「市販〜〜〜〜〜!?」
眉を深く潜めたリカちゃんに、結婚式に白い服を着てきた人に対するような非難がましい声を上げられた。
2月13日。スーパーのバレンタインコーナーは明日がバレンタインということもあり盛り上がっていた。結果待ちとは言え多分合格しているであろう受験を終えた私立組のわたしとリカちゃんは友チョコを作るためにラッピングの材料を買いに来たのだ。
『この40枚入りのやつかおっかな……余ったら来年まわそ』
『ねねね、菜摘ちゃん!』
リカちゃんの目はきらきらと星のように輝いていた。なんか嫌な予感するな……と思いながら『なに?』と返したら、
『佐野君にはどんなチョコあげるの!?』
と、聞かれ。
『市販』
そう返したところ、冒頭の反応を取られた。
「市販って……! なんで友チョコが手作りで彼氏が市販になんの!?」
「友達は人数多いから大量生産した方が安く済むじゃん。ちゃんとマイキー君を特別扱いしてこその市販だよ。お年玉も引き出して二千円くらいの買おうと思ってるし。ほら、ゴディバとかの。わたしが作った奴より絶対美味しいし」
つらつらとわたしなりの正論を述べると、リカちゃんは口をあんぐりと開けてからわなわなと震えだし、首をぶんぶん左右に振った。え。なに。情緒不安?
「駄目! 駄目駄目駄目! そーゆー問題じゃないの!」
「じゃあどういう問題」
「気持ち! 絶対手作りのが嬉しいって!」
「えー。美味しい方がよくない?」
「絶対 て! づ! く! り!」
リカちゃんに鼻息荒く迫られてわたしはたじたじになる。この子は付き合う事に夢を抱きすぎている……。そういえば初彼とデートした翌日『鼻毛が出てた…無理……』という理由で振ってたな。ちなみにマイキー君は鼻毛こそは出てないけど耳クソを指でほじくった後、ピッと指で弾き飛ばしている。わたしはそれを汚いな……と引きながら眺めている。
「こういうの作ろうよ! ね! わたしも作るから!」
『簡単! ハートで型抜きチョコレート!』というキットを二つ掲げながら、リカちゃんはにっこり笑った。何故そんなに人の恋愛事情に首を突っ込めるのか……。これ以上抵抗してもリカちゃんは諦めそうにないし気が済むまで付き合うか…と折れたわたしは「……わかった」と仕方なく頷いた。
もともとリカちゃんちでチョコを作る予定だったので、わたし達は材料を揃えたあとリカちゃんに向かった。ジャニオタのリカちゃんの担当トークを聞きながらチョコ作りを進めていく。リカちゃんは『わたしも作るから!』と言っていたくせにお菓子作りが下手くそで、ほとんどわたしが二人分作っていた。リカちゃんの作業はというと卵を割ったことと、今から行うデコレーションだけだ。
すると。またしても、リカちゃんが叫んだ。
「なにそれ!? 卒アルの寄せ書き!?」
ハート型のチョコにデコペンで『これからもよろしく』と書いただけなのに、何故か、リカちゃんはめちゃめちゃ非難してきた。……いやまぁ、わたしも寄せ書きか? とは思った。思ったけど、そんな見本のように『LOVE』なんて書けない。『LOVE』と書かれたチョコを渡そうものならマイキー君は盛大にからかってくるだろう。
「いいじゃん。わたし、これからもよろしくってほんとに思ってるし」
「友達にも言う事じゃんそれ……! 菜摘ちゃん佐野君にLOVEじゃないの!?」
「ちょっとそういうこと言わないでよ」
「ほらそうやってすぐ照れて不機嫌になる! どうせあんま好きって言ってないでしょ!」
ぐ……っ。流石三年間共に過ごしただけのことはある。リカちゃんはわたしのことお見通しだった。わたしは照れると仏頂面になり不機嫌ですみたいな態度を取ってしまう。佐野さんのように『大好き!』と甘えたこともない。本音を突かれて一瞬口ごもってしまう。
「ほら、こっちまだだからさ。LOVEって書いてみようよ。書いた後どっち渡すか決めればいいじゃん!」
