はじめて恋をした記憶 | ナノ


わたしはスキンシップが激しいらしい。パーソナルスペースが誰に対しても狭いので、ねえねえ〜と、友達によくくっついてまわっている。幸子ちゃんはニコニコと受け入れてくれるが依里ちゃんは面倒くさそうに「しっしっ」と追い払う。悲しい。でも、流石に男の子にはくっつかない。でもでも、男の子でも、隼人くんだけは別。だって、わたしの彼氏なのだから。

「隼人く〜ん!」

朝、隼人くんの背中を見つけた瞬間、ダーッと駆け寄って、背中に抱き着いた。頬を背中にこすり付けると、隼人くん自身の匂いと柔軟剤の匂いが鼻孔をくすぐった。隼人くんの顔をきちんと見たくて、回り込んで、下から上目遣いで覗き込む。「おはよ〜!」と、緩みきった口で挨拶すると、隼人くんは「おはよ」と、三日月のように目を細めた。そして、何事もなかったかのように、足を一歩前に出す。

…。

「ねえねえ隼人くん」

隼人くんの袖口をちょんと親指と人差し指でつまんで、先ほどと同様に下から覗き込む。ん?と優しく相槌を打ってくれる隼人くん。「あのね」と接続詞を紡いでから放とうとした言葉は、やっぱり喉の奥に押し込むことにした。

「…昨日の晩御飯、ビーフシチューだった…」

「へえ、良かったな」

こんなくだらない話にも耳を傾けてくれるその優しさはぬるま湯のようで居心地がいいはずなのに。なのに。なのに。なのに。





「言いたいことも言えないこんな世の中なんてポイズンだと思うんだよ」

「コイツが何言いたいのかさっぱりわかんねェんだけどォ」

「オレも全くわからん」

「堀田さんこの前はリンゴをどうもありがとう」

「いえいえ」

わたしはライバルたちを呼びよせていた。この三人はライバルだ。隼人くんのことをわたしよりもたくさん知っている。きっと夕陽をバックに河原で殴り合ったこともあるに違いない。なんて熱い絆だ。悔しい。荒北くんは耳の中に人差し指を突っ込んで面倒くさそうに「なんだよ、めんどくせぇな」と実際に『面倒くさい』と言葉に出して問いかけてきた。

「あのね、なんか、隼人くん最近おかしいの」

「おかしいってどういう風にだ?」

東堂くんが親指と人差し指を顎の形に沿わしながら、怪訝な表情を浮かべて問いかけてくる。だから、わたしは明朗快活に答えた。

「触ってくれないの!」

シーン、と場が水を打ったように静まり返った。動じていないのは福富くんだけで、荒北くんと東堂くんは何故か不自然に表情を強張らせている。東堂くんの無理矢理上げられた口の端がひくひくと痙攣していた。

「前だったら、すぐ頭撫でてくれたのに、最近全然触ってくれないの!わたしが近づいたら、ちょっと離れてくし。これってどういうことだと思う?」

腕を組んで、首を捻りながら問いかける。荒北くんと東堂くんは何やら目と目で会話している。福富くんはわたしと同じように腕を組んで「ふむ」と小さく頷いた。

「アイツは何考えているか思考が読めないところがあるからな。堀田さんが何故なんだろうと思い悩むのも仕方ない」

「だよねえ」

「いや、それ福ちゃんと堀田チャンには新開も言われたくねェと思うよォ」

「オレも同意見だ」

「隼人くんが何考えてるかよくわかんないから、こうやって聞き込み調査してるんだよ、ワトソンくん」

形から入るタイプのわたしは、エアー鹿撃ち帽をかぶり直す仕草をしてみせる。荒北くんは「ハァ」とどうでもよさそうに一言。

「なんで触ってくれないんだろう…。これがケンタッキーってやつなのかなあ…」

触ってくれないことが悲しくて、少し空いた距離が寂しくて、力なく項垂れながら呟く。「ケンタッキー?」「多分倦怠期のことだろ」「なんかチキン食いたくなってきた」と三人が会話を交わしている。

