葡萄色


ちょっとおつかいを頼まれてくれないかしら、と母に言われて黄瀬が訪れたのは、立派な門構えの呉服屋だった。名家である赤司の家も馴染みにしている店で、母はここで訪問着を一枚誂えたのだという。
出迎えたのは黄瀬も顔見知りの気さくな女将で、お暇なら涼太さんもお着物見て行ってくださいな、と店の奥まで通されてしまった。暇でないと言えば嘘になるが、だからといって着物に興味があるわけでもない。赤司がいれば彼に似合う着物を見繕えて楽しかろうに、ぼんやりそう思いながら踏み入れた部屋で、女将は着物を広げ始める。

「それは?」

黄瀬が目を留めたのは、紫色の紬だった。美しい紫が印象的で、着物に手を伸ばす。お目が高い、と女将は大げさに喜んで、にこにこと言葉を紡いだ。

「紫草で染めた結城紬でございますよ。涼太さんに、よく似合うのではないかしら」

ちょうどその時、店先から人を呼ぶ声がして、少し失礼致しますね、と言って女将は部屋を出て行った。たくさん着物を広げてもらったのに勝手にお暇するわけにもいかず、手持無沙汰になった黄瀬は紫の紬に手を伸ばす。手に吸いつくような柔らかさに誘われるように、そのまま肩に羽織ってみた。
確かに着物を肩にかけたはずなのに、次の瞬間にそれは人へと変わっていて黄瀬は戸惑うばかりである。背中が熱い、後ろから抱きつかれている。つい最近もこんなことがあったばかりで、二度あることはやっぱり三度あるのか、と現実逃避も兼ねて頭の中で呟いているうちに畳みの上へと両手を付くことになった。

「いいにおい〜」

黄瀬の背中に覆いかぶさった男はそう言うと、舌舐めずりをするように己の唇を舐める。振り返った肩越しに、熊のように大きい男の姿が見えた。眠そうな眼とゆったりとした口調がまるで子供のようだ。長めの髪と瞳は同じ葡萄色をしていて、目を惹かれた紬の色にそっくりだと思った。洋服ではなく桜鼠の着流し姿が粋に感じられる。

「ねぇ」

ぼんやりとしている黄瀬の肩に顎を乗せながら、男はゆっくりと口を開いた。黄瀬の体は抵抗するのも忘れているのか、指一本動かせない。

「食べちゃいたい」

熱くて厚みのある舌が、黄瀬の唇を舐っていった。





涼太さん、と身を揺すられて黄瀬はぼんやりと瞼を持ち上げた。女将がほっとしたように表情を緩ませて、疲れていらっしゃったのでしょうね、と言う。
黄瀬は自分が居眠りをしていたことに気付いて慌てて居住まいを正し、女将に詫びた。優しい彼女は、気にしないでください、と笑うと、これがお母様に頼まれていたものですよ、と誂えた品を渡してくれる。
部屋には未だにいくつもの着物が広げられたままだったが、美しい紫色の紬だけがどこにも見当たらなくて黄瀬は首を傾げた。夢を見たのだ、と納得させるには、口内を弄んだ熱い舌の感触や体中を撫でていった大きな手のひらの温度が肌に残っている。








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