連れてってください!
「ウッソ………」
トーマンの集会場所に行って部長をお祭りに誘った事を伝えたら、ミサちゃんは呆然とした。
「ホントだよー! わたし、頑張ったんだから! パパとママに気付かれないように抜け出すの、超大変だった!」
部活は午前で終わったわたし達は、マックに寄って昼ご飯を食べていくことにした。ハンバーガーを両手で持ちながら誇らしげに言うと、ミサちゃんは「うわぁ……」と顔をしかめた。
「どしたの?」
「どしたの、はこっちのセリフだよ。それさぁ……。部長、変な顔してなかった?」
「ううん! いつも通り優しかったよ!」
ミサちゃんは「そう……」とため息混じりに呟くと何とも言えない顔つきでハンバーガーを食べ始めた。わたしはポテトに手を伸ばす。部活帰りに友達とマックに寄るって中学生≠チて感じで楽しい! 初めて友達とマックでご飯を食べることは、わたしを大人な気分に浸らせた。
わたしは友達が少ない。よくわからないけど、皆わたしと話すと疲れたような顔をして、やがて去って行く。好きな子同士でグループ組んでという言葉はわたしにとって死刑宣告。小六の時、仲良しの友達とクラスが離れてしまい、修学旅行の班決めの時に見事にあぶれたわたしは『誰か佐倉さん入れてくれない?』と申し訳なさそうに皆に聞いて回る先生の声を、劣等感と屈辱感に苛まれながら唇を噛んで俯きながら聞いていた。幸い、わたしの小学校はみんな穏やかでのんびりした良い子ばかりだったので修学旅行の班決めを機に仲良くなれたけど、あの時の孤独感は今もトラウマとして根付いている。やっと新しいクラスに慣れたかと思えば、今度は中学だ。しかもわたしの小学校から渋谷第二中に進学したのはわたしだけだった。友達ができる兆しも見えない。
足元が見えない砂で埋まっていくような感覚。
ひとりで廊下を歩いていると寂しかった。同学年の子達が楽しそうに騒ぎながらわたしを追い越していく姿に、胃が引き攣るような惨めさをかんじた。
『そこの子ー』
だからあの時、本当に嬉しかった。
一目見ただけでわかった。この人は力を持っている。そんな人に声をかけられたことが嬉しかった。
放課後間接的に一緒に過ごしていく内に、この人は間違えない人だと確信する。皆的に妙な事を言って空気を凍らせたりしないし、班決めに困った事もない。わたしと違い、誰からも軽んじられない。わたしとは全然違う、神様のような人。
好きになるのは当然だった。
好きになっておかしくない人だと思った。
――八月三日
天気微妙だなぁ。ママの言う通り、傘持ってきてよかった。夜に差し掛かっているからというよりも、鉛色の曇り空が浮かんでいるから暗かった。お祭りが終わるまでは持ちますように、と心の中で祈る。
部長とお祭り。お祈りついでに心の中で今日の予定を唱えると、頬が緩んだ。部長とお祭り部長とお祭り部長とお祭り! 最近部長は少しボーっとしていたけど、もしかしたらわたしとのお祭りを楽しみにして心あらずだったのかな。そうなのかな。そうかも!
二週間くらい前に待ち合わせ場所を決めて以来、部長とはお祭りの事を話していない。校内だと女子の先輩の目が怖い。けど校外だとわたしはケータイを持っていないので、挨拶以外ろくに話せないまま今日を迎えてしまった。
でも武蔵祭りは八月三日、それは共通の認識だ。時間も待ち合わせ場所も決めた時にスケジュール帳に書きこんだし、絶対に間違っていない!
