はじめて恋をした記憶 | ナノ


彼氏ができたらしたいこと。たくさんある。たくさんあって、その中の一つに彼シャツというものがあるんだけど。

「さぶいね…」

寒すぎて『寒い』と言えない口になってしまった。さぶい。鼻を啜る。幸子ちゃんもがたがた震えながら「寒いねえ…」と同調した。依里ちゃんは「こんな寒い中体育とか馬鹿なの死ぬの」と高校の教育体制について呪詛を唱えている。

こんな寒い中、隼人くんのシャツやらセーターやらブレザーやらを剥ぎ取って、彼シャツいえ〜いとするほどわたしは鬼畜ではない。垂れてきそうになる鼻をさらに啜った。

「東堂くんにジャージ貸して、って言ったら貸してくれるんじゃないの?」

「い、いやあ、この寒さの中は…」

「ねえねえ、幸子ちゃんって東堂くんの服着たことあるんだよね?」

「え、な、なに、突然…!」

「だって前、ほら、無理矢理聞き出した時言ってたじゃん。東堂くんと二回目えっ、」

「わー!!」

幸子ちゃんは顔を真っ赤にして、無理矢理わたしの口を両手で塞いできた。ふごごごご。依里ちゃんが「もういいじゃん…」と呆れた眼差しを幸子ちゃんに送っている。

「いつまでも処女のように恥ずかしがるねえ。ほんとカマトト」

「だ、だ、だって、」

蚊の鳴くような小さな声でごにょごにょ呟いている幸子ちゃんの手の力が弱まった隙をついて逃れる。

「いいなあ。わたしも着たい。彼シャツしたい」

「シャ、シャツじゃなくてジャージだった」

「じゃあ彼ジャー。わたしもしたーい。ねえねえ、どんな感じだった?東堂くんの匂いした?」

「う、ん」

「おっきかった?」

「う、うん」

「うえへへへへへって感じになった?」

「…そうだねえ」

幸子ちゃんはなんだかしあわせそうに頬を緩めた。幸子ちゃんのほんのり桃色に色づいた頬を包み込んでぎゅーっと持ち上げると「わ〜」と声をあげられた。


幸子ちゃんは雨が降ったあと、それと、お泊りの時に。非常事態で、東堂くんの服を借りた。けど、わたしは別にそういうわけじゃない。仕方なくというわけじゃない。隼人くんの服を借りなくたっていい状況だけど、着たい。

廊下をぼけーっと歩きながら、考える。考えていると、隼人くんの教室を通り過ぎようとしていた。人の気配がしない。そっと中を覗いてみると、案の定無人だった。移動教室なのかな。隼人くんの机になんとなく目を遣ると、椅子にブレザーが引っかけられていた。

…。

……。

………。

主よ、我をゆるしたまえ…。わたしは一時的にクリスチャンになってから、隼人くんのブレザーを羽織ってみた。すっぽりとおさまる。ぶかぶかだ。手まですっぽり収まる。指先がほんの少し見えるぐらい。袖に鼻を近づけて嗅いでみると、隼人くんの匂いがした。良い匂い。くんくんと犬のように嗅ぎ続ける。おおきくてあったかい。気持ちいい。寒いけど、春のひだまりの中にいるような、そんな気持ちを覚える。ずっと、このまんまでいたいなあ。

「それ、どしたの」

「あ」

ずっと、このまんまでいたいなあ。と、思っていたら。間違って自分の教室にまで持って帰ってきてしまった。ぽかんと口を半開きにしながら、わたしを指さす依里ちゃん。やっちまった、の意味を込めた『あ』を漏らした後、キーンコーンカーンコーンとチャイムが鳴り響いた。どうすんべ。



どうしよう。どうしよう。どうしようったらどうしよう。

綺麗に畳んだブレザーを膝の上に乗せながら、わたしは途方に暮れていた。隼人くんがいない間にブレザー勝手に羽織って勝手に自分の教室に持って帰っちゃった〜!そんで言い出せないから放課後までパクってました〜!なんてそんなこと言えない。だいたい、自分がいない間に、勝手に自分の服を着る女子って、うん、怖い。こいつオレのリコーダーこっそり舐めてんのじゃないかな、と疑われそうだ。リコーダー習わないから持ってないだろうけど。

頭を抱えて、机に突っ伏す。ブレザーを勝手に借りていった罪悪感から、わたしは一日に隼人くんに何回も話しかけに行くんだけど、今日はしなかった。廊下ですれ違っても、目を逸らした。もう放課後だ。返さないと、返さないと。隼人くんがオレは苛められてるのかもしれない、と泣いてしまう。ああ、でも。

誰もいない教室だから、わたしの呻き声しか響かないはずなのに、違う声が響いた。

「美紀」

わたしの大好きな声。どきん、と胸の内側が大きく跳ねた。顔を上げると、オレンジ色の日差しが教室の中に差し込んでいて、眩しくて、目を細める。だんだん目が光に慣れてきた時、見えたのは隼人くんだった。

ぶ、ブレザーが…!!

