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風邪は恋しさを連れてくる A
無事に家に入れたオレは、真っ直ぐ寝室へと向かい、そっとドアを開けた。
部屋を見渡すと、ベッドの上で小さく上下する布団の塊が目に付く。そろそろと近づいて覗き込めば、グレイがぐったりと横になっていた。息は浅く、短い。苦しそうだ。顔も真っ赤になっている。
「グレイ…?」
そっと、汗をかいている額に触れる。体温が高い方であるオレでさえ、熱いと感じる肌。
無理ばっかするから、こうなるんだ。
「馬鹿グレイ…」
「………ナ、ツ…」
「……っ…!?」
思わず悪態をつくと、グレイが小さく、掠れた声でオレの名前を呼んだ。しまった起こしたか、と焦りながらグレイを見る。だが、予想に反してグレイの瞳は閉じられたままだった。
「寝言…いや、譫言か…?」
いやいや、譫言でオレの名前を呼ぶとかどんだけだ。もしかしたらオレの聞き間違いかもしれない。いや、きっとそうだ。譫言でオレを呼ぶとか、そんな恥ずかしいことあってたまるか。
少しの動揺を自分で無理矢理抑えつけ納得する。そこまでやってオレは忘れかけていたここに来た目的をはたと思い出した。そうだ、オレはミラのおつかいでここに来たんだ、まずはそれからだと風邪薬を紙袋から取り出す。
「あ、」
風邪薬を取り出して、さて、と思ったところでオレはある重大な問題に気づいてしまった。
どうやって飲ませよう。
最大にしてめちゃくちゃ重要な問題だ。グレイはぐったりとした様子で寝ているままだし、起こすのは可哀想に思えた。きっと起きるのもつらいだろう。でも、せっかくの薬をこのままにしておくわけにもいかない。
「とりあえず水持ってくるか…」
ここで考えていてもキリがない。とりあえず水を持ってきてからもう一度考えよう。
まったく解決に近づいていない案を採用し、水を用意する為にオレはベッドから離れようとした。
その時。
「……ん…ナツ…?」
後ろから名前を呼ばれた。掠れた声ではあったが、今度は先程と違いはっきりと。
振り返ると、グレイが微妙に焦点が合ってない目でこちらを見ている。
「あ…わり、起こしたか…?」
「お、まえ…なんで、ここに…」
「グレイが熱出したって聞いて…それでオレ、」
そこまで言いかけてハッとした。何言おうとしたんだ、オレ。
思わず本音を言いそうになっていた。続くはずだった『心配で』という言葉をごくりと飲み込む。恥ずかしさで顔が赤くなっていくのがわかった。何だかいたたまれなくなったオレは慌てて違う言葉を連ねて誤魔化しにかかる。
「あ、いや、ミラに風邪薬持ってけって頼まれて…!」
「頼まれた…?」
「そう!おつかい!」
そう言うと、グレイの顔が少し不機嫌そうに歪んだ。
あれ、と思う。オレ、何が変なことを言っただろうか。別に嘘、ついた訳でもないし。一応、事実は事実だ。なんでグレイがそんな顔をするのか、オレにはよくわからなかった。
「あの…グレイさん?」
「………………」
しかも呼び掛けてもシカトときた。
これにはさすがに少しカチンときたが相手は病人。殴る訳にはいかない。なんとか自分にそう言い聞かせ、再度グレイに話し掛ける。
「とりあえずオレ、水持ってく…っ!?」
るな、と続けようとしたのに、続けることができなかった。突然グレイに腕を引っ張られたからだ。
突然のことにうまく反応できず、ろくに抵抗できないままオレはベッドに引きずり込まれ、布団にくるまったグレイの腕の中におさめられる。
「ちょっ…何する…!」
「………んじゃないのかよ…」
「え?」
急に引っ張られたことに文句を言おうとしたら、グレイが耳元で何かを呟いた。いつもより低くて掠れたその声で呟かれた小さな言葉はうまく聞き取れなくて、思わず聞き返す。
「……オレのこと、心配して来たんじゃねぇのかよ…」
