行き先は決まってる





 火車の今日は我が門を遣りすぎて
        哀れ何処
いずち

へ巡りゆくらむ
              
 ――作者不明『拾玉集』




「オッサン駄目だろー? 未成年に手ェ出しちゃ犯罪って、中卒のオレでも知ってんぜ?」

 蹴りを受けて吹っ飛んだ裸体のオジサンを踏みつけながら、褐色の肌の男――イザナは嘲笑った。煙草をもみ消すようにぐりぐりと踏みつぶされ、オジサンは悲鳴を上げる。寂れたラブホは壁が薄くオジサンの叫び声は筒抜けだろう。だけど誰に助けに来ないのは、このホテルがイザナの息がかかっているからだ。誰もイザナには逆らわない。

 カクちゃんもただ、イザナを黙って見ていた。ちらりとわたしに視線を滑らせると、小さく息を吐いて、真っ赤な特服を脱いで素っ裸のわたしにかけてくれた。

 カクちゃんはいつだって優しい。それに比べ、アイツは。

 ごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさい。多分四十過ぎのオジサンの子どものような泣き声をBGMに、オジサンを空き缶の如く蹴り潰すイザナを見つめる。
 イザナって本当にクズ。
 暴力と破壊でしかこの世に存在を主張できない人間のクズを、軽蔑と哀れみの眼差しで眺めた。

 イザナにリンチされたオジサンはやがて気を失った。顔が赤黒く染まり風船のように膨れ上がっている人間というよりも物体に近いソレのカバンから財布を抜き取ると、イザナはわたしに目もくれず万札をばらまく。投げつけるような所作が気に食わない。けど、それ以上に。

「そっちちょうだい」

 イザナの手の中の社員証と保険証に向かって、手を差し出す。そっちちょうだい。

 社員証と保険証は、人間をATMに変える。後ろ暗いことがなければただの身分証明書。けど、少女買春を繰り返しその写真動画をばっちり抑えられた人間にとっては、渡るところに渡ってしまえば、地獄へのパスポートに早変わり。

「無理」
「は? ちょうだい」

 イザナはわたしを無視し、スラックスのポケットに二つのカードを入れ、立ち上がる。汚いオジサンとのセックスという今日一番の重労働に身をこしたわたしへの報酬が三万とはどういうことか。それに、わたしを軽んじる振る舞いにもぴりぴりと苛立ちがささくれ立つ。

「ちょうだい。ちょうだいちょうだいちょうだい」

 イザナの右腕を掴んで揺さぶると、イザナは大きく振り払った。不死身のイザナという異名を持つ男に思い切り振り払われたことでわたしの体は大きくよろめいた。苛立ちが更に募る。そういうことならこっちだって。

「ひっどぉーい。女の子には優しくしてよ」

 ぷくっと頬を膨らませてから、わたしは甘ったるい声を作る。蜜が滴るような、甘ったるい声。

「そんなんだからぁ、お兄ちゃん≠ノ選ばれないんだよ?」

 わたしはそこに、たっぷりの毒を忍び込ませる。

 間髪入れずにイザナの拳が飛んできた。けど同じくわたしの前に大きな背中が立ちはだかる。

「イザナ!!!」

 大きな怒声が爆発した。

「女は殴んなっつってんだろ!!!」

 カクちゃんは優しい。いらぬ火の粉は浴びたくないと静観することなく、全力で止めに入ってくれた。カクちゃんならそうするだろうとわかっていた。だってカクちゃんは優しいから。
 ――けど。

「下僕が逆らうんじゃねえよ」

 嘲るような冷たい声の後、カクちゃんが吹っ飛ぶ。カクちゃんは壁に背中を強く打ち付け、激しく噎せていた。
 イザナは次にわたしの横っ面を叩く。今度はわたしが吹っ飛ぶ番だった。床にしこたま強く打ち付けられると、脳震盪を起こしたように脳味噌がぐわんぐわんと揺れている。頭の芯がズキズキと痛み、口の中が切れて血の味がした。

 クズ、と思う。

 カクちゃんはいつだって優しい。
 けどイザナはクズ。

 床に伏せて痛みに震えているわたしを、イザナは無表情で見つめている。
 感情の籠らない淡い紫色の瞳は、アメシストを彷彿させる。
 宝石のように綺麗で、だけど、冷たい。無機質そのもの。

 イザナは無言で踵を返し、去っていった。バタン、とドアが閉まる音の後、カクちゃんの「……ってえ」という掠れたうめき声が続いた。

「カクちゃぁん、痛いよぉ」
「……すみれ、オマエなあ」

 カクちゃんは上体を起こし、あぐらをかいて溜息をついた。ガシガシと後頭部を掻きながら「わざとイザナあおんのやめろ」と悟しかけてくる。まるで聞き分けのない子どもに対するような口調に反感を覚え、わたしは唇を尖らせた。

「カクちゃん生意気ー年下のくせに、っ」

 ああ喋る度口が痛い。口内の裂けた切れ目に唾が染み込む度に痛みがわたしを襲う。マジでクズ。

「つーか、もうこういうのもやめろよ」
「どうしてぇ?」
「どうしてって」

 カクちゃんは狼狽えた。視線を彷徨わせてから、ぽつりと呟く。

「…………好きな奴とするもんだろ」

 一拍の間を置いてから、わたしは風船が破裂するように爆笑した。

「はは、あははは! もーやだー! あはははは!!」
「なにがやだーだよ! 当然のことだろ!!」
「だってだってだって! カクちゃん可愛い! もう、口切れてんのに! あははは!! ほらおいでー、ちゅーしてあげる」
「いらねえよ」

