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  ずる賢い愛の得方


side M


 あれはいつものように飲みに行って、泥酔してしまった彼女を部屋に送り届けたときのことだった。

「なぁ、マスルール…俺最近ご無沙汰なんだよ。相手、してくんない?」

 彼女が、そんなことを言ってきたのだ。
 いつもの悪乗りか、と言われた時は軽く流していたマスルールは数秒後、己の唇に触れた柔らかいなにかに目を見開いた。即座に、目の前の人を突き放し、ありえないものを見るかのような目を向ける。
 さっき言ったことのような、口先だけの悪ふざけは幾度となく繰り返した。しかし、今のは"悪ふざけ"と一言では片付けられないものだったと思う。いくら悪乗りといえど、限度というものがある。相手は女で、自分は男だ。勿論、恋愛関係などない。かの王に仕える臣下同士、彼女の言葉を借りるならば先輩後輩である。
 どういうつもりだと問おうして口を開いたら、今度はさっきのような触れるだけのものとは違う深い口づけをされた。口内に広がる、酒の強い味に思わず顔をしかめる。

「なんだよ…そんな顔するなって。なぁ、シようぜ」

 今にも唇が触れそうな距離で彼女───シャルルカンは囁く。
 相当酔っているのだろう、いつもならばキラキラと輝いている翡翠の瞳は熱っぽく惚けており、頬は褐色なのにも関わらず、紅く染まっているのがわかる。薄く開いている唇はキスのせいで濡れていて、こういうのを色っぽいっていうんだろうな、とマスルールはぼんやりと思った。

 すると、じっと見つめるだけ見つめて返事を寄越さないマスルールが気に入らなかったのだろう、シャルルカンが首に歯をたててきた。

「……なにするんすか」
「んー?だってお前が何も言わねえから」
「呆れてたんです。酔っ払いは早く寝てください」

 はぁ、と溜め息をつきながらシャルルカンの肩に手を置き、密着している体を離す。
 だが、シャルルカンは懲りずにマスルールの首に腕を回してきた。そしてそのまま顔をマスルールの耳元に近づけて、囁く。

「なぁ…お願い…」

 口にされた言葉は震えていて、声は切羽詰まった、なんだか泣きそうなものだった。
 その声を聞いた瞬間、マスルールは自分の中の何かが切れるのを感じた。

 そこからはもう何がどうなったか詳しく覚えていない。マスルールはただ本能に従って動いた。
 覚えているのは彼女が見たこともない表情をし、聞いたことない声色でマスルールの名をずっと呼んでいたことぐらいである。それだけは何故か鮮明で、脳裏に焼きついて離れなかった。


 翌朝、マスルールの目に映ったシャルルカンはどこか青ざめていた。
 どうしようと焦っている、もしくは困惑している様子だ。そして、そんな彼女を見てマスルールは思った。
 ああ、この人は昨夜のことを、なかったことにしたいのだと。
 また同時に、気づいてしまったのならば自分は昨夜のことなどなかったかのように行動しなければならない、とも考えた。だからマスルールは彼女に対していつも通りに接するように努めたのだ。彼女が、シャルルカンが気負わないように。

 それなのに数日後、マスルールはまたシャルルカンに誘われることとなる。夜の相手をしてくれ、と。

 あんたは、あの夜をなかったことにしたいんじゃないのか。
 マスルールはシャルルカンが何故こんな行動に出たのか、全くもって理解できなかった。
 だが、マスルールはその誘いを断ることはしなかった。断る理由など、考えたらいくらでもある。さらに言えば、嫌だったら力でなんとでもできたはずだ。
 でもマスルールはそれをせずに誘いを受けたのである。そこでマスルールは気づいた。いや、気づいてしまった。

 ──俺は、この人のことを、

 しかし、そこから先をはっきりとした言葉にするのは躊躇われた。
 本能が抑制をかけているとでもいえばいいのだろうか。とにかく、言葉にはしない方が自分にとっていいと感じたのだ。どろりとした黒い何かが心の中で渦巻くのを、漠然と感じた。


 その日を境に、マスルールはシャルルカンに度々誘われるようになった。マスルールは一度として断らない。ただ求められるがままに行動した。それだけで、満たされた気分だった。

 しかし何回目かの情事のあと、マスルールは聞いてしまったのだ。
疲れたのだろう彼女が微睡み、眠りにつく直前に掠れた声で「すきだ」と呟くのを。
 呟く彼女の表情は、とても幸せそうな慈愛に満ちたもので。そこでマスルールは痛感した。自分は、彼女の誰かもわからない想い人の代わりなのだと。
 自分が彼女の想い人かもしれない、なんて都合のいいことは考えるまでもない。ここまで関係を続けたが、そんな態度とられた覚えはなかったし、大体、何年一緒にいると思っているのだ、そんなことはあり得ないとわかりきっている。ただ体の相性がいいだけ。ただそれだけのことなのだ。

 マスルールの心は以前感じた黒くどろどろとした感情でいっぱいになる。しかし、そんなどす黒いものと共に僅かな喜びも感じていた。
 彼女と自分の関係が続くということは、シャルルカンとその想い人はまだ結ばれていないということ。つまりこの関係が続く限り、彼女は自分のものなのだ。こすい考え方だったが、今はそれで良いと思えた。
 偽物だろうがなんだろうが関係なかった。彼女が誘ってこなくなるその時まで、自分は彼女を独占するまでだ。


 貴女が手に入るのならば、ずるくても構わない。



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