02.アキノキリンソウ



走って、走って、どれくらいの間走り続けただろうか。いつのまにか前方から賑やかな空気と街の明るさが流れてきた。月が眩い深夜にも関わらず人々が眠らず酒をあおっているのはギルドの街特有のものだ。どうやら私たちはダングレストのほうまで来てしまっていたらしい。
 足を止めることなくひたすら走っていたため、そろそろ私も、そして私の手を引く目の前の男も、息切れを抑えられなくなってきた。それでも彼は立ち止まろうとはしない。もう限界だと堪らなくなって、私は自分をの腕を掴む手を思いっきり引っ張り返す。

「あ、あの!」
「……」
「ダングレストなら、私の家があります!そこなら、身を隠せますから……!」

 そこでようやく彼の足がピタリと止まった。どうやらこちらの言い分を聞いてくれるようだ。とにかくまずは落ち着ける場所でこの不可解な状況を整理したい。酸素不足で上手く回らない頭のまま、今度は私が彼を家まで走らせることにした。


  



 私の家はダングレストの外れにある。酒場が沢山ある街の中心部からは少し離れているため夜は比較的静かで、且つ幸福の市場が運営する道具屋が近いためそれなりに治安が良く、なかなか住みやすい立地だと思う。とはいえ自身の仕事の内容上留守にしていることも多く、あまり生活感のある部屋ではないけれど。
 二人で雪崩れ込むように家の中に入り、勢いよくドアを閉める。フラフラする身体を引きずって、とりあえず電気をつけた。さすがに疲れたのか、もうお互いに肩で大きく息をする姿を隠そうとはしない。


「すまなかったよ、急に無理矢理連れ出して」

 初めて声を聞いた。想像していたよりもずっと柔らかくて、あたたかい声だった。
 ゆっくりと、彼が顔を隠していたフードに手を掛けた。露わになったのはやはり先程見た騎士団長、フレン・シーフォのそれだった。光に照らされると彼の金色の髪がさらにキラキラと輝く。それがあまりにも眩しすぎて、どうか夢であってほしいという願いも呆気なく消し飛ばされていった。

「……別に。あそこで名前を呼ばれて素性がバレるのが嫌だったんですよね?」
「まあそんなところかな。えっと、君は……」
「カノリです」
「カノリ、だね。僕はフレ」
「フレン・シーフォ。帝国騎士団の団長様。当然知ってます。……とりあえずこっち座ってください」

 私の言葉を聞いて、彼は少しだけ照れたような表情を見せる。いや、私でなくとも皆知っていることだ。何故そこで気恥ずかしそうにする?
 だんだんと冷静になってみれば、騎士団長を自分の家に招き入れるだなんて一番やってはいけないことだったのではないだろうか。これでは自ら火の海へ飛び込むようなものだ。間違いなく人生最大の失態である。自己嫌悪と、後悔と、背中に迸るむず痒さでまた頭を抱えてしまいそうになった。本当に今日の私はついていない。
 それでも此処でひとまず身を隠せと提案したのはこちらだ。今さらやっぱり嫌です帰ってください、とは口が裂けても言えないだろう。仕方ない、今日だけの辛抱だと腹を括って彼をリビングのテーブルへと案内した。普段からそんなに沢山のものを買い込んでいるわけではないが、とりあえず客人用のフレーバーティーを出す。良い匂いだね、と微笑む彼に内心溜息を吐きながら真向かいに座れば、彼がまたニッコリと笑うものだから自分の家なのに居心地が悪くなった。

「それで、どうして騎士団長さんともあろう人があんな場所に?」
「近々騎士団とユニオンが共同で、あの辺りの闇ギルドを一掃しようという話になっていてね、その偵察に潜り込んでいたんだ。……まあ、君には最初からバレていたみたいだけど」
「それはお互い様です」
「え?」
「だって、私が闇ギルドの人間じゃないって確信してなかったら今の話はできません」
「……そうだね。だから僕も、どうしてカノリがあそこにいたのか考えてた」

 僅かに鋭くなる表情に、少しだけ身構える。なるほど、流石は騎士団のトップとでもいうべきか、やはり相応の観察眼は持っているようだ。少なくとも今まで見てきたその辺にいる騎士の端くれとは訳が違う。まあ、それも私には関係ないことだけれど。

「私は仕事です」
「仕事?」
「ギルドの運び屋をしているんです。依頼されれば手紙だろうが工事の木材だろうが何だって世界中へ運びます」
「それは凄いね……!僕も一度お願いしてみたいよ」

