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  些細なことで崩れ落ちる


side S

 シャルルカンの1日は、剣の鍛練から始まる。
 それはシンドリアに来た頃からずっとずっと続けていたことだった。朝日が昇るとともに起き、誰よりも早く鍛練場に向かって朝食までひたすら稽古をし続ける。これをして初めてシャルルカンの1日が始まるのだ。
 朝の鍛練をしないと1日の調子がどうもよくない。この朝稽古はもはやシャルルカンの中で大事なジンクスとも言えるべきものとなっていた。
 マスルールとの関係が始まってからもそれは変わらず続けられている。

 そして、今日もそれは変わらない。
 今日も今日とて、シャルルカンはいつものように起きて身支度を整えてから鍛練場に向かっていた。

 いや、"いつものように"というのは少し語弊がある。シャルルカンは急いでいた。
 理由は簡単、寝坊をしたのだ。

 昨夜は例のようにマスルールといた為少し体がだるいが、そんなことは関係ない。自分は女である前に剣士だ。鍛練を欠かすわけにいかない。そう思ってシャルルカンは体に鞭を打って毎朝早くから起きていた。……のだが、最近疲れが溜まっていたらしい。今朝はいつもよりだいぶ遅い時間に起きてしまった。
 いつもなら一番に鍛練場に到着するところだが、今日は他に誰かいるかもしれない。今までずっと一番乗りだったのに。

 そんな妙なプライドからきた焦りが、シャルルカンの敏感さを鈍らせたのだろう。
 気づかなかったのだ。
 マスルールの部屋から慌てて出てくるシャルルカンを見ていた、1人の兵士の存在に。




 翌朝、またいつものように鍛練を終え、シャルルカンは朝食を食べるために食堂にやってきた。
 来たところまでは良かった。良かったのだ。

 いざ食べ始めるときになって気づいた。周りからの視線が、痛い。しかも誰から、という特定のものではない。食堂にいる兵士や女官、食客など不特定多数からのものだ。
 最初は自分の顔に何かついてるのかとか、変な格好をしているのかなどと思ったが、自分の身なりを確認する限りどうやらそれは違うらしい。

 じゃあ、何故だ。

 そう思ったときに頭に浮かんだのは、こんなに注目を浴びるほどの何かを自分がしてしまった可能性だった。
 しかしそう思ったものの、シャルルカンはその"何か"に関して思い当たる節がなかった。最近は外に出掛けて飲むことが少ないから、酔って何かをしたという可能性は(0ではないが)ないと思う。そうなるとそれ以外で、ということになるが…如何せん、そんな何かをした覚えはない。
 シャルルカンは食事中、ただただ頭にはてなマークを浮かべることしかできなかった。



「何なんだよ…」

 あっという間にお昼。
 いまだにシャルルカンは色んな人からの視線を浴び続けていた。
 正直、もう我慢ならない。
 シャルルカンは比較的近くにいた兵士数人を捕まえて問いかけた。

「あのよ、朝から何なんだよ。皆して人のことジロジロ見やがって…俺なんかした?」
「い、いえ…なにかしたっていうか…。…なぁ?」
「お、おう。その、シャルルカン様のことで噂が…」
「噂ぁ?」

 気まずそうな兵士たちの様子に思わず首を傾げる。噂、とはなんのことだろうか。まったくもって身に覚えがない。
 先にも述べたように、最近はへべれけに酔って何かをした記憶もないし、ヘマをやった記憶もない。
 それでは、他になにがあるのか。

 そこまで考えたところでシャルルカンは噂になりそうなひとつの心当たりにいきついた。

 でも、そんなまさか。
 紫獅塔は限られた人間しか入れないし、ばれることなんてなかなかないだろう。

 大丈夫だ、大丈夫。
 ばくばくと嫌な速さで音をたてる心臓に落ち着け、落ち着けと無理やり暗示をかける。


 だが、シャルルカンの思いに反して、真実は残酷なものだった。

「その…シャルルカン様と、マスルール様が…付き合ってらっしゃると、聞いたので」
「昨日の朝、マスルール様の部屋からシャルルカン様が出てくるところを見た奴がいまして…」
「あ、あの!シャルルカン様とマスルール様はお付き合いをしてらっしゃるのですか!?」

