子どもなんですから
『わたし、好きな人いるんだ』
これってある意味魔法の呪文。どんな子とも会話が成り立つ。
小学校高学年に入ったあたりから盛り上がり始めた恋の話題は、中学生になると更に勢いを増した。どんな子とも恋バナをしたら距離が少し縮まった。
恋をする相手も重要だった。恋をする相手、もしかしたら自分の彼氏になるかもしれない人。彼氏、というのはある意味アクセサリーみたいなもので、彼氏が格好良ければ格好良いほど、順位が上がる。
部長に声を掛けてもらった時、この人なら打ってつけだと思った。部長が彼氏になったら自分の順位が上がると無意識のうちに判断を下した。空気が読めなくて空回りでウザがられてばかりのわたしにですら優しくしてくれる、格好いい男子。やっと見つけた。この人ならわたしの全てを受け止めてくれる、何の根拠もなくそう思った。部長はいつもすごくて、かっこよくて、わたしのように間違えたり、なにもかも嫌になったり、逃げ出したくなったり、そんな事ないんだとずっと思っていた。
二つの年の差は、とっても大きい。
でも、だけど。わたしがゼロ歳の時、部長もまだ、二歳だったんだ。
部長の友達が亡くなった事は、いつのまにかうちの中学にまで流れてきた。噂の出所はどこかわからないけど気付いたら、隙間風が入り込むように、入っていた。
わたしも噂で知る。亡くなったのは、バジさんだった。
「愛ちん、部長だよ」
ミサちゃんに腕を引っ張られ、「ほら、あそこ」と視線を誘導される。ミサちゃんの指の先を辿ると、確かにそこに部長がいた。ホントだ。わたしも同じく窓を見下ろしながら、正しく言うと窓の外の部長をぼーっと眺める。わたしとミサちゃんは今二階にいる。部長は中庭で派手な先輩達に囲まれていた。
「三ツ谷ー、落ち込むなよー!」
「そーだよ、うちらいんじゃん! 今度カラオケ行こ!」
学校の友達の誘いに「また今度な」と部長は笑っている。いつも通りだった。目を凝らして見つめても、いつもと変わらない。ルナちゃんやマナちゃんから見ればいつも通りじゃないのかもしれないけど、空気が読めないかつ部長と半年程度の付き合いのわたしには何も見抜けなかった。
「……おーい、愛ちん?」
友達と談笑している部長をぼうっと眺めるばかりのわたしを不審に思ったのか、ミサちゃんが怪訝そうにわたしを覗き込んで来た。
「なに、どったの。前まで部長見つけようものならパレードって勢いで騒いでたのに。部活でも全然部長に絡みにいかないし」
ミサちゃんは怪訝そうに質問を繰り出してくる。わたしはうまく答えられず「ええっと……」と口ごもった。
部長の友達が亡くなったという事を聞いてから、わたしは部長にどう話しかけていいかわからなかった。
わたしは空気が読むことが苦手だ。部長に対し失礼な言動を無意識のうちに取ってしまう。あ、今のヤバかったと口に出してから気付く。そんなわたしが今部長に話しかけて余計な事を言ってしまったらと思うと足が竦んだ。
窓の外で部長は依然として普通に笑っている。わたしの取り越し苦労かもしれない。普通に話しかけて、全然、大丈夫かもしれない。だって部長は大人だ。先生に叱られても不貞腐れることなく早口で反抗することなく、涼しげな表情で流している。
ああ、でも。
『……そうかぁ?』
あの時は、男の子って感じだった。
「……おーい。なに。部長のこと飽き――、」
「あ、三ツ谷先輩だ!」
同じクラスのマイちゃんがわたしとミサちゃんの間に割り込んで来た。マイちゃんは「今日もかっこいー!」と部長を見ながらキャッキャッとしている。人見知りが激しいわたしも、半年たてばクラスに少しは馴染めるようになった。ミサちゃんの次にできた友達がマイちゃんだ。
