03.ハボタン



魔導器。このテルカ・リュミレースにおいて人類が築き上げてきた文明の象徴であるそれは、私たちの生活に欠かせないものだった。魔導器がなければ、非力なヒトは魔物に怯え夜も眠れない日々を過ごすことになるのだろう。強欲で浅ましいヒトが日常の一部であった当たり前の道具を手放すことなど出来はしない。しかし崩壊の日は突然訪れた。夜空に幾億もの流れ星が弾けたあの日、世界から魔導器は失われたのだ。
 世界中が混乱に陥ると思われていたが、意外にもその予想は外れることになる。魔導器が失くなった頃と時を同じくして、帝国とギルドが正式に手を取り合った。そして対立していた二つの機関はそれぞれ属する人々へ誠意ある対応を続け、さらにどこかの魔導士様が魔導器に代わる新たな動力源を発見したこともあり、人々の混乱と怒りが静まるのにそう時間はかからなかった。もちろん何もかもが以前のままというわけにはいかず、特に結界が消えたことに対する不安は今も残り続けている。なんとか簡易結界の改良版を駆使しながら毎日を過ごしているが民衆の奥底で燻る不満は何かの拍子で爆発しかねず、これからも暫く世界の緊張状態は続いていくのだろう。
 それでも人はそう簡単には死なない。死なないのならば、生きるしかないのだ。今日を、明日を、嫌でも懸命に。


 新しい動力源の恩恵を受けた街の一つに、此処、カプワ・トリムがある。帝国やギルドが生活水準を維持するためにまず必要だと目を向けたのは街同士の連携、そして物資の輸送だった。しかし駆動魔導器が無くなり船が使えないとなれば大陸間の移動すらままならない。そこで帝国はお抱えの魔導士たちにまず真っ先に新しい動力源で船を動かせるようにさせたのだ。詳しい仕組みは専門外なので把握していないが結果的にその取り組みは成功し、船が重要な役割を担ったことで元々港町であったカプワ・トリムとカプワ・ノールは大きな賑わいを見せることとなった。

「本日のお仕事も終了、っと」

 あの夜の出来事などすっかり忘れかけていたこの日、荷物を受取人に渡して一仕事を終えた私は陽気な空気で溢れるトリム港を一人歩いていた。今回の依頼は比較的簡単なもので、そこまで疲れが溜まっている感覚はない。であれば、せっかくトリム港に来ているのだし買い物でもして帰ろうかと街中を散策する。
 元来トリム港は幸福の市場の本部が設置されていることもあり商売の街という色合いが強く明るい場所であるが、先の要因からもこんな時代だからこそ一旗上げてやろうと奮起してやって来た人で溢れていた。その逞しさが眩しくもあり、でも私はそこまではなれないな、とも思う。誰かの生き方を真似るなんてことをするつもりはないからそれでいいのだけれど。

 街の空気に当てられ軽い足取りで様々な店を巡っていたのだが、ふいに視界に入った光景に一瞬で気分が悪くなった。そこにいたのは、光沢だけはある鎧に身を包んだ男と私よりも少し幼いであろう少女だ。

「ね、隣で座っててくれるだけでいいんだよ」
「……でも、」
「安心してよ、無理にお酒飲ませたりとかしないからさ」

 大方、今夜の酌の相手でも探しているのだろう。それにしたって明らかに少女は拒絶の色を見せているのに、引き下がろうとしないどころかさらに強引に迫る男に不快感が募る。周りの通行人も男の横暴な振る舞いに気づいてはいるが、誰も止めようとはしなかった。止められないのだ、何故なら彼は。

「そんなヘッタクソなナンパしか出来ないなんて、その無駄に立派な鎧が泣いてますよ。騎士サマ」

 男と少女の間に割り込めば、男は何事かと表情を思いきり歪めた。そう、この男は帝国騎士団の一員なのだ。身に纏う鎧は軽装で、大したクラスの奴ではないことが窺えるが末端の人間でも騎士は騎士だ。自分の力ではない地位に胡座をかいて、権力を碌でもないことに使って、本当に反吐が出る。

「なんだ貴様は?帝国騎士団に向かってそんな口の利き方をするとは」
「だって、嫌がってる子を無理矢理誘うような恥ずかしい大人に気を遣う必要ないですよね?」
「なっ……、黙って聞いてれば!魔導器がない今、一般市民が平和に暮らせているのは誰のおかげだと思って……っ!?」