 ガラガラと、嘘でも幸せだったマスルールとの時間が崩れてゆく音がどこからか聞こえてくる。
 恐れていた事態が起きた。ばれないように気をつけていたつもりだったのに。こんなタイミングで噂になるなんて。

 別に、八人将同士で付き合うことが特別問題があるわけではない。むしろシンドバッドなら祝福してくれるだろう。それにマスルールもシャルルカンも優先順位が一番高いのは王であるシンドバッドだ。仕事に支障は出ない。

 問題なのは、この関係に気持ちが伴っていないことだ。

 今の状態がばれたら、八人将やシンドバッドに迷惑をかけてしまうことは安易に想像できる。
 どうしよう。シャルルカンはもうどうしたらいいのかわからなくなっていた。
いつもなら「朝まで飲んでいたんだ」などと簡単に嘘がつけるのに、何故か今はそれができない。
 頭のなかはぐちゃぐちゃで何も考えられないし、言葉を発しようとしても声帯が壊れたのかと疑いたくなるくらいに声が出ない。ガンガンと頭痛はするし、相変わらず心臓はばくばくとうるさい。

 シャルルカンは完全にパニック状態に陥っていた。

そんな時、

「違うぞ」

 後ろから聞こえてきたのは聞き覚えのありすぎる声。
 そしてできることなら、今は…聞きたくなかった、声。

 終わりへのカウントダウンが始まった。混乱しているはずなのに、シャルルカンはどこか冷静にそう感じた。

「マスルール様…!?」

 ざわり、とあたりが一気にざわめく。
 いつの間にか周りには噂を聞き付けた兵士や文官、女官が人だかりをつくっていた。
 中心にいるのは噂の中心人物であるシャルルカンと………もう一人、マスルールだ。

「恐れながら、違うとはどういうことでしょうか…?」
「そのままの意味だ。昨日は俺の部屋で遅くまで飲んでただけだ」

 マスルールの言葉に、あたりから「本当にそれだけなのか…?」という声が聞こえてくる。男と女が一晩同じ部屋にいたのだ、確かに疑いたくもなるだろう。

 しかしそんな声にもマスルールは動じない。
 何も言えないシャルルカンは、いつも以上に表情がないマスルールをただ茫然と見つめていた。

「じゃああの噂は…?」
「デマだ。俺たちは噂のような関係じゃない。………そうッスよね、先輩」

 突然話が振られ、全員の視線がシャルルカンに集まる。

 今、シャルルカンがマスルールの言ったことを肯定すればこの噂は自然に消えるだろう。だがそれは同時に、マスルールとシャルルカンの関係の終わりを意味する。

「…………」
「シャルルカン様?」

 訝しげな兵士の声にハッとして周りを見回すと、皆が皆シャルルカンの言葉を待っている様子だった。

 そうだ、言わなければ。
 ここで肯定しなければ後々面倒なことになるのだから。

 そう思うものの、喉はカラカラに渇いていて声がうまく出せない。

「…あ、たりまえだろ……誰が、こんな奴と…
付き合うかよ…」

 なんとか言葉を紡がなければ。
 そう思い必死になって絞り出した声は、ひどく掠れていた。


「………それは、お互い様っす」

 シャルルカンの言葉のすぐあとにマスルールがそう言って、すいっとシャルルカンの隣を横切って去っていく。

 その言葉と態度に、ズキン、と心が痛む。
 きっともう二度と、マスルールは俺のことを見てはくれないだろう。
 長い付き合いの中で学んだ、今後のマスルールの態度を想像して口から乾いた笑いがもれる。

 もう戻れないところまで壊れてしまった。
 所詮、そのくらいの脆い関係。



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