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  涙目ハニー


 3月下旬。くそ寒い冬が終わってようやく暖かくなってきた今日この頃。春休みに入って部活だけに専念できるようになった俺は、今日もいつものように部室でユニフォームに着替えていた。
 今日はちょっと肌寒い、こういう中途半端な気温とか最ッ悪。そんなことを思いながらジャージに腕を通していると、ドアが開く音と共に見慣れたひよこ頭が飛び込んできた。
 またギリギリの時間やん…。
 時計をちらりと見て、聞こえるか聞こえないかくらいのため息をつく。
 ええ加減にしてもらわんと俺の練習にも支障がでてくるって言っているのにこの遅刻癖は一向になおる気配がない。間に合うように来る気はあるんだろうか、この人。

 よし、文句言ったる。
 そう思い俺は謙也さんの方を振り向いた。…………………はずだった。

「あんなぁ、謙也さ………………………どうしたんすか」
「ゔゔ〜ざい゙ぜん゙〜」

 言ってやろうと思っていた文句は謙也さんを見た瞬間にどこかへ吹っ飛んでしまったようだ。
 でも、こればっかりはしょうがないだろう。俺のダブルスパートナー、いつもにこにこ笑っている謙也さんが目元と鼻を遠目でもわかるくらい真っ赤にして、泣きそうな顔をしているんだから。




「もう嫌や……ずび、」

 鼻を啜り、目を擦る謙也さんはいつもの笑顔をどこに置いてきたのか、と聞きたくなるほどひどい顔をしている。
 そういえば、ここ最近妙に鼻を啜っていたな…と考えを巡らせつつ、とりあえずティッシュを差し出した。

「あ、おおきに……」
「謙也さん、なんかいつも以上にひっどい顔してますけどどうしたんです」
「"いつも以上に"ひどい顔ってなんやねん!悪意を感じるわ!」

 鼻をかみながらご丁寧にもツッコミをいれてくれる謙也さんに感心しつつ、俺は滅多に見ることができないであろう謙也さんの情けない顔を観察する。入部してからここ1年間、謙也さんとはそれなりに長い時間を一緒に過ごしてきたと自負しているが、こんな顔は初めて見た。

「冗談はさておき……、ほんまにどうしたんすか」
「冗談になってないねん……」
「質問に答えてくださいよ。だからアホって言われるんすわ」
「やかましい!一言余計なんや、財前は!」
「はあ……。………で?原因は?」

 わあわあ騒ぐ謙也さんを横目で見ながらもう一度訳を聞く。財前冷たい、俺先輩やで……なんて呟きが聞こえてきたが全部無視や、無視。
 無言で謙也さんの返事を待っていると、冷たい視線に堪えかねたのか、謙也さんがやっと言い返してきた。

「花粉症や、花粉症!!」
「……ああ、なるほど」

 そういえば今朝のニュースで今日はスギ花粉がひどいってアナウンサーが言ってたな…。そんなことを思い出しつつ、俺は謙也さんが花粉症だったことに少し驚いていた。だってこの人、風邪も滅多に引かないし、元気の象徴って感じだから。
 なのに、花粉症とか。意外だったっちゅーのが俺の正直な感想だった。
 それにしても………

「謙也さん、症状ひどない?」
「え、そう……?」

 鼻水は出てるし、目も痒いのかよく擦っている。おかげで謙也さんの鼻と目元は真っ赤。俺の義姉さんも花粉症だけど、ここまでひどくはない。
 俺は医者じゃないし、詳しいことはわからんけど、これは症状が重いってことだろう。

「毎年この時期はこんなもんや……ずずっ」
「つらそうですね」

 また鼻を啜り始めた謙也さんにポケットティッシュ丸々一つ押し付けて、まじまじと謙也さんの顔を見つめる。鼻水もつらそうだけど、目も痒そうやな…そんなことを思いながら真っ赤になった謙也さんの目をなんとなく見やる。擦りすぎて真っ赤になってる。この人花粉症に効く薬とか飲んでないんだろうか。
 そこで俺はふと、気になることが頭に浮かんだ。

