団子を注文している間に、黄瀬は気になっていたことを尋ねた。黒子がいないと分かったときの、桃井の残念そうな顔。もしかして、と黄瀬は思う。 「桃っちは、黒子っちのことが好きなの?」 黄瀬の言葉に桃井は一瞬驚いたように目を丸くして、ほんの少しだけ頬を赤らめてうんと頷いた。 それなら、と黄瀬は考える。黒子のことが好きなら、桃井も一緒に暮らしたらいいのに。大きなお屋敷だからきっと、桃井が一人増えたくらいでは何も問題はないだろう。大好きな人たちがいる中に桃井も加わったら、とっても素敵で喜ばしいことではないだろうか。 黄瀬の頭の中は単純だ、糸の絡まったように難しいところは少しもない。 好きなら結婚して、一緒に暮らせばいいのだ。黄瀬と、赤司のように。 「黒子っちと、結婚しないの」 桃井と同じ年頃の黄瀬が口にした問いはあまりに幼なかった。 桃井の表情が、いくつも年の下の弟に言い聞かせるような大人びたものになる。答える声が、切ない響きを帯びた。 「私は“人”だから、テツ君とは一緒になれないの」 黄瀬はぱちりと目を瞬かせる。 どういうことだろう。黄瀬も“人”であるというのに。 お腹もいっぱいになった紫原が、屋敷に戻る途中で教えてくれた。赤司の商売相手がこの国のお殿様で、その関係で桃井と知り合ったこと。彼女だけが、赤司たちのことを人でないと知っている。 賢くは無い黄瀬の頭は、分からないことでいっぱいになる。隣を歩く紫原を見上げて、訊ねた。 「何で俺は人なのに、征十郎さんと結婚できたんスか?」 純粋な黄瀬の蜜色の瞳を見て、紫原は少しだけ困ったように目を伏せた。 この一年で随分伸びた身長も、より輝きを増した麗しさも、いつかこの状態のまま赤司によって止められてしまうと紫原は知っている。そう遠くないうちにお前は人ではなくなってしまうのだと、告げることは出来なかった 黄瀬が人でなくなるのが嫌だと言うならば、赤司はどうするであろうか。無理やり黄瀬のこれからの時間を奪って気の遠くなるような時間隣におきつづけるのか、望み通りに老いて朽ちてゆくまで放っておくのかは、紫原には分からなかった。 「俺には、わかんないよ」 紫原には、そう答えることしか出来ない。 → |