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「はー!? ヤダ! 絶対無理!!!」

 映画館の中心で、無理だと叫んだ。

「ヤダじゃねえ。無理なもんは無理。あとボリューム下げろ」
「ヤダ! 無理! 寂しくて死ぬ!!!! ウサギは寂しいと死んじゃうの!!!」
「じゃあダイジョーブ。オマエはどこからどう見ても人間だから。あとボリューム下げろ」

 私が全力で嫌だと訴えてもココは全く心が痛まないらしい。いやいやと首をぶんぶん振る私を平然と見据えている。

 映画鑑賞後、ココに『オマエいつからテスト期間』と聴かれたので三日後だと答えた。ココは謎の空白を一拍置いてから『一日何分勉強してるか』と更に質問を続けた。本当は零分だけど二十分と答える。ココは真顔でじっと私を見続けた後、

「しばらく会うの無しな」

 と言った。

「ヤダ! 毎日会いたい!! 一秒だって離れたくないの!!!」
「その一秒を勉強につかえ。レポートにつかえ。オマエが留年なったら百パーオレのせいにされんの。いいから勉強しろ」
「ヤダヤダヤダヤダ!! 今日だって三日と六時間ぶりなのにぃ……!!」

 公衆の面前だけどなりふり構ってられず私はココに抱き着き、胸を押し付ける。それなのにココは健気で一途な美少女にこんなに求められているにも拘わらず「人の話聞かねぇ選手権あったらオマエ優勝だわ」とのっぺらぼうみたいな声で呟き、私を引き剥がした。だからもう一度抱き着く。引き剥がされる。抱き着く。引き剥がされる。

「なんで引き剥がすの!」
「公衆の面前だからだよ。つーかオマエはなんで人前だと積極的になんのに家だと縮こまんの。普通逆だろ」
「そ、れは……」

 ココの指摘を受けると、脳裏に刻まれた三日前の出来事がずくりと疼いた。呼応するように、血が大きく波打つ。
 ココに破れかぶれの告白をし、オッケーをもらい、付き合うようになってから、半年以上が経った。その間、私は何故か時折頭を痛めているココに勉強を見てもらいながら大学受験に合格し、処女じゃなくなった。私の身体を触れる男はこの世にただひとり、ココだけ。ドラケン君だってこればかりは無理だ。
 初めての時はとにかく恥ずかしくそして痛かった。二回目以降は痛みはなくなったけど、いまだに、恥ずかしさは依然として残っている。
 腕は組みたい。手も繋ぎたい。キスもしたい。セックスだって、したい。
 けど、でも、いざするとなると、もう何回かしていると言うのに、それでも長年片思いしていたココとしてるんだと思うと、体中に醗酵寸前のもどかしい何かがぱんぱんに詰まり、いっぱいいっぱいになって、縮こまってしまう。

 三日前の出来事が脳内を駆け回りそうになったのを気合で押し止め、ココを睨み付けた。夜は経験値の差でいいようにされがちだけど今は昼だ。健気な彼女に『会わずに勉強しろ』なんてひどすぎる。そんな要求絶対呑んでやるか! 撤回させるために憤然と食って掛かる。

「別にいいじゃん! てか今そんな話、」
「――麻美」

 肩を引き寄せられたその時、三日前の夜のココが浮かんだ。息切れしている私を組み敷きながら、耳元で、私を呼ぶ。

『――麻美』

 ココの低く掠れた声は毒と変わらない。枝葉のように広がりじわじわと私を蝕み、動きを止める。

「危ねぇ。周り見ろ。あと、」

 ココはふっと鼻を鳴らした。

「発情はやめような?」

 ココが赤い舌を覗かせて、べえっと笑った瞬間、体中の血液が顔面に一点集中した。

「してねーよ!! なに勝手な事言ってんの!!」
「えーそう? 意味ありげにちらちらもじもじしだすからさぁ〜。じゃあ麻美ちゃんは何考えてたのかな〜?」
「日本経済の事に決まってんでしょ!!!!」
「へえ、オマエも気になってたんだ。アメリカが行き詰まると日本っつーか世界も連動するよネ。五代投資銀行っつっても駄目になる時は駄目なるから安定≠ェいかに夢物語かわかるわ。まさかリーマンブラザーズがなー」
「え? ああ、うん、そ、そう、うん。まさかリーマンブラザーズがね……って何その馬鹿にしてる目!!」
「ひっど、元からこういう目なんですケド。傷ついたー」
「違う! なんか今超絶私を馬鹿にした目で見てた!! 何よ何そんな馬鹿にしてんの!!!」

 憐れみと嘲笑の入り混じった面差しのココがとにかくムカついて胸倉を掴んで詰め寄ると「暴力はんたーい」と演技がかった仕草で大仰に怯えられた後、せせら笑われる。こ、こ、このクソー!! 

