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  くるりと回って愛のうた A


 先越された。
 ここ一週間気分を重くしているその言葉を今日も飽きもせず繰り返す。俺は居酒屋独特のがやがやと騒がしい空気の中、本日二杯目のビールに口をつけた。

 今日は久しぶりの青道野球部OBの飲み会だ。俺も御幸も予定が合ったので懐かしい面々と酒を飲み交わしている。俺は前回も参加したが、御幸は予定が合わなくて参加出来なかったので今日が余計に楽しいのだろう。いつの間にか定位置になっていた俺の隣で胡座をかき、向かいに座っている春市や沢村たちと談笑を続けている。飲み会が始まってもうすぐ一時間、御幸は箸を動かすより口を動かす方が忙しいらしい。

「お前いくつになっても馬鹿だけは治んねぇなぁ」
「なにおう!?アンタだっていくつになってもその性悪治ってないでしょーが!!」

 沢村をからかう御幸はけらけらと楽しそうに笑う。まあ本当に、楽しそうなこった。横だけでなくそこかしこから聞こえてくる陽気な笑い声をBGMに、俺が頭に浮べたのはつい一週間前の出来事だった。

 この間の金曜日、久しぶりの二人揃っての休みの前日。休みの日に出掛ける予定を立てていた俺の涙ぐましい我慢と努力をぶち壊しにかかってきた御幸を思い出すと頭を抱えたくなるのは、最早不可抗力と言っていいだろう。なんてったって初めてだった。何がって、御幸から誘われたのが。
 付き合い始めたのは高校の時。それから何だかんだと続いている俺達だが、御幸はあの性格だし、するときにアクションをかけるのは俺というのが常だった。そりゃ突然誘われたら動揺したくもなる。あの日は必死に保っていた理性をぶん殴られた気分だった。正直、今思い出しても相当ヤバイ。御幸があんな誘い方をするなんて思ってなかっただけに直撃だったわ。どこにとは言わねぇけど。

 そんなくっだらねぇことを考えながら順調にビールを減らしていく。視界に入る御幸はあの時のしおらしさなど欠片もなくて、コイツがあんなことするなんて貴重どころじゃねーよなぁ、と惜しい気分になった。出来ることならもっとあの御幸を味わいたかった。なんであのタイミングでああいうことするんだよコイツ。
 それでこそ御幸一也、と今でこそ冷静な俺が野次を飛ばすが、ぶっちゃけあの時は参っていた。何しろご無沙汰だったのだ。部屋に恋人と二人きり、翌日が休みともなれば、セックスをしたくなるのは男としてしょうがないことだろう。我慢した自分を褒め讃えたい。

「あっ!俺の唐揚げ!!」
「お前のじゃねーよ。皆のだろ」
「俺がキープしてたんすよ!返せ俺の唐揚げ!」
「ハッハッハ、残念。もっとわかりやすくキープしとかなきゃダメだって」
「アッちょっ…まっ……あ゛ーーー!」
 
 沢村の叫び声を右から左に聞き流しつつ、唐揚げを口に放りこんでご満悦な様子の御幸を見つめる。俺の視線に気づいた御幸がきょとんとした顔でどーした?なんて問いかけてくるが、理由なんぞ言えるはずがない俺はいや、別に、と言葉を濁すしかない。あれから一週間経ってるのに、俺はあの日のお前に振り回されたままです、なんて。そんなこと絶対に言えるはずがねぇ。
 苦い気持ちのまま枝豆に手を伸ばして、豆を口の中に押し出していく。一粒一粒咀嚼しながら悶々と考えるのは、やっぱりあの金曜日のことだ。
 誘われただけだったら、多分俺はここまであの日のことを考えてない。あの御幸が誘ってくれるなんていい思いをした、出来なかったのは残念だけど、くらいのものだったはずだ。じゃあなんでこんなことになってるかって言ったら、誘われた後のアレ。原因はそっちだ。

