えいえんの可塑性




 

 どっかの性欲を持て余した男と女がセックスした結果がわたしだ。
 男はコンドームをつけるのを、女は中絶する手間を省いた。
 未熟な精神性のまま体だけ大人の横着な人間に育児が務まるわけがない。最初こそは物見珍しさで可愛がったかもしれないがすぐに飽きる。

 三歳までの記憶は透明な膜に覆われたようにひどく曖昧だ。だけど、粗相をしたら真冬の中裸で外に放り出されたことは鮮明に覚えている。手足の感覚が途切れ、体の芯まで冷え切っていく。白い雪が降り積もる中、真っ黒な絶望に襲われながら、悟る。
 
 わたしを作り上げた生き物はわたしを愛していない。





 胎児のように身体を丸めて床に寝転んでいるイザナをじいっと見下ろす。わたしの来訪に気付かないような愚鈍な男だったらイザナは今頃死んでいる。だから、敢えての無視。
 今に始まったことじゃない。イザナから視線を逸らし、ソファーに座った。折り畳み式の鏡をテーブルに載せて、手当てを始める。鏡の中に赤く腫れた頬が映り、自然と眉がぐにゃりと歪んだ。あの怪力馬鹿女、思い切りやりやがった。顔をしかめながらアイスノンを頬に当てていると。

「何発くらった」

 イザナののっぺらぼうな声が背後から聞こえた。傷の手当をしながら「一発だけ」と答えると、鼻で笑われた。絶妙に苛立ちを煽る笑い方だ。本当にイザナって人に不快感しか与えない。

「急にこられたの。しょうがないじゃん」
「で?」

 イザナはゆらりと立ち上がった。温度のない瞳で私を捉え、口を開く。

「無様に逃げてきただけか?」

 そんなダセェ真似したら殺す。イザナの鋭く尖った声はそう言っている。ホントにこいつクズだしイってんなー。イザナのクズっぷりを噛み締める。

 イザナは人を傷つけることを躊躇わない。飛び越えてはいけない線を軽々しく超えていく。
 
 やるなら徹底的に。
 相手が立ち上がる気力を持たないように。
 死んだ方がマシだとすら思えるように。

 そう、教え込まれてきた。

「逃げたのはあっち。あなたのパパ、援交してるよって教えたらどっか行っちゃった」

 要約すると『よくも私の彼氏に手を出しやがって』という名目でわたしを呼び出した彼女と何言か言葉をかわすと目を釣り上げてぶん殴ってきた。なんだっけ。ああそっか。確かにヤッたけどそれが何か。ていうかそんなに心配なら首に縄でもつけとけばとアドバイスしたあとだ。商売道具の顔を傷つけられると、ぴりっと苛立ちがささくれ立つ。そう、そっちがその気なら。じゃあしょうがない。

 黙ってあげようと思っていたのに。

『パパに似てるね』

 そう言うと、彼女は『は?』と眉をひそめた。わたしの意図がわからないらしい。『わたし、あなたのパパと仲良いの』と薄く笑いながらケータイをいじる。

『ほら』

 ケータイを取り出し、わたしが彼女のパパとセックスしてる写メを見せてあげると、彼女の怒りで紅潮していた頬から色が瞬時に消えていった。その顔もパパに似ていた。やっぱ女の子って父親に似るのね。生物学上のわたしのパパも、わたしに似てるのかな。

 彼氏を取られたことの怒りなど彼女は隅に追いやり、今度はわたしを嘘つきだと詰ってきた。そう言われても、と困惑する。だってホントの事だよ? あなたのパパは娘と同い年の女に盛るの。事実を滔々と紡いでいくと彼女は耳を塞いでしゃがみ込んだ。過呼吸を起こし、取り巻きが必死に大丈夫かと尋ねている。大丈夫大丈夫。パパが自分の娘と同い年の女とヤってることなどよくある話。男はJKが大好き。わたしの励ましも虚しく彼女は友達に抱き抱えられるようにして去っていく。避り際に憎しみの籠もった眼差しで睨みつけられた。

「あ、カクちゃんには言わないでよね。怒ってくるから」
「言わねぇよ。んなクソつまんねぇ話」

 自分から聞き出したくせに。理不尽さに眉を潜める。イザナは大きく欠伸するとまた寝転んだ。イザナが目蓋を下ろすと、色素の薄い長いまつ毛が褐色の肌に影を落としていた。よくできた人形みたいだ。

 アイスノンを当てながらわたしもイザナの隣に寝転ぶ。冷たいフローリングは固くて寝心地悪い。けどソファーに寝転ぶ気にはなれなかった。ここがよかった。
 秒針の音が聞こえるほどのひそやかな空間の中でも、イザナの呼吸音は聞こえない。ただ目を閉じているだけで、眠りにはついていないのだろう。お互い無言でただ寝転ぶ。イザナとカクちゃんとは会話せずとも共に過ごせる。誰かと一緒にいる時のぴりぴりと肌が騒ぎ出す感覚を覚えない。

 十二歳の時、今のパパとママに引き取られた。二人は長年不妊治療をしていたらしい。養子を取る事を視野に入れ、施設に訪れた時に目を惹いたのがわたしだったそうだ。赤ん坊や幼児ではなく、十二歳という思春期に差し掛かったわたしを、何故か二人は選んだ。すみれを見た時、ピンときたの。歌うような口振りでママは言う。その言葉に違わず惜しみない愛情を注がれた。わたしの健康を第一に作られたご飯、ひとりの時間も必要でしょと与えられた個室、すみれが通いたいならと私立校への受験を当たり前のように受け入れてくれた。

 真っ当な家庭で育った真っ当な夫婦は、わたしを真っ当に愛してくれる。
 だけどわたしは真っ当じゃない。
 底の抜けたコップにいくら水を注いでも貯まらないように、パパとママの愛情もわたしには響かない。

 すみれを見た時、ピンと来たの。と言われてもわたしにはピンと来ない。幸せに生きてきたんだろうなぁとただ思った。絶望を知らないんだろうなぁと羨ましくなった。同時に無駄に年齢を重ねただけなんだぁなと無知さを憐れんだ。あなたがピン≠ニ来た子どもは人を傷つける事を躊躇わないの。

 人間は同じレベルの人間じゃないと会話が成り立たない。
 だからイザナの言葉はまるで自分の一部かのように、瞬時に思考の中に溶け込んだのだろう。
 
 やるなら徹底的に。
 相手が立ち上がる気力を持たないように。
 死んだ方がマシだとすら思えるように。

「イザナ。わたし、ちゃんとできたよ」

 イザナは何も言わなかった。相変わらず寝息はないし、無反応。わたしも目蓋を閉じることにした。わたしの部屋のベッドよりも固いフローリングは相変わらず寝心地悪い。だけど肌に馴染んだ。ふかふかのマットレスよりも洗い立てのシーツよりも、なによりも。

 



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