※大学生設定。国見ちゃんの名前バレしてます。 |
Unconscious Love 駅から徒歩十分。閑静な住宅街の中に国見が一人暮らしをしているマンションはある。 地元よりも見える数の減ってしまった星が瞬く夜道を、いつもよりもゆっくりと時間をかけながら国見は歩いていた。左肩にかかる重みに一つ溜息を吐き、国見に身を任せきっている及川の腰を支えて体勢を整える。 酔っ払いの介抱は金田一の役目だろう。そう悪態を吐きたいのに当の本人がいないのではどうしようもない。青城OBでの飲み会は二次会まで続き、金田一は渡と共に憧れの岩泉の部屋に遊びに行くのだと早々に解散の場を去って行った。矢巾は花巻や松川と三次会に行くというので、必然的に国見が及川の面倒を見ることになったのだ。先輩たちに及川のことを頼まれたのではその場に放って帰るわけにも行かず、自分と同じ体格の人間を引きずって電車に乗るはめになった。 「ん……」 及川が小さく息を漏らして、国見に擦り寄る。ふわりと甘ったるい酒の匂いが香った。及川が酒に弱いというのは、意外だった。女が注文するようなアルコール度数の高くない可愛らしいカクテルで、及川は助けを借りないと歩けないほどに酔っている。岩泉たちに混ざって清酒を呑んでいた国見は顔色一つ変わらないどころか、素面同然だというのに。 「くにみ、ちゃん?」 酒のせいか常よりも甘い声で名を呼ばれる。何ですか、と問うても、幾度も名前が繰り返されるだけで、特に用があるわけではないのだと分かった。 「くにみちゃん、あのねぇ、おいかわさんはねぇ」 国見の名を呼ぶことに飽きたのか舌っ足らずに昔話を始める及川の声を耳にしながら、国見は再び及川の腰を支え直した。 北一の話でも、青城の話でも、“金田一”と友人の名が出てくるたびに、反射的に国見の眉間に皺が寄る。及川はとにかく人のことをあだ名で呼ぶので、呼び捨てにされる人間の方が珍しかった。“飛雄”ともう一人の同級生の名前も呼ばれるけれど、彼は及川にとって良い意味でも悪い意味でも特別で、それはもう仕方がないと国見の意識の奥底にはしっかり刻まれている。 しかし、金田一は違うはずだ。人より名前の文字数が多いだけで、及川に呼び捨てにされている。国見はそう思っていたし、金田一が羨ましくもあった。自分も名前が金田一のようであったならば、と及川とチームが同じだった頃に幾度か考えたことを今になって思い出す。そうだ、あの頃は、今もだけれど、しょうもない理由で金田一に嫉妬していたのだ。 「及川さん」 足を止めて国見が呼ぶと、及川は首を傾げてみせた。街灯の下、酒のせいで潤んだ色素の薄い瞳に長い睫毛の影が濃く落ちている。 「なぁに、くにみちゃん」 「あきら、です」 己の言葉をどこか遠くの方で聞きながら、実は酔っているのかもしれないな、と国見は他人事のように思った。自覚症状も、顔が赤くなるというような表面的な変化もなかったから、素面だとそう思い込んでいたのかもしれない。そうでなければ、普段の国見ならきっと、こんなことは口にしなかった。 薄茶の瞳をゆっくりと瞬かせて、及川は国見の左袖を軽く摘んだままうっすらと口を開く。 「……あきらちゃん?」 「英、って呼んで下さい」 一回だけだ。国見は影山のように特別でないのに、及川に名前を呼んでもらおうとしている。及川が酔っているのをいいことに、一度だけの特別を耳に残そうとしていた。 「英」 聞き慣れた及川の声に酒の分だけ甘ったるさを上乗せして呼ばれた名前は、国見の耳から鼓膜へと辿り着いて脳を震わせる。たっぷりと時間をおいて徐々に頬が熱くなっていくのを感じ、それを誤魔化すように国見は夜空を見上げて呟いた。 「……帰りましょうか」 頷いた及川に肩を貸して、再び歩き始める。さっきまでは及川の方が高かった体温も、今では国見の方が高くなってしまっているように思う。 甘い声に呼ばれた己の名が、ずっと頭の中で反響している。時折及川の髪が国見の頬を掠めて、その柔らかさにどうすればいいのか分からないような変な感じがする。 嘘だろ、まさか。そう思ってしまった時点で、どんな否定も悪あがきにしかならなかった。溜息が出る。自覚のないうちに、ずっと、及川を好きだったというのか。金田一に些細な嫉妬を覚えた中学生のときから。国見は己の鈍感さに呆れて、もう一度深く息を吐き出した。 国見の体温を下げる助けにもならない穏やかな風が吹いている。風は及川の猫っ毛を戯れに揺らして、困惑している国見をからかうように逃げて行くばかりだ。 あと五十メートルも歩けばマンションのエントランスに辿り着いてしまう。ほんの数分前までは早く布団に潜り込もうと思っていたのに、厄介な恋心を自覚してしまった今では眠れる気など全くしなかった。 - - - - - - - - - - 67話にすごく萌えた結果、何故かこんな話を書いてました。67話関係ないね。 2013.07.06. |