「――ココ君?」

 そんな風に燃え盛る炎の如く怒りに猛った私とは正反対のしなやかな声が、波紋を広げる水のように響いた。

 呼ばれたココはぴくりと反応し、呼ばれた先へ顔を向ける。知人を見る眼差しだった。

 ココの視線の先を私も辿る。
 緩く巻かれた栗色のセミロングが、細い肩の上で揺れている。ひとつひとつのパーツは派手じゃない。でもどこか憂いをはらんだ瞳は印象的だった。朝露の光る花びらのような、しとやかさ。
 花に例えると鈴蘭のように控えめで可憐な風貌の、私と同年代の女がそこに立っていた。

「やっぱりココ君だ。久しぶり」
「……久しぶり」

 女にゆるく微笑みかけられると、ココも静かに笑った。
 その時流れた二人の空気から、私は一瞬で察する。

「ココ〜! このおん……この子だれぇ? はじめましてぇ! 私、ココの最愛の彼女の篠田麻美でぇーーーす!!」

 ココの腕にぎゅうっと腕を絡ませて体を密着し、頬を絶妙の角度に持ち上げて自分の一番可愛い顔で女と対峙した。ココから『オマエ……』という何とも言えない含みのある視線を感じるけど無視して目の前の女を笑顔でただただ睨み付ける。人間は笑いながら睨む事ができる。

「こんにちは。へぇ、ココ君の彼女さんなんだ。はじめまして、水瀬マイです。こんな可愛い子と付き合えるなんて、流石ココ君。でも、ちょっとビックリしちゃった」

 彼女にさん&tけする女はリスのように首を傾げた。

「今までの子とタイプ違うね?」

 ピキィッとこめかみに血管が浮かぶ音が体内から轟いた。視界の端でココが視線を明後日の方向に泳がせている。ムカつくのでココの腕に絡ませている腕に力を籠めた。
 でも私が一番ムカつくのは目の前の女だ。本妻の威厳を保つべく「そうなの?」と目を丸くして見せる。

「じゃあ私はタイプとか関係ないって事なんだね、ねー、ココ?」
「アーウンソウナンジャネ」
「ちょっと!! なんで片言!!」
「ソウナンジャネッツッテンジャン」
「ふふ、一君もいつもとなんだか態度が……あっ」

 ココを一′トばわりした女は口元に手を宛がってから、申し訳なさそうに眉を寄せた。

「ごめんね、いつもの癖が出ちゃった……」

 私の中に住む裁判長が女に死刑判決を出した。

「ふごっ」 
 
 私が女を女子トイレに連れ込むべく一歩踏み出すよりも早く、ココが動いた。私の口元を覆いながら「じゃーね、マイちゃん」とにこやかな声を出している。

「うん。はじ……ココ君ばいばい。また遊ぼうね」
「アハハ。うん、ばいばい」
「ふごっ、ふごっ、ふごごごごごごごご!!!」

 ココは笑いながら私を引きずって、映画館を出て行く。なんとしてでも女を痛めつけたい私は必死に抵抗する。けど男女の力の差は大きい。私の抵抗も虚しく、呻き声を上げながら、ただただずるずると引きずられていった。
 





「あんなん流せよ」

 ココは映画館から私を連れ出すと、ようやく解放した。そしてげんなり≠ニかうんざり≠ニかそういった表現の似合う表情で、ため息はつく。なんで私が呆れられないといけないのか。理解不能過ぎて反射的に「はぁ!?」と声を荒げる。

「なんで私が我慢しなきゃいけないの!! あの女が喧嘩売ってきたんじゃん!!!」
「クソしょうもねぇマウントじゃん。いちいち相手にしてたら切りがねぇって。……ああいうことする子じゃなかったんだけどな」
「へえ、よくご存じで!! どこまでのお付き合い!?」