「隼人くん、最近何か変わった様子ある?」

「ねーな」

「はやいなあ。昨日は隼人くん何してた?」

「泉田に新開さん!と懐かれていた」

「福ちゃんそれいつものことだヨ」

「いいなあ、わたしも隼人くんに懐きたい」

「懐いてるじゃないか」

「懐こうとしてるのに避けられてるの!かなしい…」

わたしはがっくりと項垂れて、悲しそうに目を伏せる。はあ、とため息を一つ吐いてから、「お願いします」と、三人に向かって頭を下げたあと、顔を上げた。切羽詰まった眼差しを三人に向ける。東堂くんと荒北くんはわたしから目を逸らした。

「わたし、女子だから男子のこと全然わかんない。ねえ、三人ならわかるんじゃないの?」

ねえねえねえねえねえねえ、と際限なく問いただしていると荒北くんが「あーっ、うっせぇ!!」と苛立ちの声を荒げた。

「しらねーよ!!そんなに気になるんならアイツに直接きいてこい!!」

見開いた目からポロリと鱗が落ちた。本当だ、その通りだ…その通りだ!わたしはポンと掌の上に拳をのせてから「わかったあ!」と力強く頷いた。わたしに新たな道を教えてくれた荒北くん。ということで。

「わあ、綺麗な部屋!」

東堂くんの部屋に上がりこんで、隼人くんが帰ってくるまで待つことにした。隼人くんはのらりくらり躱すことに長けている。だから、寮に帰ってきたところをとっつかまえて問い質すのだ。帰ってくるまで東堂くんの部屋で待機することにした。東堂くんは最初は抵抗したが、わたしが東堂くんの痴態を荒北くんと福富くんに話そうとした瞬間「わかった!!わかったからそれだけは!!」と縋り付いてきた。そんな東堂くんは今とてもげっそりとやつれています。可哀想に。何か悩み事でもあるのかな。

「東堂くんの部屋は綺麗だねえ。わたしの部屋より綺麗」

「そうか…」

「幸子ちゃんも部屋綺麗だもんね。似た者同士だね。そして部屋で、」

「堀田さん。恥じらいを持とう」

眉を八の字に寄せた東堂くんに懇願するような調子で言われた。はあ、と悩ましげなため息を吐く東堂くんは綺麗だった。むむ、美形が悩んでいるのって絵になるね。そしてこの美形をモノにするとはあのおなごのんびりした顔してやりおるな…と、わたしは顎に手をあてながら思った。

「東堂くんは幸子ちゃんのことだいすきだよね」

「当たり前だ」

淀みなくきっぱりと言い切る東堂くん。威風堂々としている。ここまで彼女のことを照れもせずすきだと言える男子高校生はなかなかいないだろう。記憶の中の二人を思い出す。東堂くんはよく幸子ちゃんにふれる。頬とか。髪とか。お前頬柔らかいな、ええそうかなあ、といった感じにイチャイチャイチャイチャイチャイチャイチャ。彼氏がいない間の依里ちゃんはその光景を見て『ぶっ飛ばしたいなあ』とぼそりと呟いていた。

「だから、触るんだよねえ…」

だいすきだから、触る。わたしもそうだ。だいすきだから、隼人くんに後ろから抱き着くし、手を繋ぎたいと思う。でも、隼人くんは、最近そういうことをしてくれない。もうわたしに飽きてしまったのかな。ネガティブな思いで胸がいっぱいになる。ポジティブな性格をしていたのに。恋とは恐ろしい。性格まで変えてしまうのか。じんわりと涙が浮かぶ。