 騎士団長さんから後光が差していそうな爽やかな笑顔を向けられ、異様に身体中がむず痒くなる。それでも、なんとなく、世の中のフレン団長ファンクラブの人たちはこの笑顔に弱いのかと納得した。
 確かに改めて見れば見るほどに端正な顔をしていると思う。それでいてパッと見は物腰の柔らかそうな雰囲気を出しているし、いかにも絵本に出てきそうな王子様、といった様子だ。そりゃあ世の中の女性が放っておくはずがないだろう。もちろん全て見た目の話であり、彼の中身なんて私は知らないし知りたくもないからそれ以上の感情はない。

「……でも、つまり君は闇ギルドと取引をしているということかい?」
「まあそうなりますね」
「どうしてそんなことを?」
「どうして、って……お金になるからです。他に理由なんてないですよ」
「それが良くないことだとわかっていても?」
「あ、そこは大丈夫です。私はユニオンには所属していないので」
「いやそういう意味じゃないんだけど……」

 困ったように眉を下げる彼の表情の意味がわからなくて、とりあえず手をつけていなかったフレーバーティーを一口飲んだ。あんなに熱々だったそれはもう既に冷めてしまっていて、なんだか嫌に甘い。

「闇ギルドは帝国の法はもちろん、ユニオン条約を犯した犯罪者の集まりだ。それ以上は関わらないほうがいい」

 とても真面目な声色が、真っ直ぐ私にそう伝えてくる。
 まさか目の前の騎士団長さんは、法とか常識とか倫理とか、そういった価値観で何の関係もない私を縛ろうとしているのだろうか。冗談じゃない。そんなもので出会ったばかりの人間に説教するくらいなら、まずは自分の部下たちを何とかしたらどうなんだ。
 出会ってしまったこと自体に対する苛立ちを何とか抑えようと努めていたけれど、だんだんとそれも制御できなくなってくる。やっぱり、そもそもこの男を助けてしまったのが間違いだったのだ。恨むなら自分のお節介を恨めということだろう。

「……とにかく、今日はうちで休んでもらって構わないので明日には貴方と私は無関係です。私も闇市場で騎士団長さんに会ったことは誰にも言わないし、騎士団長さんも私のことは綺麗さっぱり忘れる。それでいいですよね?」

 もうこれ以上話すことなんてないと立ち上がって、空になったティーカップたちをシンクに置く。ああ、なんだか今日はもう酷く疲れた。彼に背を向けたまま大きく溜息を吐いて、それから。

「カノリ」

 また、あの柔らかい声。

「出会った時から思っていたんだけど、その……僕は君に何か怒らせるようなことをしてしまったかな」

 そう心細げに問いかけてくる姿も、眩く揺れる金色も、今の私にとっては不必要なものでしかない。きっと、この人はこうやって他人の懐に入ろうとするのだ。さすがは騎士団長様、演技がお上手で。
 気持ちとは裏腹に口角が上がる。上手く笑えているとは思わないが、それでもよかった。振り返って、その勿忘草のような水色の瞳を睨みつけながら口を開く。

「私、この世で一番騎士って存在が嫌いなんです」

 綺麗な綺麗な水色が大きく見開かれた。喉を詰まらせた様子すらも何だか様になっていて、そういうところも、全部全部きらい。騎士なんて皆だいきらいだ。その騎士達の頂点に君臨する男は、尚更。

「私は自分の部屋で寝るので、そこのソファは好きに使ってもらって大丈夫です。他に何かいるものがあったら適当に探してください。……じゃあ、おやすみなさい」

 騎士団長さんの「おやすみ」という戸惑った声を聞く前にバタンと扉を閉めて廊下に出た。これ以上あの人と同じ空間にいると息が詰まるのは私のほうだ。酸素が足りなくなって、溺れてしまう。早く眠って何もかもなかったことにしてしまおうと寝室に戻りベッドの中へと飛び込んだけれど、どろどろの感情が身体を支配しているせいで結局寝つきはすこぶる悪いままだった。



 次の日の朝、重い身体を引きずってリビングへ入ると既に騎士団長さんの姿は何処にもなく、ただテーブルの上に置手紙が残されていた。

『カノリへ
 昨日は助けてくれてありがとう。
 お礼はまた後日、改めて。
 フレン・シーフォ』

「……もう二度と、会いたくないです!」

 たった一度会っただけなのに強烈に脳裏に残って離れない男の笑顔を掻き消すように、手紙をくしゃくしゃに丸めてゴミ箱に投げ捨てる。それで全部終わり。もう会うことなんて絶対にないと信じて、昨日の出来事を洗い流すようにシャワーを浴びた。



アキノキリンソウ:用心、警戒


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