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それを言って、何になる?


 部長は学校を二日間休んだ。

 部長はものすっごく頼りになる。先生よりも頼りになる。教育実習生も部長を前にすると『あ、そーいや教育実習生って学生だった』と教育実習生の幼さが浮き彫りになるくらい、部長はしっかりしている。大人以上にしっかりしている部長がいないと、教育実習生よりも学生真っただ中のわたし達は普通に困った。だから部長が来た日はその反動で、部員がわらわらと部長に駆け寄って質問攻めにしていた。次から次へと質問を繰り出されて見るからに大変そうだけど部長は嫌な顔ひとつしない。「そこはさぁ」と優しく答えていた。

「やっぱ部長に聞くのが一番だね。わかりやすいし、何回聞いても全然怒んない」

 ミサちゃんはしみじみと実感込めて呟いた。わたしもうんうんと深くうなずく。昨日部長がお休みだったからしょうがなく大野先輩に聞いたけど飲み込みの悪いわたしは大野先輩のアドバイスを何回聞いても理解できず、最初は優しく教えてくれた大野先輩も最後らへんは「だからぁ」と苛立ちが表に出ていた。大野先輩のイライラが怖いわたしはわかってないのに「わかりましたぁ! ありがとうございます!」とわかったふりしてそそくさと立ち去った。そう。結局わたしは理解できていないので。

「ん? んん……? んんん……」

 全然できなかった。
 ハンカチにコスモスの刺繍をしたいんだけど、全然うまくいかない。ああでもないこうでもないと首をひねりながら針を通していくと。
 
「佐倉は何作ってんの?」

 不意に部長の声が降ってきて、わたしは顔を上げた。訝しがるように目を細めてわたしのハンカチに視線を落としている。

「ハンカチにコスモスの刺繍してるんです!」
「え゛。コス……モス……?」

 部長は信じ難そうに目を見張らせてわたしのハンカチを凝視した。

「はい! まだ全然形になってませんけど!」
「や、逆に形になりすぎてんだろ。コスモスっつーか、西部劇に出てくる草の丸い玉にしか見えねえよソレ」
「あ、確かに……!」

 言われてみれば……! わたしは震えた。せっかくここまで頑張って縫ったのに……! ショックに打ち震えているわたしを「もっとはやく気づけよ」と部長は呆れたように見下ろしている。

「気付いたらこうなってたんですよー! ううう……」

 ちらっと部長を意味ありげに見る。『助けてください』の意味を籠めたお願い光線を、部長は「あのなぁ……」と呆れ顔を浮かべ、げんなりと受け流した。

「自分でやらなきゃ意味ねえだろ」
「えーでもぉ……わかんないですしぃ……」
「わかんねーとこ教えてやっから。ほら」

 部長はわたしの隣に椅子を置いて座り「どんな感じ?」と覗き込んできた。教える体勢に入っている。ぶ、部長にマンツーマンで教えてもらえる。まさかの棚ぼた展開にわたしの頬は熱くなり妙に落ち着かなくなった。一学期の頃は部長の傍にいられるとただ嬉しくてはしゃいだ。でも、いつからか、ただはしゃげなくなった。
 部長の傍にいられて嬉しいんだけど、一緒にいると、妙に逃げ出したい気分にも、なる。

 部長はわからないところを何回聞いても怒らなかった。物覚えの悪いわたしに懇切丁寧に教えてくれる。何回聞いても部長の声に苛立ちは混じらない。普段わたしがわざとではないとは言え、どれだけ失礼な事を言ってもマジ切れ≠キることはない。同年代の男子達に比べると部長の精神は遥かに大人だ……としみじみ感じる。だからお祭りの時怒ったのは、それだけ緊急事態だったということだろう。友達の話をする時はいつもより饒舌になるし、部長ってホントに友達の事が大事なんだなぁ……。

「佐倉ー、聞いてっかー」

 気付いたらぼーっと物思いに耽っていたわたしは、部長の呆れた声で現実世界に舞い戻る。部長は白い目でわたしを見ていた。

「す、すみません! あのその、部長わざとじゃなくて!」
「あーうん。いつものな。わざとじゃねんだよな。わかったわかった。で、ここなんだけど……」
「うううう、すみません、いつもいつも……」

