※パラレル。黄瀬が人外。紫←黄。ですます文。

砂糖菓子の恋


夕方には部活帰りの帝光生で賑わうコンビニを通り過ぎて、二つ目の路地を左折したところに小さな洋菓子店がありました。目立つ場所にあるわけでもなく、看板もささやかなものですが、グルメ誌にも取り上げられるような知る人ぞ知るお店です。店内には、どこか懐かしさを感じるようなお菓子たちが整然と並んでいました。お客さんたちは一つ一つ丁寧に作られたお菓子を見て、どれを買おうかしらと悩みます。お店の中は、外とは違うゆったりとした時間が流れているようです。
さて、この小さなお店を営んでいるのは、黄瀬さんという初老にさしかかった夫婦でした。フランスのコンクールで金賞を受賞したこともあるご主人と、お人形を作るのが趣味の奥さんです。子供たちも独り立ちし、不景気な中お店の経営も安定しているので、夫婦は何か新しいものを作り出したいと計画しました。お菓子で出来た人形はどうだろう。二人の生き甲斐を組み合わせたプランはすぐに始動し、丁寧な下地と、いくつもの試行錯誤の末に、それは出来上がりました。
雪のように白い肌、黄金色の髪と瞳、薄く色づいた頬、艶やかな唇。中学生くらいの年頃に見える美しい少年は、頭のてっぺんから足の先まで甘い甘いお砂糖で作られています。等身大のお菓子の人形は簡単な洋服を着せられて、目立たないようにひっそりとお店の隅っこに飾られました。大きなロッキングチェアに座らされた彼は、名前まで付けてもらえるほどの愛情を注がれて、ゆぅるりと自我を持ちました。己が『黄瀬涼太』という名で、『砂糖で出来た人形』であるということも知っています。昼間はお店にやって来るお客さんたちを観察し、夜は人と同じように眠るのです。



そんな黄瀬が、最近気になっているものがありました。週に一度、お店にやってくる大きい人のことです。紫色の髪をした人は、近所にある帝光中学校の制服を着て、財布の中身と相談しながらショーケースに飾られたケーキたちをじぃっと見つめるのが常でした。ケーキを選ぶと嬉しそうに、店内の隅っこ、黄瀬のすぐ傍に用意されている一人掛け用の椅子に座って、すぐに食べ始めます。黄瀬はその様子をいつも見つめていました。ケーキを切り分けるプラスチックのフォークが、彼の手の中にあるととても小さなものに見えます。
店主の奥さんが彼を紫原くんと呼んだので、黄瀬は少年の名前を覚えてしまいました。お店のドアに頭をぶつけそうなほど大きいのに、黄瀬の見た目と同じくらいの年だというのが不思議に思えます。黄瀬の、天然色素で色づけされた薄紅の唇はきゅっと閉じられていて名を呼ぶことは出来ませんが、『紫原』と意識の隅っこで唱えてみると、まるで自分が紫原の友人になって一緒にお菓子屋さんに寄り道しているような気分になりました。
黄瀬は琥珀糖の瞳でうっとりと紫原を眺めます。よく分からないけれど、彼を見ると甘くて酸っぱいような気持ちになるのです。もちろんお人形である黄瀬は何かを食べたことがないので味など知っているはずもありませんが、店主夫妻が暇な時間に色々なことを話して教えてくれるので想像することは出来ました。心なしか、紫原を見つめているときの黄瀬の頬は熱くなっているような気がします。当然体は動かせないので、自分の頬に触れて、あるはずのない体温を確認することは叶いません。
お砂糖が詰まった頭で一生懸命考え事をしている間に、紫原はいくつもあったお菓子を食べ終えてお店から出て行ってしまいました。すると、黄瀬は寂しくなります。近くにあった温かさがぽっかりと消えて、またお店の隅っこに一人座ったままになるのでした。
おかしいなぁ、と黄瀬は思います。生まれてからずっとお店の中に一人座っていましたが、寂しいと感じたことはありませんでした。紫原が気になり始めた頃から、おかしくなってきた気がします。どうしたのかしら。病気でしょうか。お人形でなければ、この症状を訴えることが出来るのに。黄瀬は少しだけ、本当に少しだけですが、自分が人間でないことを不便に思いました。



翌日も、紫原がやって来ました。いつもと違うのは、彼が一人ではなくお友達を連れていることです。水色や桃色、青に緑に、赤い色。黄瀬が見慣れているお菓子よりも鮮やかな色彩を持った人たちでした。一気にお店が華やいで、対応している奥さんもにこにこと嬉しそうにしています。和気藹藹とケーキを選ぶ様子を、黄瀬はお店の隅っこから見つめていました。どこか、紫原の表情がいつもより和らいでいるように見えます。
ズキン、と人間なら心臓があるはずの場所が音をたてたような気がしました。寂しい、とはまた違う感情が、体の奥の方から込み上げて来ます。黄瀬が動けたならば今すぐにでもこの場を立ち去ったでしょうが、お砂糖で出来た体はロッキングチェアから立ち上がることはありませんでした。目を瞑ってしまいたいと思います。それでも、琥珀糖で出来た黄金の双眸は紫原が水色の男の子の頭を撫でるのをじぃっと見ているしかありませんでした。