「やっぱ男子ってぇ、ちょっと悪い方がいいよねー。あーでも、三ツ谷先輩ガチで悪めだったなー。ねぇねぇ、二人とも知ってる?」
マイちゃんは辺りをはばかるように声を潜めた。
「三ツ谷先輩の友達、死に方えぐかったらしいよー…!」
胸に一拍の空白が流れ込んだかと思うと、鉛を詰められたようにお腹の底が重たくなった。
マイちゃんは神妙そうな顔つきをしているけど、瞳には好奇心が瞬いていた。
「なんかぁ、お腹をナイフでグサッと刺された、や、自分で刺したんだって……!」
自分には関係のないドラマチックな出来事を語る表情は深刻なものだけど、興奮が滲んでいる。
お祭りの埋め合わせで花火大会に一緒に行った時、部長から友達の話を聞いた。マイキーって人、ドラケンって人、バジって人。パーって人。林先輩と柴先輩以外知らなかった。
部長は学校にいる時よりも、楽しそうに友達の事を話していた。部室にいる時よりも、遥かに楽しそうだった。
照れくさそうに、誇らしそうに、友達の事を話していた。
「えー……怖……」
ミサちゃんはしかめっ面になる。引いていた。マイちゃんは「やばいよねー」とうんうん頷きながら、もう一度部長に視線を滑らせて、ほうっと恍惚めいた息を吐く。
「三ツ谷先輩ってやっぱ肝が据わってるんだね。私だったらそんなエグい死に方目の前で見せられたら、」
「あ、あのね! 今日、うちのママが!」
突然話を遮られ、マイちゃんはムッとした。空気を読む事が苦手な、なんとか話題に入ろうと焦るあまり人の話を遮って割り込んでしまう。今まで何回やっただろう。東卍の集会に乗り込んだ時のようにわたしは自分のやからし≠ノ大分経ってから気付く。だけど今はリアルタイムで空気の読めない事をしている自覚があった。だけど止められなかった。これ以上、マイちゃんの話を聞きたくなかった。
「うちのママが、その、えっと、今日………」
愚鈍で機転のきかないわたしは話を遮ったものの、咄嗟に出した話題を広げられる能力を持っていなかった。「えっと、」と口をもごつかせて目を左右に泳がせる。マイちゃんの周りを纏う空気が静かに尖り、剣呑なものになっていった。何か言わなきゃ、と思うのに舌はもつれるばかり。
「マイち、私と愛ちん理科室の掃除に行ってくる」
その、とまた意味もない言葉を紡いだ時。ミサちゃんがマイちゃんにそう言った。
あ。そうだった。今日の掃除場所理科室だったんだ。マイちゃんが毒気を抜かれたように「あ、うん。いってらー」と、ひらひらとわたしとミサちゃんに手を振る。マイちゃんは「ほーい」と頷き、わたしの腕を取る。
「そっか。今日、理科室かぁ……」
茫洋とした声で呟くと、ミサちゃんは「そだよー」と同意してから、じっとわたしの顔を見詰めた。
「なに?」
「愛ちんってさぁ……まぁいっか」
「え、なに!?」
「まぁまぁ」
「まぁまぁじゃないよ! なに!? 愛、じゃない、わたし何かした!?」
「KY」
「う………っ」
正論を説かれたわたしは、胸を抑えて口を噤む。ミサちゃんは何故か「おとなのかいだんのーぼるー」と口ずさんでいた。
わたしはじゃんけんの神様に見放されているらしい。
またもやじゃんけんに負けたわたしはポリ袋を両手で持ちながら、ふらふらとゴミ捨て場に向かっていた。高校生くらいになると男子は女子に優しくなるって本当なのだろうか。今の男子達は「いえー! 佐倉負けー!」「ゴミ当番よろー!」と重いゴミ袋を女子に持たせる事に何の抵抗も抱かず、それどころかゴミ当番を免れた事を嬉々として喜び、颯爽と部活に向かっていった。ミサちゃんも「私さっき頑張ったから。マイちキレさせたら怖いんだからね」と告げ、飄然と部活に向かった。女子の不文律その一『どんな時も一緒に行動』をミサちゃんは平然と破る。