「謙也さん、目薬とか使っとるん?」

 使わないよりはマシなはずや。そう思って何げなく謙也さんに問いかけた。
 対する謙也さんは何故か嫌そうに顔を背けて口を尖らせる。自分に都合の悪い状況になったときに謙也さんがする癖だ。まあ、本人はきっと気づいてへんけど。

「………俺、目薬キライやねん」
「は?」

 さて、どんな言葉が飛び出すのかと思っていたら返ってきたのははなんとも子供じみた回答だった。予想してなかった答えに思わず間抜けな声が漏れる。
 キライ、ってアンタ。それはないでしょう。

「だってめっちゃ滲みるやん!!!あれが嫌やねん!」

 俺の表情からなにかを察したのか、謙也さんはムキになって言い返してくる。その理由がまた、アホっぽいってことには気づいているんだろうか、この人は。

「ちっちゃい子どもやな……」
「喧しい!!!!」

 思わず本音を漏らすと、謙也さんは俺の台詞に食い気味で噛みついてきた。喧しいのはそっちや、と言い返したくなったが、ここで言い返したらまたしょうもない言い争いになるのは経験上理解している。
 喉まで出かかった言葉をなんとか押し込め、謙也さんと会話を続けるべく俺は別の言葉を続けた。

「…っちゅーことは目薬持ってないんですか?」
「………………いや、一応、持っとる」

 問いかけると、謙也さんはなんだか気まずげに目をそらしながら、小さく持っていると呟いた。この様子を見ていると、よーくわかる。謙也さんはよっぽど目薬がキライらしい。
 珍しく罰が悪そうに背を丸める謙也さんは、まるで怒られたあとの犬のようだ。

「(まあ、なんというか、)」

 加虐心がくすぐられる。
 うなだれる謙也さんを見て、俺の心に小さく火がついた。

「じゃあ俺が目薬さしたります」
「えっ!!?」

 謙也さんのことだから、きっとキライな目薬も持ち歩いているんだろう。そう考えて思いついた案を軽く口にする。
 謙也さんの驚いた顔をちらりと見て、俺は謙也さんの鞄を漁り始めた。止めようと手を伸ばしてくる謙也さんを容赦なくなぎ払い、がさごそと鞄を物色する。その結果、俺は数分もしない内に小物入れに入った目薬を発見した。

「みっけ」
「ギャアアアアなにしとんねんお前!!!!」

 ひょいっと小物入れから目薬を持ち出し、俺はそれを謙也さんの目の前にちらつかせる。

「何事も慣れやで、謙也さん」

 にっこり。効果音をつけるならそんな感じだろうか。俺は滅多に見せない満面の笑みを浮かべ、じりじりと壁際に謙也さんを追い詰める。

「やっ…………やだやだやだ!絶っ対嫌や!!!!」
「何が嫌やねん!ほら、わがまま言わんと座って上向いてください」
「嫌やーーー!」

 壁際に追い詰められ、ずるずると座り込んでしまったのにも関わらず、性懲りもなく首をぶんぶんと振ってなんとか逃げようとする謙也さんの顎を、目薬を持ってない方の手でがっちりと掴んで固定する。

「これで逃げれんな……」
「ギャーーー!財前の鬼!アホ!離せや!!!!」

 ぐいぐいと両腕で押し返してくるがそんなもの抵抗の内に入らない。
 …というか、この人が本気で嫌がったら俺くらい簡単に突き飛ばせるはずだ。それをしないのは俺が後輩だからっちゅー遠慮なんやろか。
 まあ、理由は何にせよ………謙也さん、本気で抵抗せんのは自分の首を絞めるだけやで。

「諦めも肝心、なんてな」

 あ、俺今、絶対わるーい表情しとるな。
 ヒッ…という引きつった声を漏らした謙也さんにちょっとした罪悪感を感じたが、あえて表情を変えることはしない。ま、楽しいのも事実だし。
 ドSってよく言われるけど、こういう時ほんま否定出来んなーってしみじみと思う。相手が怯えてるともっと泣かせたいって思うし、なんだかうずうずする。いや、そりゃあ相手は選ばんといけないけど。
 ちなみに謙也さんは俺の中でそういうことをして"OK"な対象だ。謙也さんの方はたまったもんじゃないだろうが、仕方がない。俺の中でそう決まってしまったのだから。

