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  捕らえられる B


「んんんっ…!?」

 キスされている、という事実を理解した俺は焦った。
 なんで、なんで、なんで。
 頭にはその言葉しか出てこない。とりあえず解放してもらえるように足をばたつかせたり、体を捩ったりする。だが、元よりマスルールに腕を押さえられているためなんの抵抗にもなっていない。しかも、そんなこんなしている内にマスルールの厚い舌が唇を割って侵入してきてしまった。

「んぅっ…ふ、ぁ」

 マスルールの舌がなんの遠慮もなく俺の口内を犯す。
 俺は今の今まで、マスルールはそういう方面での恋愛経験が少ない奴だと思っていたが、全力で撤回しよう。こいつ、めちゃめちゃキス上手い。
 あ、やべ、頭がくらくらしてきた。息が続かない。苦しい。

「ます、る…る…くるし、あっ…!」

 キスの合間になんとかマスルールの名を呼び、苦しいと言おうとしたら、それを阻むかのように腕の拘束を強くされた。ぎしり、と骨が軋む嫌な音までする。
 くそ、痛ぇ。骨が折れるだろ馬鹿。口を塞がれてるため声には出せなかったが、視線だけでわからせようとマスルールを睨みつける。…と、必然的に今まで見ようとしていなかったマスルールと目が合った。

「……っ…」

 瞬間、背筋にぞくりとした何かが走るのを感じる。
 普段は感情など毛ほども読み取れないマスルールの朱とも金ともつかない瞳は、今はギラギラとした光を放っていた。瞳の奥でゆらりと情欲の焔がゆれる。これは、捕食者の、獣の眼だ。

 こんなマスルール、知らない。

 見たことのないマスルールの瞳に思わず見入ってしまう。目を離したいのに、離せない。そんな感じだ。
 しばらくその瞳に見惚れていると、ようやく気が済んだのか唇と拘束されていた腕を開放された。一気に肺に入ってきた酸素に思わず噎せかえる。盛大に咳き込みながらもマスルールを見ると、肩で息をしている俺とは違いけろりとしていた。ファナリスであるマスルールと俺とじゃ肺活量もなにもかも違うのだろうが、なんだかくやしい。これでは俺がたかだかディープキスで息が出来なくなる童貞の様ではないか。
 一応俺の名誉の為に言っておくが、俺は童貞じゃない。むしろそこそこ遊んでいる方だ。ま、王サマほどではないが。
 いや、今となってはそんなことは大した問題ではない。一番の問題は…マスルールが、俺にキスしたってことだ。

「てめぇ…どういう、つもりだ…」
「…まだわからないんすか」
「だから何を…っ……!?」

 言い返そうとした刹那、マスルールに耳元で囁かれた。

「俺が好きなのは、あんたッスよ。……先輩」

 マスルールの低い声が、耳に残って反響する。
 今、こいつは、何て言った?

「は…おま…何を…」
「理解出来ないなら何度でも言いますよ」
「………っ、」

 マスルールの目は、本気だ。
 今の言葉は嘘ではない。長い付き合いなんだ、嫌でもわかる。
 マスルールが好きなのは、俺。
 その事実に驚きを隠せない。だって、今までそんな素振り見せなかったのに。一体、いつから。
 ぐるぐると、とりとめのない考えが頭を巡る。でも、不思議とマスルールに好きと言われて嫌な気持ちにはならなかった。

「…逃げないんすか」

 ふいに、マスルールがそんなことを呟く。確かに、腕の拘束はなくなった。今の俺は、逃げようと思えばいつでも逃げ出せる状態である。
 何故、逃げないのか。
 そんなこと、自分でもよくわからなかった。

「わ…かんねぇ…」
「わからない?」
「俺、おまえに好きって言われて嫌だとは思わなかったし……なんか、どうしていいかわからねぇ…」

 どうすればいいのかわからない。これが俺の正直な気持ちだ。
 それを伝えると、僅かだがマスルールが戸惑うのが感じられた。気持ちを伝えたら俺が嫌悪し、逃げるとでも思っていたのだろうか。まあ、それが普通の反応だとは思うが。

「……先輩。ここままだと俺、何するかわからないッスよ」

 動こうとしない俺に、マスルールが不穏な言葉を口にする。
 気を使って逃げるように促しているのだろうか。そう思ってちらりとマスルールを見ると、それは違っていたようで、瞳はまたさっきのような光を放っていた。逃げないと確実に喰う、といった感じである。
 でも、それでも俺は逃げる気が起きなかった。

「……いいぜ」

 気がついたら、そう口にしていた。無意識のうちだった。自分でも何を言ってるんだ、と思う。しかし訂正する気にもならなかった。
 頭の中の理性的な、冷静な部分が危険信号を発しているのにも関わらずに、だ。
 一方マスルールはといえば、一瞬固まった後、訝しげに俺を見つめてきた。何を言っているんだこの人は、とでも言いたげに。

 なんだよ、お前が言い出したんじゃねぇか。
 訝しむ態度が気に入らなくて、そんな気持ちを込めてマスルールを見つめ返してやる。と、マスルールが獲物を狩る前の獣のようにすぅっと目を細めた。
 ああ、その表情かっこいいな…なんていつもは絶対に思わないことを考えてしまうくらい、その表情は様になっていて。思わず目を奪われていると、いつの間にか鼻の先が触れるくらいの距離にマスルールが顔を近づけてきていた。

「……後から文句言わないで下さいよ」

 ぼそりとマスルールが呟く。それと同時に、俺の返事も聞かずまた食らいつくようなキスをしてきた。
 これからどうなるのか、なんて容易く想像できる。でも今更逃げるなんてことはしないし…できない。きっと俺はキスをされたあの瞬間から、この獰猛な獣ような男に捕らえられてしまっていたのだ。



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