04.スカビオサ



帝都ザーフィアスは、帝国の権力の象徴であった。世界中でも類を見ない巨大な結界魔導器で人々は守られ、日々の生活を営む。しかしその実態はそこまで綺麗で美しいものでもなく、どの街よりも階級によっての区分けが厳しいのが事実だった。平民に属する一般市民は貴族街に入ることは許されず、またそれよりも下の階級の者は市民街の市場での買い物すらやっとの思いで行うものだという。そして何よりも、貴族や貴族に媚びを売る騎士たちが堂々と非道な振る舞いを蔓延らせる街。何が帝都なものか、何度訪れても此処は好きになれない。
 とはいえ帝都を包み込んでいた結界魔導器は既に星となった。あの時からさほど時間は経っていないが、多少なりとも街に変化はあったのだろうか。そんな僅かな期待を抱いて久しぶりに帝都に足を踏み入れたが、期待は所詮期待で終わり、私は今も変わらずヘラヘラと市民を見下す貴族の脇をすり抜けて目的の場所に向かったのだ。


「だから、城の中に入れてください」
「入城許可証を提示が必要だと言っているだろう」
「そんなもの持ってるように見えます?」
「許可証が無ければ認められん」
「ほんっと頭の固い……。じゃあ騎士団長さんを呼んできてくださいよ。渡すものがあるんです」
「それは出来ん。荷物なら私が預かっておく」
「ダメです、直接手渡しするまで依頼完了にならないし」
「ならば諦めることだ」
「いや諦めたらこの書類どうすればいいんですか?一応レイヴンからのお届け物なんですけど」

 疲れたように溜息を吐けば、目の前の騎士も兜の下で同じように苛立ったのが感じられた。
 この面倒なやりとりは、既に何度も繰り返されたものである。先日レイヴンからの依頼を受け帝都にやって来た私は真っ直ぐに騎士団長さんがいるであろうザーフィアス城へと向かった。しかしその門前で門番の騎士に止められてしまったため彼に事情を説明したのだが、規則に忠実で偉ーい騎士様はこちらの言い分など聞いてはくれない。まあ突然やってきた個人ギルドの女など信用できないというのも一理あるので安易に彼を責め立てるわけにもいかず、如何にもこうにも出来なくなっている、というわけである。城に入ることも出来ない、目的の人物を呼んでもらうことも出来ない、しかしだからといって他人に荷物を預けるなど運び屋の名が廃るようなことは絶対にしたくないのだから、さてどうしたものだろう。
 こんなことなら依頼主であるレイヴンに許可証でも何でも借りておくべきだっただろうか。彼は当然このことを知っているのだから、今頃私が困っているのを想像してはまた愉快そうに笑っているのかもしれない、あの男はそういうところがある。そう考えては此処にいない依頼主に半ば八つ当たりにも近い感情を抱きそうになった時だった。

「もう何でもいいので、さっさと騎士団長さんを……」
「カノリ?」

 聞き覚えのある柔らかな声に、思わず背後を振り返る。
 ────出た、フレン・シーフォ。光り輝く金髪と透き通った水色の瞳の騎士団長。初めて出逢った時と変わらず、その姿は少し遠目からでも一目瞭然なほど眩しかった。闇ギルドの本拠地に潜入していた時と唯一違うのは服装だが、彼は何故か鎧を纏っておらず動きやすい軽装のようだ。額にジワリと滲んでいる汗を拭いながら、騎士団長さんは此方へと足を踏み出した。

「彼女は私の客人だ。悪いけど通してもらえるかな」
「フレン団長……!し、失礼しました」
「カノリも待たせてごめん。ちょっと騎士団の詰所のほうで新人たちの稽古に付き合っていて、城を留守にしてたんだ」
「……まあ、別に構いませんけど」

 本当に騎士団長が登場するとは思っていなかったのか、門番は慌てたように声を上ずらせており、乾いた笑みが溢れた。年齢は私と変わらないはずなのに、こういう姿を見ると嫌でも彼が本物の騎士団長だということを思い知らされる。

