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違うんです!





 埋め合わせすると言ったからには、だ。
 
 一般の、しかも小学生に毛が生えたようなガキにキレた気まずさを抱えながら、佐倉さんの家電に電話を掛けた。

 男であるオレが佐倉さんに連絡を取ったら、過保護な佐倉さんの両親は面倒そうなので、佐倉さんの親が出ないようにという願いを籠めてコール音を聞く。
 この願いは叶えられた。『佐倉です』と舌足らずな声を捉えて、ホッとする。

「祭りの埋め合わせしようって思ってんだけど」

 もうひとつの願いは『断ってくれねぇかな』。

 佐倉さんはいつも優しい三ツ谷部長≠ノ憧れている。この間でその幻想は壊されただろう。案の定、佐倉さんはオレから誘われたのにすぐに飛びつかず黙っていた。断られる気配を濃厚に感じ、内心『よし』とガッツポーズする。気持ちに余裕が出てきて、対後輩用の優しい声を作って話しかける。

「無理しなくていいからよ。無理なら、」
「……お願いします」

 え。

 オレが言葉を失っている間に、佐倉さんは神妙な声で、吃りながらも、もう一度同じ言葉を唱える。

「お、お願い、します」












「はふっ、はふっ、はふっ」
「だから冷ましてから食えつったろ?」

 わたしと部長は土手に座りながら打ち上げ花火を待っていた。待っている間にとたこ焼きを意気揚々と頬張ったものの、作り立ての熱さを舐めてかかったわたしは、見事に舌を火傷した。涙目で『熱い!』と悶え苦しんでいるわたしを、部長は横目で呆れている。

 辺りを見渡したところ、知っている人達はいなくてホッとする。部長が少し遠くの花火大会を指定してくれてよかった。部長と花火大会に来ている事がバレたら女子の先輩からの呼び出しは必須だろう。あんたちょっと宮崎あおいに似てるからって生意気なのよ!

「あっぶちょおおぉ………! ソースが!」

 襟元に付着したソースに嘆き半べそでハンカチで拭いていると、部長は大きなため息を吐いた。

「擦ったら余計落ちにくくなるから。叩くぐらいにしとけ。クリーニングに出したらとれんだろ」

 多分、と付け足して部長は笑った。いつもの部室で見せる笑顔だった。八月三日の時の表情の節々から滲んでいた苛立ちは、もうない。

「部長、もう怒らないんですか?」

 部長は一時停止ボタンを押されたように、一瞬固まる。ばつが悪そうに「あー……」と首筋をぽりぽり掻いた。

「佐倉さんマジ直球だな……。キレねえよ」
「なんでですか?」
「ガキじゃねえんだし、あんな大人気ねぇこともうやんねーよ」と部長は苦笑する。

 あの時の凄みのある声はもうない。後輩のわたしに向ける優しい声に戻っていた。

『……ダチが危ねぇっつってんだろ。なんでオマエ連れかなきゃなんねえんだよ』

 低い唸り声を聞いた時、わたしは雷にうたれたような衝撃に見舞われた。
 
 吃驚した。

 部長が怒っている姿を見た事がない。ミサちゃんも、安田先輩も見た事がないと思う。先生に髪の事で無茶苦茶怒られても、部長は無暗に反抗せず涼しい顔で流していた。
 いつも大人で優しくて格好いい。そんな部長が怒った。余裕のない表情だった。切羽詰まっていた。

 部長って怒るんだ。

 放心しながら、家に帰る。ママに部長にドタキャンされた事を告げる気にはなれなかった。雨が降って来たから途中で帰って来たと嘘の理由をでっち上げる。友達とお祭りに行ってきたと思い込んでいるママは、わたしの二つ目の嘘に全く気付かない。『連絡してくれたら迎えに行ったのに』と言っていた。

 ママは初めて部長を見た時、『あの子が手芸部の部長……!?』と畏れ慄いていた。部長は良い人なんだよ、かっこいい人だよ、と言ったら頷いてはくれたけど苦い顔をしていた。部長がトーマンに入っている事は知ったらややこしいことになりそうと思ったので、それは伏せた。
 けど、お母さんに代わって小さな妹たちのお世話をしていることを告げると、目を丸くしてから『すごい子ね』と舌を巻いていた。

