最初はこっそりと見ているだけだった。
初島くんが友達と話しているのを、私は私の友達と話しながら、たまに横目でこっそりと。友達にも気づかれない程度に、そっと盗み見をすると、初島くんはいつだってふんわりとした笑顔で誰かの話に耳を傾けているのだ。

もしもあの笑顔で私の話を聞いてくれたら素敵だろうなあ。
そう思うのは、自然なことだった。男の人は理屈っぽかったり、空気の読めないことを言ったりすることが多いけれど、初島くんならきっと静かに聞いてくれるだろうと思ったのだ。だって私が見ている初島くんはとても落ち着いている人だから。大人っぽい彼と一緒に過ごす時間はきっと、とても素敵なんだろうなあ。

でもそのためには、自分も素敵な人間にならなければいけない。初島くんと並んでいる自分を想像しても、今のままでは不恰好なだけだ。
そう気がついたらいてもたってもいられなくなった。夜は早めに寝て肌を整え、ジャンクフードは控えるようにして、いつもより熱心にファッション誌を読んだ。友達にも話して、なんとかみんなで一緒に遊びにいけるような関係を作り上げた。

「名前さんは何にする?」

今日の格好は変じゃないだろうか、やっぱりアクセサリーは派手すぎたかもしれないからトイレで外してこようかなんてことを考えていると、ふいに声をかけられた。こうやって気を遣ってくれるのも、今日のメンバーの中では初島くんだけだ。

「どうしようかな。初島くんは決めた?」
「うん」
「何にしたの?」
「バームクーヘンとコーヒー」

聞きながら、馴れ馴れしくないかとか色々と気になってしまうけれど、嫌な顔をされることはなくて安心した。嫌な顔なんて、するわけないんだけれど。だって初島くんだし。

「バームクーヘン私も気になってたんだよね、それにしようかなあ」
「そう? じゃあ店員さん呼ぶよ」

すぐ近くにいた店員さんに声をかけて注文をするのを眺めながら、今の会話を心の中で反復してみる。気になっていると言えば分けてくれるかもしれないなんて期待してみたのだけれど、そこまでうまくはいかないらしい。食べ物を分けることに抵抗があるのかもしれない。自分に都合のいい解釈だって、わかってはいるけれど。

色々と考えることに忙しい私は、その空間において、気がつくと聞き役にまわっていた。いままでは遠くから見ているだけだったから、初島くんの友達がどんな会話をしているのか、内容を知るのは初めてだ。

「ええ、でもそれ危ないんじゃない?」
「それがいいんだよお。すりるでしょう?」
「伏木蔵はいつもこうだからさ」
「ふうん……そう、なんだ」

聞いてみるとそれは思っていたよりも過激な内容で、だまって耳を傾けていた私は、思わず口元が引きつりそうになった。話を振った友達なんて完全に引いてしまっている。もっと穏やかな話をしているとばかり思っていたのに。
あれ、でもどうしてそう思い込んでいたんだろう。私は彼らと親しくないし、どんな人かも知らない。そうだ、初島くんがいつも優しい顔をしていたからだ。その優しい顔というのは、内容を聞いてしまうととてもアンバランスに感じられた。……初島くんは、なんて心が広いんだろう。

「苗字さんはこういう話好き?」
「えっと、少しびっくりしたかな」
「なあんだ、楽しそうに聞いてくれるから趣味があうかと思ったのに」

私は楽しそうだったのだろうか。少なくとも、鶴町君にはそう見えたらしい。私はただ、初島くんに嫌われたくないから場の空気を壊さないように、だまって耳を傾けていただけなのだけれど。あ、でもこれって、もしかしたら初島くんと同じような態度になっている? 口を出さずに、笑顔で話を聞いているだけ。それは、私がいつも見ていた姿と同じだ。
少しずつ、初島くんに対する違和感が、胸の中で育っていくのを感じた。私が知っている初島くんは優しくて、大人っぽくて……。でも、どうしてそう思ってたんだっけ。

「はい、名前さん。バームクーヘンだったよね」

ぐるぐると終着点を見失った頭は、初島くんにお皿を差し出されることによって、ようやく落ち着きを取り戻した。やっぱり初島くんは優しい人だ。自分で自分に暗示をかけているような気持ちになったけれど、目の前の笑顔だけが私の真実だ。

だから、今はまだこのままで。


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