ディア・マイ・ヒーロー | ナノ


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いわゆる。世間一般で言う男女交際を私と鳴子くんは始めた。鳴子くんは部活で忙しいのでデートなんてできたら奇跡だ。即ち、この前のデートは奇跡そのもの。次のデートの約束は交わされなかったしこれから先も取り付けられる予感はしない。取り付けられたとしても『ごめん!この日大会入っとったわ!!』とドタキャンされるのがオチだろうと私は踏んでいる。

時々廊下ですれ違った時に少し話したり、鳴子くんが私の教室まで話に来てくれたり。楠木さんと太陽のような笑顔でばいばーいと大きく手を振られると恥ずかしくなりつつも嬉しくて。でもどうしても素直に感情を表すことができない私は、『声でかい』と口パクで嗜めたり。私と鳴子くんのお付き合い事情はそんな感じだ。

「…それって付き合ってるって言えんの…?」

数Aの教科書をアヤちゃんに借りに行って、その場で立ち話していたら鳴子くんと私のお付き合い事情に話しが飛んで。少し目を逸らしながら答えたら、アヤちゃんは眉間に僅かに皺を寄せながら訝しがるように問いかけてきた。

「最近の小学生のがもっと進んでない?」

「え…そうなの?」

「最近の小学生はすごいよ、なんたって…じゃなくて。最近の小学生のことはどうでもいい。あんた達それでいいの?っていうか結衣はそれでいいの?いつまでたっても苗字呼びだし」

矢継ぎ早に質問を投げかけられて気おくれしながらも『確かに』と納得する。二か月経っても、苗字呼びだ。今更そのことに気付いて私達の歩みが亀のように鈍いものだと悟る。

「下の名前で呼んであげればー?すっごい喜びそうじゃん。…まあ人の恋愛事情に余計なおせっかい働いてもアレか。あんた達のペースでいけばいいんじゃない?」

名前で呼んであげればと言われて、頬を赤く染め目を大きく見開いて恥ずかしがっている私に気付いたアヤちゃんは、ぶっきらぼうに気遣いの言葉を入れてくれる。

「う、ん」

笑顔を作って頷くと、丁度その時チャイムが鳴り響いて、私は慌てて自分の教室に戻ったのだった。



「楠木さーん!」

振り向かなくてもわかる。こんな騒々しい男子の声、私は一人しか知らない。振り向くと、案の定鳴子くんが私に向かって手を振りながらこちらに駆けてきた。男子の中に入ると鳴子くんは小さいのだが、こうして女子である私と比べると鳴子くんは大きい。肩とか、腕とかがっしりしていて『男子』だということを痛感する。

「今から帰り?」

「…まあ」

鳴子くんはいつも通り一点の曇りもないような笑顔を浮かべて私に話しかけてくる。自分だけ意識していることが恥ずかしくて悔しくてボソッと愛想悪く返すと「そうやんなー!だって靴履いて鞄持って下駄箱におるもんな!カッカッカッ!」と大きく笑う。

「ワイ今から部活やねん、途中までいっしょに行こー!」

ピカーッと光り輝くような笑顔で顔を覗き込まれて。特に断る理由も見当たらないのと惚れた弱味で「うん」と手短に返事をしながら顔をぷいと背ける。その輝く笑顔を浴びていたら灰になってしまいそうだからだ。決して照れているとかではない。断じて。よっしゃ、と鳴子くんの雄叫びを受け流し、私達はつらつらととりとめのないことを話しながら肩を並べて歩いていく。九割がた鳴子くんが話しているけど。

「今日ワイめっちゃウンコのキレが良くてなあ」

「…そう」

鳴子くんを白い目で見てしまった私は全く悪くないと思う。私は瞑目し、こめかみを抑えながら息を吐いた。それを見た鳴子くんがとりなすようにして顔の前で慌ててぶんぶんと手を振る。

「あ、手はめっちゃ綺麗に洗っとるから安心してな!」

「…」

「ちょっ、楠木さん?ほんま、ほんまやって」

疑わしい眼差しで鳴子くんをじいーっと挑むように見据える。すると鳴子くんは狼狽えた表情から一変して破顔した。

「…なに?」

今のどこに笑うポイントがあったのだろうと純粋に不思議に思い問いかける。

「やー、楠木さんってほんま別嬪さんやなーって思って!」

でれっと頬を緩めながら大きな声で恥ずかしいことを少しも恥ずかしがらず言われて、羞恥の熱が顔に集中していく。鳴子くんから目を逸らし魚のように口をぱくぱくさせながら「な、何恥ずかしいこと…!」と必死に声を振り絞る。

「ほんま照れ屋やなー!楠木さんそんだけ可愛いんやからオーッホッホッホッ!私にひれ伏しなさい!って感じでいけばいいのに!」

「そんなのできる性格じゃないって知ってるでしょ…!」

惜しみなく放たれる賞賛の言葉は何の打算もない純粋なもの。それがくすぐったくて恥ずかしくて嬉しい。今まで男子からの見た目に関する褒め言葉なんて鳥肌が立つレベルで気持ち悪くて仕方なかったのに。でも、鳴子くんではそうならない。鳴子くんは違う。その理由は。

