なんでですか?
思い出す。思い出したいから何度も何度も頭に描く。
『何もかも嫌になって逃げだした事とかあるし』
悔いるような、自分を責めている横顔を、思い出す。
わたしが今まで見てきた部長よりも余裕なくてどこか無防備で別にそんな格好良くなくて、
――もう一度見たいと思った。
「ずっと前から好きでした……! 私と付き合ってください!」
うわぁあぁあぁあああ……!
夏休み明け早々、わたしは告白現場に出くわした。じゃんけんで負けてゴミを捨てに行った帰り、正しく言うと、出くわしかけた。曲がり角を曲がればわたしは告白現場に直撃する事になる。
告白現場に出くわしかけるのは二回目だ。あの時はミサちゃんと一緒で声を潜めながらキャッキャしたなぁ……。だけど今は一人。この昂揚を分かち合える人間は誰もいない。ああ、もどかしい……! キャッキャッしたい! てか誰が誰に告ってんだろう……! 野次馬根性が働き、壁に隠れて息を殺しながら盗み見する。
告白している女子はわたしに背を向けているから顔はわからない。けど後ろ姿も垢抜けているし細いし大きめのサイズのベージュ色のカーディガンを羽織っている事から、二年生以上の垢抜けた一軍女子という事がわかる。(何故か一年生はベージュのカーディガンを着たら生意気と目を付けられるらしい)
対して告られているのはというと。
告られている人間を窺った瞬間、わたしの意識は弾かれたように震える。昂揚でふわっと浮かんでいた心臓が急激に鉛のように重たくなった。
――部長だ。
左手をズボンのポケットに突っ込んで、目の前の女子を澄んだ瞳で見つめている部長を目にした瞬間、ドッドッドッドッと心臓が早鐘を打ち始めた。
前の告白現場も部長だった。
前も『え〜〜! 部長が盗られちゃう〜〜〜!』と不安になった。だけど同時にわたしの好きな人ってモテるんだ! という昂揚感と安心感と優越感めいたものもあった。けど、今はなんだろう。昂揚感はない。ただ、胸が塞がれたみたいに苦しい。胸にもやもやと正体不明の靄が漂っている。今も昔も、部長の事が好きなのは変わらないはずなのに。
なんだか、ざわざわする。胸元のスカーフをきゅっと掴んで、戦々恐々と耳をそばだてていると。
「ごめんな」
優しく労る声が続いた。でも、はっきりと拒絶をはらんでいた。
女子の先輩が「っ」と息を呑む音が聞こえた。体が小刻みに震えている。ややあってから女子の先輩は踵を返した。あ、ヤバ、こっち来る……! あたふたしながら頭を抑えてしゃがみ込むけど、絶対バレバレだ。あああ二年生に怒られるのは怖い! 目をつけられたくない! わたしがこの世で一番怖いのは女子の先輩だ。ひとつふたつ違うだけなのに大人の女の人に見える。
幸いにも女子の先輩は泣きながら去るのに必死でわたしの存在など目に入っていなかったから、『何覗き見してんだよ!』と怒られることはなかった。ほっと胸を撫で下ろしながら、あ、あの人二年生だ。可愛い人だから知ってる……。
ミサちゃんに『告白とかやめときなよ』と釘を刺されたことがある。『調子乗ってるって呼び出されるから』
わたしは『するわけないじゃん!』とびっくりした。
『わたし告白は男子からするものだと思ってるから!』
『あ、うん。そっかー』
一学期の頃はそう思っていた。だから部長の事好きだけど告白はしなかった。
けど、今は。
泣きながら去っていく二年生の背中をぼんやりと眺める。あの人はわたしじゃない。わたしよりデコりのセンスあるし、一軍だし、垢抜けている。わたしとの共通点なんてせいぜい性別しかないのに、何故か、他人事のように思えない。
もし、わたしも部長に告白したら――。
「何覗き見してんだよ」
上から部長の声が降って来て、はっと我に返る。見上げた先で、部長が呆れたようにわたしを見下ろしていた。
「あっいやこれはそのっ、わざとではないんです!」
「だろーな」
部長は「佐倉そういう奴じゃねえし」と淡々と言う。えっわたし……信用されてる……!? と喜んだのも束の間。「ンな器用な真似、オマエできねえだろ」とすげなく言われた。
『部長って、大したことないんですね!』
と言ってしまった日。わたしは部長を軽んじている訳じゃないことを言う為に、ありとあらゆる言葉を尽くした。
『違うんです! わたし部長の事完璧だと思ってて! なんでも許してくれる人だと思ってて! そしたら案外キャパ狭いっていうか普通に怒る事あるんだっていうかあっそういえば中学生だ! って思い出して! そりゃただの男子なんだから全て受け止められないよなぁって思って!』
……尽くしたかった……。
部長を苛立たせたいわけでも馬鹿にしたい気持ちは全く無いのに何故か部長を軽んじるような発言がバンバン出てくる。あーー! 違うのに違うのにーーー!
「佐倉何してんの。部活サボり?」
「ち、違います! ゴミ捨ての帰りです! ……あっ、一緒に部室に行けますね!」
嬉しくて声が弾んだ。だけど部長はわたしとは対照的に「うわ……」と少しげんなりしている。
「どうして嫌そうなんですか!? 部長前はもっと優しかったのに!」
「わりーな。オレもさ、」
部長はにっこりと綺麗に笑った。
「喋る度小物とかキャパ狭いとか言われたら、な?」
有無を言わせぬ圧力に、わたしは冷や汗をかいて視線を泳がせた。言葉の行間を読むことが苦手なわたしでも部長の言わんとしたいことはなんとなくわかった。
部長のわたしへの態度は日増しに冷たくなっている。思い当たる節は、ありすぎる。
部長は最初から何でもできる完全無欠のスーパー人間じゃないんだ。プライドとか守りたいものの為に、強く優しく在ろうとしているんだとわかってから、何故かわたしは。
『部長ってトーマンで何番目に強いんですか? 多分だけど四〜五番目? 微妙な順位ですね! ……あっ』
と、こんな具合で余計な一言を言いまくるからだ。余計な一言を受けていく内に、当然と言えば登園だけど、部長のわたしへの態度も他の子よりは若干の棘が入るようになった。いつのまにか苗字呼び捨て、時折オマエ呼ばわりされている。
「違う、違うんです、部長ー! わたしが言いたいのはそういうことじゃなかったんですよぉ……!」
「あーうんわかった」
「おわかりになられてないです! わたしが言いたいのは、えっとフリーザが!」
部長の話から聞くと、トーマンは超人的な強さの人だらけだった。総長のマイキーさんなんて、もはやフリーザだ。フリーザ最終形態だ。お祭りの日刺されたドラケンさんも今はピンピンしてるらしいし(刺された……!?)、他にもバジさんという人が一人で三十人の不良を相手にしたりだとか、もう訳がわからない。フリーザ第二形態だろうか。部長も喧嘩強いっぽいけど、超人的な強さではないようだ。
超人的じゃないのに、そういう人達に食らいついていってる。超人的に強い事よりも格好良く思えた事を、伝えたかった。
ああ、自分の会話力の無さが歯痒い! ああ、部長の目がどんどん白くなっている!
「フリーザがぁ、そのぉ……!」
「わかったよ。いやわかんねぇけどわかった。佐倉に悪気ねぇのはわかるし、いーよ」
部長はため息を吐いてから、呆れ顔でわたしを見た。部長はわたしには少し冷たい。けどやっぱり優しい人なので、わたしを無視することはないし、最後にはフォローを入れてくれる。わたしに呆れているのに、優しく在ろうとしてくれる。
そう思うと心臓がむずむずとくすぐったくなった。前は部長の事を思うとテンションがただただ上がりに上がったけど、今は少し違う。なんだかくすぐったくなる。
「……部長って、結構……告白されてますよね?」
「平均わかんねぇけど、ちょくちょく」
「………お、お付き合いされた事は……?」
「あるよ」
………あるんだ……。
ズーーン、と重たい石が頭の上に乗っかっているように気分が沈んだ。やっぱりと納得しつつもショックだった。
多分、前だったら。流石部長ー! とテンション上がっただろう。ていうかやっぱちょっと経験ある方がかっこいいよね! リードしてもらいたいし! 的な具合で。
だけど今はなんだか寂しい。彼女≠ノはわたしの知らない顔をたくさん見せたことがあるのだろうと思うと、胸の奥が抓られたように痛くなる。わたし達後輩≠ノはいつも大人で優しい部長だけど、流石に彼女の前では弱音を吐いたりするだろう。だって彼女にはお兄ちゃん≠ナも部長≠ナもない自分でいられる。
頼りがいのある部長が好きだった。格好いい部長と付き合いたいと思った。だけど部長を思い浮かべる時、わたしにいつも優しくしてくれていた部長よりも、余裕なく苛立っていた部長や、静かに悔いている部長が出てくる。
格好いい部長よりも、何故だか、わたしの心を締め付ける。
……あれ、でも。はたと気づいて首を傾げる。
「今はいないんですよね?」
「何で知ってんだよ」
「ミサちゃんから教えてもらいました!」
「何で高遠さんは知ってんだよ………」
「女子のネットワークを舐めちゃ駄目です!」
えっへんと胸を張って自慢げに答えると「何でンな得意気なんだよ」と部長は可笑しそうに笑った。くしゃりと綻んだ表情が少年≠チぽくて、胸の中にほわほわと暖かい何かが満ちていく。なんだかよくわからないけど、そわそわした。
「どうして別れたんですか? 振ったんですか? 振られたんですか?」
「佐倉オマエなぁ……デリカシーって言葉知ってる?」
「はい! 知ってます!」
「うん。そっか」
部長はため息を吐いてから「振られた」と淡々と答えた。
「東卍とか妹の世話優先してたら、もっと私の事考えてよって泣かれて振られた」
振られたという割に、部長は一切悲しんでいなかった。報告書でも読み上げるように、淡泊な声色だ。
「……ホ、ホントに部長が振られたんですか?」
「そうだって。向こうから別れ話してきたし。まぁ予兆はあったから、驚きはしなかったな。確かにオレ、全然大切にしてやれなかったし」
「えっ」
意外過ぎて素っ頓狂な声が上がった。部長が彼女を大切にしなかった。もう一度心の中で呟いて咀嚼しても、しっくり来ない。部長って彼氏になったら更に優しくしてくれるんだろうねーという妄想話でミサちゃんと盛り上がった事もある。
「付き合うの結構楽しかったけどさ。しばらくはいいわ」
部長ははっきりと言った。
「自分の女まで守る余裕ねぇ。東卍とルナとマナで手一杯」
明確な意思をはらんだ声は淀みない。部長、ホントに彼女作る気ないんだという安心と同時に突き放されたような寂しさが胸の中に座り込んで――不思議に思った。
「何で守らないといけないんですか?」
「なんでって……男は女守んなきゃいけねぇだろ」
部長は当たり前だと言わんばかりの口調だった。けどわたしは腑に落ちない。部長の言う事はいつも理にかなっているのに、納得できなかった。
「愛の家では、パパよりママのが強いですよ。パパ、ママによく謝ってますし。なんとかご機嫌取ろうと必死ですし。愛のいないとこでママに甘えてるっぽいし。腕相撲とかはパパのが強いと思うんですけど、全体的にはママのが強いです。ママに聞いたら結婚前からそんな感じっぽいし……えーと、だから、つまり……」
我が家の内情を話していく内に、頭がこんがらがってきた。えっと、わたしは何が言いたいんだっけ。わたしは、部長に何をしたいんだっけ。タコ足配線のようにこんがらがった思考の中、花火大会の夜空が脳裏に浮かび上がる。八つ当たりするんですかと問いかけたわたしに、部長は『普通にするって』と苦笑した。
『何もかも嫌になって逃げだした事とかあるし』
悔いるように恥ずかしそうにそう呟く横顔が、強く浮き上がって、胸の奥が締め付けられた。
「――彼女は守んなきゃいけない存在じゃなくて、部長の事、守ってくれる存在だと思います」
部長に伝えたいことをようやく言葉にすると、胸のつかえが取れた。ああ、そうだ。わたしが部長に言いたいことは、要約するとこういうことだ。進研ゼミの販促漫画に出てくるわかりやすい解説に喜ぶ主人公のような爽快感を覚える。そうそう、そういうこと!
あれ、でも。はてと首を傾げる。
「そうかぁ?」
部長はわたしの言う事がイマイチ腑に落ちないようだった。「男が女に守られるっつーのはなぁ」とぼやいている。わたしは自分の疑問は置いておくことにした。心に浮かんだ言葉をそのまま部長に投げる。
「部長ってギリギリ平成生まれなのに結構言ってる事昭和ですよね!」
「オマエさぁ……」
「……あっ、これはっ、そのっ」
わたしは少女漫画が好きだ。主人公が困っていたりピンチになったら、颯爽と駆け付けて助けてくれる展開が特に好き。わたしもこんな風に守られたーい! うっとりしながら読んでいる。一学期までは部長にかっこよく守られたいと常々思っていた。もちろん今もその願いは残っている。
けど、願いの形は、どうやら少し変わったみたいだ。
部長に告白しない理由が変わった。
部長のかっこいい姿以外を見たいと望むようになった。
どうしてだろう。なんでだろう。
「佐倉?」
「ほげっ」
ぼうっとしているところに部長に話しかけられ、肩が飛び跳ね同時に寄声を上げてしまう。「カエルが潰れたみてぇな声だな……」と部長に言われた。
「カエルなんて嫌ですー! ウサギが潰れたみたいな音でお願いします!」
「いやその方がグロ……つか佐倉背ぇ伸びた?」
「あっはい! そーなんですよ! 夏休みの間に5センチ伸びましたー! 成長痛で超痛かったですー! 部長は伸びましたか?」
「………………0.3ミリ」
部長は不貞腐れたような顔つきで、わたしから少し目を逸らした。
一学期の頃の完璧な笑顔よりも年相応の顔つきに、何故か胸の奥が熱くなって、気分がそわそわする。小さな泡々がぱちぱちと弾けては消えていった。
どうしてだろう。なんでだろう。不思議に思いながら、部長の横顔を食い入るように見つめて、心の中に浮かんだ言葉をそのまま呟く。
「全然伸びてないですね!」
「そーだな」
つっけんどんな声が返ってきた。