 ひいひい笑いながら目尻に浮かんだ涙を拭って、カクちゃんに両手を伸ばす。けどカクちゃんはつんとそっぽを向いた。むすっと膨れっ面のカクちゃんは、体は大きくなっても心根は小さな頃から変わらない。馬鹿がつくほど真っ直ぐで、曲がった事が大嫌い。
 わたしの可愛い弟。血の繋がりはないけど、わたしの弟だ。
 血は水よりも濃いなんて言葉があるけど、それ以上に共に重ねた日々が何よりも強いとわたしは思っている。
 イザナもそうだと思っていた。
 けど違った。
 本当のお兄ちゃんに夢中になり、本当のお兄ちゃん≠ノ一番に愛されてないと知ったら、病み始めた。

 わたしとカクちゃんの前から姿を消し、再びまみえた時には目を落ち窪ませ、生気をすっかり失っていた。
 わたしとカクちゃんがいたのに。

「あー! いつまでも笑うな! つーかこんなんオマエの今の親にバレたらやべーだろ! 良い学校通わせてもらってんじゃねえか。こんなんやめて、いい加減普通に生きろ」
「わたしババアになるまで生きるつもり無いもん」
「またそれか……」

 カクちゃんは呆れたようにため息をつく。カクちゃんこそ何回同じことを言わせるつもりなんだろう。

 わたしはババアになったら死ぬと決めている。今十七だからあと三年の命だ。二十歳以降も生きている女を見るとよくやると思う。シミやシワが蔓延る顔面、弛んだフェイスラインとか胸とかお尻を晒して生きていくなんて無様な真似、わたしには絶対できない。

 不意に、すすり泣く声が耳朶を掠めた。泣き声の差しに視線を送ると、イザナに無茶苦茶に蹴られていたおじさんが体を丸めて泣いている。痛みに泣いているのか、これからの自分の行く末を思って泣いているのか、はたまたどちらもなのか。どちらにせよJKに引っかかって地獄に引きずり込まれるとか憐れすぎて可哀想。

 地獄、か。

「ねー、イザナとカクちゃんのチーム名ってなんだっけ」

 知っているくせに問いかける。カクちゃんの声から聞きたくなった。

「天竺」

 カクちゃんはぶっきらぼうに答えた。「知ってるー」と返すと「なら聞くなよ」と憮然とされる。その通り過ぎてケラケラ笑った。

 イザナとカクちゃんが語った夢の国子どもの紡ぐ他愛もないお伽噺だ。寒いから嫌と雪合戦を断わったわたしはごはんの時に、鼻と頬を寒さで赤らめたカクちゃんに天竺≠ノついて饒舌に語られる。イザナの建国計画は子どもだからということを差し引いても杜撰で、初めから破綻するのが見え見えだった。

『すみれはヤクショク、何がいい?』
『わたしパス』

 嬉々として問いかけてくるカクちゃんにすげなく答えると、カクちゃんは『えっ!?』と目を丸くして、素っ頓狂な声を上げた。

『な、なんでだよ!?』
『イザナが王様ってヤバすぎじゃん。てゆーかぁ、わたし働きたくないしぃ』

 くるくると人差し指に髪の毛を巻き付けながら答えると、頭の上に衝撃が走った。視線を上げると案の定そこにはイザナがいた。すり潰すように、わたしのつむじに肘を押し付けている。

『下僕が何ほざいてんだコラ。下僕は下僕らしくオレに仕えろ死ぬまで働け』
『痛い痛いいたぁーーい! だから! わたし下僕じゃないってば!』
『王のオレが下僕って決めたから下僕なんだよ』
『イザナ! 女に手ぇ出すなって!』
『はい王に逆らったーしけーい!』

 イザナは止めようとしてきたカクちゃんを殴ると『労働放棄罪でオマエも死刑』とわたしの頭を叩いた。痛かったけど、今ほど痛くなかった。子猫のじゃれ合いのような、手加減された力だった。

 イザナが三蔵法師。カクちゃんが孫悟空。だから猪八戒か沙悟浄のどっちか選べと言われたけど、どっちも嫌だったから断わった。そしたら下僕に拒否権ねえんだよとキレられた。

 くだらない。しょうもない。だけど思い出す度、懐かしさが染みるように胸の中を行き渡る。

 はみ出し者達が楽に呼吸をできる理想郷。作り上げてみせると、イザナは豪語していた

「……ふっ」

 馬鹿馬鹿しくて失笑する。所詮子どもの戯言だ。何それ。西にも東にも最果てにもそんな国どこにもない。ああ、行くんじゃない。作るのか。や、でも作ったとしても入国審査に引っ掛かるだろう。何人ものの人生を破滅に追い込んで来たわたし達が理想郷≠フお眼鏡に叶うとは思わない。作ったのに入れないとか、ウケる。

 三蔵法師は馬に乗って天竺まで向かった。だけどイザナを――わたし達を運ぶのは、火の車だろう。
 昔読んだ小説の一節が頭の中に浮かぶ。わたし達の場合、いつか訪れるかもしれないと怯える暇もなかった。
 
 轟々と燃え盛る車は、生前に悪事を働いた亡者を、地獄まで運ぶ。

 西の都には、連れて行ってくれない。

 



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