「まあそうなんやけどな!いやでもほんま楠木さんってあれやあれ、立てばチューリップ、座ればパンジー、歩く姿はイエローパンジーってやつやで」

うんうんと実感をこめながら頷いている鳴子くんに「それを言うなら」と突っ込もうとするよりも早く、言葉を吐き出された。

「ぐちゃぐちゃになった花壇直してんの見た時にな、思ってん。なんって花が似合う子なんや!って!やっぱり可愛い子は性格もいいんやなって!」

惜しみない賞賛の言葉は本音であることが鳴子くんの澄んだ声音からありありと伝わってくる。鳴子くんはいついかなる時も真っ直ぐだ。その真っ直ぐさに私は見事ほどこされ、鳴子くんからの拙い賞賛はどんな美辞麗句よりも私の心を弾ませる。

「カッカッカッ、また恥ずいこと言うてもうたわー!そんでなー!!」

自覚していることはしているのか…。と、思いながら鳴子くんを盗み見ると耳朶まで赤かった。口角を緩めて「ちゅーかこの前うちのオカンがな」と恥ずかしさを打ち消すようにいっそう大きな声で話しはじめる。

鳴子くんはいつも真っ直ぐで。直球。私のことをきちんと内部まで見据えて恥ずかしいほどに褒めてくれる。私はそれに馬鹿じゃないのとか、あっそとか。可愛げない答えをしてばかり。でも鳴子くんはムッと気分を害することもなく(感情表現が素直に顔に出るタイプだから奥底でイラついていることもないだろう)、『楠木さんはツンデレやな〜!小野田くんが喜ぶわ〜!』と大きく笑い飛ばしてくれる。…デレを見せたこと殆どないんだけども。

私も、たまには、真っ直ぐにならなければ、いけない。

―――というか。

頭に浮かぶのはうだるような暑さが全身にまとわりつく熱い夏の日。どこまでも続いていく青い空がとても綺麗で。

必死に駆け抜けた鳴子くんの姿。私は今でもそれを鮮明に頭に焼き付けている。

あのひたむきな走りに、真っ直ぐさに、心が震えた感触を私は一生忘れない。痛烈に憧れた。私も、ああなりたいと思った。私が真っ直ぐさを見せたのは、あの告白の時だけ。

…一度できたんだ。もう一回やれる。

意気込みをいれるようにしてグッと拳を作る。俯きながら「鳴子くん」と呼びかけると「んー?」と答えてくれた。ぴたりと足をとめると、鳴子くんも足をとめてくれた。

「…え、どないしたん?」

少し上から不思議そうな声が降ってくる。すうはあ、と息を吸ってから顔を上げた。鳴子くんはきょとんとした面持ちで私を凝視していた。

「…あの、」

どくどくどく、と心臓が鳴り響く。うるさいと叱りつけるように手で胸を抑えた。

―――名前で呼んであげれば

―――すっごい喜びそうじゃん。

アヤちゃんの声が脳内で再生されて、さらに鼓動が早まる。鳴子くんの下の名前はもちろん知っている。アドレス帳にはフルネームで登録する派なので何回も見てきた。受信ボックス、通話履歴に『鳴子章吉』の文字があることが嬉しくて、何回も何回も用もないのに受信ボックスや履歴を開いた。

「しょ、」

「しょ?」

なんや巻島さんの口癖が移ったんかいなという鳴子くんの茶々は耳から耳を通り抜けていった。恥ずかしくて頭がパンクしそうな私をいよいよ不審に思った鳴子くんの声音が「楠木さん?」と私を心配するものに変わった。

「しょう、」

あとたった二文字。それだけなのに言葉が喉に張り付いて出てこない。鳴子くんが「しょう…?」と首を傾げたあと、少し経ってから目を大きく見開いて。

カァッと頬に赤みが差した。

気付かれた…!!

必死に抑えていた羞恥が爆発して半泣きになる。私はくるりと背を向け「バイバイ!!」と来た道をUターンした。

「楠木さ…!」

「やあやあ鳴子!今日も絶好の部活日和だね!!」

「おいこら杉元ワイ今お前に構ってる暇ないねん!!」

「鳴子くん鳴子くん!!きいて!!ガチャガチャでね!!なんと!!ファイナルステージ衣装を着た湖鳥が出てきてね!!」

「小野田くんオタ話するとき力つようなるなほんま!!」

ガヤガヤと騒々しい声がどんどん遠ざかっていく。ダーッと校舎の中に駆け戻ってから、息切れをしながら襲ってくるのは深い後悔の念。

…だから、私は。

…自分のことが好きになれないんだ…。

ハァーッと海溝のように深いため息はなかなか消えず、私の周りをどんよりと漂った。


(つづく)


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