ずるいひとフラれてしまった。
ずびっと鼻を啜る音のあとに続いたのは床を踏む音。振り替えるよりも前に背中に飛んできた間延びしただらしない声でわかった。
「よ、失恋女」
なんて無神経な発言なんだろう。本来なら怒るところなんだろうけど、坂田さんらしくて、私はクスリと笑ってしまった。
「…わかってたけど、フラれるってきついね。覚悟してても」
あはは、と明るい笑い声をあげる。せめて、声色だけでも明るくしたかった。
坂田さんと私は茶飲み友達。坂田さん繋がりで土方さんと知り合い、最初は友達の喧嘩相手としか思ってなかったんだけど、土方さんのぶっきらぼうな優しさに、ころっと落ちてしまって。想いを伝えて、フラれてしまった。
フラれることは、わかっていた。土方さんの私に与える優しさは平等なものだった。誰にでも分け与えるものだった。わかっていた。わかっていた、けど。
ほんの、少しだけ。
「…もしかしたら、いけるかもしれないって思うとか、バカだよね」
乾いた自嘲が空虚な響きを伴って喉から漏れた。もしかしたら、もしかしたら。1パーセントにも満たない可能性に、すがりついていた。ちゃんちゃらおかしくて、ヘソでお茶が沸かせる。
坂田さんは人の失敗談が大好きだ。私がバイト先でお客さんにビールをぶっかけて解雇された話をしたときは心底楽しそうに笑っていた。だから、笑い飛ばされると思った。けど、坂田さんはいつまでたっても笑い声をあげない。静寂が漂うばかり。どうしたのかと不思議に思って、視線を横に滑らせると坂田さんは私をじいっと見据えていた。死んだ魚のような目。
「お前は不良品薦められて買うのか」
のんべんだらりとした、抑揚のない声。パチパチと瞬きをする私に坂田さんはさらに言葉をさらに投げ掛けてきた。
「お前は不良品を勧められて買うのかって訊いてんだけど」
「え、」
「だーかーら、ぶっ壊れた冷蔵庫勧められて買うようなマヌケかって訊いてんだよ」
「か、買わない、かな」
「だろ。買わねえだろ。バカがつくほどのお人好しなてめーは、不良品も押し付けねーだろ」
鼻の穴に人差し指を突っ込みながら言う坂田さんに、ハァ…と意味をなさない言葉を返す。ていうか、バカって言われちゃったよ私…。
「こんな良い冷蔵庫他にねえって自信持って勧めたんだろ、電気屋のオヤジのように」
「れ、冷蔵庫…?で、電気屋のオヤジ…?」
「てめえがてめえのこと優良品って信じねえでどうすんだよ」
坂田さんは鼻くそを取り出して親指の上にのせて、人差し指で弾いた。お、飛んだ飛んだと遠くに飛んだ鼻くそを見て、抑揚のない声で喜んだ。
ああ、そうか。
冷蔵庫とか、電気屋のオヤジとか。わかりづらい例えするなあ、もう。
「慰めてくれてるんだね」
自然と、明るい声が漏れた。ふわり、と頬が緩む。
「ありがとう、坂田さん」
いつもやる気なくて、面倒くさがりで、目は死んでいて。とっても優しいお侍さん。
「坂田さんって優しいよね」
想いを感謝の念にのせてそのまま声に出す。坂田さんはじいっと私を見据えた。死んだ魚のような目が、真剣なものになって、どきりと心臓が跳ねた。坂田さんの手が私の後頭部に回された。距離が近づく。甘い匂いが濃くなって、って、え?
「ささささささ坂田さん!?」
坂田さんの肩に両手を置いて慌てて距離をとった。危ない流されるところだった…!!
「な、なにしようとして…!!」
「え、無理?ダメ?そういう雰囲気じゃなかった?」
「いやいやいやいや!!なんでですか!!違うでしょう!私と坂田さんは友達でしょう!!」
切羽詰まった調子で大きく言う。しかし坂田さんはとても平然としていて。ぬけぬけと悪びれなく言った。
「傷心中に優しい言葉かけてやったら落ちると思ったんだけどな。うまくいかねーなー」
お、落ちる…!?
「え、ちょっ、さ、坂田さん、坂田さんって私のこともしかして…!!」
「雌として見てっけど」
「生々しい言い方やめて!!」
「一発ぶちこみてェと思ってる」
「生々しいってば!!」
「ま、そういうことだから」
にやり、と悪どい笑みを浮かべて、坂田さんは言った。
「これから、失恋の弱味につけこんでくから、覚悟しとけよ」
頬が尋常じゃない熱を持っている。鼓動が激しい。土方さんにはフラれるし、坂田さんには雌として見てると言われるし、ああもうなにがなんだかわからないけど、わかっていることがひとつだけある。
「坂田さん全然優しくない!!」
「何いってんだ銀さんほど優しい男いねーぞ。えーと、口説き文句口説き文句…オレに股を開いてください」
「せめてもっと現代風の口説き文句にして!!」
prev|next