すっかり暗くなってしまった店内で、いつものように眠ることも無く黄瀬は考え事をしていました。紫原の大きな手で、頭を撫でられたいと思ったのです。水色のあの子のように、紫原の手で触れてもらえたならどんな気持ちになるでしょう。店主夫婦には教えてもらえないような気持ちになるに違いありません。黄瀬は想像します。紫原の大きな手が自分に向かって伸びて来るのを。そうしてその手が、どこか不器用に黄瀬の頭に触れるのを。撫でられたいなぁ、と思います。紫原の血の通った温かい手に触れられたならば、お砂糖で出来ている黄瀬は体温の熱で溶けてしまうのですけれど、それでもいいなぁ、と思ったのでした。



***



その夜、黄瀬は夢を見ました。自分の体がお砂糖で出来たものではなくて、ちゃんと柔らかくて温かい人間のものになっていたのです。いつも来ているシャツとズボンではなくて、袖の無い少しだけぶかぶかした服を着ています。周りには、紫原とそのお友達がいて、オレンジ色のボールを追いかけるように遊んでいました。
ぼんやりと立っていた黄瀬に、ボールが飛んできます。慌ててそれを受け取って、体が動くまま紫原へと投げました。紫原はそのまま、丸い輪っかに網が垂れたようなものの中へボールを通します。ストンという音を立ててボールが床に落ちた後で、今まで忙しなく動いていた人たちから歓声が上がりました。何が起こったのかも分からずきょとんとしている黄瀬に、紫原が近付いて来て手を伸ばします。

「ナイスパス、黄瀬ちん」

大きな熱い手が、髪を押し付けて頭の形に添うように動きました。見た目と何ら変わることのない、大きな手でした。黄瀬も大きい方であるというのに、頭がまるまるすっぽりとおさまってしまいそうです。黄瀬は動けません。いえ、人形ではないので動くことは出来ますが、体が強張ったようになって命令を聞かないのです。その間もずっと、紫原の手は黄瀬の頭に置かれていました。あぁ、と黄瀬は初めて小さく息を吐き出しました。このまま溶けてしまえたらいいのに。



***



その日はいつもよりぼんやり、心ここにあらずと言った風に過ごしました。新作のお菓子のチェックもせず、来店するお客さんのことを観察するでもなく、昨夜見た夢のことをずっと思い出していました。とても不思議な夢でした。まるで神様が、紫原の友人になって頭を撫でてもらいたい、という黄瀬の願いを叶えてくれたようでした。
あまりにもぼんやりしすぎていたので、紫原が訪れたことに気付くのが遅れました。いつもは、お店に入って来るときには気付いているのに、今日はもう、大きな両手にケーキの載ったトレイを抱えてこちらに向かって歩いて来ています。あの大きな手に頭を撫でられたのだなぁ、と黄瀬は嬉しく思いましたが、欲が出て来てしまいました。また触られたい、と思ってしまうのです。

「あ」

そのままいつもの椅子に座ると思っていた紫原が、何かに気付いたかのように黄瀬の方に近付いてきます。ドキドキと、黄瀬のあるはずのない心臓が脈を打ちました。どうしたのかしら、と様子を窺っていると、紫原が黄瀬に向かって手を伸ばします。

「ゴミ付いてるし」

紫原の大きな手が頬に触れた時、黄瀬は確かに熱を感じました。何て熱くて心地の良い手なのだろう。そう思ってうっとりとしたときにはもう、黄瀬のお砂糖で出来た体はさらさらと崩れ落ち始めていました。いつもは眠そうな目をしている紫原の目が、大きく見開かれます。その藤色がとても美しいと黄瀬は思いました。さらさらさらと、床には黄瀬を形作っていたお砂糖が零れ落ちます。
紫原が悪いのではありません。いつも黄瀬に触れるのは店主の奥さんで、小柄な彼女は気を遣ってすごく慎重に触れていました。体格の大きな紫原の力が、小柄な奥さんと同じで有るはずがありません。そもそも、お砂糖で出来た人形が何年も何十年も長持ちするはずなどないこと、店主夫婦は理解っていたはずでした。
黄瀬はただのお砂糖に戻ってしまう前に少しでも、と紫原を見つめ続けます。ありがとう、さようなら。結局、人間の言葉はいまいちよく分からなかったけれど、最後のお別れにはこれが合っているような気がしました。甘くて、酸っぱくて、どきどきするような気持ちを教えてくれてありがとう。紫原に会うのはこれが最後になるから、さようなら。
琥珀糖で出来た黄金の視界が、少し歪んだように思います。涙など出るはずのないそこから、水が一粒零れ落ちていったような気がしました。



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紫原くんの手は大きいから黄瀬くんの頭がすっぽりおさまったりするんだろうか、という話がどうしてこうなった。

2013.10.26.

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