そのひとことが言えなくて



『越前くん』


と広瀬先輩は俺を呼ぶ。
広瀬先輩は他の人たちの事も同じように苗字で呼んでる……けど。
大勢の人と同じラインで満足出来なくて少しでも近づきたいと思う。
でもなかなかきっかけが掴めなくて、ただ時間だけが過ぎていく。


学園祭が終わったら
もうこうして会うことが出来ないかもしれないのに。


昼休み、大勢の人で賑わう食堂で彼女に声をかけられた。


「あ、越前くん。隣いいかな」
「いいっスよ」
「よかった!」

ほらまた……。
って思っても、この人は俺から言わない限り馴れ馴れしく下の名前だけで呼んだりなんかしないんだろうけど。

「学園祭もうすぐだよね。喫茶店上手くいくかな」
「あっ、あれから何かいい考え思い付いたんスか」
「うまくいくかわかんないけどね。後でのお楽しみ…かな」
「ふーん。頼りにしてるっスよ。先輩」

刻々と変わる表情は
見ていて飽きない。
何気ない会話が少しだけ楽しくて、嬉しい。
不思議な人。
周りの空気を柔和な物に変えてしまう力を持ってるんじゃないかって…思う。


「おーい!静ちゃーん!!」

この声は英二先輩。
声のする方を見ると、食器が乗ったトレイを片手にこちらというか明らかに広瀬先輩だけに手を振って軽やかな足取りでこちらにやって来た。

「あ、菊丸先輩」
「俺も一緒していい?」
「私はいいですよ」

と先輩が言って、俺の顔を見るので仕方なく「いいっスよ」とだけ答えた。

……いいわけがない。英二先輩…絶対俺の存在忘れてる。
それにその"静ちゃん"って何なの?


「ねぇ、ねぇ静ちゃん」
「はい菊丸先輩。何でしょう?」
「前から言おうと思ってたんだけどさー。その菊丸先輩っての止めない?」
「えっ?それはどういう…」
「だーかーら俺のこ……痛ってぇぇ!!何すんだよぉ!オチビ〜!!」
「すんません……。ちょっと足が当たったんス。お先に」

……思わず英二先輩の足を蹴ってしまった。
だってその先なんて聞きたくない。
俺はさっさと食器を纏めて片付けると席を立った。
二人共俺に何か言ってたみたいだけど後ろは振り返らなかった。
………振り返れなかった。

なんで…。
あんなに簡単に言葉に出来るわけ……。
言葉に出来ない俺がおかしいワケ?



その日の夕方。
空はもうオレンジ色。
また一日が過ぎた。
学園祭まであともう少し。


「静ちゃーん。一緒に帰らない?」

俺の後でそんな声が聞こえた。振り返ると…広場の噴水の所で英二先輩が広瀬先輩に笑いながら話し掛けていた。広瀬先輩も笑って………。


笑って………。



先回りばかりする英二先輩に苛立ちながらも、簡単に言葉に出せる先輩が少し羨ましかった。


「帰ろ……」

溜息が出た。
上手く立ち回る事が出来ない自分が正直、情けなかった。

「越前くーーん!!」
「……先輩?」

隣にいるはずと思っていた英二先輩は何故かいなかった。

「お昼、あんまり食べてなかったでしょ。ちょっと気になっちゃって…。体調崩したんじゃない?大丈夫?」
「大丈夫……っスよ?」
「ならよかった。全国大会近いんだから体調だけは気をつけてね」

安心したように笑う先輩が眩しくて。
それを見ているだけで…
心の中のモヤモヤしたものが洗われるような気さえした。
独りで拗ねていたこともバカバカしく思えた。

「先輩は……英二先輩と帰るんでしょ。早く行った方がいいんじゃない?あの人待たせるとうるさいっスよ」

本当は二人でなんて帰って欲しくないけど。
今日は俺の負け、だから。

「ん?私?今から一人で帰るけど…」

えっ…だって…
さっき……。
まさか俺にそれを言う為だけに……っていうのは考え過ぎか。
まぁ、いいか。
じゃ今がチャンスってヤツ?

「ふーん…最近物騒だよね」
「え?う、うん。そうだね」
「痴漢が出るって噂、聞いたけど」
「そ、そうなの?」

ゴメン……嘘。

「女の独り歩きって危ないよね」
「う…危ないかも…」
「………お、送ってくれる?」
「ん…いいけど」
「あ、ありがとう!」

こんな狡い言い方しか出来ないけど…
これが精一杯だから…
許してよね。

帰り道。
先輩と歩く帰り道はびっくりするほど短くて。
駅はもうすぐそこ。もうすぐで別れなきゃならない。
此処で今言わないと多分…
もう言えない、言い出せない。
小さく深呼吸をして、
今までなかなか言えなかった
言葉を口にする。
飽くまで普通に。
自然に。
当たり前のように。


「そういえば、先輩」
「何?越前くん」
「俺の下の名前、知ってるっスよね」
「うん。『リョーマ』くんでしょ。もちろん知ってるよ」
「なんだ。そう呼ばないから知らないのかと思ってた」
「え?でも…」
「リョーマでいいっスよ。その方が呼びやすいでしょ」
「えええ!?」
「驚く事でもないと思うけど…」


嫌……かな。
あ、それとあともう一言。
先輩の答えを待たずにその先を続ける。


「あ、あと俺もこれから先輩のこと、名前で呼ぶからね」

一言告げてしまえば、次の言葉があっさり口に出来て自分でも驚いた。

「え、あ…うん!」

その顔が少しだけ赤かったのは気のせい?
そんな反応されると期待…しちゃうんだけど。



暫くの間、俺の事をぎこちなく下の名前で呼ぶ先輩が……柄になく可愛いと思ったのは内緒のハナシ。



fin



2006/04/23













人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -