はじめて恋をした記憶 | ナノ


新生活を迎える麗らかな春風は初夏を匂わせる暑い風に変わりつつある。第二の彼氏の布団が最近少しだけ鬱陶しい。そろそろ第三の彼氏、タオルケットに変える頃合いだろう。アラームも兼ねたスマホがピピピと鳴り出し「んぅ〜」と呻きながらアラームを消した。カーテンの向こう側から差し込んでくる朝日が眩しいけど、それだけでは眠気を吹き飛ばす光が足りないのでベッドに無造作に置いてあるリモコンをつかんで電気をつけようとした。

つけようとした。

つかなかった。




「だから帰りに蛍光灯買って帰らなきゃならないから、リカちゃんも覚えててね。バイト終わったら言ってね」

「えー。めんどくさ〜い」

リカちゃんは眉を寄せながら鬱陶しそうに言った。けど、お客さんが来た途端に「いらっしゃいませ〜」と愛くるしい笑顔に変わる。リカちゃんプロだよ。わたしもへらへら笑いながら「いらっしゃいませ〜」と言う。お客さんはカップルで、二人で仲睦まじくケーキを選んでいる。いいなあ。ケーキわたしも食べたいじゅるじゅる。なんでケーキ屋をバイト先に選んだかと言うと余ったケーキを食べれるから。あと制服が可愛かったから。以上。お店を出ていくお客さんにありがとうございました〜とお礼を言ったあと溜め息をついた。

「帰ったら蛍光灯つけるのめんどくさいなあ〜。あれ疲れるんだよねえ」

「私自分でつけたことなーい。トモくんとかユウくんとかケンちゃんにやってもらってるもん。実家にいたときはパパがつけてくれたし」

えへ、と小首をかしげて愛らしく笑うリカちゃん。リカちゃんはぶりっこという種族だ。女友達はわたししかいないらしい。彼氏は三人いるのに。わたしも友達が少ないので類は友を呼ぶのだろうか。いやでもリカちゃんはモテモテだから類友ではないか。

「一人貸そうか?」

「いらない。隼人くんいるし、わたし自分でつけれるもん」

即座にふるふると首を振って断る。あっそ〜とつまらなさそうに言われた。お客さんが入ってくるといらっしゃいませ〜と可愛らしい声が。プロだ。

リカちゃんは面白いし、バイト先でケーキを食べれるし、学校にも少ないけど何人か友達いるし。頻繁に隼人くんや幸子ちゃんや依里ちゃんと連絡を取り合っているし、新生活はなかなか楽しいものだ。

「リカちゃん。わたし今日ね、隼人くんと電話するの!」

「聞いてないんですけどォ〜」

わたしが弾んだ声で報告するとリカちゃんは心底うっとうしそうに言った。





真っ暗な部屋。スマートフォンの光だけがわたしの顔を照らしていた。蛍光灯はなんとつけられなかった。天井が思ったよりも高くて、テーブルのうえに椅子を乗せても届かなかった。ぐぬぬと唸りながら今日は蛍光灯をつけるのをやめにした。でもわたしは決して諦めない女…!あれこれ誰かが言っていたような…。まあいっか。と、いうわけで。お風呂から上がったわたしは(お風呂は普通に電気点く)ベッドで寝ころびながらスマホに着信がかかるのを待っていた。

そう、今日はスペシャルラッキーハッピーディ。

『隼人くん』と文字が浮かび上がった瞬間、わたしの目が見開いた。0.1秒の速さで通話ボタンを押して「隼人くーん!!」と、でれでれとした声で大好きな彼氏の名前を呼んだ。

隼人くんの笑い声が鼓膜に響いた。

「マジで美紀って電話出るの速いよな」

ずっきゅーんと心臓に矢が刺さった。隼人くんの声。嬉しすぎて締まりなく笑ってしまった。

「隼人くん隼人くん、わたしね、ケーキ屋さんでバイトしてるじゃんかあ」

「うん」

「バイト友達のリカちゃんいるじゃんかあ」

「うん」

「リカちゃんが三人目の彼氏をゲットしてね」

「リカちゃんすげえな」

「隼人くんはリカちゃんって呼んじゃダメ。宮野さんって呼んで」

隼人くんがおかしそうに「わかった」と笑いながら言った。本当にわかっているのだろうか。女の嫉妬はねちねちしているんだよ、隼人くん!と忠告しておくと「そうだな」と笑いながら返された。それで、リ…宮野さんは?と話の続きを促してくる。

「一人あげようか?って言われたんだけど隼人くんいるからいらないって断ってね、わたしの彼氏は隼人くんと布団で十分だよ」

「布団と同列扱いされているのかオレは…」

隼人くんのずうんと落ち込んだ声が聞こえてきた。ぎょっとしながら「ち、違う違う!」と慌てて否定をいれる。「布団なんて所詮遊びだから!」と必死に言い訳していると隼人くんが喉でくつくつと笑っている声が聞こえてきた。か、担がれた。