 部長を困らせたい訳ではないのにわたしはいつも部長を困らせてしまう。嫌がらせめいたことをしてしまう。ミサちゃんにも『愛ちんって住所突き止める系の性質の悪いジャニオタみたいだね』とドン引きされている。
 
「いーよ。慣れたし。つか今思うと佐倉が東卍の集会に来たのウケるな」
「あああ……! すみません! すみません! やめてくださいぃぃいぃ……!」

 ママに自作の漫画を読まれた時のような羞恥心が体を這いずり回る。過去の黒歴史を引き出されて思わず耳を抑えて発狂していると「愛うるさい!」と大野先輩に怒られた。

「しかもアンタはまた部長に纏わりついて!」
「ひえっ」
「あー、いい。いい。大丈夫」
「部長ってば優しい〜」

 部長はわたしに対するものより優しい笑顔を大野先輩に向けていた。「ありがとな大野さん」と笑いかけられた大野先輩はころっと施されていた。わたしにはすっかり見せなくなった優しい笑顔だ。なんか腑に落ちない。どこをどう説明すればいいかわからないけど、腑に落ちない。
 
「ぶ、部長、あのその、確かにわたしが悪かったんですけど夏の事を引っ張り出すのは、」
「わり。いいストレス発散になるから、つい」

 まさかのわたしサンドバッグ発言に「……!?」と言葉も出ない。部長はかっこいい。めちゃめちゃめちゃめちゃめちゃめちゃかっこいいんだけど、今みたいに意地悪な面もある。確かにたくさん迷惑かけたけど他の子とわたしへの態度に差がありすぎだ。「部長ー!」と食ってかかろうとした時。 

 部長が「あれ夏か」とぽつりと呟いた。
 
「もうそんなんになんだな」
 
 部長はそう独りごちると、わたしから視線を外した。窓の外の空をぼうっと眺めている。その視線に釣られるようにわたしも外に視線を遣った。秋晴れに澄み切った空がどこまでも続いていて『秋だなぁ』と漠然と思う。

「この前まで夏だったのに早いですよねぇ。あんなに暑かったのに……あっ、だから部長お休みされたんですか!? 急激な気温の変化についていけなくての体調不良ですか!?」
「は? ……あーー…」

 部長は瞬時には私の発言の意図が掴めず眉を潜めたけどすぐに理解したらしい。「違う違う」と苦笑しながら顔の前で手を振った。

「オレは全然元気。昨日も今日もぴんぴんしてる」
「そうなんですね、よかったぁー……って、ん? 昨日もぴんぴん……?」
「ま、ちょっとなー」
「も、もしやずる休みです!? 遊んでたんですか!?」

 部長は笑った。隙の無い笑顔だった。「部長ー!」とわたしが憤慨しても、笑っていた。いつもの部長となにひとつ変わりなかった。


 


 日が落ちるのが大分遅くなった。茜空に薄墨が差し込んでほのかに暗くなった空を確認すると、わたしはペダルを漕ぐ力を更に強めた。早く帰らないとパパとママに叱られる。ていうかそろそろケータイ買ってほしい!
 
 ミサちゃんと遊んだ日曜日、せっせとペダルを漕いで帰路を急ぐ。公園に差し掛かったところで、見慣れた顔が視界の端に映りこんで――あ、と思う。
 
 ――部長の、妹ちゃん達だ。
 
『子供扱いすんなよ、間抜け面』

 ふてぶてしい顔と一緒に思い出し、ああー! と血液が沸騰した。愛お姉ちゃんって呼んでねと言ったのに部長の妹たちはわたしをずっと間抜け面呼ばわりした。これだから子供は嫌なんだ……! 思い出すだけでキーーッとヒステリックに憤ってしまう。ふん! と顔を背けてペダルを漕ごうとし、さっきよりも更に薄墨が濃くなっていることに気付く。茜色よりも勝りつつあった。わたしのような中学生ですら少し遅い時間だ。そんな中、小さな女の子が公園に二人でいる。
 不安というか心配というか、胸に灰色の何かがぐるぐると蟠り、わたしはペダルを漕ぐのをやめる。その時ダメ押しのように、部長の優しい目が過った。妹ちゃん達を見つめる、慈しみに溢れた優しい眼差し。部員に見せるものとは比べ物にならないほどの、やわらかな光をたたえた瞳だった。あの瞳が翳る事になるのは見たくない。