「それにしても、正直カノリがこんなに早くザーフィアスに来られるとは思わなかったよ。一人で魔物のいる場所を渡り歩いて危なくないのかい?」
「ご冗談を。私の仕事の腕と速さは幸福の市場のカウフマンお墨付きですよ」

 世界中を歩き回る職業柄、人並みには魔物を討伐することだって出来るし、荷物を狙う盗賊を撃退する程度の戦闘力もある。そもそも危険なんて考えていたら運び屋なんて務まらないだろう。この仕事でご飯を食べて一人で生きてやるのだと覚悟を決めた日から、それを選んだ理由以外は全て捨てた。幸か不幸か、私のそういった気質と仕事への姿勢を何故か気に入ってくれる者も少なくはなく、闇市場の長や幸福の市場のカウフマンもその一人である。特にカウフマンのように今もビジネスの第一線で戦い続ける人に仕事を回してもらえるのはありがたく、現在の依頼人の半数近くが彼女からの紹介だ。
 私の話を聞いた騎士団長さんは、いつぞやと同じように「カノリは凄いね」と嬉しそうに目を細めて笑った。その表情の曇りの無さに、また居心地の悪さを感じてしまう。とにかく彼が現れたことで目的は果たされるのだから、さっさと仕事を終わらせてこんな場所からおさらばしよう。

「ということで、これがレイヴンからのお届け物で……」

 私は封筒を騎士団長さんの方へと差し出す。彼もまた、それを受け取るように大きな手を見せた。……のだが、騎士団長さんが掴んだのは封筒ではなく。


「……はぁっ!?」


 私の腕だった。

 一体何が起こっているのか。騎士団長さんは私をグイグイと引っ張りながら城の巨大な門をくぐり、城内の方へ向かって歩き始める。これで依頼終了だと高を括っていた私にはこの状況を理解することなど到底出来ない。

「ちょっと、何するんですか!?」
「あれ、以前書き置きを残しておいたんだけど見てないかな?この前のお礼がしたいと思っていたんだけど」
「それは見ましたけど、お礼なんて要りません!」
「遠慮はいらないよ、今日は公務も粗方終わったからね」
「そういう問題じゃなくて……!」

 ……ああ、ダメだ。全くもって話が通じる気がしない。この人、やっぱり頭のネジが数本ぶっ飛んでいるんじゃないだろうか。いや、むしろそれぐらいでなければ騎士団長など務まらないのかもしれないけれど。
 力強い腕と、大きな背中と、デジャヴ。ありえない現実に目眩を起こしそうになりながら、私はまたもや騎士団長さんに捕まってしまったのである。


  



 二度と来ることなどないと思っていた記憶に遠い豪勢な廊下を歩き続け、やがて騎士団長さんは一つの部屋へと私を招いた。天色の絨毯の上でようやく解放され、いっそ今すぐにでも逃げ出してやろうかとも考えたけれど彼の根城であるこの場所でそんな真似が出来るとも思わず、ただ黙って立ち尽くす。……此処は騎士団長さんの私室、なのだろうか。想像していたよりもずっと簡素で、正直意外だな、と思う。遠慮がちに部屋を見渡せば、特別広くもないこの部屋にあるのは必要最低限の家具と壁に飾られている剣、子供が描いたであろう可愛らしい似顔絵、それに騎士団憲章だけだった。『一、騎士団は騎士としての誇りを常に持ち続ける』そんな文字が目に入ってきて、憎悪にも似た感情が湧き上がりそうになるのを抑える。
 そうこうしているうちに甘い匂いとお湯が沸騰する音が聞こえてきた。匂いを辿ると、テーブルの上にはたくさんのお菓子が並べられている。

「この間、ヘリオードで暮らすご夫妻にいつものお礼だと言ってお茶とお菓子を頂いてね。カノリはきっと香りの良い紅茶が好きだろう?だから一緒にどうかなって」
「……本当に結構です。あれは私が勝手にしたことなので、もう忘れてください」
「そういうわけにもいかないよ。それにこのお菓子の量、流石に僕一人じゃ食べきれないんだ。ほら、座って」