 そんなことをうだうだと考えつつ、表情を崩さないまま片手でなんとか目薬の蓋を開ける。それを見た謙也さんはピタッと動きを止めた。
 ついに、観念したのか。
 そう思って目薬に落としていた視線を、謙也さんの顔の方に移した。

 …………それが、いけなかった。

「?財前?」

 目に涙を浮かべ、こちらを見つめる謙也さんに、思わず動きが止まる。
 きょとんとした謙也さんの顔を見ればそれが感情的なものではなく、花粉症によるものということくらい十分理解できるが、そんなわかりきったことが全部吹っ飛ぶくらい、涙目の謙也さんにはとんでもない破壊力があったのだ。
 つまり、なんというか、涙目の謙也さんに不覚にも、ときめいた。

「財前?どないしたん…?」

 突然動きをとめた俺を不思議に思ったのか、謙也さんが俺の顔を下から覗き込む。普段は俺が謙也さんを見上げているのに、今日は謙也さんが上目使いでこちらを見つめるというシチュエーション。しかもうるうると、涙を浮かべた瞳で。
 俺は謙也さんがそういう意味で好きなんや。これでドキッとしないわけがない。
 ………ああ、もしかしてあれか?謙也さんは確信犯なんだろうか。

「?ざいぜん?」

 まったく反応を示さない俺に、謙也さんは眉尻を下げ、心配そうな顔をする。
 泣きそうな顔しないでください。…そう言ってやりたいところだが、うまく声が出てくれない。目が潤んでる謙也さんを目の前にするだけでこの様とは。自分で自分を嘲笑ってやりたい。
 情けない自分自身に嫌気を覚えつつ、自分が相当謙也さんに参っていることを改めて自覚した。
 まだ『好き』とは言えてないけれど、これは早いところ言わないといつか爆発するかもしれないな。ぼんやりと、どこか他人事のようにそう思った。

「ざ、財前。具合悪いん?大丈夫?」

 不安そうな声で心配してくれる謙也さんをもう一度見つめ、思わず深いため息が漏れた。相変わらず、謙也さんは俺を惑わすように涙で潤んだ瞳でこちらを見つめている。
 ……ほんま、なんやねんこの人。自分がどういう顔してるか全っ然わかってないやろ。無自覚って、ホンマたち悪い。

「……あー、はい、大丈夫、っすわ」

 ぐるぐると、とどまることを知らない考えに、そろそろ黙っているままではいけない…と終止符を打つ。
掠れた声しかでなかったけれど、なんとか返事を返した。とりあえず今は、一刻も早く謙也さんから離れねば。そろそろ、きつい。
 ぱっと謙也さんから手を離し、そそくさとラケットを手に取る。もうそろそろ部活が始まる時間だ。そう自分に言い聞かせて、ドキドキと音をたてる心臓を落ち着かせるようにひとつ深呼吸をする。

「遅れますよ、謙也さん」
「へ、あ……わかっとる、けど……」
「……あ、目薬ですか?それはまた今度の機会にしてあげます」
「いやいやいや、あれば別にええねん!!遠慮しとく!!!」
「なに言ってるんですか。絶対目薬克服させますから」

 そう言い捨てて、さっさと部室を出る。中から『財前はやっぱり鬼や!!』っていう叫び声が聞こえてきたけど、そんなん無視や。

「はあー………部活始まってもないのになんや、疲れたわ……」

 壁に寄りかかってまたため息をひとつ。朝整えてきた髪をぐしゃぐしゃとかき乱す。
 謙也さんといると落ち着かなくて、調子が狂う。今日のことだって、何気ない花粉症の話から発展しただけなのに。頭に浮かぶのは、涙で目を潤ませる謙也さんばっかりで。

「………頭沸いてんのとちゃう、俺」

 ときめくとか、俺らしくもない。



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