『わたしは愛ひとりでもひいひい言ってたのに、幼児と小学校低学年って……偉いわぁ』

 小さな子の面倒を見る事は、すごく大変で、育児ノイローゼになる人もいるらしい。わたしは小さな子苦手だけど可愛いとは思うし『そんな大袈裟な……』と鼻白んでいたらママはどれくらい大変か滾々と諭しかけてきた。
 少し目を離しただけで車道に走ったり食べてはいけないものを食べたり急に熱を出したり、毎日が予測不可能の連続で常に気を張って過ごさないといけないらしい。そういえば部長が部活の途中で帰ったこともあった。わたしは今更思い出す。
 部長はいつも穏やかで余裕たっぷりだ。部長をしみじみと偉いと呟くママの姿に、部長ってやっぱりすごい人なんだと痛感した。

『部活では愛のお守りだし……大変ねぇ』
『お守りされてないもん! てゆーか、部長だから大丈夫だよ。すごい人なんだから! いつも優しいし!』

 ママは部長の事を何もわかっていない。わたしの方が部長をわかっている。そう思うとなんだか誇らしげな気持ちになった。

『でもまだ中学三年生でしょう?』

 ママの言っている意味がよくわからなかった。だって二つ年上はわたしにとって十分大人だから。すごい人だから。
 そう、わたしにとって三ツ谷隆という人は、すごい人だった。

 部長に喜怒哀楽の感情があることを遠い星の出来事のように捉えていた。女子の先輩にはおっかなびっくりしながら声をかけるけど部長にはいつも思い切り声を掛けれたのは、きっと部長なら優しいから許してくれる! と理想を胸にウザがられる可能性を度外視していたからだ。同じ空間に存在しているけど、部長の事を芸能人のように捉えていた。

 だけどお祭りのあの時、部長は怒っていた。わたしに苛立ちを尖らせる部長を見た時、吃驚して、吃驚して、吃驚して、

 強風になぶられたような衝撃だった。目から鱗が落ちる。
 フィルターが取っ払われる。

 この人人間なんだ。てか、中学生なんだ。

 そんな風に、三ツ谷隆という人が、肉付けされていった。
 



「部長、ワガママ言ってすみませんでした」

 ペコリと謝ると、部長は鳩が豆鉄砲を食ったような顔をした。口を少しポカンと開けて、呆気に取られている。

「わたし、部長は優しいから、何でも許してくれるって思ってました、……ごめんなさい……」

 部長の顔を見るのが居たたまれなくて俯きながら、ボソボソと籠った声で謝罪を続けた。

 部長は人間だった。生きてる人間だった。わたしの全てを許してくれる訳ではなかった。お祭りのあの日、わたしはベッドに寝転びながらようやく悟る。

 今までの自分の行動を思い返す。顔が熱くなった。恥ずかしさのあまりゴロゴロと転がる。テンションが上がると元々乏しい判断力が低下して訳の分からない行動をしてしまう。わたしの悪い癖がまた発動してしまった、あああああもうやだ死にたい死にたい転校したいぃいいぃぃ……!

 部長から誘ってもらった時、嬉しかった。でも躊躇いもあった。わたしは部長にたくさんの黒歴史をぶちかましてしまった。顔から火が出そう。ゴロゴロゴロゴロ、転がり続ける。

 ああ、でもその前に。転がるのをやめて、うつ伏せになりながら決意する。わたし、謝らなきゃ。
 
 わたしは小さな頃から間違えてばかりで、一度は遠回りをしないと答えにたどり着かない。今回もやっぱり、部長に散々迷惑をかけてから、ようやくたどり着いた。

 わたしは駄目駄目で、不器用で、空気が読めない。部長とは正反対だ。

 ……というかわたしが謝ることはそんなに珍しいだろうか。先輩達に反抗したことないのに……いちいちうるさいな……って思ったことは確かにあるけど……。

「オレもキレたし、いいよ」

 部長は穏やかに目を細めて笑う。大人だ。余裕に溢れたいつもの部長だ。格好良くてときめく。わたしをオマエ呼ばわりした時の部長と全然違う。

「……いや、オレのが悪いな。女にキレんなよ。あれ、八つ当たりも入ってたし」
「八つ当たり」

 部長が八つ当たり。わたしはしょっちゅうママに八つ当たりするけど、いつも大人な部長と八つ当たり≠ェうまく結びつかなくてオウム返しする。舌に馴染まなくて、八つ当たりはふわふわと口の中を浮いた。