はず、なんだけど。何故か部長はなかなか来ない。
きょろきょろと辺りを見渡しても、部長はいない。ああこういう時にケータイがあれば。パパとママはねだれば大体買ってくれる。今着ているヒマワリ柄の浴衣もねだったら買ってくれた。だけどケータイだけは首を縦に振らない。ママは『そろそろいいんじゃない?』と言ってくれるけど、パパが断固として首を振らない。宮崎あおいちゃん似のわたしがケータイを持ったら周りの男子がこぞって連絡先を聞きに来るかもしれない……と真剣な顔で危惧しているのだ。
「………遅い」
中学の入学祝に買ってもらった腕時計を見詰めながら、茫洋と呟く。周りの人はわたしと違い、彼氏や彼女や友達を見つけるなり屋台へ向かって行く。孤独感が肌にピタリと這い、心細さに呑み込まれる。
部長、どうしたんだろう。胸が塞がれたみたいに重くなって、胸元をぎゅっと掴む。私の不安を煽るように、ぽつぽつと雨が降り始めた。雨脚は瞬く間に強くなり、慌てて傘を広げる。重たげな鉛色の雲に覆われている空を見ていると、更に不安が増した。
部長どうして来てくれないんだろう。事故とか? わたしの家の電話なら連絡網で部長も知っているはずだし、もしかしたら家に連絡が来てるかも。なら一回家に帰った方がいいのかな……でも単に遅刻で帰っている間に部長が来たら。
不安とパニックから目に涙が浮かび、視界が滲んでいく。意味もなくぐるぐる辺りを回って右往左往していると。
「はあ、はあ……っ、佐倉さん!」
待ち望んでいた人がやって来た。
◆
愛美愛主との決戦は八月三日――となった時、喉に魚の小骨が引っ掛かっているような違和感を覚えた。
……なんかあったような…。
首を捻って思い出そうとするが、思い出せない。ルナの遠足があって弁当作んなきゃならねえんだっけ。つーかあいつしょっちゅうプリント出し忘れんだよな……給食ない事を前日に言ってくる癖いい加減やめてほしい。帰宅してルナやマナに小学校や保育園に保護者必須のイベントがあったかどうか尋ねても首を振られた。
佐倉愛は魚の小骨以下の存在。愛美愛主の蛮行や親友を半殺しにされたパーの激しい怒りの前に、呑み込まれてもしょうがない。しょうがねえ、けど。
流石にすっぽかしは駄目だろ………!
マジでオレは佐倉さんとの約束を忘れていた。途中までは覚えていたが怒りに震えるパーに愛美愛主潰してぇと相談を持ち掛けられてから、マジで、忘れていた。元々佐倉さんの事を考える時などなかったが、ここ最近はパーが捕まったりマイキーとドラケンが決別しかかったりで、0.0000001ミリたりとも考えなかった。
ぺーやんが愛美愛主の残党とつるんでドラケンを狩ろうとしている――という情報を手に祭りに向かう。ドラケンなら簡単にやられることはねえ、けど。わかっていても、気持ちは逸る。奥歯をギリッと噛んで、こういう時こそ平常心だと自分に言い聞かせた。落ち着け、落ち着け。落ち着かねぇと、何も始まんねぇ。
インパルスを走らせる度に祭りの音が近づいてきた。活気のある賑わいが大きくなるにつれて、喉に引っ掛かった小骨も大きくなる。なんか、なんかあったような気がするようなしないような気が――。
『わたし、部長とお祭りに行きたいんです!』
――気が、じゃねえ。
佐倉さんのいっぱいいっぱいです!≠ニ言いたげな切羽詰まった顔が脳裏に浮かんで、血の気が引いた。
「はあ、はあ……っ、佐倉さん!」
記憶を探って待ち合わせ場所を思い出し息を切らせながら到着する。佐倉さんは心細そうにぽつんと佇んでいた。苦手とは言え自分を慕ってくれる幼過ぎる後輩に待ち惚けを食らわせかけたことに、申し訳なさが募る。
「ごめん、待たせた……!」バッと勢いよく頭を下げる。
「あ、はい、待ちました……」
クッソ素直……まあそうだけど……。とは言っても非は完璧にオレにある。罪悪感と苛立ちが綯交ぜになり何とも言えない気分になっていると、雨が止んだ。頭を下げたままの状態で視線だけ上げると、佐倉さんがオレの頭上に傘を掲げていた。
「部長のつむじ、初めて見ましたぁ」
佐倉さんはオレの頭をしげしげと見つめながら、何やら感慨深くつぶやく。今言うことそれかよ。ズレた感覚がおかしく、ドラケンを助けなきゃなんねぇという張り詰めていた気分が少しだけ緩みかけて、慌てて気を引き締める。