……部活なぁ。部活、から連想されるのは部長だった。
部活に行ったら当然部長はいる。いつも通りの涼しい顔でいるんだろう。質問されたらいつも通り丁寧に答えているんだろう。バジさんが死ぬ前と死んだ後。何も変わらない体で、過ごしているのだろう。
わたしが経験した事のある身近な人の死はひいおじいちゃんのみだ。パパの方のおじいちゃんで、パパはひいおじいちゃんに可愛がられていたそうだ。パパはお葬式では目を赤くさせていたけど、それからは泣くことなかった。次の日会社に普通に出勤していた。多分会社でも泣いてない、はず。
それと同じなのかもしれない。部長もお葬式で泣いてスッキリして、今はもうバジさんの死を受け入れて日々を過ごしているのかもしれない。
でも、それなら。納得しかけたところでひとつの疑問が沸き上がる。
バジさんの死を受け止めて、整理できているのなら。
それなら、あの時。
『オレは全然元気。昨日も今日もぴんぴんしてる』
『そうなんですね、よかったぁー……って、ん? 昨日もぴんぴん……?』
『ま、ちょっとなー』
あの時。
「三ツ谷先輩かわいそう……!」
涙に濡れた声が、今まさにわたしが思っていた人の名を紡ぐ。思わず声の先に視線を遣ると、ゴミ捨て場へと繋がる理科室で、女子数人がたむろっていた。窓とドアが全開の為、中の様子が見渡せる。女子数人はベージュのカーディガンを着ているから、二年生以上。だけど先輩≠ニ呼んでいるから二年生だ。というか聞き覚えのある声――あ。
壁に隠れて中を窺う。予想通りだった。以前、部長に告白した二年生の先輩がそこにいた。大きな目を伏せて、ぐすぐすと鼻を啜っている。周りの友達が「だいじょーぶ?」「ユリも辛いよね……」と気遣っていた。
三ツ谷先輩かわいそう。それは、わかる。友達を亡くしたんだ。かわいそうという言葉は、合っているだろう。
なんだか、モヤモヤするけど。
お腹の奥底が消化不良を起こしたみたいに、何かがぐるぐると渦巻いていた。
でもどうして、あの人が泣いているんだろう。何が辛いんだろう。部長が辛いから?
じめじめとした蟠りが、わたしの胸の中を巣食っていた。
「ごめん、急に泣いちゃって、でも、私……!」
「ううん、いいよ! てかユリは偉いよ! 好きな人の為にそんなに泣けるって!」
「ねー! うちは、そのゴメン、ちょっと……引いたんだけど。先生もさ、言葉にはしないけど、超目をつけてるっぽいし……」
「あーだよね。人、死んだんだもんねー……三ツ谷先輩ガチ不良じゃんって私も怖くなった。でもユリは優しいね!」
多分、あの人――ユリ先輩は、部長の友達の死を自分の事のように悲しんでいるのだろう。感受性が強くて、優しくて、思いやりに溢れているのだろう。
だけど、何故か、先輩達の綺麗な友情とユリ先輩の部長を思う健気で優しい言葉達が、わたしには黒板を爪で研がれているような不協和音に聞こえる。
「ううん、私が三ツ谷先輩好きすぎるだけだから……振られてもまだ好きって重いよね……」
「そんなことないよー! ていうかユリの場合、重いってか一途なんだよ!」
「もっかい告ってみれば?」
――へ。
もしかしたら普通の流れかもしれないけど、空気を読む事が苦手なわたしは何故告白≠ノ繋がるのか全く理解ができず、雷に打たれたように固まってしまった。
告白とは、彼女にしてくださいとお願いすることだ。
それを今の部長にする。
友達を亡くしたばかりの部長に、お願いする。
頭の中が大量のはてなマークで埋め尽くされる。蟠りはどんどん増殖し、胸の中を圧迫していった。心臓が苦しい。