 ……まぁ、わたしももう大人料金で電車乗ってるし? 大人らしく、前の無礼な態度は水に流してあげようじゃないの。
 そう思ってUターンし、公園に立ち寄り二人に声を掛けたところ。

「間抜け面だ」
「間抜け面だ」

 部長によく似た瞳を胡乱げに細めて見上げられた。一瞬にして大人の余裕は消え失せ「間抜け面じゃないもん!」と涙目で訂正を促す。これだから、これだから小さな子って嫌!!!

「なに、間抜け面」
「間抜け面じゃないー! き、君たちがこんな時間に公園にいるの見えたから気になってきたんでしょ! 大人はともかく、子どもはもうそろそろ帰る時間だよ!」

 大人はともかく≠ノ語気を強めて注意する。そう、わたしはもう電車を大人料金で乗っている……! 立派な大人=c…! ホホホホと高笑いしたい気持ちを抑えながら「ね? 送ってあげるから帰ろう?」と大人っぽい口調で妹ちゃん達を帰るように促す。

「うるせー間抜け面。子ども扱いすんな」
「だから間抜け面じゃないってばぁーーー!」

 一瞬にして一蹴され、屈辱のあまり半泣きで食って掛かる。この二人はホントに部長の妹なんだろうか。失礼にも程がある。このおぉぉと拳を震わせているわたしとは対照的に、妹ちゃん達は落ち着いていた……というか。

「……えっと、その、……なんかあった?」

 落ち込んでいた。二人して三角座りをしながら、地面に視線を向けている。項垂れた頭が二人の心境を表しているようだった。

「……ルナ達はなんもない。……あったのは、お兄ちゃん」

 ……お兄ちゃん? 部長の顔が浮かんだ。部員に優しく、わたしには少しだけ厳しく、だけどやっぱり優しい部長。面倒見が良くて、頼りがいがあって、いつも落ち着いている。ここ最近の部長を思い返しても何もおかしいことは、

「お兄ちゃんの友達、死んだの」

 おかしいこと、は、

 頭の芯まで真っ白に染まって、呼吸を忘れた。

「すごい仲良しの友達だったの。けどお兄ちゃん、全然泣かないの。ルナとマナがいるから、泣けないの。だからここにいんの、」

 不意にルナちゃんの声が引き千切られたように止まる。ルナちゃんの目がうっすらと赤く染まっていった。マナちゃんは下唇をギュッと噛みしめて、嗚咽を必死に堪えている。大好きなお兄ちゃんが苦しんでいるのに何もできない歯痒さに打ち震えていた。

 この二人はやっぱり部長の妹だ。

 宇宙の中に放り出されたように呆然と立ちすくみながらも、その実感だけは確かに感じた。ルナちゃんとマナちゃんは部長の妹だ。
 だって、まだ小学校に上がるか上がらないかくらいなのに、こんなに気遣えている。部長が妹の前では心配かけさせまいと泣かないであろう事を妹ちゃん達は察して、ひとりの時間を作ってあげるために、公園にまで出てきた。

 部長の寂しさに、痛みに、気付けていた。

『も、もしやずる休みです!? 遊んでたんですか!?』

 わたしと、違って。

 ついこの間の自分の能天気な声が脳裏に響き渡ると、一瞬にして、喉がからからに干上がった。地につけている足から力が消えて、無くなっていく。違う。お葬式に出ていたんだ。だから休んだんだ。わたしの無神経な問いかけに対し、部長は怒らなかった。不機嫌になる事無く、笑って流していた。

