「わたし彼氏ができたらねえ、」
美紀がオレの前の席に座りながら、あどけない口調で『彼氏ができたらしたかったことリスト』の内容を、指を折りながらあげていく。一緒にラーメン食べたい、一緒にプリクラ撮りたい、お化け屋敷に入って抱き着きたい(わたし全然お化け怖くないけど頑張って可愛く怖がるね!)、と、そんな風に。今すぐにでも叶えられそうな願い事を断る理由など一つもなく、んじゃラーメン食いにいくか、と言うと、美紀はぱあっと明るい表情を浮かべ「ありがとう!」と礼を述べた。
「わたしばっか、こんなにお願いきいてもらっちゃって悪いなあ〜。隼人くんもたくさん言っていいんだからね、わたしに何かしてほしいことあったらじゃんじゃん言ってね!」
前忠告したというのに。苦笑を零してから「サンキュ」と笑う。別に今は特にないかな、と言葉を継ぐと、「隼人くんは謙虚だなあ…」と腕を組みながら頷かれた。
…謙虚?
どこが。
苦笑なのか、自嘲なのか。よくわからない笑い声が喉の奥から漏れた。
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「ね〜、優しいでしょ〜、ほんとわたしの隼人くん…わたしの隼人くんだって〜!わたしの馬鹿ー!!ふふ、ふへ、うえへっへっへっへっへっ」
バンバンとテーブルを叩きながら惚気ているわたしを、向かい側に座っている依里ちゃんが白い目で見ていた。わたしの隣に座っている幸子ちゃんは「優しいねえ」と嬉しそうにのんびりと相槌を打っていた。パフェを長いスプーンで掬い取ろうとしたら底を突く感触しか覚えず、もうパフェはなかった。コーンフレークすらも残っていなかった。だけどわたしはそれに気付かず、何も掬っていないスプーンを口に運ぶ。僅かにこびりついた生クリームが甘かった。
「それで今度一緒にラーメン食べに行くの〜、ふふ、ふふ、ふへへへへへ。隼人くんはね〜、わたしがしたいことぜーんぶ叶えてくれるの、わたしも隼人くんのしたいこと叶えてあげたいんだけど、隼人くんは特にないんだって〜、謙虚だよね〜」
ねー、と同意を求めながら顔を傾けると、依里ちゃんが「ほんとに?」と疑わしげな眼差しで見てきた。
「ほんとーだよ。だって隼人くん何も言わなかったもん」
「言い辛いんじゃないの?」
「なんで?」
「エッチしたいとか言い辛いでしょ」
「ほうほうなるほど。エッ、」
続きの言葉は目を点にした瞬間にどこか遠くへ行ってしまった。依里ちゃんはしれっとしている。幸子ちゃんは目を丸くしていた。えーびーしーでぃーいーえふじー。えーびーしーでぃーいーえふじー…じー…じー…。
「隼人くんわたしとエッもごもごもご」
「わ、わー!!」
驚きのあまり大きな声を上げてしまい、公衆の前で出すべきではない単語を叫び出しそうになった。幸子ちゃんに慌てて両手で塞がれて、なんとかセーフ。手を離されてから、わたしは小声で二人に話した。
「隼人くんわたしとしたいって依里ちゃんに言ってきたの…!?」
「や、ないけど。でも男子ならそろそろしたいころでしょ」
ジュースをストローでちゅうっと吸いながら平然と言う依里ちゃんに、ひょえーっとわたしは仰け反った。ひょえー。そうなのか。ひょえー。大人しそうな顔をして男心に詳しい依里ちゃんが言うのだ。そうなのだろう。ポカンとしながらもほうほうと頷く。ここは先輩にご教授をお願いしよう。先輩が二人もいるんだし。わたしは鞄からルーズリーフと筆箱を取り出した。お気に入りの可愛いシャーペンを掴み、面倒くさそうな方から話を伺うことにした。
「幸子ちゃん初エッチどんなんだった?」
案の定、幸子ちゃんは…と固まったあと、ボンッと顔を赤くした。「え、ええ、ええっと、そ、それは、あ、あはは、あはははは」と目を逸らしながら笑い声をあげている。
「ま、前ちょっと話したじゃん」
「ほんのちょっとだけだったじゃん。全然話してくれない。わたしはこんなに話してるのに!」
依里ちゃんが「聞く前から話してくるから最近ちょっとうざく思ってる」と厳しいご意見を入れる。耳をぱたりと閉じて聞かなかったことにした。
「どういう手順?服は脱ぐの?脱がされるの?シャワーはする前に浴びた?何回キスする?」
「え、えっと、ええっと」
「一回目は痛かったんだよね?二回目は?二回目は気持ちよかったの?ていうか前から思ってたんだけどイっちゃうってどんな感じ?」
「えっと、えっと、ええっと…!」
「気持ちいい時どういう声が出るの?いやんって声が出るの?幸子ちゃんはいやんって言ったの?…わーえっちだえっち!」
ばーっとまくし立てた後、いやんと喘いだであろう幸子ちゃんをえっちだ!とはやし立てる。幸子ちゃんの顔がこれ以上ないというくらい赤くなって「えっと、あの、その、い、いやんは、言わなかった、はず、かな、あ、あはは」と誤魔化すような笑い声をあげた後、テーブルに突っ伏した。しゅう〜と湯気が沸いている。しまった。恥ずかしがり屋の幸子ちゃんにセクハラをしすぎた。