「そーだよ! 今こそユリが支える時だよ!」
周りの友達から口々に声援めいたものを受け、ユリ先輩は「えー…でも私みたいなブス……」と謙遜しながらも、満更じゃなさそうだった。ユリ先輩の友達がすかさず「ユリは可愛いって!」と励ます。ミサちゃんなんてわたしの恋を応援してくれない。わたしとミサちゃんより、綺麗な友情だろう。
もしかしたらこの胸のモヤモヤは、嫉妬なのだろうか。可愛くて、一軍で、友達たくさんいて、周りに恋を応援されているユリ先輩への嫉妬がなのだろうか。ユリ先輩はわたしが欲しいものを全部持っている。そうかも。嫉妬かも。だからこんなに胸の奥底がざらざらしているんだ。
「……私、もっかい、言ってみる」ユリ先輩は決意を固める。
「もっかい告る……! 元気出してください、って言う……! 私は三ツ谷先輩の事全然怖くないし、ずっと傍にいますって言う……!」
可愛い顔立ちのユリ先輩は懸命にそう言うと、すごくいじらしかった。周りの友達も「ユリって健気ー!」と賞賛している。
やっぱり、わたしはおかしいのだろう。
『私って変人だから』とたくさん漫画を持っている従姉のユウナちゃんは得意げに自分のことを変≠セと言う。普通じゃないんだよねー。変人ってか変態みたいな? と誇らしげに言っているけど、ユウナちゃんは全然変じゃない。わたしみたいに余計な一言を言って人を苛立たせたり、空気を凍らせたりしない。
わたしは本当に変だ。
「あ、あの、その告白、えっ、延期、してくれませんかっ!?」
皆から祝福されている健気な恋の邪魔をするのだから。
ずっと息を張り詰めて盗み聞きしてたから、久しぶりに出した声は情けないほど裏返っていた。突然の闖入者に、ユリ先輩達は目を点にしてから、顔をしかめる。
「――は?」
たった一言に、ビクッと体が強張った。
「え。何。てか誰」
「あーー…手芸部の子だよ。三ツ谷先輩に纏わりついてる一年」
自分が上級生のブラックリストに名を連ねているらしいことに、サァーッと血の気が引いていく。え、え、え、わたし、目ぇつけられてんの……! ミサちゃんの馬鹿、まだギリギリ目をつけられてないみたいな言い方してたくせに……! あ、わたしが宮崎あおいちゃんに似てるから……!?
恐怖に慄き息を詰まらせていると、ユリ先輩の友達が「あのさぁ」と剣呑な声をわたしに向ける。
「なんであんたの為に待ってあげなきゃなんないの」
「つか盗み聞きすんなし」
「あ、えっと、その、ちょっと、ちがくて」
「は?」
ううううう、どうしてこの人達すぐ『は?』って言うんだろう……。短い言葉で低く唸るように威圧される度に、心臓がゴリゴリと削られていく。
恐怖で喉が狭まり、うまく声が出てこない。だから、つっかえつっかえになりながら、必死に振り絞った。
「回り回ったらわたしの為、になるかもなんですけど、」
部長に彼女ができたら、とても悲しい。
想像したら心臓が押しつぶされたみたいに痛みを感じた。部長に彼女を作ってほしくない。まぎれもない、わたしの本音。本当は告白そのものも、やめてほしいくらいだ。
わたしにとっての嫌な事を少しでも遠ざけたくて延期を申し出ている気持ちも確かにあるから、歯切れの悪い口調になる。
「でもその、どちらかというと、部長の為に、待ってて、ほしく、て」
ユリ先輩が不可解そうに八の字に眉を寄せた。ああ、またこういう顔を人にさせている。また変な事を言ってるのかな。不安に駆られながら、恐怖で足をガクガク震わせながら、言葉を下手くそに足していく。
「その、告白って、お願いじゃない、ですか。彼女にしてください、って。今部長、そういう余裕、ない……や、ある……?」
