R-15 「ねぇ、別れ話でもしよっか」 季節が急速に冬に向かって、ああ、寒いなあ。そろそろコタツが欲しいなあ。いやいや、それより先にお鍋がしたいな。味噌味もいいし、醤油でもいいし、少し変わって豆乳やキムチ鍋でもいい。ねえ、伏木蔵は何味がいい? なんて、頭の中でいろいろと考えていたことはあるけれど、口から出たのは全く別の言葉だった。いきなり別れ話なんて言われた伏木蔵もびっくりしてるとは思うけれど、それ以上にわたしの方が驚いていると、思う。なんで、別れ話。わたし、心の底でそんなことを望んでいたのか。 「僕は時々名前の思考回路が理解できないよ」 唐突のわたしの言葉にもなんということかいつもと表情を変えず、伏木蔵はその生気のない目にわたしを映している。うっすらと額にかいた汗が扇情的で心がどきどきと脈打ったのがわかる。ああ、やっぱりわたしはこの顔が好きだなあ、なんてこれまた場違いなことを考えるわたしの頭。驚いていたはずなのに、伏木蔵の瞳の中のわたしもまた、いつもと変わらない表情である。 「そうかな、案外単純な思考回路だと思うんだけど。たぶん並列じゃなくて直列だと思うし」 「ああそう。ねえ、直列と並列ならどっちの回路にある電球の方が明るいと思う?」 「え、普通に考えて直列」 「…だからきみの頭はかわいそうなんだね、納得」 伏木蔵の骨ばった少し冷たい指が腹部をかすめて、びくりと体が揺れる。かわいそう、なんて言われて反論しようと思ったのに、残念ながら口からもれたのは短い悲鳴だけだった。目の前の伏木蔵はわざとらしくため息なんかついちゃって、わたしの首筋に顔を埋める。指とは対照的に温かい息が当たって、くすぐったい。身じろぎすれば、「いやらしい」なんてわたしより1億倍はいやらしい伏木蔵の言葉が返ってくる。そんな伏木蔵の頭に手を乗せれば、横目に表情を伺われた。 「伏木蔵、」 「なに」 「今日ね、隣のクラスの男の子に告白されたよ」 「…………へえ」 「何、怒ってるの?」 「僕が怒る理由があるとでも?」 「あるといいよね」 「うっざ」 そう冷たく呟いて、伏木蔵がわたしから離れていく。先程まで暖かかった首筋も、お腹同様冷たくなる。寒いなあ。もう冬だなあ。今年の冬は何をしようかな。雪は降るかな。雪が積もったらみんなで雪合戦したいなあ。伏木蔵のぺらっぺらの上半身を見ながら、そんなことを考える。わたしに冬はきっと似合わないけれど、伏木蔵はとても冬が良くにあった。血の気の少ない顔色も、透き通るような肌色も、全てが冬を連想させるようだった。触ると、どうだったっけ、冷たかったっけ。 「冷たい」 「あ、ごめん」 「冷たすぎ。心臓麻痺でも起こして死ねってこと?」 「いやいや、ちょっと触りたかっただけだよ」 「ちょっと触りたかっただけで殺されたらたまらない」 「だから、ごめんって」 ぺたりと触れた伏木蔵の左胸は、驚くくらいに温かかった。むしろ、冷たいのはわたしの手のひらの方であったらしい。確かに、冷たいかもしれない。悴んでうまく動かないのがその証拠だ。そんな悴んでうまく動かない腕をぺらっぺらのそれに絡ませて、ぎゅっと力を込める。あったかいな。おかしいな、伏木蔵は冷たいはずなのに。 「おっぱい、当たってるよ」 「うん」 「寒いんでしょ」 「うん」 「服着れば」 「続きは」 「告白してきた男にしてもらえば」 「なんだ、怒ってるんじゃない」 「別に怒ってないけど」 「それ、怒ってるっていうんだよ」 「まさか直列回路と並列回路のことも理解できないようなやつに教えられることがあるとはすごーいすりるー」 「…それは忘れて」 楽しそうに笑って、怒ってたはずの伏木蔵が体をぐるりと回し向かい合う形になる。数分ぶりに見た顔は、やはり血色がわるくて真っ白だった。きっと根本的に彼は血が足りていないんだろう。血の気が多い、彼には程遠い言葉である。そんな伏木蔵が、ゆっくりとまたカーペットにわたしを押し倒しながら、言う 「ねえ名前」 「なに」 「別れたくなったらいってね」 「ならないよ」 「さっきああいったのは誰」 「ついついいっちゃったんだよ」 「意味がわからない」 「なんでもいいけど、ならないよ」 「ああそう」 至極どうでもよさそうに、それでいて優しく伏木蔵の手が離れて、わたしの背中がカーペットについた。ふわふわのそれは、一人暮らしを始めた時に彼と一緒に買いにいったものだ。白は汚れるからやめなと散々注意されたにも関わらず購入したそれには、すでに数箇所落とすことのできない汚れが残っている。まるで新雪を踏み固めたよう。 「何考えてるの」 「伏木蔵は冬が似合うなあって」 「はあ?」 「そんな感じ」 「なんでもいいけど、次別れ話なんていったら、二度と言えないように、その舌噛みちぎってあげるから」 「別れたくなったら言えっていったくせに」 「そうだよ、言ったらどうなるか教えてあげたんだ。親切だよね」 にたりと元々怪しげな顔を、さらに怪しく歪ませる伏木蔵にぞわりと鳥肌が立つ。ああ、そうだ。伏木蔵とはこういう男だった。冬のように心の蔵が冷たくて、強かな、男。 「っ」 ちゅく、なんていう全く可愛くない音がして、伏木蔵の舌が口の中にねじ込まれる。顔色に反して真っ赤に熟れたそれは、熱をおびてとっても熱かった。 |