『だいすき。愛してる』

 まさかあのタイミングであんなことを言われるだなんて誰が思う?いや思わねーよ、どう考えたっておかしいだろ。こればっかりはそれでこそ御幸一也、なんて間違っても言えない。絶対に言えない。
 誘われたその後、セックスを我慢してた理由と、わざわざ御幸に背を向けてゲームしてた理由、全部バレて散々からかわれて、まあ、そこまではよかった。そうなることは俺だってわかっていた。中学生かよ!って笑われたのはすっげぇムカついたし、何よりそんな風に言われるような方法を取ることしか出来なかった自分が恥ずかしかったけど、この際そこはどうでもいい。その後落とされた爆弾に比べればなんてことはない。
 愛してる。
 俺の中じゃ好きとか大好きよりも上に位置するその言葉。その言葉が、あろうことかあの御幸の口から飛び出してくるなんて。しかも大好きとセットで。普段好きさえもお互いまともに口に出さないのに、なんで御幸はホップステップジャンプのホップステップをすっ飛ばしたようなことを急にするんだろうか。全くもって理解不能だ。
 まあそりゃ、愛してるとか言われたの初めてだったし?御幸からあんなこと言われるなんて思ってなかったから、あれだ、うん、嬉しかったけど。スッゲーーめちゃくちゃ、意味わかんねぇくらい嬉しかったけど。にやける口元を何とか引き締めようとして失敗するぐらい嬉しかったけどな!!?
 だけど時間が経って冷静になった俺の頭に浮かんだのは、先越された、という何とも情緒のない言葉だった。フワフワした気持ちはどこへやら、俺は先に御幸に『愛してる』と言われてしまったことに、くだらない悔しさを感じているわけだ。
 『愛してる』という言葉はなんだか軽率に口に出来ない気がしてて、ひっそりと言う時は俺から、何か大切な時に、なんて思っていた。だけど御幸に先を越されて、あろうことか自分は言われたことに舞い上がって浮かれた感情を隠し損ねて、それを御幸に柔くからかわれて。
 そんなアレコレが相まって、俺はあの日のことを一週間経った今も心の中で燻らせている。土曜日の買い物以降、今日まで御幸と会っていないからその間にこじらせたのもあってなかなかにひどい状態だ。
 御幸が俺をこんな気持ちにさせようとしてあの言葉を言ったわけではないことも、俺が勝手にこじらせてるだけであることもわかっているが、恋愛に関しては案外色々と理想がある(まあ相手は御幸だが)俺にとっちゃ大問題で、思い出す度に重い溜め息を吐き出してるわけで。

「はぁー……」

 あの日は初めて御幸に誘われて、笑われてからかわれて、先に愛してるって言葉を言われて、またからかわれて、本当にやられ放題だったな、と思う。
 高校時代、御幸から好きって言葉を引き出すのに相当苦労した分、めちゃくちゃ嬉しかったけど、あー、くそ。やっぱり俺が先に言いたかった。あと、あそこで俺も愛してるって返さずに浮かれてしまったのもダメージでかい。だせぇ。あの日のこともそうだけど、今こうして悔やんでるのもだせぇ。

「───な、倉持もそう思うだろ?」
「は?…あ、ああ。まあ、そうだな」

 悶々と思考を巡らせていたせいで会話の方がすっかりお留守になっていた。聞き流していたせいで何のことかわかってないまま返事を返して、遅れてやべぇ、何の話してたんだ?と口元を引き攣らせる。

「ほら倉持もそう言ってるぞ」
「ひどいっすよ倉持先輩!!三年間同じ部屋で過ごしたあの時間は何だったんですか!?」
「正確には二年半な」
「御幸先輩は黙っててくだせぇ!!!」

 沢村がぎゃーぎゃーと喚いているあたり、そう大事なことでもないのだろう。そう見切りをつけてふと手元を見てみれば、枝豆の皮が山盛りになっていた。どんだけ考え込んでたんだ、と少し頭が痛くなる。
 隣の御幸は相変わらず沢村をからかったり、ナベちゃんやノリ、ゾノなんかと言葉を交わしたり、OB会を楽しんでいるようだった。やっぱり口を動かしてばかりなのか、御幸の手元にあるジョッキはまだ二杯目の三分の一しか飲まれてなくて、どんだけ今日皆と会えたのが嬉しいんだよ、と苦笑しそうになる。こっちは一週間、お前の予想外の発言のせいで頭悩ませてるっていうのに、まったくいいご身分だ。
 一週間考えすぎて、悔やみすぎて疲れきってる俺の頭と身体に、三杯目のアルコールがじんわりと染み渡っていくのがわかる。一週間ぶりに見る楽しそうな御幸を目の前に、段々ともういいんじゃねぇかな、と俺の思考は傾き始めていた。
 またの機会に、今度は御幸が驚いて真っ赤になるくらいのシチュエーションで愛してるって言ってやればいいんじゃねぇのか。くさいことは恥ずかしくてあんまり出来ねぇけど、仕返しともなればやる気も湧いてくる。そうだ、次の御幸の誕生日とか。うん、いいなそれ。
 そんな風に考えを巡らせていれば、御幸がこちらを向いた。上機嫌な猫のような目が俺を捉えて、それからふにゃりと笑う。

「くらもち、飲んでる?」

 そう小さな声で紡いだ御幸は、俺の返事も聞かずにまた誰かの声に呼ばれて向こう側を向いてしまった。返事をし損ねた俺は、今の俺限定の顔だよなぁ、と頬杖をつきながらまた楽しそうに会話を続ける御幸に視線を向ける。けらけらと笑う横顔とさっきの顔はどう考えても色が違っていて、なんつーかもう、いいや。コイツが俺のこと愛してるって言うぐらい好きならもうなんでもいい。元々、グダグダ考えるのは好きじゃない。
 一週間、あれだけ頭を悩ませていた重い石を、ここにきて思いっきり振りかぶって投げ捨てる。あー無駄な時間と労力を使ったな、俺。まあこういうこともある。ドンマイとしか言いようがない。
 ここで終わり、とスッパリ悩みのもとを葬り去ってから、楽しそうに喋っている御幸に視線を移す。その顔を見て、ようやく気持ちが軽くなった俺もつられて顔が緩ませた。ガキみてーな顔。ほんと、楽しそうだな。うん、お前のそういう顔、好きだわ、俺。

「愛してる」

 ……あ?
 今俺、なんつった。

 自然に動いてしまった口からこぼれでた言葉。それが何なのかを数拍遅れて理解した俺は、ざあっと血の気が引いていくのを感じた。目の前ではついさっきまで楽しそうに喋っていた御幸が目を丸くしている。こっちは向いていないがその横顔は驚きに染まっていて、あ、これ完全に聞こえてたやつだ、と悟った。思わず舌打ちをしそうになる。
 待てよアホか俺は。全然、今言うつもりなんかなかったのに。なんか、楽しそうな御幸見てたら、自然に。って、なんだそれ。馬鹿か。いや馬鹿だわ。信じらんねぇ。さっき誕生日に、とか思ってたの誰だよ。俺だろ。確かに御幸は驚いてるけどそうじゃねーだろ。誰か俺をぶん殴ってくれ。この際沢村でもいい。俺を殴れ。いや待て今ぶん殴られたら飲み会どこじゃなくなるな。大混乱だわ。……つーか忘れてたけど、今の周りには聞こえてないよな?うるさいから大丈夫だよな?御幸は隣にいたからたまたま聞こえたんだと信じたい。てか御幸てめぇ、今の俺の呟きちゃっかり拾ってその顔してるってことは、何でもないような顔して一週間前のことしっかり覚えてやがるな。おい。

「…?御幸先輩?どうしたんすか?」

 沢村の不思議そうな声にハッとする。さっきまで会話をしていた御幸から反応がなくなったので声を掛けたのだろう。固まっている御幸を思い出してそりゃ返事もし損ねるわ、と手で目元を覆った。やばい。すげぇいたたまれない。
 御幸はどう返すつもりなのだろう。まあなんとか誤魔化すだろうとは思っているが、ドキドキしながら御幸の返事を待ってしまう。
 しかし俺の予想に反して、次に聞こえてきたのは御幸の声ではなくまたもや沢村の声だった。

