01.ハーデンベルギア



生きるために働く。報酬を貰うために仕事をする。依頼人の信用を得るためならそれなりに真面目に任務を遂行するし、ちょっとぐらいの無茶ならする。
 中には取引する相手は選べ、と言う人間もいるだろう。しかしそれはその人の価値観であり、私の価値観ではない。私にも依頼を受けるか否かを決める権利はあるが、その判断基準は善悪ではないのだ。ただ高額な報酬を貰えるか、貰えないか。至極単純である。
 お金があれば全てが解決するとは言わないけれど、少なくともお金があれば誰かに頼らずとも一人で生きていける。
 それが、私の生き方だ。



「荷物は確かに受け取った。これが今回の報酬だ」
「いつもご贔屓にありがとうございます」

 運んできた荷物と引き換えに目の前に差し出された布袋を受け取り小さく振れば、チャリンと硬貨が良い音を鳴らす。渡してきた男は、この場を仕切るボスといったところか。
 闇市場。元々ダングレストの傍にあった犯罪者の巣窟は、ドン・ホワイトホースが死に、アレクセイ・ディノイアが死に、世界中から魔導器が消え、ギルドと帝国が歩みを揃え始めたあの激動の時代と共に姿を消したはずだった。しかし人間はそう簡単には変わらない。騎士団と手を組むユニオン総本部があるダングレストからは少し離れた地に、いつのまにか此処は復活していた。別に彼らの根城がどこに移ろうと構わないが、あえて泳がせていたドン・ホワイトホースとは違い、未だにこんなところを野放しにしているのだからギルドの中枢もまだまだ新たな時代の幕開けに混乱しているのかもしれない。

「じゃあ、私はこれで。またのご依頼をお待ちしてます」

 去り際にペコリとお辞儀を一つ。もちろんとびっきりの営業スマイルも忘れない。
 以前より規模が小さくなったとしても、相変わらず暗くて淀んだ空気が漂う場所だと思う。それも私にとっては関係ないことだが、だからといって特別居心地が良いというわけでもない。仕事は終わったのだからさっさと帰ろうと、市場の出口へ向かって足を早めた。

「お姉さん、今イイもの売ってるんだよ。よかったら見ていかないかい?」
「……うーん、今は困ってないのでまたの機会に」

 声を掛けてきた商人の前に並べられているものをチラリと見れば、おそらく一般の市場では流通していない類の武器が並べられている。武器だけではない、辺りでは公には取引できない薬物や新種の魔導器を騙る石など、様々なものが取引されていた。しかし必要以上に彼らと関わり合う気はこれっぽっちも無い。もっとも目の前の彼が仕事をくれるというなら話は別だが、残念ながらそういうわけでもないだろうし、であればさっさと退散するに限るだろう。私はニコリと笑いながらもやんわりと断り、また嫌な匂いのする人々の間をすり抜けるように歩いた。

「……」

 一人の男とすれ違った。鶯色のフードを深く被っており、顔はよく見えない。といっても、この市場の特性上、身元が割れないように顔を隠している者はたくさんいるためその姿自体は自然である。ただ、こういったところに何度か出入りしていると闇に染まった人間とそうでない人間の纏う空気の違いがわかるようになってしまい、つまるところ、今の男は此処に慣れていない新入りだ。

(どうでもいい、んだけど……)

 彼が市場にいる経緯は知らないしどうでもいいし、なにより闇ギルドに所属しているわけではない自分も同じようにこの場所を知っているのだから人のことは言えないだろう。それぞれにそれぞれの人生があって、たまたま、すれ違っただけ。互いの人生が交わることはなく、それで終わればいい。……はずなのだけれど。
 なんとなく、溜息を吐いた。仕方ないと小さく呟いて、私は足を止めて振り返る。

「あの」

 そのまま向かったのは、先ほどのフードの彼……の奥にいた違う小太りの男。その腕を掴み上げれば、彼は驚いたようにこちらを見る。

「今この人から貴重品盗りましたよね?」
「……だっ、だったらなんだっていうんだ?こんなところで騎士ごっこでもしようってのか?」
「あはは、まさか。……でも、自分の知らないところでこういう狡い真似が横行するの、あの人は嫌がると思いますけど」

 あの人、が誰のことを指しているのかわかったのだろう、小太りの男はその言葉を聞いてわかりやすく狼狽えた。
 此処を取り仕切る闇ギルドの長であり私の依頼人の一人でもあるボスは、こういう小物が低俗なやり方で利益を得ることを好まない。詐欺でもぼったくりでも何でも構わないが、やるなら派手に、堂々と、が性分らしい。まあ、だからといってやっていることが許されるわけではないが、力のある者はその存在だけである程度の抑止力になる。

「チッ、ついてねえな!」

 やがて男は悪態をつきながら盗んだ貴重品袋を放り投げて走り去っていった。袋を掴んだところ、それなりの重さがあるので中身は無事のようだ。
 想像していた以上のお節介になってしまったことを少しだけ後悔しながら、黙って私たちの様子を見つめていたフードの男と向かい合う。取り返したものを差し出せば、彼はゆっくりとした動きで受け取った。


「大丈夫ですか?」
「……」
「まあ何でもいいですけど、お兄さんもこういう場所ではあんまりのんびりしないほうが……」


 ────息が止まった。
 わざとではなかった。ただなんとなく、下からフードに隠された顔を覗き込んでしまったのだ。永遠にも思えた一瞬の沈黙。バチリと目が合えば、頭はさらに真っ白になる。


 闇の中で尚輝く向日葵のような金色の髪、世界の全てを映し出す勿忘草のような水色の瞳。あの激動の時代を経て史上最年少で帝国騎士団団長を務め、このテルカ・リュミレースでその名を知らない者はいない。
 そう、この人は。


「貴方、フレン・シー……んんっ!」

 大きな手で思いっきり口を塞がれる。突然のことに拒むことも忘れた私はそのまま彼のもう片方の手に腕を掴まれ、その背中を追うような形で走らされた。何処へ向かっているのかもわからず、抵抗しようにも力が強すぎて手を振り払えない。

 どうして騎士団長がこんな場所に、とか、どうして助けてしまったんだろう、とか。
 思うことはたくさんあったけれど、混乱したままの頭ではそんなことは考えられなくて、ただ私は共に走り続ける姿に後悔し続けるばかりだった。



 帝国騎士団団長、フレン・シーフォ。
 ────世界で一番大嫌いな人との出逢いは悪夢か、それとも。



ハーデンベルギア:運命的な出逢い、幸せが舞い込む


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