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  てのひらの熱 @


ぐらりと揺れた視界。うまく働かない頭でぼんやりと「あ、やらかした」と思った。たまたま遊びにきていた今吉さんや諏佐さん、練習に勤しんでいた桜井たちの驚いた顔が目に入るものの、もう踏ん張る力など残っていない身体は、ただ重力に従って床に倒れ込む。

「若松サン!」

例の不貞不貞しい後輩の声が耳に届いたのを最後に、ぶつりと意識がブラックアウトした。






「ん…?」

やっと意識が戻ってまず目に入ったのは、少しくすんだ色をした天井だった。見慣れたそれで、自分が一人暮らしをしているアパートにいることを悟る。暮らし慣れた部屋に僅かな安心感を覚え、ほ…と息を吐いた。
しかし熱があるのであろう身体はとてつもなく怠いし、頭は容赦なくズキズキと鈍い痛みを訴えてくる。ついでにいうと、なんだか喉も痛い。
安心感どうのこうのよりも、気分は最悪、と言った方がいいだろう。
ぐるぐるゆらゆらとひどい乗り物酔いをしたような感覚に吐き気を感じつつも、なんとか腕を伸ばして枕元にある時計を引き寄せた。時計の短針は十二と一の間を指している。倒れたのは朝だからそこそこ寝ていたようだ。

そこまで確認してベッドに腕を投げ出す。あまり動きたくないという身体に従って目だけできょろ、と部屋を見回した。人は、いない。時計の時間を刻むチクタクという音だけが響く、なんとも静かな空間だった。

そこでふと、俺はあることに疑問を持った。
それは何故自分がここにいるのか、という実に単純な事実についての疑問。ぶっ倒れてからの記憶がないのだから自力でここまで帰ってきたはずがない。そうなると必然的に、誰かが運んでくれたことになる。体育館で倒れた190cm超えの男を学園から少し離れたこのアパートに。
そこまで考えて俺の心は申し訳ない気持ちでいっぱいになった。たださえこんな弱々しい姿を見せるなんてたまったもんじゃないのに、さらに迷惑をかけるなんて。高二にもなって…となんだか情けなくなって思わず溜め息をついた。

「(…ああもう、なんであのタイミングで倒れたんだ、俺。)」

大体、熱を出すなんていつぶりだ。
一年ぶり?二年ぶり?……いや、それより前だった気もする。
元気が取り柄の俺だって風邪を引くことぐらいあるが、最近は咳などの軽い症状ばかりだったから、熱を出すなんて本当に久しぶりのことだった。
しかしそれにしても、倒れるまでいくとは。朝の時点では少し体が怠いだけだったから大丈夫だと思っていたのに。体調管理もできないなんてアスリート失格だな。
そんな自己嫌悪に陥っていると、今まで静かだった部屋の外からペタペタと足音が聞こえてきた。誰だろう。普通に考えてバスケ部の誰かだろうが……今吉さん?いや、あの人が来るわけないよな。それじゃあ諏佐さん?桜井?…でもまだ部活やってる時間だろうしなぁ…そう考えるとやっぱり桃井かな。マネージャーだし。そんなことを悶々と思案しながら部屋にあるドアをじっと見つめる。

見つめ始めてから数十秒も立たない内に、そのドアは思いもよらない人物によって開け放たれた。

「あれ、起きたのかよ」
「なっ……青、峰…!?」

その人物が誰か認識した俺は、ドアの向こうから現れたそいつに驚いて声をあげる。が、寝ていたからか、はたまた熱を出しているせいか、いつもの声とは程遠い掠れた声しか出せない。しかも無理に声を出したせいで息苦しい。少し咳き込んでしまった。今回は相当きてるらしい。声を出すのもつらいなんて。

…しかしこの時点で俺には声を出さないといけない用事ができてしまった。それは何か。

───ずばり、何故ここに青峰がいるのかを問いたださなければいけない、ということだ。

「…っなん、で…お前が、ゲホッ…ここ、に……ゴホッ、ケホ、」
「ああ、咳でんなら無理に喋んな。説明すっから」
「……っ……!?」

べしっと額に乗せられた(というか叩きつけられた)冷たいタオルにびっくりして身体が反射的に揺れる。くそ、なんか恥ずかしいじゃねえかこの野郎。
そんな気持ちと威嚇を込めてギロリと青峰を睨む。すると青峰は小さく肩をすくめて呆れたような目でこちらを見返してきた。

「アンタ40度近くの熱があるっつーのによくそんな目できるな。ここまでくると逆に感心するわ」
「……う、せ…」
「ハッ、さすがに声はいつもみてえにはいかねえらしいな」
「………………」

病人に対してもこの態度かよ、むしろこっちが感心するわ!まったく、こいつが人に敬意が払える日はいつになるんだ。何やらガサガサと音を立てながらビニール袋を物色している青峰を横目にそんなことを思う。
つーかこいつ、本当になんでここにいるんだ?俺の記憶が確かであれば、今日の練習にも青峰は参加していなかったはずだ。ムカつくことにいつも通り、体育館にすらいなかった。なのに何故、青峰が俺の部屋にいるのか。俺が倒れたのは練習が始まってそう時間が経ってない頃のはずなのに。
…そういえば、倒れる直前に青峰の声が聞こえた気もする。いつもの癪に障る、馬鹿にしたような声色ではない、少し焦ったような青峰の声が。