 私が食って掛かると、ココは自分の失言に気付き、少しばつが悪そうな顔になった。小さく息を吐いてから私に向き直る。

「ただのセフレだって。向こうだってオレの事そう思ってる」

 心臓を力強く鷲掴みにされたとしても、こんなに痛まないだろう。
 察していたけど、ココの口からあの女とセックスした事実を打ち明けられると、全身の骨がよじれそうになって、真っ黒な炎がうねりを上げて燃え上がり、どうしようもない虚無感に晒されて、体中の血液が凍った。
 大きな悲しみが、私をぺしゃんこに押し潰そうとしていた。

「……なんであんな女とすんの……!!」

 悲しみを怒りに変換させた私は、手の甲に血管が浮かび上がるほど強く握りしめる。ココはまた溜息吐いた。

「なんで溜息吐くの!!!」
「前も言ったじゃん。何回同じ説明すりゃいいわけ? つーか公共の場でする話じゃねえから。ほら行こうぜ」

 ココは私の手を取った。いつもなら嬉しくて心が弾むけど、今はそれ以上に『言いくるめられてたまるか』と憎しみに近い決意の方が大きい。ココの手を振り払って、強く睨み付けた。感情が昂るあまり、涙が目蓋の下で盛り上がっているのを感じる。ココはぱちくりと瞬くとまた溜息を吐き、億劫そうに眉を寄せた。

「じゃあなに。何したら気が済むんだよ」
「あの女にオマエなんか大嫌いだ二度とオレに話しかけんなクソビッチ死ねって言ってきて」

 私は映画館の出入り口を指して、一思いに言った。ココの顔がげんなり≠ニ歪む。
 
「……なんでンなわざわざ喧嘩売りに行かなきゃなんねえの」
「いいから!! 言ってよ!! 言って!! 言え!!!!」

 地団太を踏みながらヒステリックに声を高めると、ココは頭が痛そうにこめかみを抑えた。その態度が更に私の苛立ちを煽る。

「なにその態度!!」
「あ゛ーーーいちいちいちいちうっせえ」
「誰がうるさくさせてんの!!! 私が彼女なんでしょ!! 彼女を一番大切にしてよ!! 言ってきたら気が済むっつってんだから言ってきてよ!!」
「麻美」

 ココに呼ばれると、どれだけ怒りに猛っていても私の心臓はきゅうっと疼く。きっとそれをわかっていてココは私をわざと呼んだ。一瞬できた隙をついて、ココは私を見据えながら淡々と言葉を重ねていく。

「さっきの女、確かにどうでもいいよ。連絡先も消したし一生会わなくたって何のデメリットもねぇ。でも不用意に傷つけんのは気が進まねえの」
「不用意じゃないじゃん!! 私に喧嘩売ってきたじゃん!!! 私傷ついたじゃん!! あ〜〜じゃあいい! 私言ってくるから!!」
「あのさぁ、オマエがあの子にキレながら絡みに行ったら、もうかんっぺきイジメの図なんだわ」
「はぁ!?」
「はいそーゆーすぐヒスるところとかな。オマエ絶ッ対ェ陰キャに怖がられてんだろ」

 ココの指摘を受けると、ひとつの思い出がよみがえった。

 放課後、忘れ物をしたナホコに付き合い教室に戻った時のこと。ドアに手をかけようとした瞬間、

『オレは井上さんかな〜』
『えー、オレは川崎さんー』

 いつも教室の隅っこでなんかキモいイラストを見てニヤニヤしている男子達の談笑が聞こえてきた。内容は『学校の可愛い子は誰か』という話題だった。

『溝口は?』
『オレは……篠田さんかな』

 当然の事過ぎて、何の感慨も沸かない。真顔で『篠田さん可愛い』発言を聞き流していると、ナホコが『やるー』と小突いてきた。一見私をたてているように見えるけど、ナホコ(※井上)の目には、さっき私よりも早く名前を挙げられたことの優越感が滲み出ている。コイツ。
 そう。私が出てくるのが遅いとか。普通こういうのは私が一番に上げられるべきなのに。ココ以外の男に好かれても嬉しくないけど、でも持て囃されないのも気に食わない。……まあもういいや、さっさとナホコに忘れ物取らせて帰ろうとドアに手を掛けると、