言っている内にあるような気もしてきた。だって部長はすごい。トーマンに所属していて、訳の分からない新入りのお世話して、周りの友達は破天荒を極めたような人達ばかりで、手芸部の部長で、小さな二人の妹の面倒を見ている。お願いのひとつやふたつお茶の子さいさいかもしれない。
余裕かもしれない。いけるかもしれない。
でも、でも、でも。
『気合いと意地で踏ん張る』
崩れそうな気持ちを、奮い立たせているのかも、で。
「あのさぁ、意味不な事言わないでよ」
友達に守られるように囲われていたユリ先輩が、椅子から立ち上がった。大きな目を細めて、わたしを睨み据えている。鋭い視線は針のようで、喉がヒュッと鳴る。
「アンタにそんな事言える資格あんの? 彼女でもなんでもないくせに」
「そ、それを言うなら先輩も……」
あ。
ユリ先輩の顔が真っ赤に染まったことで、地雷を踏んだ事にわたしは気付く。口を覆ってしまった≠ニいうポーズを取ってしまうと、それが先輩達の怒りを更に煽ったようだった。瞬間湯沸かし器の如く怒ってきた。
「なにこの一年! マジふざけんな!」
「オマエ喧嘩売ってんの!?」
可愛らしい声だけどガラの悪い言葉に怒鳴り立てられ、頭が恐怖で真っ白になる。胃がぎゅっと締め上げられたような気分になった。
この場には先生もパパもママもミサちゃんもいない。わたしが自分の力で切り抜けないといけない。なにか、なにか言って、先輩達の怒りを冷まさないと。袋小路に陥りかけている思考回路をぐるぐる巡らせる。だけど出てきた言葉は先輩達の怒りを抑えるものではなく、それどころか更に焚きつけるものだった。
「で、で、でも、どうせ、彼女でも、駄目だって思います」
「は!?」
「彼女でも、その、えっと、」
『部長の友達、死に方えぐかったらしいよー…!』
マイちゃんの声が脳裏に浮かぶ。マイちゃんは部長の友達の死を可哀想≠ニ悼みながらも。
「部長の事を、自分の青春の為に、使うのは、駄目です」
面白がっていた。
お腹の底が熱くなって、ゴミ袋を握りしめる手に力が籠る。沸々と、わたしの体の中を綯交ぜになった虚無感と苛立ちが燻っていた。
ユリ先輩は露骨に「はぁ?」と顔を歪めた。
「なに、ポエム? ダサいし意味わかんないんだけど」
「ユリ先輩、部長の友達が死んで、ホントに、辛いんですか?」
震えている足を踏ん張りながら問いかけると、ユリ先輩はぱちくりと瞬いた。予想だにしなかった問いかけらしく、一瞬言葉に窮していた。でもすぐに目をキッと吊り上げて「辛いに決まってんじゃん」と返す。
「ホントですか?」
「私が嘘ついてるって言いたいの!? 好きな人が辛そうにしてんだよ!?」
「で、も、部長、辛そうにしてません」
「私はねぇ、ずっと三ツ谷先輩の事見てたの! だからわかんの! そんなの隠してるからに決まってんでしょ!」
わたしは、わからなかった。
わたしなりに見てきたけど、部長が悲しんでいるのか、わたしは結局わからなかった。だっていつも通りだから。いつも通りに過ごしているから。ルナちゃんとマナちゃんが気付いた部長の痛みや苦しみを、結局わたしは自分自身で見つける事ができなかった。
「隠してるもの、こじあけるのは、その」
「はぁ……。またポエム?」
「か、隠してるって事は見せたくないって、誰にも、触れられたくないって事なんじゃないかなって」
ずる休みしたんですかと詰るとはぐらかした。ちょっとなと言葉を濁していた。お葬式に出ていた事を言わなかったのは。
「部長の悲しみを、イベントみたいにする、っていうか」
友達が死んだことを、口にしたくなかったからなんじゃないだろうか。
