「菜摘オレよりガキじゃん」
塾のない日、いつも通り帰るまでの時間を空き教室でクラリネット吹いた後、マイキー君は開いた生徒手帳をしげしげと眺めなら呟いた。机に大きく足を投げ出している。なんとも行儀が悪い。
「はぇ……? って、それわたしの生徒手帳……!?」
「落ちてたから拾っといてやった。ついでに読んだ」
いけしゃあしゃあと言いのけるマイキー君。全く悪びれてない。オマエのものはオレのもの。オレのものはオレのもの。またしてもジャイアニズムが発揮されている。
「ガキって……。そんな変わんないでしょ。同じ学年だし」
「つかオレだけ誕生日知ってんのおかしくね?」
「人の話すごい勢いで聞かないよねホント……って、ちょ、何してんの……!?」
マイキー君は机に足を投げ出すのをやめ、わたしのスクバから勝手にスヌーピーのペンケースを取り出し、シャーペンを取り出した。わたしの生徒手帳に何やら書き込んでいる。
「え、それ、わたしの生徒手帳なんだけど。マイキー君の生徒手帳じゃないんだけど」
「知ってるつーの。てかオレ生徒手帳とかなくしたし」
「自信満々に言う事じゃないから……」
「うるせーなー。ほら」
「えっうわっ」
マイキー君はわたしに生徒手帳を放り投げた。慌ててキャッチする。
「書いといたから」
「……はい?」
「オマエの誕生日の横に」
……もしや。マイキー君の言葉から察して生年月日が記載されているページをめくると、わたしの誕生日の隣に『8月20日 マイキー様のたんじょーび』と書かれていた。ひ、人の生徒手帳に無断で書くとか………。マイキー君のジャイアニズムにほとほと呆れて溜息をつく。すると「なんだよそれー」と頬を膨らまされた。
「人の生徒手帳に勝手に書かないでよ……」
「いーじゃん。こうしたら忘れねーだろ?」
「マイキー君の誕生日でしょ? 忘れるわけないじゃ――」
言いかけてハッと我に返り慌てて口を噤む。けど時既に遅し。天上天下唯我独尊男はにやーっと笑っていた。
「その顔ムカつくやめて」
「出た。菜摘の早口」
「うるさいチビ。てかマイキー君こそどうなの。わたしの誕生日忘れそう」
マイキー君は普段はのんべんだらりとした無気力な中学生だけど、東京卍會の総長として立っている時は絶大なカリスマ性を放つ。周りをすべて焼き尽くすような、圧倒的な光。隊員の人達がマイキー君を見る眼差しはまっさらな敬愛と少しの畏怖の念がこもっていた。
マイキー君とは、そういう人だ。たくさんの人に囲まれて、憧れられている。マイキー君も東京卍會の人たちのことを大切に思っていて、しょっちゅうわたしにケンチンがタケミっちが三ツ谷がと話してくる。あいつらマジしょうもねえと彼らを語るマイキー君の目は、たくさんの愛情で溢れかえっていた。
……いやホントになんでマイキー君はわたしを彼女にしたんだろう……? ネガティブな意味ではなく純粋に疑問に思い首を傾げる。
「忘れたらどうする?」
淡々とした声が、ひそやかに響き渡った。声の先に視線をやると、マイキー君は真っ白な陶器のような静けさをたたえていた。大きな猫目は底が深く、全貌が見えない。
ああ、まただ。張り詰められた空気の中、わたしは喘ぐようにひっそりと呼吸した。
付き合っているのに、彼女なのに、好きで、大好きなのに、わたしは時々、彼が怖くなる。逃げ出したくなる――だけど。
すうっと息を吸い込んで、足を床につけて、真っ黒な瞳と真正面から向かい合った。
「相棒のDVDセット買ってもらう」
抑揚のない声で言い放つと、カラスの鳴き声が窓の外から聞こえた。
ふんと鼻を鳴らして息巻くと、マイキー君はぱちくりと瞬いてから「えー」としかめっ面を作った
「えーってなに」
「高ぇじゃん。つか菜摘さぁあんなオッサンのどこがいいんだよ」
「穏やかで知的で優しくて紅茶いれるのがうまいところ」
「オレも午後ティーいれんのうまいし!」
「へー」
マイキー君は「マジ変な趣味」とふくれっ面になった。その理屈に則るとマイキー君もわたしの変な趣味の一員になるんだけどと突っ込もうとしたら、マイキー君は目を伏せてふっと微笑んだ。西側の窓から差し込んでいる、冬の柔らかくまろみのある光が、マイキー君の頬に長いまつ毛の影を落としていた。
「しょうがねぇから覚えてやるか」
言葉こそは傲慢だけど、星に願うような口振りだった。
「いいよ別に。忘れるんなら忘れるで。相棒のDVD買わせるし。それに、」
それをすげなく切り捨てて、言ってやる。わたしは星になんか願わない。だってコンクールの金賞受賞も、高校合格も、星がどう作用して叶えるというのだろうか。遥か彼方からただ光って見下ろしてくるだけの存在に用はない。
立ち上がるのに必要なのは、不屈の誓いのみ。
じいっと見つめてくる大きな黒目を挑むように見返し、挑戦的に告げる。
「思い出させるから」