「部長も八つ当たり、するんですか」

 驚きのあまり呆けた声で問いかける。部長は「佐倉さんまじでオレを何だと思ってんだよ」と苦笑する。

「普通にするって。何もかも嫌になって逃げだした事とかあるし」
「え……?」

 驚きのあまり、間の抜けた声が唇から零れ落ちる。部長が逃げた。部長≠ニ逃げた≠ェまたしても繋がらず、首を捻る。

「何でオレばっかこんな事やってんだよ、周りの奴等普通に遊んでんのに、なんでって、」

 部長は夜空を仰ぎながら、ぽつぽつと小雨が降るような口振りで語る。言葉を途中で切らすと、わたしに微笑みかけた。

「オレ、多分、つか絶対、佐倉さんの思ってるような奴じゃねえよ」

 小さな子に諭しかけるような口調だった。あの玩具が欲しいとねだるわたしに『諦めなさい』と言い含める時のママと同じ目をしている。

 何かの合図のように、乾いた音が破裂した。

 ――ドンッ!

「お、上がった」

 色とりどりの光が夜の闇に吸い込まれるように消えていくのを、部長は眩しそうに見つめていた。やっぱり格好良かった。悠然とした空気を纏い、怖いことなど何もなさそうな余裕に溢れた横顔。何もかも嫌になって逃げだした事があるなんて信じられない。

『でもまだ中学三年生でしょう?』

 ママの声がまた蘇る。子どもを案じる声だった。変なの、と思った。だって部長は大人だもん。先生に叱られても無暗に反抗せずに飄々と受け流していて、いつも余裕たっぷりで、ああ、でも、そう言われてみれば。

 今更ながらの事実を思い出す。
 わたしが生まれた時、部長もまだ二歳だったんだ。

 わたしは、うまく人と話せない。友達が少ない。ミサちゃんが学校を休んだ日なんて、わたしも一緒に休みたくなる。
 必死に頭を動かして出した答えが間違えだったりして、生きていくのが怖くなったりする。

「……部長も怖いこととか、あったりしますか?」
「あるある」
「逃げたくなりますか?」
「おう。でも、」

 部長はニッと笑った。

「気合いと意地で、踏ん張る」

 一拍の間を置いて、世界が拓けたように視界が広がる。光の花が空に舞い散り、部長の顔を明るく照らしていた。ドンドンと打ちあがる炸裂音が、遠くに聞こえる。

 完璧な人だと思っていた。

 怖いものなんか何もなくて、誰にでも優しくて、憧れるに打ってつけの人だと思った。

 だけど部長だって、普通に何かに怒って、何もかもが嫌になって放り出したこともある。怖いこともムカつくこともある。

 元からすごい訳じゃない。
 気合と意地で、頑張って、逃げないでいるんだ。


 ことん、と何かが落ちる音がした。


「部長って、」
「……ん? わり、もっかい言って」

 打ち上げ花火の音が邪魔してわたしの声が聞き取りづらいらしい。だからわたしは少し声を張って、声高に言った。

「部長って、大したことないんですね!」

 ――ひゅ〜〜〜っ、ドンッ!!

 花火の光が、強張った笑顔の部長を照らした。微動だにしない部長を不思議に思い、今の発言を子心の中で反芻すると、サァッと血の気が引いていった。ちが、ちが、違う! 人と話すことが苦手なわたしは言葉足らずだったり本音を言いすぎたりで相手を引かせることが多い。ああ違う違う違うのに!

 大したことないなんて、そんな風に言いたいわけじゃなかった。

「あ、ちが、ちがって!」
「うん。無理すんなって」

 最初から強く優しいんじゃなくて、守りたいもののためとか、自分自身のプライドのために強く優しく在ろうとしているのならば、

「違うんです! 違うんですよ部長〜〜〜〜!」

 そっちの方がかっこいいと、思った。








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