「…隼人くん」

「ごめんごめん」

絶対悪いと思っていないことが明白な謝罪にむすっと眉間に皺が寄る。

「隼人くんはどんな感じ?モテてる?」

「ははは」

否定しない。東堂くんのようにおおっぴろげに自慢はしてこないけど、隼人くんはモテていることを自覚はしている。まああれだけモテていて自覚しない方がバカだろう。彼女と遠恋なんだってぇー、えっチャンスじゃーんとかキラキラJDに会話されているのだろうかぐぬぬぬぬぬぬ。顔の見えないライバルに対しぐつぐつと嫉妬心が湧き上がる。

「ねえねえ、いつか明早行ってもいい?」

「いいぜ。なに、潜り込み?」

「うん。潜り込む。潜り込んで周りの女の子達に牽制かけたり威嚇するの」

「美紀のその素直さに今オレは感心してるよ」

「わあ!ありがとう!」

褒められているのだと思いお礼を言うと噴出す隼人くんの声が聞こえた。隼人くんはわたしといる時よく笑うから笑い上戸なのかなあと思っていたのだけど、東堂くんに聞いたら別にそうでもないらしい。わたしといるとよく笑うんだとか。わたしは隼人くん限定のお笑い芸人の才能でもあるのかもしれない。ごろんと寝返りを打つ。寝返りを打つ音以外、何の音もしない真っ暗な部屋の中、隼人くんの落ち着いた声が聞こえてくる。それはわたしを睡眠へ誘うに十分だった。

「…はやとくん」

「ん? あ、眠い?」

「眠いけどー、もうちょっと話してたーい」

ぼやけた声でそう言うと隼人くんが嬉しそうに小さく笑った。わたしは睡眠欲と隼人くん欲の間で揺れ動く。毎日会える距離にいない中、隼人くんとの電話はわたしの命を繋ぎとめるものだ。と、リカちゃんに言ったら「おもっ!!」と引かれ気味に叫ばれた。リカちゃんは彼氏が三人いてすぐ会える距離にいるからこの寂しさがわからないのだ。

彼氏は隼人くんしかいらないけど、すぐ会える距離に彼氏がいるリカちゃんが羨ましい。

「はやとくん…ねむい…ねむいけどはなし…たい…」

眠気がわたしの手を掴んだ。もうちょっと待ってほしい。もうちょっと話してたい。

「…嬉しいけどさ、無理すんなって。寝るまで切らないどくから」

「ほんと?」

「ほんと」

「わ〜い、はやとくん〜はやとくん〜」

これがカレカノの定番『寝るまで電話切らないでくれる』っていうやつ…としあわせを噛みしめていたら気持ち悪い笑い声が漏れ出た。

「はやとくーん」

「ん?」

「ぷりんたべたい」

「唐突だな」

「おすしたべたい」

「オレも食いたい」

「はやとくんにあいたい」

眠気がわたしを深い深い穴の中へ連れ込んでいく。やめてー!と、必死に抵抗するものの、眠気のわたしを引きずり込む力はすさまじかった。もう意識が現実世界に四分の三以上ない状態だ。そんな状態だから、隼人くんが息を呑んだのなんて当然ながらわからなかった。自分が何を言ったのかも、よくわかっていなかった。

「…あいたいなあ」

現実世界のわたしは夢うつつのまま、何やら呟いて、そして完璧に意識を落としたのだった。







「た〜だいま〜」

今日も誰もいない部屋に向かって言う。もちろん返事はない。返事ある方が怖いけど。馬鹿な弟の馬鹿な声が聞こえてこない空間に帰ってくることに、未だにわたしは違和感を覚えている。

…さて、再チャレンジといきますか!

頭を振ることで陰鬱な影を払い飛ばし、わたしは腕をまくりあげて、廊下の電気を頼りに椅子を蛍光灯の下まで持っていく。段ボール箱から蛍光灯を取り出す。椅子にのぼってつま先立ちする。

…と…っ、届かない…!!

あともうちょっとなのに、やっぱり届かない…!!

