常盤


「涼太、二階の角部屋の様子を見てちょうだいね。窓を薔薇が覆っているから、取り除いてほしいの」

母はそう言うと仕事へと出かけてしまって、黄瀬は広い家に一人残された。昔は旅館を営んでいたという家は古めかしい造りの木造二階建てで、敷地内には物置として使われている離れもある。
いつも一緒にいた異母弟である赤司が京都に行ってからというもの、黄瀬の毎日は退屈になってしまった。毎日電話をかけるのは迷惑だろうから我慢しているけれど、最初の数日は寂しくて少しだけ泣いてしまったことは誰にも言えない秘密である。学校のある平日でそうなのだから、休日は暇すぎて寂しくて死んでしまいそうなほどだ。
昼まで惰眠を貪っていた黄瀬は、のろのろと起き出して部屋着に着替えた。顔を洗い、朝食兼昼食を胃の中に収めると、母が出がけに言っていたことを思い出す。二階の隅部屋。そこは狭くて小さな部屋で、旅館を営んでいたときは布団部屋として使われていたのだという。その部屋にある小ぶりの窓は、庭から枝を伸ばしてきた木香薔薇によって覆われてしまっていた。ちょうど八重咲きの白くて可憐な花が咲いている時期だが、枝と緑の葉で隠れて室内からは見えない。
高枝切りばさみを持ってきて、外で作業をしようかしら。そう思って黄瀬が踵を返すと同時に、ガタリと窓枠の鳴る音がした。振り返ろうとしたところ、右腕を掴まれ、勢いよく畳みに引き倒される。

「ったぁ……!」

受け身も取れず強かに頭を打った黄瀬が涙を滲ませながら目を開くと、若い男が覆いかぶさっていた。黒いシャツにベージュのチノパンというラフな格好に包まれているが、ひどくバランスのとれた体つきだということが分かる。白い肌に常盤色の髪。髪と同じ色の瞳は、アンダーリムの眼鏡越しに少しだけ曇って見えた。
造り物のように綺麗な顔立ちに、瞬きの度に音をたてそうな睫毛の長さに見惚れているうちに、男の顔が近付いてくる。そうして唇に柔らかいものが触れてようやく、黄瀬は抵抗することを思い出したのだった。

「ちょ、何スかあんた……!不法侵入だし、あと、俺、男っスよ!?」

赤司がいたならば、黄瀬に不法侵入という概念があったことを喜び、不審者相手に性別の主張をしたことに呆れただろう。そんなことは黄瀬の知ったことではないのだけれど。
喚く黄瀬の美しい首筋に鼻先を埋めながら、男は囁いた。

「男だろうと女だろうと、こうも極上な体を見てしまっては手を出さない方がおかしいのだよ」

男の言っている意味を理解出来ないまま瞬いている黄瀬の体を、男の手荒れ一つない指が這っていく。その擽ったさに身を捩りながら、黄瀬はどこかで嗅いだような匂いを感じた。芳しい、甘い花の香り。毎年初夏の訪れを知らせてくれる、庭に咲く木香薔薇。そういえば、男の髪も目も木香薔薇の葉のようだ。
香りに酔ったように、黄瀬の体は抵抗することなく従順に男の導くままになっている。熱い息を吐き出した黄瀬を見て、仏頂面だった男が小さく笑った気がした。





「涼太ー、どこにいるの?」

階下から己を呼ぶ母の声に黄瀬は目を覚ました。ゆっくりと身を起こして、瞼を擦る。身に着けていたシャツはボタンが全て外れていて、かろうじて腕だけが通っている状態だった。窓を覆っている薔薇の隙間から少しだけオレンジ色の光が差し込んでいて、今が夕刻だということを告げている。
白昼夢でも見たのかと首を傾げる黄瀬の周りには、白くて薄い木香薔薇の花弁が散っていた。








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