勝手な推測を口にしたら、喉から胸が焼かれたように熱くなった。友達の事大好きですよねと聞いた後の照れくさそうな顔を思い出すと、心臓がぎゅうぎゅう絞られているように感じた。
「さっきからマジで意味わかんない、てか何、イベントって何!」
「ユリがいつ告ろうがアンタに関係ないでしょ!」
先輩達はものすごい形相でわたしに詰め寄ってきた。垢抜けた二年生たちに囲まれると圧がすごく、わたしは迫力に押されて「あ、あ、あ」と狼狽えた。手芸部の先輩達の五億倍は怖い。手芸部の先輩達の叱咤は愛の鞭だったのだと今わかった。目の前の先輩達は純度百パーセントの嫌悪感に塗れた怒りをわたしにぶつけてくる。
「えっと、ホント、その通りって思うんですけど、でも、今は」
「いいよ、今で」
ここに居るはずのない人の声が聞こえて、思考回路が停止した。
理科室の更に奥に理科準備室がある。そのドア付近で、部長が立っていた。
「み、三ツ谷先輩、ど、どうして……!」
「ここでずっとサボってた。盗み聞きするつもりじゃなかったけど……わりぃ、結果的にはしちまったな」
眉を八の字に寄せて困ったように笑いながら、悠然とした足取りでわたしと先輩達の間に割り込む。ユリ先輩を真っ直ぐ見据えながら、淡々と言った。
「オレ、田口さんとは付き合えねぇ」
流れ作業のように振ると、「佐倉、部活行くぞ」と部長は颯爽と理科室を出た。対してわたしは「はい? え、あ、はい」と締まらない返事を返し、わたしも慌てて着いて行く。部長は待ってくれていた。
「佐倉、ゴミ」
「え、わ、わたしゴミじゃありません」
「ちげーよゴミ袋貸せっつってんの」
部長は呆れ顔で、わたしに手を向けた。び、吃驚した。突然悪口言われたかと思った……。
「で、でも部長の仕事じゃないですし」
「いいって。女がゴミ袋持ってんのにオレ手ぶらなん居心地悪ぃ……ってなんかオマエ、」
部長は怪訝そうに眉を寄せると、わたしに一歩近寄った。部長との距離が縮まり、ギュンッと心臓が跳ね上がる。けど部長はお構いなしに更に距離を縮めてわたしに手を伸ばした。反射的に目を閉じる。部長の冷たくて大きな手が、わたしの額に触れた。
「あっつ」
驚きの声に、わたしも驚く。へ、と目を見開いた先で部長が「オマエ熱出てんぞ」と目を丸くしていた。
「知恵熱みたいなもんかもな」
ベッドで寝転がっているわたしを見下ろしながら、部長は呟いた。保健室の先生はわたしのママに電話する為、職員室に向かっている。部長はすぐ部室に向かうだろうと踏んでいたら、ここに留まってくれた。ずるいわたしは、部室に行かないんですかの質問を胸のうちに留めている。
知恵熱って赤ちゃんの時に出るものじゃ……。オマエはまだ子どもだと言われたように感じて、わたしは不満げに唇を尖らせる。
「わたし、もう中一なんですけど……」
「中坊だしガキだしいんじゃね」
「じゃあ、部長もですね」
部長だって中学生だ。数少ないわたしと部長の共通点が嬉しくて、熱い頬が緩んだ。部長はぱちくりと瞬いた後、ふっとほどけるように笑った。
「……そうだな」
疲れの滲んだ笑顔。部長を覆っていた硬い殻が割れたように感じた。一瞬だけ見せた無防備な顔は、わたしの胸に一拍の空白をもたらす。けどすぐに、いつもの部長の顔に戻った。物事の分別を弁えた、大人みたいに冷静な表情。
「つか佐倉、どうすんだよ。オマエ絶対あいつ等に目ぇつけられたじゃん」
「え……っ」
「いや驚く事じゃねーだろ。考え無しに喧嘩売んなよ」
「だ、だってぇ、なんか、嫌、で」
「なんか嫌って。もうちょい考えろよ」
おいおい……と部長はため息を吐いてから、薄く笑った。わたしの頭にポンと手を置く。軽く弾むような手つきは、恐怖に震えていたわたしの心をゆっくりとなだめてくれた。