「……書くだけなら」
不承不承に頷いて、ピンク色のデコペンで『LOVE』と書いているとリカちゃんが耳元で『ずっとだいすきだよ、ほし』と囁いてきた。ずっとだいすきだよ、ほし……っと。って。なんか余計なことまで書いてしまった。ぎらっと睨みつけるとリカちゃんは下手くそな口笛を吹きながらそっぽを向いた。イラッ。
『これからもよろしく』チョコと『LOVE ずっとだいすきだよ☆』チョコを並べた結果。
「こっちにする」
選ばれたのは『これからもよろしく』チョコでした。
「ええー!」
「ええーじゃないよ」
「普通こっちでしょ!」
「自分の常識人に当てはめないで。別にヤな事書いてるわけじゃないんだしいいでしょ。てかこれ片付けるとなると大分時間かかると思うから、ママに遅くなるって電話してくる」
「うーーー……」
突き放すようにつっけんどんに言い切りキッチンを後にする。そんなわたしを、リカちゃんは納得のいかない表情で見送っていた。
そもそも。マイキー君は今日学校に来るのか。
昔よりは出席日数増えたけど、マイキー君は学校に来たり来なかったりまちまちだ。来なかったらどうしよう。今日学校来る? ってメール送ったけど返信はなかった。来なかったら……家まで渡しに行くか。放課後、そんな風にいつもの空き教室でクラリネットを吹きながら考えていると。
「菜摘ー」
マイキー君がひょこっと現れた。
いつもなら大して驚かないけど、今日はチョコの事があるので心臓がどきりと跳ねる。
「マイキー君。来たんだ」
「おう。行くって言ったじゃん」
「いや言ってないよ。多分メール返したつもりになってる」
「あれ? あ、ほんとだ。ごめん」
マイキー君あるある:メールを返したつもりになってるor最初から返す気ゼロ
いつものことなので「はいはい」と流す。まぁわたしも始終連絡を取らないと発狂するってタイプじゃないのであまり気にしていない。
マイキー君は適当な机に腰を掛けると「なんかあんの?」と足をぶらぶらさせた。どうやら今日が2月14日バレンタインデーということに気づいてないらしい。学校の男子は一日中そわそわしていたと言うのに。年相応にはしゃいでみせたかと思うとこんな風に達観した面を見せる。不思議な人だ。
恥ずかしいけど、恥ずかしがっても仕方ない。わたしはクラリネットを机に置いて、カバンから赤色の包装紙でラッピングされたチョコを取り出して「はい」とマイキー君に差し出した。
「チョコ。今日、バレンタインだから」
早口にならないように意識しながら告げると、マイキー君は一拍置いてから「おお」と手を叩いた。
「そういやそうだったな。今日2月14日か」
「今気づいたの?」
「だってさっきまで寝てたし。ありがとな」
マイキー君はにっこりと笑って受け取ってくれ、心がほわほわと温まりときめきで胸が高鳴る。恋をしてますという自分の心境が恥ずかしくて、「うん」と視線を逸らしながら答えた。
「食っていい?」
「いいよ」
「よっしゃー。どんなんだろ」
マイキー君はリカちゃんにより綺麗にラッピングされた包装紙をびりびりと破り、赤色の箱にたどりついた。蓋を取って中身を取り、目の前に翳した。
「LOVE」
「は?」
「これからもずっとだいすきだよ ほし」
マイキー君の視線は真っ直ぐチョコに向けられていた。マイキー君は、チョコに書かれている文字を淡々と読んでいた。
とある可能性に至ったわたしはぎょっとしながら、マイキー君の横からチョコを覗き込む。そこには、ピンク色のデコペンで『LOVE これからもずっとだいすきだよ☆』と書かれていた。
気が遠くなりながら、一日前の記憶が高速で蘇る。わたしがママと電話している間に、リカちゃんはラッピングまでしてくれていた。『こっちが菜摘ちゃんの分ね』とニコニコ笑うリカちゃんがまだ記憶に新しい。
リ、リ、リ、リカちゃんのヤローーーーーーーーーー!