 騎士が怒りを爆発させる瞬間、足を振り上げて急所に蹴りを入れてやった。

「残念でした。私、どこにも属してないはみ出し者なので一般市民ですらないんです」

 声にならない叫びとは正にこのことで、軽装だった彼は強烈な痛みに耐えきれず言葉を失っている。そうは言ってもある程度手加減はしたので、大きな怪我にはならないし暫くすれば激痛も引くだろう。騎士は全身を駆け巡る辛さに必死に抵抗しながらも、わなわなと怒りに震えて私を指差した。おお、その状態でまだやり合おうとするのだから意外と根性あるのかもしれないな、なんて。

「こんな暴力は見過ごせん!貴様を公務執行妨害で即刻逮捕する!」
「何が公務なのかさっぱりわからないんですけど、やれるもんならどうぞ」
「この……!!」
「まあまあ二人とも、ちょっと落ち着きなさいな」

 一触即発。そんな空気をゆるい声で断ち切り私の肩に手を置いたのは、それなりに見知った男だった。

「レイヴン……!」
「そっちの騎士のお兄さんもそのくらいにしておいたほうがいいんでない?ほら、この子カノリちゃんっていうんだけど極度の騎士嫌いで有名だからさ、これ以上派手に喧嘩してたら大事になるし、そうなるとおっさんもフレンちゃんに報告しなくちゃいけないわけよ」

 レイヴンの一言で自分たちの置かれる状況を思い出し周りを見渡してみれば、いつからか私たちのやりとりを興味津々で見ているギャラリーが増えていた。確かにこちらとしてもこんなくだらないことで有名になるのはごめんだし、引き際は今だろう。どうやらそう結論を出したのは騎士も同じだったようで、騎士は『あの』レイヴンの登場に加え「フレン」の名を聞いた瞬間にわかりやすく狼狽え、慌ただしく去っていった。全くもって最後まで格好がつかない男だ。
 面白い舞台が終わってしまったとでも言うかのように、人々は散っていきトリム港に日常が戻ってくる。人間が自分に害が及ばない範囲での非日常を求めるのは昔から変わらない。そんな現実に少しだけ溜息を吐きつつ、やっと落ち着いたところで振り返り少女と向き合った。

「何か変なことされなかったですか?」

 よく見れば、作り物の人形と見間違えるほどの綺麗な少女だった。丸い瞳に小さい鼻、形の整った唇と線の細い輪郭。その全てが芸術品のようだが、瞳に宿す光はどこか濁っているようにも感じられる。その違和感の正体は、そう難しいものでもなかった。

「大丈夫です。……こういうの、慣れているので」

 そう呟いた少女の声に感情は宿っておらず、本当に人形のようだ。けれど、私は彼女の握り締める拳が僅かに震えていることに気づいていた。きっと少女の言うように、『こういうの』はその類稀な容姿のためにたくさんあるのだろう。それでもまだ大人になりきれていない少女が見ず知らずの人間に強引に言い寄られて、恐怖を抱かないはずがないのだ。ヒトは理不尽なことに囲まれ息苦しくなった時、弱った心を守るようにこんなのは慣れっこだと思うようになるのを私は知っている。だからこそ。

「辛いことに慣れるのは、強さじゃないですよ」

 少女の瞳が小さく揺れる。決してその心を守る殻を壊したいわけではなかった。ヒトの生き方はヒトの数だけあって、彼女は私ではないのだからこれ以上踏み込むことはできない。それでも何かを感じ取ったのだろうか、少女はピクリとも動かなかった口角を少しだけ上げて「ありがとう」と呟いた。その笑みがあまりにも可憐で、やっぱり綺麗な子だと思った。
 少女の背中を見送りながら、隣に並ぶ男がこちらを見ていることに気づく。何なんだと見上げれば、レイヴンは先程の少女のそれとは違いニコニコと満面の笑みを浮かべていた。

「……何ですか」
「いやあ、カノリちゃんはまるで正義の騎士様みたいだなって……」
「殴りますよ!」
「怖っ!」

 条件反射でそう声を荒げれば、レイヴンは大袈裟に後ずさりをして怯えるような姿を見せる。お互い冗談だとわかってはいるが、それにしたって酷い嫌味だ。小さな腹いせに彼の「カノリちゃんまで魔導少女みたいなことを〜」という謎の嘆きは無視してやった。

「で、レイヴンはどうして此処に?」
「そうねぇ、おっさん、ああいうナンパに失敗してる若造の騎士を見ると他人事とは思えないというかなんというか……」
「いやそうじゃなくて、私に何か用ですか?」

