池袋の街は眠らない。
その男、九十九屋はそう言った。えらく詩人なことを言うね、と半分嘲るように俺は返した。
池袋は完全に夜の闇につつまれ、その中で街のネオンが煌々と輝いていた。そんな池袋にあるとあるマンションの一部屋での出来事。
「俺は詩人だよ。知らなかったのか?」
「…あんたとは知り合ってずいぶんになるけど知らなかったね」
軽い皮肉を言いあって少し沈黙が訪れる。沈黙の中カチッとライターの音がして、九十九屋は煙草に火をつけた。暗い部屋に赤い光がともる。フーッと息を大きく吐き出して九十九屋は煙草に口をつけた。
「…俺煙草は嫌いって言わなかった?」
俺は部屋に充満した煙草の匂いに思わず顔をしかめる。九十九屋はちらりとこちらを向いて俺の顔に息を吐いた。直に煙草の煙が顔にかかり思わずむせる。
「嫌いって言ってるだろうが…!」
「悪いね」
「っ、肺癌で死ねよ」
「安心しろ、俺は1日一本しか吸わないから死なない」
煙を吐き出しながら、九十九屋はニタリと笑ってこちらを見る。
「だいたい煙草吸って肺癌になること以上に馬鹿らしいことないだろ」
「だから自分はちゃんと自分で制御できてるっていうのか」
「ハッ、当然」
そのニヤケ顔に苛立って小さく舌打ちをした。九十九屋といると優劣の劣の立場に自分がいるようで嫌になる。常に相手より優位な立場にいなくては気がすまない俺は早く話題を切り替えようと、口を開いた。
「…それで?今日はなんで俺を呼んだの?」
とりあえず落ち着こうと革張りのソファに深く腰を下ろして足を組む。これで少し落ち着けた、とお決まりの相手を見下す笑いを顔に張り付けて、九十九屋を見ると九十九屋は灰皿に煙草を押し付けて火を消していた。
「別に」
「は?」
「別に理由はない」
何が嬉しいのか楽しそうにニコニコしながらそう告げる九十九屋。情報かなにかのために呼び出したのかと思っていた俺は、あまりにもくだらない理由に脱力する。
「久しぶりに呼び出したかと思えばそれか…」
何でお前に振り回されなきゃならないんだよ、と盛大にため息をつくと、九十九屋は俺の横に浅く腰かけた。
「昼間に池袋をふらっと歩いてたら、君を見かけてさ」
「そんなんで呼び出さな、」
「平和島静雄と」
俺の言葉を遮り、九十九屋は強い口調で言った。いきなり低い声を出した九十九屋に驚いて九十九屋を見ると、その目は強い光をたたえていた。
「あれは一緒に歩いてるっていうより、池袋の街を走りまわってるっていうか追いかけられてるっていうか、」
「平和島静雄はこれなのか?」
俺の話をまったく聞かずに、九十九屋は小指をピンと立てて言った。口元は笑っているが目が笑っていない。
「…静ちゃんとはそんなんじゃない」
「平和島静雄に会いに池袋に来てたんじゃないだろうな?」
「っ、しつこいな、ちがうよ」
「あ、そう。ならよかった」
俺の言葉に安堵からか笑みを深くする九十九屋。その笑みに、もし今俺が静ちゃんと付き合ってると言ったらどうなっていたのだろう、と俺は一抹の恐怖を抱いた。
九十九屋はくっくと笑って、そうか付き合ってないかと心底嬉しそうに言った。すごくすごく楽しそうに微笑む。そして九十九屋は座っている俺に覆い被さるようにして、俺の耳に口をつけた。
「君は俺のものだからね。平和島静雄なんかにとられちゃたまらない」
耳元で深く深く息をこめるようにささやかれ、ピクリと思わず反応してしまった。
ぞくぞくとした感情の他に九十九屋を前にすると、抱く感情は恐怖。こいつなら何をしでかすか分からない。どんなに残酷なことも笑って平気でやる。笑顔の裏側にはそんな残酷が広がっていそうで。恐怖が全身を支配する。
九十九屋自体が非日常そのものなのだ。
俺は今日何度目になるか分からない舌打ちをした。だからこいつといるのは嫌なんだ。非日常しか訪れない。
「舌打ちなんかして感じ悪いな」
九十九屋は絡み付くような視線をこちらにやると、俺の顎をくんっと持ち上げた。とっさにその手から逃げようとするが思い他手の力は強く、かすかに動くだけだった。
「動くなよ」
その声色に俺は完璧に自分が支配されているような錯覚に陥る。手の動きや指の動きまで、さらには呼吸までが支配されているような感覚。非日常、すぎる。
窓からさす街の明かりが反射して九十九屋のピアスが光る。それは日常という舞台の閉幕を合図するかのようだった。
閉幕、閉幕、
アイリス様への提出作品