 上機嫌で茶葉の香りを立たせる騎士団長さんに促されるが、私が騎士団長さんの向かいのソファに腰掛けることはなかった。それどころか、胸の内に溜まっていくのは他でもない苛立ちだ。この人の考えていることが一切理解出来ないし、理解出来ないものは恐ろしい。恐ろしいから嫌うのだ。私に限らず人間なんてそういうものだろう。ついには我慢すらままならなくなり、私は冷えた声を振り絞る。

「どういうつもりですか」
「カノリ……?」
「言いましたよね。私は世界で一番騎士が嫌いだ、って」

 その言葉でようやく彼の表情から笑みが消えたけれど、今度は濁りのない真っ直ぐな瞳でこちらを見つめてきた。……またその目。心の底から不快で、大嫌いだ。

「そうだね、確かに聞いた。だからこそ僕はもう一度君に会いたいと思ったし、レイヴンさんにも依頼をお願いしたんだ」
「……なんですか、それ。ああ、さすが騎士団長様の仰ることは私のような下民には理解出来ませんね」
「そんな言い方をしないでくれ、カノリ」
「じゃあ貴方は自分を嫌う女と話す特殊なご趣味でもあるんですか」
「違う、僕はただ君のことが知りたいんだよ」
「生憎ですけど私は貴方に教えることなんてこれっぽっちもありません」

 やっぱりこの人と同じ空間にいると上手く息が出来なくなる。頼むからもう関わらないでほしいと、そんな願いを込めて、およそ甘いお菓子の隣には似合わない書類をテーブルの上に置いた。これで依頼は終了、此処に用など何一つない。

 騎士団長さんは無言で踵を返した私を無理には引き止めなかった。けれど、ただ一言、私の背中に向かって「慣れているんだ」と言い放った。
 他でもない自分の直感が、これ以上はいけないと告げている。今までの自分の生き方を揺るがすような何かが、そこにはある。わかっていたのに、吸い寄せられるようにもう一度彼のほうを振り向いてしまったのが間違いだった。

「今まで騎士団が、本来守るべき民にどのような振る舞いをしてきたのかを僕は嫌という程知っている。だから騎士を嫌いだという声にも、正直慣れていると思う」
「だったら私のことも放っておいて……」
「でも、君のあの時の声はすごく寂しそうだった」
「っ」

(……やめて)

 そんな優しさを装った声で、心を暴かないで。

「カノリが騎士を毛嫌いする理由を僕は知らない。それでも僕に出来ることがあるのなら力になりたいんだ。何かを嫌って生きていくだけでは、人は前に進めないから……」
「いい加減にしてください!!」

 このままでは『侵食される』。そう気づいた時には既に自制も効かないままに叫んでしまっていた。騎士が嫌い。大嫌い。過剰に心を守ろうとする防衛反応が、そんな感情で脳を支配する。一度でも殻にヒビが入ってしまったが最後、箍が外れたように目の前の彼を罵る言葉は止まらなかった。

「そうやってありふれた正論を振りかざして、人の心に土足で踏み込むのがそんなに楽しいですか!?私は帝国の施しなんて要らないし、あの日を一生忘れてなんかやりません!」
「あの日……?」
「騎士団長さんは私のことが知りたいんですよね?だったらお望み通り教えてあげますよ。私は……」

 今も鮮明に思い出される悲鳴、匂い、揺れる景色。為す術もなく遠ざかる不条理に、私は未だに手が届かないままだ。どうしたらまた会える?どうしたら約束は果たされる?あの日をもう一度やり直すために、私は私に関わる全てを選択してきたというのに。
 涙など流さない。私から世界を奪った騎士の頂点に立つ男の前で泣いてなどやるものか。だって、そうだろう?ここにあるのは深い哀しみと、


「幼馴染を騎士に殺されたんです」


心からの軽蔑だけなのだから。



スカビオサ:悲しみの花嫁、私は全てを失った


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