 胸が塞がれたみたいに息苦しくなり胃がきりきりと引き攣るように痛む。
 ひどいことを言った。ひどいことを言った。ひどいことを言った。
 それなのに部長は、怒らなかった。

「ルナー、マナー。オマエらいい加減――佐倉?」

 ここにいるはずのない人の声が突然飛び込んで来た。肩を跳ねさせてから、声の先に顔を上げる。部長は少し目を丸くしてわたしを見ていた。ルナちゃんとマナちゃんを迎えに来たのかな、と部長をぼんやり眺める。

「もしかしてルナとマナと遊んでくれてた?」
「違うし」
「なんか話しかけてきた」

 ルナちゃんとマナちゃんが憮然として即答する。しかめっ面の二人に、部長は苦笑した。

「オマエらその言い方はねーだろ。わりーな、佐倉。こいつら結構口が……佐倉?」

 部長はわたしの顔の前で手を振った。きっと今のわたしは心あらずといった顔をしているのだろう。

「おい、大丈夫か?」

 部長は眉を八の字にして、心配そうにわたしを見ていた。たくさん迷惑を掛けてこの前も無神経な事を言った後輩を対し、心配してくれていた。

「……部長」
「ん?」

 ごめんなさいと言おうとしたら、喉の奥が変に痙攣して、声が固まった。

 部長の友達が死んだことを知らずに無神経なことを言いました。ごめんなさい。

 それを言って、何になるのだろう。

 家ですら取り乱さずに落ち着いて日々を過ごしている日々はわたしの謝罪に面食らいながらも『ああ、いいって』と手を振るだろう。『知らなかったんだし、しょうがねえよ』といつものように笑いながら。

 正直なところ、わたしは部長の友達の死が悲しい訳じゃない。面識がない人の死は知らされたところで実感が沸かない。
 だけど一学期の頃のわたしなら泣いただろう。部長友達が死んだんですね。可哀想。多分、一学期の頃のわたしならそう泣いた。恋をするに打ってつけの人に訪れた悲劇≠、悲しむ形で消費した。
 だけど今はそうしたくない。部長の悲しみを『可哀想』で片づけるのはエンターテイメントとして消費するみたいで、嫌だった。

「わた、し、帰ります」
「え? あ、おう。じゃあ送ってくわ」

 ただの後輩に対し、部長は送ろうと自ら申し出る。いつものわたしならすぐ飛びつく、水飴のように甘い言葉。だけど今はこんな時でも優しいのかと胸が痛んだ。そんなことしなくていい。友達が死んだ時まで、大人でいなくていい。

「い、いいです! わたし、自転車なんで! あ、あとその……早く帰りたいんです! サザエさん見たいんで!」

 早口で告げるとわたしは自転車に逃げるように跨る。ペダルを漕ごうとした時、背中に部長の声が飛んできた。

「気ぃつけて帰れよー」

 穏やかな落ち着いた声。いつも通りの部長の声だった。


 薄墨が空を覆っている中、わたしはぼーっとペダルを漕いでいた。妹ちゃん達から部長の友達の死を知らされた時は頭が真っ白になったけど、時間が経つにつれて平常心を取り戻していった。

 部長は案外大丈夫なのかもしれない。そう思うようになっていた。
 だって部長、普通だった。
 部長はやることがたくさんあって日々忙しくしているだろうし、その中に友達の死は埋没していったのだろう。わたしもひいおじいちゃんが死んだその時は悲しかったけど、日々を重ねていく内に思い出に昇華された。

 何より部長はわたしと違い大人だ。いつだって頼りがいがあって、冷静で、落ち着いている。だから友達の死ももう、受け入れて――。

『……そうかぁ?』

 部長って友達の事大好きですよね。そう聞いた時の部長の顔が浮かんだ。わたしから視線を若干外しながらの、はぐらかすような口振り。好きなものを好きと言い切る事を恥ずかしがる感性は、年相応の男の子のものだった。
 
 ペダルを漕ぐのをやめて、立ち止まる。いつかの部長の声が頭の中で響いた。

『気合いと意地で踏ん張る』

 弱さを強さに変えて笑う声が、わたしの心を揺らす。


 



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