バレリーナのようにさらにつま先立ちをしようと踏ん張る。が、生まれてから一度もバレエをたしなんだことがないわたしにそんなバランス感覚は備わってなくて、バランスを崩し、尻餅をドッシーン!とついてしまった。

「…いったあ…」

お尻がじんじんと痺れている。痛い。めちゃくちゃ痛い。お尻に手を伸ばし痛みが少しでも和らぐようにして撫でる。

「…痛い…」

返事はない。当たり前だけど。あったら怖いんだけど。

四角い箱の中で、お尻を打ち付けた。なんて滑稽なんだろう。ため息を吐くと、狭い空間なので、あっという間に広がっていった。

…もっかい頑張ろ。

気合いを入れるために両手で頬を叩いたとき、インターホンが鳴った。何にも注文してないんだけどなあ。不思議に思いながらよろよろと立ち上がって玄関まで歩き、ドアを開いた。あ、穴から確かめるの忘れた…と警戒心を怠ったことに小さく後悔した気持ちはあっという間に吹き飛んでいった。

「よ」

穏やかな笑顔を浮かべて手を挙げているのは高校から付き合っているわたしの大好きな彼氏だった。驚きすぎて、口をポカンと開けて瞬きすることしかできない。

「へ、今日、くるって、」

「美紀が好きな漫画に男が来ちゃったって急にくるやつあっただろ。あれマネしてみた…っていうか、」

隼人くんは照れ臭そうに片眉を下げて笑った。

「ごめん、嘘。電話だけじゃ足りなくなってさ」

その一言と、笑顔が、ピンと張り続けていた糸をたちきった。

「おし、り、」

「…おしり?」

「お尻、いた、い」

ぽつりと呟くと、ぶわーっと涙腺が崩壊した。ぼろぼろと涙が零れていって、頬に跡を作る。

「お尻、痛い、お尻いたいよお〜」

「え、ん?…ケツうったってこと?」

「蛍光灯切れて変えようとしてお尻打って、」

隼人くんとはちょこちょこ連絡をとっていた。一週間に一度は電話をしていた。

声がきけてるんだからだいじょうぶ、と。強がりで思っている訳じゃなかったのに。

そうか。やっとわかった。

「ばや゛どぐんにあえなぐでざびじがっだあ゛〜」

心の奥の奥で、寂しくて寂しくてたまらなかったんだ。

一人暮らし、新しい交友関係、ドキドキワクワクしていたのも本当だけど。

でも、寂しくもあったんだ。

家族に、友達に、隼人くんに会えなくて、寂しくて仕方なかったんだ。

子供のように泣いてしまうほどに。

視界が涙でいっぱいになっていて、隼人くんがどんな顔しているか全く見えない。けど、わたしの頭に触れる熱がとても暖かくて、「そっか」と紡がれる声音もとても暖かくて。

「上がってもいい?」

顔を両手で覆いながらぶんぶんと首を縦に振る。こんなことならなんかお洒落な紅茶でも買ってくればよかった。爽健美茶と牛乳しかない。

「どうぞ。ぐすぐす」

「うわ、鼻水すご」

隼人くんは笑いながらわたしの鼻の下をシャツで拭った。汚くないって思わないのだろうか。「きったねえ」と笑いながらチノパンでシャツについた鼻水を拭いている。汚いものは汚いよね。

「蛍光灯ってこれ?」

「あ、うん」

隼人くんは椅子にのぼってあっという間にぱぱっと蛍光灯をつけた。わたしが10分も格闘したものを、ものの一分半ぐらいで終えた。あまりの手際の良さに口をあんぐりと開ける。

ぱあっと電気がついた。
久しぶりの光が眩しくて、一瞬目が眩んで、そして。

「す…すっごーい!」

わー!と歓声をあげながらぱちぱちと大きく拍手をした。

「んな大袈裟な」

苦笑する隼人くんにううん!と首を振る。わたしが二日かけてもできなかったことを隼人くんはたった一分半で済ましたのだ。これがすごくなくてなんなのだろうか。

「隼人くん身長高いもんね!すごいね!いいなあ、わたしも身長高くなりたいな〜」

隼人くんの身長の高さを実感するために肩に手を置いてぴょんぴょんと跳ねる。隼人くんは緩めた瞳で優しくわたしを見下ろしていた。…や、やっぱりこのままの身長差でいいや…見下ろされるの最高…!心の中で鼻を抑えながらお父さんとお母さんにこの身長に産んでくれたことに感謝をして手を離す。ふふふーと笑ってから、とあることを思い出した。わたしは両手をぱちんと合わせて、「そうだ!」と声を弾ませた。

「わたしのバイト先のケーキ食べない?今日はモンブランとチーズケーキもらっ、」

言葉は途中で呑みこまれて、言えなかった。肩に手を置かれたかと思うと後頭部に手を回されて、そのまま、ぱくり。驚きでぱちぱちと瞬きをしている間に、唇が離れていった。

「…今、チューするムードだったっけ?」

純粋に不思議に思って、腕を組んで首をかしげると、隼人くんはにこにこ笑いながら首筋に顔を埋めてきた。ふわふわの前髪が当たってくすぐったい。今度は首筋をちゅうっと吸われて「ひゃっ!」と声を上げてしまう。うむむ、これは。これは、そういうムードに。

「隼人くん、電気消そう」

「せっかくつけたのに?」

楽しそうな笑い声と伴に服の中に手がするりと入り込んできた。隼人くんはエジソンと電力会社の人に謝るべきだ。





春が来るから泣かないで



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