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下駄のアイツに要注意
カラン、コロン、カラン。
下駄の音がどこからともなく聞こえてくる。
学校に下駄を履いてくる奴なんてそうそういないのだから、この下駄の音の主は十中八九アイツだろう。ほら、その証拠にテニス部の部室前で音が止まった。
やっと来よったか。
バン!と壊れんばかりの勢いで部室のドアを開け、俺は目の前に立っている男を思いっきり怒鳴りつけた。
「千歳!!!お前また部活に遅れて来よったな!!」
「あ、白石。おはよーさん」
「もう夕方や、ボケ!!」
へらりと笑う大男、もとい千歳をバシーンと勢いよく叩いてやる。
千歳が叩かれた部分を痛そうにさすっているが知ったこっちゃない。こっちはお前を探すのに二時間も時間を費やしたっちゅーねん。しかも見つけられなかったしな!
まったく、こいつの放浪癖も困ったものだ。授業も部活も関係なし、天気が良ければその辺を宛もなくふらふらとする。しかも出没場所は毎回少しずつ違うから余計にタチが悪い。探すこっちの身にもなれって思うわけや、俺としては。
そんな思いを込めてギロリと千歳を睨んでみたが、当の本人は相変わらずにこにこと笑っている。
何やねん。俺は怒ってるんやぞ。
「………なんか言うことないんか?」
「ん?部活に遅れたのはすまんかったばい」
「ほんっとぉーに反省しとるん?」
「うん。だから怒らんでほしか。白石は笑ってる方がむぞらしいけん」
棘を含んだ言い方にプラスしてガン垂れるという完全に喧嘩腰な俺とは対照的に、千歳は惚けるような笑みを浮かべる。いつも笑っている千歳だけど、普段とはどこか違った雰囲気の極上の笑み。
ああ、あかん。俺今、絶対顔赤くなっとる。だってなんか顔熱いし。っちゅーか顔どころか全身が熱いわ。
千歳の天然タラシは生まれもったものなのか、これまでの人生の中で知らず知らずの内に培ったものなのかはよくわからないけど、とりあえずもの凄く心臓に悪い。千歳のことが好きな俺には、そりゃもう余計に。
そう、俺と千歳は世間でいう恋人同士というやつなのだ。
男同士だとかチームメイトだとか、この恋には立ち塞がる壁がたくさんあったけど、なんとか千歳と付き合うことになった。千歳と恋人として過ごす時間はそりゃもう幸せで幸せで。千歳以外はなんもいらんって思ってしまうぐらいだ。
でもそれはそれ、これはこれ、という気持ちも俺にはあって。
だから部活では千歳とも極力ただのチームメイトとして接するように努めている。まあ、ただ単に恥ずかしいっちゅーのもあるんやけどな。
なのに、なのにこいつは時たま狙ったかのように俺の心を揺さぶるようなことをする。それがさっきのような表情だったり言動だったり。
もちろん、俺に対する効果は絶大だ。おかげで毎回毎回動揺を隠すのに俺は必死だった。だって公私は分けると決めたわけだし、千歳が好きって気持ちだけで自分に妥協するのは嫌だったから。
だから頑張ってたんやけど、最近どうもボロが出始めている。
「……いし、…白石?」
「…えっ、あ、ごめん、なんか言うた?」
「いんや…ポーっとしてたけん大丈夫かち思って」
気がついたら千歳が俺の顔を覗き込んでいた。どうやらトリップしてしまっていたらしい。最近こういうのが多いから気を付けなければと思っていたのに、なんて失態。まあ、原因は今心配してきたこいつなんやけど。
てか、どないしよ。千歳の顔がめっちゃ近い。あかん、この距離だとあとちょっとでキスが……っていやいやなに考えてるんや俺は!