今すぐ駆けだしてリカちゃんの胸倉を掴み『何してくれちゃってんの!!!』と揺さぶりたい衝動を堪えながら「待って!」と声を張り上げた。
「こ、こ、これには深い理由があって!」
パシャリ。
マイキー君はわたしを普通に無視してケータイでチョコの写真を撮っていた。人の話を聞かんかいとわなわなと拳を震わせる。
「ちょっと聞いてってば!」
「聞いてるって。LOVE、これからもずっとだいすきだよほしって事なんだよな」
「だからそれには理由があんの!」
「違うの?」
マイキー君はわたしの心を奥を探るように、じいっと見つめてきた。
「こう思ってねえの?」
チョコを見せつけながら淡々と問いかけられると、逆立っていた気持ちが撫でられていくのを感じた。からかってきたのなら反論できるのに。そんな風に落ち着いて真っ直ぐに訊かれたら。そんな風に澄んだ瞳を向けられたら、どうにもできない。
「………思ってはいる、けど…」
すべてが白日の下だ。
熱い頬をマイキー君から背けながらぼそぼそと答えると「菜摘ー」と呼ばれた。赤いであろう顔を見られるのが恥ずかしく、じとりとした目つきで睨むようにマイキー君に視線を向ける。マイキー君はわたしとは対照的ににこにことご機嫌に笑っていた。
「こっち」
手招きされてマイキー君が座っている机まで寄る。マイキー君は「いただきまーす」と手を合わせてから、チョコにかぶりついた。「うまうま」と美味しそうに頬張ってから、ごくりと喉に流し込む。わたしはマイキー君がチョコを食べているのを見せつけられただけだった。え。なに。自慢みたいなもの……?
マイキー君の意図が掴めず眉を寄せると、腕を引っ張られた。距離が縮まり、チョコの香りがふわりと鼻を掠める。
冷たくて柔らかな、何度か知っている感触がわたしのくちびるを塞いで、チョコの味が伝染した。
「おすそ分け」
マイキー君の緩い微笑みに更に体温が上がり、甘ったるい熱が体中に広がっていった。胸の奥底がくすぐられているみたいにむずむずと震えている。
「……学校でしないでよ」
目を逸らしながら不愛想に咎めると、マイキー君は「えー」と唇を尖らせた。
「誰も見てねえんだしいいじゃん」
「窓から見られるかもしんないでしょ」
「いいじゃん。オレ、最近ずっと我慢してたんだし」
ぶうぶうと文句を唱え続けるマイキー君から放たれた我慢≠ノ君がいつ我慢をしたかと鼻で笑いそうになって、はたと止まった。そう、言われてみれば。最近マイキー君はわたしに無駄なちょっかいをかけてこなかった。勉強しているわたしの隣でいつも寝ていた。何か月か前のように何かを吹けと命令することもなかったし、いきなりのキスもなかった。
もうすぐ受験だからと気を遣われていた事に今更気づき、罪悪感と愛しさが込み上がる。マイキー君は気遣っていたことをそれ以上アピールすることなく「ちぇー」と唇を尖らせていた。わたしの勉強を邪魔しないように大人しくしていたマイキー君を思うと、胸の奥がぎゅっとつねられたように痛くなって、甘ったるく疼いた。
さわってほしくなった。
わたしはくるりと背を向けて、窓に向かって足早に歩き、いつでも開かれている薄い緑色のカーテンを両端とも引き寄せた。教室はカーテンを閉じられたことにより外の光が遮断され、若干暗くなる。
「菜摘?」
不思議そうに呼びかけられる声を一旦無視し、次は後ろのドアに向かった。後ろのドアは中からしか閉められない。ガチャガチャと回して、誰も入って来られないようにする。続いて掃除用具入れに向かって、箒を取り出した。
「何してんの?」
二回も無視するのは何だと思い、振り向いた。ああ、今絶対仏頂面。可愛く照れることのできる女子に生まれたかった。
「誰にも見られないようにしてる」
出る声も愛想の欠片もなくて可愛げがない。マイキー君と喋り始めた頃の、ひたすらビビり倒している頃の方が愛想良かっただろうな。
今は駄目。好きになればなるほど、どんどん不愛想になっていく。突然のキスだって実際は嫌じゃないのに、怒ってしまう。
「見られないなら、いいよ。その、今日、バレンタインだし」
嫌じゃないくせに。上から目線の訳の分からない理由をつけながらでないと、キスもねだれない。
箒をつっかえ棒代わりにすべく前方のドアに向かったら、肩を強く掴まれた。問答無用に振り向かされた瞬間、衝撃でからん、と箒が手から落ちる。
「はぇ」
間の抜けた声ごと、かぶりつくように塞がれた。