 ああ、そっち?と言わんばかりのとぼけた表情をするものだから、今度は私が大袈裟に息を吐く。いつもいつも、この男のペースは独特である。
 紫の羽織にボサボサ髪と無精髭の男、レイヴン。このいかにも胡散臭い彼は、こう見えてもユニオンの中心、天を射る矢の幹部である。現在のユニオンは亡きドン・ホワイトホースの孫であるハリーが表立って率いてはいるが、彼はまだ経験も浅く、実質のところドンの右腕であったレイヴンと戦士の殿堂の新統領ナッツが構成員たちを取り纏めているといっても過言ではないだろう。……もっとも、レイヴンがこの世界に大きな影響を与える人物である理由はもう一つあるのだが、それは私には関係のないことだ。
 そんなレイヴンと私の関係は至極単純で、何度か仕事をしたことがありその繋がりでたまに飲みに行く程度の間柄、というだけ。するとレイヴンは「ほい」と私に何かを差し出した。

「お仕事、また頼まれてもらえるかな」

 彼から受け取った荷物は薄くとても軽い。その封筒の形からしても、どうやら中身は書類のようだ。ちょうど前の依頼も完了したところだし、このタイミングで舞い込んだ仕事を断る理由などない。私は笑顔で大きく頷いた、のだが。

「了解です。受取人は誰ですか?」
「帝国騎士団団長、フレン・シーフォ」

 ピシリ。身体のどこからかそんな音がして、作ったはずの笑顔が凍りついた。

「…………は?」
「おっさんもこの前フレンちゃんから聞いてびっくりしたわよ、まさか二人が知り合いだったなんて」
「知り合いじゃないです!あれはたまたま、知らずに助けたのがあの人だったってだけで……!」
「へぇ〜〜、助けちゃったんだ?」
「っ」

 しまった、今のは墓穴。自分でそう気付いた時には既に遅く、レイヴンはまた愉快そうに笑う。「カノリちゃんってなんだかんだ困ってる人を放っておけないタイプよね」なんて一人納得しているが、完全に大きなお世話である。勢い余って要らぬことを言ってしまった自分が恥ずかしくて思わず顔を背けてみたけれど、虫の居所は悪いままだ。
 忘れかけていた、忘れようと必死だったあの夜が一気に蘇ってきて、改めて自分が犯した失態に身震いをした。大きな手、爽やかな笑顔、柔らかい声、真っ直ぐな瞳。何もかもが未だに脳裏に焼き付いて離れない。あれがフレン・シーフォ。低俗で横暴で大嫌いな騎士団の頂点。

「まあカノリちゃんにとっても悪い話じゃないと思うよ。あくまで依頼元はユニオンでフレンは受け取るだけだから騎士団と直接取引するわけじゃないし、何よりユニオンの依頼はそれなりに報酬が出るからね」

 レイヴンの最後の言葉を聞き逃す私ではないが、だからといって無駄に騎士団と関わり合いたくないのも事実だ。さて、どうしたものかと無意識に唇を噛んで考える。自分の感情のみに従うのなら、あの騎士団長さんにはもう会いたくない。けれどユニオンにすら所属していない個人ギルドの私にとって彼らのような巨大組織の依頼は貴重だし、それによって自らに箔を付けておくことは今後の仕事のペースにも影響してくるだろう。そして何よりも、私が依頼を受けるかどうかの一番の判断基準は報酬額だと決めている。そこに善悪などないのだとすれば、当然、自分の感情も必要以上に挟むつもりはない。

「……お代、うんと弾みますからね」
「はいはい、っと。あ、別に中身見てもいいからね」
「見ないですよ。私のポリシーに反しますから」
「そういうとこ、意外と真面目だねえ」
「私はいつだって真面目です!」

 結局のところ、レイヴンは最初から私の答えをわかっていたのだろう。こんなところで大人の余裕を見せつけてくる彼が少しだけ憎たらしくて、小さく睨んでみたが効果は全くなかった。
 これで次の目的地は決まった。トリム港から海を渡りノール港へ行き、そこからさらに南へと下り帝都ザーフィアスへ向かう。あんなにも会いたくないと思っていたあの人との二度目の邂逅はこうもあっさりと定められてしまい、いくら仕事だと覚悟を決めてもあの輝く金色を思い出すだけで気分は重くなっていくのだった。




ハボタン:利益、物事に動じない


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