落ち着くんや。そう、俺は聖書。完璧でエクスタシーな男。こんな感情表情に出したらあかん。今はまだ部活中。俺はあくまでもチームメイトとして千歳と関わらなければ。
心の中で自分に渇を入れて俯いていた顔を上げる。すると、めずらしく真面目な顔をした千歳とばっちり目があった。
「…………」
「な、なんや千歳」
ああ、その表情に不覚にもドキッとした自分をぶん殴りたい。いや、いっそ毒手で殺したい。
というか、なんで俺はこんなに見られてるんやろか。しかも千歳はさっきから黙ったままだ。なんだか視線がいたたまれない。なんやろ、やっぱさっきの顔に出てたんかな。
段々と千歳の真っ直ぐな眼差しに耐えきれなくなってきた俺は、その視線から逃れるように顔を逸らした。
「…そ、そういえば今日謙也がな、」
「蔵」
目線を窓の外に移して話を変えようとしたところで、逃げるなんて許さない、とでも言うように千歳に言葉を遮られてしまった。しかも二人きりのとき、つまり恋人として過ごすときにしか呼ばれない呼び方で呼ばれて、思わずピクリと反応してしまう。ああもう、こんなことで反応するなんて俺はどこまで浅はかな奴なんだろう。
俺がそんな自己嫌悪に見舞われていると、両頬に千歳が手を添えてきた。そしてそのままぐいっと顔を無理矢理千歳の方へと向けさせられる。必死の抵抗も虚しく、千歳と目が合ってしまった。目が、千歳から逸らせない。
「蔵」
「ち、と……んっ」
目が逸らせないまま、千歳を見つめているとまた名前を呼ばれた。なにかと思ったら、次の瞬間には噛みつくようなキス。
なんや、どういうことや、わけわからん。今部活中やのに、あかん、なんで。
そんな思いがぐるぐると頭ん中を駆け巡る。俺の頭はショート寸前。パニック状態。
あろうことか千歳は舌まで入れてきよるし、もう色々と限界。なんかもう、こんなことを考えるのも億劫や。
「ふ、…は、あ……ちとせ、」
やっと解放された時には俺は息も絶え絶えで、なんとも情けない状態だった。カッコ悪い。それもこれも全部全部千歳せいや。
千歳に今日二度目のガンを飛ばし、息が整わないまま文句をつける。
「な、にすんねん…」
「蔵が俺んこと構ってくれんけん」
少しむすっとした表情の千歳がさらりと理由を述べてきた。いつも余裕な千歳らしくない、子どもっぽい表情を可愛いって思ったのは秘密……って、違う違う。こいつは今なんて言った?俺が、千歳に構ってないって?
「はあ…?構ってるやんか、普通に」
「恋人としてたい」
「な……」
またもやさらりと述べてくる千歳。対する俺はもう完全にパニック状態やった。
恋人として構って、やと?いやいや無理、絶対に無理や。ずっと千歳に甘やかされたままなんて溶ける。恥ずかしくて死ねる。だいたい俺は公私を分ける人間やねん!だから、だから…あああなんやねんもう!わけわからなくなってもうたやないか。
「…まあこれからは遠慮なくいくけん…覚悟しなっせ、蔵」
混乱しすぎて目を白黒させているだろう俺にお構い無しで千歳がなにか不穏な言葉を呟く。そして俺の額に軽くキスを落としてから「コートに行ってくる」と言い残して部室を出ていってしまった。
部室に一人残された俺は、へたりとその場に座り込む。
「なっ…んやねん、アイツ…!」
ふらりとやってきたと思ったら物凄い爆弾を落としていきよった。
あかん。明日から、いやこの後からどうやって千歳に接したらいいのだろうか。絶対に意識してまう。きっと千歳はそこまで考えていたのだろう。これはあれだ、確信犯や。
「千歳の、アホ」
俺の小さな呟きは、空気に溶けて消えていく。
とりあえず、赤くなった顔をどうにかしなければ。変に冷静になった頭の片隅で、俺はそんなことを思うのだった。
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