マイキー君のくちびるから迸るような熱が注ぎ込まれ、体中の血液が沸騰する。あまりに勢いにわたしはキスされたまま後ずさると、そのまま壁に押し付けられた。肩を掴んでいたマイキー君の手が両手首に移り、抑えつけられる。
「ちょ、っと」
下手に口を開いたせいで、舌をねじこまれた。しくじった、と失態に気づいたけどもう遅い。獰猛な獣に食い荒らされているような気分だった。逃げても逃げても追い詰められる。足がガクガクと震えて崩れ落ちそうになったら、脚の間にマイキー君の脚が入ってきた。立ってろってことか。無理。ふざけるな。こんなこと相棒の右京さんならしない。ていうかさっきまであんなに穏やかだったのになんなの、なにがスイッチなの。意味わからんムカつく苦しいしんどい、
「んぅ……」
鼻から抜けるような声が隙間から零れ落ちている。明らかに、受容の合図だった。
大変腹立たしいことに、嘆かわしいことに、わたしは嫌じゃなかった。
紳士的な人が好きなのに、恋愛脳の女子を馬鹿女扱いしていたくせに、わたしは、嫌じゃなかった。
嫌じゃなかった。
頭の芯までどろどろに溶かされ思考回路が回らなくなりかけた時だった。遠くから、何かが聞こえた。
誰かが喋っている声だった。
「ひ、ぁ、ひと…っ」
喋っている間に舌の裏を舐められて、ろくに声にならなかった。マイキー君はさっきから無言で食べるようなキスを繰り返している。
「ねえ、ひと、きてる……!」
「それが」
マイキー君の声は淡々としていた。いや、若干苛立っている。なんで。その答えはマイキー君自らゲロってくれた。
「何他の事考えてんだよ」
ムスッとしているマイキー君に、は? と眉間に皺を寄せ何言ってんだと目で不謹慎さを訴えた。わたしの目つきが気に食わないのか、マイキー君は「あ?」と目を細めて凄んでくる。右京さんならこんなことしない。絶対しない。彼女に『あ?』とか言わない。
「人来てるの! ほら!」
小声で怒鳴りながら声がする方向へ顎をしゃくってみせる。こうしている間にも声は聞こえてきた。「今日オレんちでスマブラやろうぜ!」「やろやろ! チョコとかどーーでもいいし!」「なー! いやマジでどーーーでもいい!」と空々しいほどの明るい声で話している男子達の声がどんどん近づいていた。マイキー君は無表情で男子たちの声に耳を澄ませている。視線はずっとわたしに固定したままで。強い眼差しに見られ続けるのは心臓に悪く、わたしは唇をきゅっと合わせながらマイキー君の喉元あたりを見てた。喉仏が出てて、男子なんだなと思う。知ってるけど、改めて実感。
声変わり前らしき男子達の声がどんどん近づき、やがて去って行く。気付かれなかったことに胸を撫でおろした。はぁーっと深い息を吐く。
「……よし。帰ろっか」
声を潜めながら帰りを促す。わたしの手首を掴む手から力が抜けているしもうマイキー君の気も済んだだろう。
と、思ったら。何故か、また手首に力が籠った。
――は?
「ヤダ」
ムスッと。小さな子のように頬を膨らませて、マイキー君はいやいやと首を振る。目を点にして目の前の駄々っ子(15歳)を呆然と凝視しているとまたキスされた。チョコの味なんてもうとっくにしない。マイキー君の舌が口内になすりつけられ、マイキー君自身の味がした。まだ!? と驚いている間にも、わたしはまた熱の中に呑み込まれる。確かに嫌ではない、けど、でもそろそろ本当に体力が限界に近づいているんだけどもこっちは……! ここまで言う事を聞いてくれないのは初めてで、最近いかに我慢させていたか痛感する。これからは適度にガス抜きさせないと……ってわたしはマイキー君の飼い主か? 飼育員か? 悶々と懊悩に苦しんでいる間にも、マイキー君のキスは深くなっていく。わたしの脚も限界地点を突破しようとしていた。更に脚ががくっとなった時、わたしの脚の間にあるマイキー君が脚をぐりっと上げると、マイキー君の太ももがわたしの股に触れた。
下腹部にびりびりっと痺れが走る。
「ん……っ」
一際鼻がかった声が出た瞬間に、キスの勢いが一瞬削がれた、けど瞬く間に激しさを増した。やばい、このやろ、ほんとに。
一瞬だけ、マイキー君が口で息継ぎをした。その隙を狙って、わたしは。
「この、チビッ!!!!」
「いでっ」
頭を大きく振った。
「!? マイキーその鼻どうした!?」
「食いすぎてキレられた」
「は? つまみ食いでエマにキレられたっつーこと?」
「つまみじゃねーし本気だしつーかエマにしねーし」