「アイツ等になんかされたら、オレに言え。なんとかしてやっから」
友達を亡くしたばかりなのに、わたしの事を慮ってくれていた。
部長の優しさに触れたのに、嬉しいという感情はあまり沸かなかった。
心臓が、きゅうっと切なく疼いている。
「あーでもあいつ等二年だよな……。佐倉はあと一年付き合わなきゃなんねえのか。八戒に……あいつなんであんな女苦手なんだよ……。安田さんに頼んでみるか……」
「……別にいいです」
「いやよくねーだろ。オマエそうとう目ぇつけられて、」
「ぶ、部長!」
突然呼びかけたものだから部長は吃驚していた。わたしは裏返った声で呼びかけてしまったことに羞恥心を覚える。わたしはいちいち締まらない。なにかにつけて学校がつかない。いつもいつも、恥ずかしい言動ばかりだ。
「あ、あのっ」
けど、伝えたい。また黒歴史を生むかもしれないけど、それでも部長に伝えたい。
「わたし、ヤなこととか、悲しいことあったら全力でアピールするんです。めちゃめちゃ、甘えるんです。愛はワガママばっかって怒られて……あっいや、わたしの話はよくて、」
わたしが部長と呼ぶ男の子は十五歳で、大切なものを失った。
「わたしはいっつもワガママ言ってるんですけど、部長は全然言ってないじゃないですか。だから、もっと、自己中になっていいって思います」
部長はとっても器用で、頼れて、なんでもできる。だけどそれはこれ以上何かを抱えていい理由にはならない。
「部長、子どもなんですから」
甘ったれで我儘な中一のわたしと、二つしか歳が変わらない。
部長は不思議な事を言われたように、ぼうっとした表情になる。少し、あどけなくなっていた。「ガキにガキ扱いされるって」と失笑すると、俯いて。
「……疲れた」
静かに呟いた。
たった一言に、色んな感情が込められていた。悲しみとか、怒りとか、遣る瀬無さだとかがぐるぐる渦巻いている。
部長、気合と意地で、友達を亡くした苦しみと戦ってきたんだ。そう思ったら、心臓が粉々に砕け散ったみたいに痛くなった。
目頭が熱い。涙が瞼の下で膨れ上がっていた。だけどわたしは泣きたくない。絶対泣かない。
部長の方が辛くて苦しいのに、わたしが泣くなんて、そんなのおかしい。
「佐倉オマエ、ちょ、顔やべぇ。すげぇブ……」
いつの間にか顔を上げた部長は何故かぎょっとしていた。少し、いやかなり引いている。不自然に言葉を途切れさせた後、「ほら、ティッシュ」とわたしにサイドテーブルに置いてあるティッシュを向けた。ティッシュを数枚抜き取って、ちーー−んと鼻をかむ。部長、何言おうとしたんだろう。顔やべぇ、の後にブ=c……ブの後に続く言葉って、もしや。
どかん、とわたしの中で火山が噴火した。
「部長! 今何言おうとしましたか!?」
「あー……気にすんな」
「今乙女に一番言ってはいけない一言言おうとしましたよね!?」
「……言ってねぇんだしノーカンだろ」
「言おうとしたんだ! ひどい! ひどいひどいひどいぃいいぃ!!」
「おいオマエ鼻水やべぇってマジ!」
部長はティッシュを数枚引き抜くとわたしの鼻にあてた。自然とわたしはズズズズズとそこで鼻をかんでしまう。部長は鼻水に塗れたティッシュを「きったね……」と顔を引き攣らせた。
「汚いってなんですか!」
「いやこれどう見てもきたねぇだろ」
鼻水塗れのティッシュをわたしに見せてくる。確かに汚かったので「ひっ」と仰け反ると、部長は「な?」と首を傾げてから、笑った。
「きたねぇー」
わざと囃し立てるような言い方は大人≠ゥらかけ離れていて、初めて聞くもので、
ムカついて、嬉しかった。