なんで。

「苗字さんじゃん」

よっと言うように私に片手をあげている手嶋くんに、私は咄嗟に何も返すことができなかった。何故なら、私は現在イオンで安売りしてた適当な部屋着を着ているからだ。どうでも良い男子にならこの姿でも全然良い。けど、手嶋くんは私にとってどうでもいい存在ではない。私は。私は。

手嶋くんが、好きなのだ。

「な、ななんでここに…!」

「なんでって。フツーにコンビニ来ただけだよ」

少し後退りしながら仰け反る私に手嶋くんは笑いながら答えた。さ、さいですか…と、しどろもどろになって答える私。あうあうと何も言葉にすることができない私に、手嶋くんは「苗字さんよくここくんの?」と問いかけてきた。「あ、えっと、うん」と、またしてもしどろもどろになって答えた。あああなんかもっと気の利いた返しをしろよ私ぃぃと心の中で地団駄を踏む。バンプオブチキンも吃驚のチキン野郎だ。

掌がすっかり汗でべとべとだ。リプトンが入っているビニール袋を持つ手にぎゅうっと力が入る。

LINEのIDとかメアドとか聞きたい。今、私と手嶋くん以外誰もいないという絶好のチャンスなのに。声が喉にからまってうまく出てこない。どうしよう、どうしようったらどうしよう。

今日という日に手嶋くんとばったり出会った。
これはきっと神様からの誕生日プレゼント。チャンスの女神さまがくれた、プレゼント。頭の中でに前髪しかない女神さまがひらひら〜と私に手を振ってから『ガンバ』とウインクしてきた。

ありがとうございます、女神さま。
掴みます、掴んでみせます、女神さま。

特に私が何も言わないので、手嶋くんは手持無沙汰のようだった。「そっか」と返してから、明らかにこの場から離れる体勢に入った。

「じゃあな」

手嶋くんは当たり障りのない笑顔を浮かべた。ひらひらと私に手を振ってから、踵を返す。いつも、遠くからこっそりと見つめていた背中がすぐ近くにあった。

手を伸ばしたら触れられる距離に。

「―――手嶋くん!!」

気付いたら、私は手嶋くんの腕を掴んでいた。「え」と少し驚きに目を見開いている手嶋くんの顔が見上げたらすぐ近くにあった。ろくに会話をしたこともないクラスメートが大声で自分を呼んで腕を掴んできたのだ。そりゃあ驚く。でもこの時の私は、手嶋くんに近づけるチャンスということで頭がいっぱいいっぱいで、驚かれるとか引かれるとかそういった考えはすっかり頭から抜け落ちていた。

すうっと息を吸い込む。澄んだ夜の匂いが口内を満たす。大きな満月が私を見下ろしている中、私は言った。

「わ、私今日誕生日だから、なんかちょうだい!!」

とんでもなくとんでもないことを。

…と静寂が広がって、そして、ハッと我に返った。「えっ、あ…っ!」と、慌てて手嶋くんの腕から手を離す。細いように見えて逞しかった。男子の筋肉がついていた。掌に残っている手嶋くんの感触がむず痒い。

「あ、ちが、ちがくて…!」

目をぐるぐる回らせながら、顔の前で両手をぶんぶん振って否定する。何を否定しているのか自分でもよくわからない。ああ私は何をやってるんだ本当に…!!死にたい!!今日生まれてきたけど死にたい!!もう一回お母さんのお腹の中からやり直したい!!と、心の中で暴れていると。

「つまり、今日誕生日なの?ちげーの?」

上から、手嶋くんの声が降ってきた。へ、と一時停止する私に、手嶋くんは「どっちか教えてくんね?」と、小さな子供を落ち着かせるような優しい響きを持った声音で問い掛けてくる。

「きょ、今日誕生日なのはちがくない、です」

「へー、そうなんだ。おめでとさん」

にかっと笑いかけながら、そう祝われて。目が見開いていく。心の奥が熱くなって、満たされていく。

やばい、どうしよう、嬉しい、ほんと、すごく、嬉しい。

好きな男子という生き物はすごい。『おめでとさん』だけで、こんなにも私を舞い上がらせるのだ。ゆるゆると頬の筋肉の力が抜け落ちていく。ああ駄目だ、にやけ過ぎたら私の気持ちがばれてしまう。両手を頬に当てて無理矢理上にあげる。頬はとても熱かった。

「あ、ありがとう」

目を合わせられなくて視線を下に向ける。今手嶋くんを見たら、こんな『あなたがすきです』なんて瞳を向けたら、頭の回転が速い手嶋くんはあっという間に私の気持ちを見抜いて、すきだという気持ちがバレてしまうから。

…手嶋くん、私より足一回りも大きいなあ。ぼんやりと視界に映った手嶋くんのクロックスを眺めていると。

「なんか、かー。オレ今何も持ってねえんだよな。結局何も買わなかったしなー」

手嶋くんは「うーん」と腕を組みながら小さく唸った。先ほどの自分の爆弾発言を思い出す。なんかちょうだい!というとんでもなくがめつい発言を。私は顔を上げて「い、いいよいいよ!!そんな!!」と両手を顔の前に掲げてぶんぶん振った。

「私は手嶋くんにおめでとうって言われただけでじゅうぶ―――、」

顔を上げてから、気付く。こんな、絶賛、『あなたがすきです』という瞳を手嶋くんに向けたら。

とても簡単に。
1+1=2、と解くように。

「…ラインとか、そのー、やってる?」

私の瞳をしっかりと捉えたあと、少しだけ私から目を逸らしてから、もう一度私を見た。手嶋くんの顔に緩やかな笑みが広がっていく。波紋が広がるように、胸の内に熱が広がっていく。手先まで痺れていく。月明かりが照らす手嶋くんの頬にはほんのりと赤みが差している。

「や、やってる」

どもった。しかもなんて情けない声音だろう。ほんとに私というやつは。

「じゃあ、オレのIDがプレゼント〜」

「…」

「…なんつっ、」

「マママママママジですか」

嬉しすぎて即座に反応することができなかった。項に手を当てながら、はははーと笑って流そうとした手嶋くんに気付かず、私は食って掛かった。

手嶋くんは満月のように目を真ん丸にしてから、空気が抜けたように緩く噴出した。
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