「部長、事故じゃなかったんですね。よかったです」
「佐倉さん、ごめん」
へらぁっと笑っている佐倉さんはオレの次の言葉を聞くと、硬直した。
「祭り行けねぇ」
冷たい氷に亀裂が入ったみたいに、表情を固まらせた。
苦手な奴とは言え、オレを慕い事故にあったか案じてくれていた奴にドタキャンを告げるのは心苦しく「マジでごめん」と謝る声にも自然と真剣さが帯びる。
「な、なんで、なんでですか……!?」
しばらくポカンとしていた佐倉さんはハッと弾かれたように我に返ると、涙目で食って掛かって来た。キレるのも無理ない。けど、これは絶対譲れない。
「ダチが今日襲われるかもなんだよ。あぶねぇんだ。だから、佐倉さんとは祭りに行けねぇ」
オレなりに一言一言に真摯な重みを籠めて告げる。佐倉さんは涙目でぎゅっと下唇を噛んでいた。傘を強く握っているのだろう、手の甲に血管が浮かんでいる。
「……だったら、」
佐倉さんはぽつりと呟くと、涙目で恨めしげにオレを見上げた。
「だったら、愛も連れてってください」
……は? 突拍子もない発言にぽかんと呆けてから「……は?」と心の声をそのまま呟く。すると佐倉さんは「だって」と顔をぐにゃりと歪ませた。
「愛、バカみたいじゃないですか、ずっと待っててそれでドタキャンされるって……! 友達にも部長とお祭り行くって言っちゃったし……!」
「……わりぃ。埋め合わせすっから」
「嫌です! 今日がいいです! 部長が部長の友達助けたの見届けてから一緒にお祭り行ってください!」
やだやだやだ! 玩具を欲しがるガキのように佐倉さんは頭をぶんぶん左右に振る。きっとこうして今まで親にねだって欲しいモン全部手に入れてきたんだろうなと思うと、すうっと胸の中が静かに冷えていく。
「……マジでごめん。すまねぇ。でもオレもう行く」
このガキに付き合っている間にも刻々と時間は過ぎていく。自分の声の尖りに気付きながらもう一度詫びを言って踵を返そうとしたら「やだ!」とヒステリックな声が飛んできた。舌を鳴らしかけて既の所で留まる。
「ごめん、マジで」
「悪いと思ってるならドタキャンしないでください!」
「………佐倉さん、頼む」
「だって! 愛の方が先に約束したもん!」
これがなんてことない平常時だったら、苛立ちながらもうまいこと対応できただろう。ごめんな佐倉さんと謝れただろう。
たけど今はオレの大事なダチの危機かもしれなくて、こうしている間にも東卍は真っ二つに分かれてるかもしれなくて、オレの人生そのものを守りにいくのを、甘やかされて育ったクソガキが邪魔しようとしている。
「なんでですかぁ、なんでなんでなんで!」
――ぷつん。
「……ダチが危ねぇっつってんだろ。なんでオマエ連れかなきゃなんねえんだよ」
気付いたら自分の中の何かが、静かに切れていた。
雷雲のような低い唸り声を、佐倉さんに突きつけていた。
佐倉さんは落雷を受けたように、ポカンと口を半開きにしている。
ルナとマナの言うとおり間抜け面だった。流石オレの妹。オレと感性が似ている。
…………って。
一拍置いてから、オレは我に返る。視界の中で佐倉さんは目を丸くして、オレを凝視していた。猫騙しを食らったようにポカンとしている。徐々に熱が引いていき、そして静かに悟った。
オレは部長職を追われる。
「……っつーことだから」
けど、それでもいいと思った。
部活は大事だし後輩もまぁ可愛いなと思うけど、東卍には及ばない。というかこの世のほとんどは東卍と家族には及ばない。その気になればいくらでも切り捨てられる。
結構楽しかったんだけどな。仕方ねぇ。小さくを息を吐いてから、踵を返す。佐倉さんの食い入るような視線が背中に突き刺さっていた。どんよりと重たい鉛色に覆われ薄暗くなった空の下、佐倉さんを残すことに少しの罪悪感はあったが、どうでもいい。所詮は喉に刺さった魚の小骨みてぇな存在。少しの間煩わしいが、気付いたら消えている。
だからオレの偽善みたいにとりあえず掲げただけの佐倉さんへの罪悪感は、東卍の連中からぺーやんのドラケンを狩りがマジだという電話を受けると、あっという間になくなった。