「若松サン、ポカリ飲む?」
「ひっ…!?」

思考の海に沈んでいると、頬にぺたりと冷たいなにかが触れた。それにまた身体がびくりと揺れる。しかもオプションに悲鳴じみた声をつけて。
……最悪としか、言いようがない。よりにもよって、青峰の前でこんな醜態を晒すとは。今なら恥ずかしさで死ねる気すらする。
しかしそんな俺の気持ちなど微塵も知らない青峰は、呑気に「若松サーンポカリいらねえのー?」なんて言っている。

「…っ飲む、に決まってんだろ!ボケ、かせっ…」
「…あーそうですか。ほらよ」

恥ずかしさを誤魔化すためにわざと喧嘩腰で青峰に返事を返すと、そんな俺が気にいらなかったのか、青峰はおもしろくなさそうにポカリをこちらに向かって軽く投げた。投げんじゃねえよ、こっちは寝てんだよ!と言ってやりたいところだが、ここでいつもみたいな喧嘩になったら確実に負けるのはわかっているのでぐっと堪える。とりあえず、今はポカリを飲むのが先決だ。声がうまいこと出ないのは不便だ。こいつといるから、余計に。
ぽいっと放られたポカリをなんとかキャッチして、怠いと訴える身体を叱咤して起き上がろうと腕に力をこめる。

…………あれ?

「ん……?」

俺、今、起き上がろうとしたよな?
おい、なんで。なんで起き上がれないんだ。

想像以上に熱が身体に回っているのか、腕にうまく力が入らない。力が入らないから、起き上がれない。まあいつもであれば腹筋を使って起き上がるところなんだが、今は熱がある上に軽く頭痛までする状態だ。そんな状態で勢いよく起き上がったらどうなるか、なんて目に見えてる。
待て待て。どうするんだ、これ。起き上がれないとか、本当に何もできねえじゃねえか。
予想だにしていなかった事態に、若干焦り始めた俺は気づいてなかった。青峰が、すぐそこまできていたことに。

「…若松サン?」
「え、は?あ…青峰…」
「さっきからうんうん唸ってるけど。なに?トイレかなんか?」
「…っんな、わけねえだろ!起き上がれねえんだよ、ちくしょ…げほっ、ゴホッゴホッ!」

思わず声を荒げてしまい、思いっきり咳き込む。しかも、言わなくてもいいことまで言っちまった。力が入らなくて起き上がれません、なんて言ったら、どうせ馬鹿にされるだけなのに。
熱のせいだか青峰のせいだかはわからないが、なんだか今日は調子が狂う。

「…なに、アンタ、力入んねえの?」
「あ゛ーもう…ゲホ、さいあく…」

腕を顔のところまで持ってきて目元を隠す。やってらんねえ。どーせ次には「アンタも弱いもんだな。鍛え足りないんじゃねーの?」とあの人を馬鹿にしたようないやーな笑顔で言うんだろう。考えただけでテンションだだ下がりだ。

「そういうこと早く言えよ。起こしてやるから」
「あーもう…うっせえな…どうせ俺は……………は?」

今こいつなんて言った。
起こしてやる?青峰が、俺を?

思考回路が停止してフリーズしてしまっている俺など気にも止めず、青峰は俺の背中に腕を回す。ぐっと腕に力が込められ、よっと…という青峰の掛け声が耳に届いたところでようやく俺の頭は動き出した。いまだに混乱状態のまま、だが。

いやいやいや待て待て待て。
どうしたんだこいつ。つーかこいつに起きあがらせてもらうなんて、冗談じゃない。それこそ恥ずかしい。死ぬ。こんなクソ生意気な後輩に、こんな。

「ちょっ…!あ、みね…待て…!やめ、」
「あー?んだよ、動くなって。やりにくいから」
「…っな、んでお前…柄じゃねー、だろ!ふつーなら、馬鹿にする…とか、」
「病人にまで酷くするつもりはねーよ。アンタ俺をなんだと思ってんだ」

少し拗ねたように唇を尖らせる青峰に、そんな顔もするんだとか、それは自業自得だろ、とか言いたいことが沢山あったが、羞恥で口をぱくぱくと開閉することしかできない俺には何一つ口に出すことが叶わなかった。

そんなこんなしている内に青峰の腕によってベッドの上に座らせられる。よし、と満足げな表情をしている青峰とは対照的に俺は酷い顔をしていただろう。自分では鏡でもない限り確認なんてできないがなんとなくわかる。
この時点で俺には意地とか羞恥心とか、そんなものは一つとして残っていなかった。もうどうにでもなれ、みたいなヤケクソ状態だ。

「若松サーン。どうしたんだよ」
「うるせぇ…ほっとけ…」

過ぎたことは早急に忘れるべきだ。とにかくポカリを飲もう。さっきから喋ってばかりでいい加減喉がつらい。
先程青峰に起こされたときにパニクって手から落としてしまったポカリに手を伸ばす。落ちたのがベッドの上でよかった。これが下に落ちていたら少々面倒くさい。というか、怠い。

早く喉を潤して青峰にお帰り願おう。
そう思いながらポカリを手にしようとした、その時。
ひょいっとそれは浅黒い手によって持って行かれた。

「なっ、青峰!それ、」

てめぇ人が手を伸ばしたのを見てそれか!!

立っている青峰の手にあるポカリに座っている俺の手が届くはずもなく、虚しく俺の腕は空を切る。

「…っ…返せボケコ……って、あ?」

返せボケコラァ!
そう紡ぎかけた言葉は不自然に途切れる。ぺきっという音を立てて開けられたそれが、俺に差し出されたからだ。

「アンタ今力入んねーんだろ、ほら」
「…………………」

意味がわからない、という顔をしている俺を見かねて青峰が口を開く。
それに俺は言葉を失った。

誰だ、こいつ。

今の青峰に対する言葉は、その一言に限る。



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