「ごめんね、セクハラするつもりはなかったんだよ、信じて、許して」
「い、いや、うん、大丈夫…」
幸子ちゃんの背中をよしよしと摩る。ものすごく背中が熱かった。髪の毛の隙間から見える耳が赤かった。悪いことをしちゃった…。反省していると、依里ちゃんが呆れ返った眼差しで見ながら「美紀ちゃん」と呼んできた。
「なーに?ていうか依里ちゃんも、彼氏君との乱れたシーツの時間を詳しく教えてほしい。参考にしたいの!」
「…美紀ちゃん、他人事のように思ってない?」
え?と、きょとんとする。依里ちゃんがじいーっとわたしを真っ直ぐに見据えていた。何を言っているんだろう。他人事のように思ってないから、こうやって聞いているというのに。
「美紀ちゃんは新開くんとほんとにエッチしたいの?」
全ての嘘を見透かすような眼差しを向けられ、真剣に問いかけられる。うーん、とわたしは腕を組みながら首を捻った。
「うーん、隼人くんがしたいならわたしもしたいって感じかなあ」
「美紀ちゃんタンポン使ったことないよね?」
「おお、藪から棒にどうしたの。ないよー」
「言っとくけど、一回目はたいていの子が痛がるからね」
ね、と同意を求めるように幸子ちゃんに視線を滑らす依里ちゃん。幸子ちゃんは「あははは…」と苦笑を浮かべていた。
確かに。以前聞いた時股が裂けるほど痛かった、と幸子ちゃんは言った。けど幸子ちゃんの股は裂けていない。それに、時々お楽しみになられているようだし。みんなが通る道だ。わたしだけ通れないということはないだろう。
「まあ、だいじょーぶだいじょーぶ」
けらけらと笑うと、頬杖をついた依里ちゃんが「ふーん」と、疑わしそうに仏頂面でわたしを見ていた。
「美味しかったねー!」
「美紀すっげー食ってたな、周りの人たち目が点になってて面白かった」
「やー、美味しくて美味しくてー、あ、そうだ。フリスクあげる」
「サンキュ」
ポシェットからフリスクを取り出して、隼人くんの掌に二個落とす。フリスクを口の中に含んでいる隼人くんをそっと盗み見る。
隼人くんってフリスク食べてる時とかも、…したいとか思ってるのかな。
「美紀?」
じいっと見られていることを不思議に思った隼人くんが、不思議そうにわたしを呼ぶ。はっと我に返った。気まずく思いながら「な、なんでもない」と、ぶんぶん首を振る。
「駅どっちだったっけ」
「こっちじゃなかったか?」
「そうだったっけー」
適当に駅を模索しながら、ぶらぶら歩く。いつのまにか、どちらからともなく手を繋いでいた。大きくてあたたかい。嬉しくなってきて、自然と弾むような足取りになる。鼻歌をふんふん鳴らす。
ペットショップの前を通りながら「あの猫荒北くんに似てるー!」「お、ほんとだ。眼つき悪いところ生き写し」と笑いあったり、服屋の前を通った時、可愛いスカートが飾られてて買おうとしたら八千円もしたから買えなかったり、どこにでもある高校生らしいデートを楽しんでいたら、何故か、いつのまにか。
…あれ。
安っぽいお城のようなホテルが左右にびっしりと詰められていた。
これ、は。
瞬きをぱちぱちと繰り返していると、繋がれた掌に力が入って、ぐいっと引っ張られた。隼人くんが大股で歩くから、わたしはついて行けなくて引きずられるようにして歩く。
「隼人く、」
「ごめん、道間違えた」
あはは、と軽やかにあげられる笑い声がほんの少しだけ震えていた。耳が赤い。ファミレスでわたしに質問責めされた幸子ちゃんの時のように、赤かった。
―――『エッチしたいとか言い辛いでしょ』
依里ちゃんの声が頭の中で再生される。
隼人くん、いつもわたしのお願い事を聞いてくれる。嫌な顔ひとつせず。笑顔で。わたしはいつも、隼人くんに何かをしてもらってばっかりだ。今日だって、チャーシューをもらってしまった。
わたしも、何か、したい。
「―――隼人くん、したい?」
思い切って出した声は、情けないことに震えていた。隼人くんの足が止まり、釣られてわたしも止まる。いつもひっきりなしにわたしが口を動かしているので、沈黙がとても珍しくて重い。唾を呑みこんでから、わたしは言った。
「わたしは、隼人くんがしたいなら、したい」
どっくんどっくんと、心臓が血液を強く送り出していく。隼人くんがゆっくりと、わたしに体を向けた。向き終えるまでに恥ずかしくなって、目線を下に向けた。
「…マジで?」
恐る恐ると言った調子で伺われる。ちらっと視線を上に遣ると、いつもの涼しげな表情はどこにも見受けられなかった。ほんのりと頬に朱が差している。でも耳は真っ赤だった。真剣な真っ直ぐな瞳がわたしを捉えて離さない。
うん、と首を縦に振ると、隼人くんの目が少しだけ見開いた。
(つづく)
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