「…堀田さん?」

「ごめんね。なんか本格的に悲しくなってきちゃった」

ぐすっと鼻を啜って、わたしは顔を俯けた。ぐすぐすと鼻をすする。東堂くんは何も喋らない。あれだけよく喋る東堂くんが何も言わないなんて。友達に迷惑をかけるにはいかない、と思って鼻水を鼻の穴の中に吸い込んで顔を上げる。すると、東堂くんはケータイを耳に当てていた。わ、わたしが泣いているのに電話するとは…なかなか図太い神経の持ち主だ、と感動していると。

「隼人。今、堀田さんがオレの部屋にいるぞ」

へ。

はやと、と、その端正な口から飛び出た。東堂くんは「今、泣いてる」と付け足した。え、それ言っちゃうの!?と目を見開かせていると、東堂くんと眼が合った。そこにはいつもの騒がしい姿はなくて涼しげな何もかもお見通しな瞳があった。三日月のように細められる。え、え、え、と固まる。東堂くんがケータイをぱちんと畳んだ。

「これでアイツもすぐ帰ってくるだろう」

「ええーそうかなあ」

「帰ってくるさ」

切れ長の瞳が伏せられた。東堂くんってかっこいいなと純粋に思った。そして、東堂くんの予言の通り。

―――バタンッ

少し時間が経ってから荒々しくドアが開かれた。ドアの向こうにはぜえぜえと息を切らしている隼人くんがいた。泣いたあとの顔を見られたくなくて、顔を俯ける。すると、東堂くんがわたしの肩に手を置いた。

「隼人があんな息切らすこと早々ないぞ」

わたしに耳打ちしたあと、東堂くんは隼人くんに「オレは席を外しておく」と言ってから部屋を出ていった。ばたん、とドアが閉められる。東堂くんの部屋にはわたしと隼人くんが遺された。わたしの泣いたあとの顔は残念なことにブサイクなので見せたくない。だから俯いたままでいると、ガシッと力強い手がわたしの肩を掴んだ。

「何が、あった?」

真剣な声が真っ直ぐに投げかけられる。何があったというか。何もされないから泣いたというか。メソメソと。うーむ、女々しい。あ、でもわたし女子だから女々しくていっか。いやいいのか?そう思いながら顔を上げた。隼人くんの綺麗な瞳が不安と動揺で揺らいでいた。何かがあったわけではないので「なんにもないよ」と言うと、隼人くんの眉間に皺が寄った。

「そういう嘘つかなくていいから」

「嘘じゃないよ。ほんとだよ」

「…いいって、そういうの」

険のある声にびくっと体が震えた。隼人くん、怒ってる。怖がっているわたしに気付いたのか、感情を露にしたことを恥ずかしく思ったのか隼人くんがバツが悪そうな顔をした。隼人くんがわり、と謝るよりも前に。

「嘘じゃないもん!!」

わたしの怒りが爆発した。この時、わたしは怖く思ったのと同時に怒りを覚えていた。鳩が豆鉄砲を食らったような顔をしている隼人くんに向かって怒鳴りたてる。

「なんかあったらこんな悩んでないよ!隼人くんがなにもしないからだよ!!バカバカバカ!!」

「…え」

「隼人くん、触ってくれない、前は頭撫でてくれたのに、なんで、なんでえ」

「美紀、」

怒鳴り声は涙声に変わっていった。視界が涙で滲んでいく。ううーっと呻いてから拳で瞼を擦りながら、「さわってよお」と呟くと、小さく息を呑む音が聞こえた。ぐすぐす鼻を啜っていると、久しぶりの感触が頭に触れた。ゆっくりと顔を上げる。ゴシゴシと拳で涙を拭うと、困ったように笑っている隼人くんが見えた。