『溝口やっぱMだな〜〜〜オレあんな怖い女嫌だ〜〜〜〜〜〜〜』

 溝口の崇高なる女の趣味を愚弄する声が上がり、私は動きを止めた。

『えっ可愛いじゃん! あのオレの事どうでもいいって目が!』
『…………うーん……可愛いけど……性格が……きつい……』
『つーか悪い』

 私の性格が悪いとばっさりと切り捨てたのは、私の後ろの席のつか、つか……塚口だった。

『篠田さんさぁ、プリント回す時振り向かずにばって渡してくんだよ。やばくね? オレらみたいなんを馬鹿にし過ぎ。堀北真希なら絶対そんなことしない』
『つかっちゃん堀北真希好きだよな〜』
『伊東美咲もそんなことしない』
『電車男はオレらの夢だよな〜』

 ブクブク。ブクブクブクブクブクブク。 
 私の中で、何かが煮だっている。

『つーか付き合ったらいちいちヒスッてウザそう〜〜癒しのいの字もないし〜〜〜あ〜〜〜、篠田さんってマジこわ、』

 ドアを破壊せんばかりに開けた私は、私を怖い呼ばわりしていた塚口の前に立ちはだかり、適当な椅子を引いて座り込んだ。
 今日は黒いアイラインを引いているから、ブラウンの時より目力が強いだろう。ただでさえ私は目が大きい。
 脚を組んでから、青い顔の塚口に問いかける。

『誰が怖いって?』

 塚口から『ひいっ』と蚊の鳴くような情けない悲鳴が漏れる。

『ひいっじゃなくて。誰が怖いか聞いてんの』
『………すみません』
『謝ってほしいんじゃなくて、誰が怖いか聞いてんの』
『………………本当に……すみません……』
『だから謝れとか言ってねーだろ!!! 誰が怖いか聞いてんだよ!!!』
『僕が悪かったです!!! ほんっとうにすみませんでした!!!!』

 



「思い当たる節あんだろ」
「……そんなことないし!!」
 
 ココはハンッと鼻で笑った。こ、こ、こいつぅうぅぅ……! 彼女が違うっつってんだから信じろよ! 実際は違わないけど!!

「ないっつってんじゃん!!」
「落ち着けって。もうあんなん忘れろ。オレはオマエの為を思って言ってんの」
「私の為思うならあの女にオマエなんか大嫌いって言ってきてよ!」
 
 ココは「だから……」と途中まで言うと、重く長いため息をつき、感情込めて呟いた。

「マジ疲れる………………」
『つーか付き合ったらいちいちヒスッてウザそう〜〜』

 高校の時歯牙にもかけなかったモブ男の声が不意に蘇った。全然的を得ていないはずなのに、ココの声が上乗せされると心臓に深く突き刺さる。悔しくて、遣る瀬無くて、感情の昂りが涙と直結している私は泣きながらココを睨んだ。気に食わなくて地団太を踏む私を、冷たく見据えている。ココとあの女の視線が繋がった時、艶のある何かが漂ったというのに、ココと私の場合、ただただ火花が散るだけだった。






 結局この日のデートは険悪なまま終わった。ココから一回メールが来たけど『言い過ぎたごめん愛してるよあとあの女に二度と近づくんじゃねえボケナス死ねクソビッチって言ってきたから』ではなく『ちゃんと勉強しろよ』だったのでムカついて放置した。ココからの追いメールがないまま三日間が経過し、テスト期間に突入した。だけど苛々して全く勉強が捗らない。ココとあの女がちらつく度に、ミキサーで掻き乱されたみたいに胸の中がぐしゃぐしゃになった。

「なんで連絡してこないの!! ムカつく!! 死ね!! ムカつく!!! 死ね!!!!」

 ムカつくと死ねを交互に繰り返しながらベッドで暴れているうちに、天啓が降りてきた。ムカついているのはココとあの女だけど、死を願っているのはあの女だけだ。
 
 私を今こんなに苦しめているのは、ココじゃない。あの女だ。
 悟りを開くようにその考えに行き着いた私は、交友関係を駆使して女の素性を調べ上げて、
  
「わ、はじ……ココ君の彼女さん、どうしたの?」

 女が通う大学に乗り込んだ。

 女と同じ大学に通う友達に「案内ありがとー」と手を振ってから女に向き直り、頬を絶妙の角度に持ち上げて、一番可愛い顔で女に笑いかける。女にとって可愛いは武器だ。
 中学の時『九井先輩ってかっこよくなーい?』とか言ってココに近づこうとした後輩を〆た時と要領は同じだ。

「話があるの、ちょっと来てくれる?」

 ココに近づく女が昔から死ぬほど嫌いな私は、今までと同じように、ココに二度と近づかないように脅すことにした。


 
 



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