「うわ、顔真っ赤!まさかもう酔ったのか!?」

 え。
 思わず勢いよく顔をあげる。目の前にはさっきから動いていない御幸の横顔。でもその表情はさっきと180度違っていて。いつもの仮面はどこへやら、沢村に言われてしまうぐらい顔を真っ赤に染めた御幸に、俺の顔まで熱くなる。

「……や、いや、酔ってねぇよ。うん、酔ってない」

 御幸はどこかぎこちない動きで顔を隠すように手のひらを沢村の方に向ける。そりゃそうだ、お前まだ二杯目飲みきってねぇもんな。
 目に見えて混乱している御幸は「いや絶対酔ってる!」とかなんとか騒いでる沢村に言い返す気力もないらしい。赤に染まりきった顔で困惑を隠しもせずにテーブルを見つめている。
 なんだよ、お前、こんなムードもへったくれもないところで愛してるって言われても、そんな風になんの。何だよそれ。なぁほんと、お前の予想外の反応には弱いんだから勘弁してくれ。
 こっちもこっちで困りきったまま御幸の方を見ていれば、テーブルからこちらに視線を移した御幸と目が合った。じっとりとした非難の色を滲ませたその目から、何でここで言うんだよ、という声が聞こえてくる。
 ああ、そんな赤い顔でジト目されたって意味ねぇって、今すぐ言ってやりたい。そんなことを思っていると、視線の先で御幸の口がゆっくりと動いた。

 ば、か。

 口パクで悪態をついた御幸はふいっとまた視線を逸らす。その様に、くらりと眩暈がした。
 だめだ、こんな俺よりガタイのいい男に言うような言葉じゃねーけど、無理だ。言わせろ。かわいい。何なのコイツ。可愛すぎんだろ。 
 御幸の一連の反応を経てついに耐えきれなくなった俺は、テーブルに手をついて立ち上がった。テーブルがガタンと派手な音を立てたせいで視線が集まるのを感じたが、今はなりふり構っていられない。

「俺、酔ったみてぇだからちょっと外出て風に当たってくるわ」
「え、」
「えっ倉持先輩も?わ、マジだ、顔真っ赤」

 沢村が「珍しいっすねー」なんて言ってるのを聞いてやっぱり俺も顔赤くなってんのか、と顔を覆いたくなる。だせぇ。やっぱりだせぇ。
 ここにいるのももう限界で、俺は立ち上がった勢いのまま、靴を履くために足を踏み出した。酔いを覚ますのではなく頭を冷やすため、俺は早急に外に出なければならない。……出ないといけねぇのに。
 
「倉持、」

 御幸の手が、俺のズボンを掴んだ。ゆるやかなその拘束は、今の俺の足を止めさせるには十分なものだった。
 ちらりと下を見れば切羽詰ったような御幸のカオ。逃げるなんてずりぃ、と言われてるようで、ぐっと息が詰まった。それでも皆のいるこの場で、御幸の横で、何でもないような顔をして酒を飲むなんて、今は無理だ。
 でも、御幸にこんな顔をさせている原因は俺なわけで。真っ赤な顔をしたコイツを、ここに置いていきたくないってのも、確かな気持ちなわけで。

「…………お前も酔ったんならついてくれば」

 どうにも御幸の方を見ることが出来なくて、目を逸らしながらぶっきらぼうに言ってやった。すると、ズボンに引っかかっていた御幸の手がするりと解かれる。返事はなかったけど、御幸がどうするかはもうわかっていた。
 外に出るまでに、言い訳考えねぇとな。
 あれこれ必死に考えつつ、靴のつま先で二度ほど床をノックする。口からこぼれた愛の言葉の回収は、思った以上に難航しそうだ。


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