わたしが慌てて机の中に隠している間に、隼人くんがわたしにゆっくりと近寄ってきた。無理矢理ぎゅうぎゅうに押し込みきったあと、ガタンと椅子を引かれる音が聞こえた。わたしは大人の女性のように取り澄ました微笑を浮かべながら、頬杖をついて「なあに?」と悠然と問いかける。ついでに足も組んだ。

けど、それは三秒で崩れ落ちた。

「何か隠してるだろ」

隼人くんが、にっこり笑顔で、悠然と問いかけてきたから。馬鹿なわたしは「な、なんでそれを…!」と声をあげてしまった。慌てて両手で口を塞ぐがもう遅い。

「オレとすれ違ったあと、手と足いっしょに出して歩いてるし、不自然に顔反らし過ぎだし、わかるよ」

片眉を下げて呆れたように口角を上げたあと、隼人くんは小さなくしゃみをした。さみ、と啜っている。あ、そうだ、隼人くん寒がりなんだ。なのに、わたしは、わたしは、わたしというやつは…!

「…なんか気に入らねェこととか、」

「ごめんなさい!!」

ぽつり、と寂しげに紡がれた声の上に、わたしの謝罪が重なった。え、と隼人くんが目を丸くする。わたしは頭を下げて、もう一度、「ごめんなさい!!」と大きく謝った。顔を上げると、隼人くんは目を真ん丸にしたままだった。

「あの、こ、これ、ブレザー…わー!!しわくちゃになってる!!」

無理矢理詰め込んだブレザーは短時間でしわくちゃになっていた。広げて、あわわわと震える。隼人くんが「あ、オレのブレザー」と呑気な声を漏らしていた。

「美紀が持ってるって、どういうこと?」

当然の疑問を投げかけられて、うっと言葉に詰まる。えっとーあのーそのーと目を泳がせながら、机に置いたブレザーの上で手遊びをしていると、優しく大きな手が覆いかぶさってきた。

「美紀」

なぞるように、名前をゆっくりと呼ばれた。真剣だけど、厳しさは感じない、優しい声。「落ち着けって」と目を細めた隼人くんがそこにいた。

「…彼氏ができたらしたいことリストの中に…」

「うん」

「…彼シャツがあって…」

恐る恐る言う。隼人くんはパチパチと瞬きをした後「あ、そういうこと」とあっけらかんと笑った。全く怒りもしない、ひいた様子も見せない隼人くんに、今度はわたしが目を丸くして驚く。

「安心した。なんでオレ避けられてんだろって、ちょっとビビッてたから」

隼人くんは嬉しそうに頬を緩めて、照れ臭そうに笑った。胸の奥がきゅーんと鳴いた。隼人くんは簡単にわたしのツボを突いてくる。罪な男子だ。

「怒らないの?ひかないの?」

「他の女子がやったらドン引きだけど、まあ、美紀ならいいぜ。ていうか美紀が変なことするなんて当たり前のことだし」

「は、隼人くん」

わたしだけ。わたしだけ、特別扱い。感激で震える。わたしは両手を組んで、潤んだ瞳で隼人くんを見つめた。隼人くんは一瞬とまったあと「そういえばさ」といつも通りの笑顔で会話を切り出してきた。

それからしばらくの間、とりとめのないことを話して、もうそろそろ閉めるから帰れ、と先生に言われた。窓の外に目を向けると、もうすっかり日が暮れていたので、帰ることにした。

マフラーを巻いて、ドアに向かって歩きながら、隼人くん、と呼びかけた。ん?といつものように穏やかな笑顔を向けてくれる。隼人くんは優しい。わたしのお願いをいつでもきいてくれる。でも、それじゃあ、不公平だ。

「隼人くんも、彼女にしたいこと、わたしにしたいことがあったら、いつでも言ってね!」

そう言ったあと、にーっと笑いかけた。隼人くんがどんな顔をしているのか見ないで、「今日のごはんはなにかなー」と呑気に言いながら、ドアに手をかける。すると、頭上で何かを感じた。ドアが少し振動している。ななめ右上に視線を寄越すと、しわくちゃになったブレザーに袖を通している腕があった。

「…あのさ、そういうの、気軽に言わない方がいい」

やっとの思いで吐き出したような声が降ってきて、振り向くと、隼人くんが下唇を浅く噛んで、わたしを見下ろしていた。射抜くような大きな瞳がわたしを捉えて離さない。ごくり、と生唾を呑みこんでから、わたしは両手を組んで、感嘆の声を漏らした。

こ、これは。あれですよ。あれ。

「隼人くんは、エスパーなの…!?」

「…え?」

「わたしが彼氏にしてほしいことリストに密かに列ねていた壁ドンをしてくれるなんて…!すごい!隼人くん、ほんとにすごい!!」

わー!と歓声をあげながら、パチパチと拍手をする。隼人くんは呆気にとられたあと、「どーいたしまして」と笑ったのだった。




余白が無いのを君は知らない


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