次に耳に吹き込まれたのは拗ねたようなグレイの声。
今度はしっかりと聞き取れたのに。オレは一瞬、グレイがなんて言ったのか理解できなかった。動揺を隠さないまま、オレはグレイの名を呼ぶ。
「グ、グレイ…?」
「…………ナツは、オレのこと心配したりしねぇもんな」
再び、拗ねたような、寂しそうな声でグレイが呟いた。今度こそ、グレイの言っていることをしっかりと理解したオレは驚きのまま顔をあげた。すると、視線の先ではグレイが迷子になった子供のように不安そうな顔をしていて。
思わず、コイツを目一杯抱きしめてやりたい、なんて思ってしまった。いつも飄々としているグレイの弱々しい表情に、心が締め付けられるのを感じる。何かを求めるようにこちらを見るグレイの視線に、つい、ぽろりと。本音をこぼしてしまった。
「そ、なことねぇ…」
「ん……?」
「オレ、グレイが心配だったから、ここまで来たんだ。薬なんて、こ、口実だし…。その、……」
しどろもどろになりながらも、言葉を紡ぐ。さっき飲み込んだ本心は、今度は溢れて止まらない。だって、グレイがそんな悲しい、寂しい顔をするから。
心配なんて、する決まってる。グレイはオレの大切な人だ。心配したりしないだなんて、そんな悲しいことは言わないで欲しかった。今日だって、本当は。
なんだかオレは泣きそうになってしまって、そこで言葉を切った。
「ナツ…」
「ごめん…、でも、本当に、心配したんだからな…」
「……ん。ごめん、な」
ちゃんと言えなかったことを、素直に謝って気持ちを伝えると、我慢していたはずの涙がじわりと滲んできた。そんなオレを見て、申し訳なさそうな顔をしたグレイが、優しくオレの頬を撫でる。
やさしく、やさしく、触れてくるその指先が愛しくて、フルフルと首を振る。
「……早く元気になれ、それでいいから」
「…ありがとな」
怒っていないことを伝えるとグレイがふにゃりと笑った。普段見せる余裕のある、少し意地悪な笑顔とは違う、柔らかい優しい笑顔。きっと、オレにしか見せないもの。
たまらなくなって、ぐっとグレイの頭を引き寄せて、ポンポンと撫でる。
「…ナツ?」
普段のオレじゃあ考えられない行動に、グレイがびっくりしているのが伝わってくる。でも、やめる気はない。恥ずかしいけど、今日はこうしたい気分だった。
「いいから寝ろよ」
「え、は?待てって、ナツ、」
本格的に動揺しているらしいグレイが、オレを困惑した目で見る。その瞳は少し潤んで揺れていて、まだ熱があることを明確に伝えてくれた。
甘やかしたい。今日は、いつも憎たらしいけど、本当は寂しがりなコイツを。他でもない、オレが。
「……今日だけ、特別だ」
恥ずかしくて、耳が、頬がじわりと熱くなるのを感じる。ふいっと目を逸らして、それでもグレイを抱き締めた。
「まじかよ……あーくそっ、なんで思うように動けない日に…」
「熱だから特別なんだよバカ。何かしたらすぐ帰るからな」
「わーってるよ…」
残念そうに口を尖らしたグレイがオレの胸に額をすり寄せる。腰を引き寄せられて、体がぴったりとくっついた。オレに体を寄せるグレイの仕草がなんだか可愛くて、ふっと頬が緩んでしまう。
オレもグレイの肩をぎゅっと抱きしめて、頭を撫でてやった。
しばらくそうしていると、穏やかな寝息が聞こえてきた。どうやらグレイは眠ったようだ。
ちらりと顔を覗き込めば、来た時とは違う穏やかな寝顔がそこにはあって。少し、ほっとする。
「……おやすみ」
黒髪に一つキスを落とす。早く治るようにおまじない、なんて。ちょっと寒いだろうか。一人で苦い笑いをこぼして、オレもグレイの寝息につられるように瞳を閉じる。
起きたら少しでもグレイの風邪がよくなっていればいい。微睡みの中、そんなことを考えた。
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