「美紀」

「うん」

「美紀はいい子だよな」

優しく、頭の形に沿うようにして撫でられるのが気持ち良くて、撫でられていることが嬉しくて、目を細めながら「うん」と頷く。

「自分の言葉に責任持てるよな」

「うん」

もう一度頷くと、片手で頬を包み込まれた。あ、これは。ちょっと久々だ、と思いながら目を閉じる。すると、案の定柔らかい感触が唇に当たった。隼人くんとキスをしていると、わたし達がいる空間だけ切り取られて宇宙に投げられたような、そんな気分になる。感触をもっと確かめるように押し付けられて「ん」と声が漏れた。唇を離されて、目を開ける。視線がかち合って、緩やかに微笑まれた。わたしの彼氏ものすごくかっこいい、と、ときめいていると、頬にキスされた。続いて、額にキスされる。もう片方の手が後頭部に回されて、髪の毛を梳かれていく。隼人くんの指の先から、電流が流れているみたい。髪の毛から、痺れが体中に伝わっていく。初めての感情が、胸にこみ上げてくる。その感情をどうすればいいかわからず、及び腰になると腰に手を回された。

こ、腰。

「はやと、く、」

ちょっと待ってもらおうと思って名前を呼ぼうとしたのに、代わりに出てきたのは「ひゃっ」という、上ずった声。耳朶を甘噛みされた。え、え、ええ、えええ。パニックになっていく。はあっと息をかけられて、ぞくぞくっと背筋を何かが走る。情けない声で「は、はやとくん」と呼ぶと、クスクスという面白がるような笑い声が耳元でした。

「美紀ってさ、耳弱い?」

「み、み?」

「そ」

そう言って、耳朶を指で摘ままれた。びくっと肩が跳ね上がる。触ってほしいって確かに言った。言ったけど。まさかここまでとは。こんな世界があるとは。思考回路がうまく働かない。

「隼人くん、わ、わたしはその、」

隼人くんの胸に手を置いて距離を取ってから、顔を俯けてごにょごにょと言うと、隼人くんの指がわたしの顎を掴んで持ち上げた。塞ぐような、覆うようなキス。わたしの唇を割って入ってきたぬるりと生き物のように動く感触が歯の裏側をなぞった。くちゅり、と淫らな音が部屋に響く。

「ん、んん、ふ、んぅ」

わたしの声、なんだよね、これ。

ぼうっとした頭で鼻がかった声の主が自分だと気付いた時、ようやく唇を離された。「うわ、唾すげえ」と笑いながらわたしの口を手の甲で拭う隼人くんがどこか遠くに見える。

「美紀」

「はい」

「不安にさせちまってゴメンな」

「いいえ」

「触りたいんだけどさ、オレが触ったら、こうなっちまうからセーブしてた」

「セーブ?」

ぼうっと浮いた心地になりながら問いかける。隼人くんは「うん」と目を細めて頷いた。

「美紀のこと、こんな風に触りたいっていつも思ってるよ」

優しいだけじゃない瞳が、わたしに絡みつく。その中へ吸い込まれてしまいそう。吸い込まれてしまいたい。ああ、そうか、これが、そういうことなのか。

―――愛というのは抑えきれない欲望を抱かれたいという、抑えきれない欲望

「ロバートさんはすごい…」

三日前お父さんに教えてもらったアメリカの詩人の言葉が思い浮かんだ。隼人くんは不思議そうに「ロバート?」と首を傾げた。確かに抑えきれない欲望をぶつけられたい。うれしかった。吃驚したけど、うれしかった。へらーっと、口元が緩んで、「うえへへへへへ」と笑ってから、隼人くんに抱き着いた。首の裏に腕を回してぎゅーっと抱き着く。

「じゃあ、わたしも抑えきれない欲望をぶつけよ〜っと」

「…抑えきれない?」

「偉い人がね、『愛というのは抑えきれない欲望を抱かれたいという、抑えきれない欲望』って言ったんだよ〜!ほんとだね、わたし、すっごく嬉しい!」

隼人くんは少し黙ったあと、小さな声で何か呟いた。よく聞き取れなくて、「なに?」と訊き返すと、苦笑が返ってきただけだった。…気になる!!





貴方がケモノになるまで


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