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部活が終わって、部室でだらだらと着替えたあと、だらだらと喋っていると、ふと、杉元が真剣な調子で言った。
「…前々から思ってたんだけど、鳴子。君の彼女…、」
ごくり、と唾を飲み込んでから杉元はそう言った。
「綺麗な人だよなあ…」
楠木さんを思い出しているのか、ほう、と恍惚の溜息を杉元は吐いた。隣の小野田くんも「優しい人だしねえ」と、ぽややんとした笑顔で頷く。スカシは心底どうでもよさそうにそっぽを向いていた。
ワイは鼻の下を人差し指で擦りながら、ふふんと得意げに鼻を鳴らした。
「まァな!優しいし面倒見いいし綺麗やし可愛いしいわゆるツンデレなところもたまらんし、サイッコーの彼女やで!カッカッカッ!!」
腕を組んで大きく笑う。楠木さんがこの場におったら『そういうのやめてってば』と恥ずかしそうにつっけんどんな口調で、早口で言うに違いない。杉元が「いいなあ」と羨望を露にした思いをため息混じりで吐いた。ええやろええやろ!カッカッカッ!!
「いいなあ…。なあ小野田、今泉」
「え、ええっ!ぼ、僕!?」
「いらねーよ、別に」
「スカシ無理すんなや〜」
「いやマジで別にいらねえ」
スカシはあだ名の通りスカシていた。コイツのこういうところがほんっまにムカつく。そんなスカシとは対照的に、小野田くんは「ぼ、僕に彼女なんてそんなそんな恐れ多いもの…!」と顔を真っ赤にして慌てふためいている。小野田くんの純情っぷり、素直っぷりを少しスカシにも分けたい。やっと少し落ち着いた小野田くんが、しみじみと感心するように言った。
「鳴子くんは大人だよねえ…。彼女なんて…。本当にすごい…」
お と な。
「いやいやそんな大したことないで〜」
ワイは鼻の穴を膨らませながら答えた。
「ううん、大人だよ!だって…か、彼女なんて…!うわァ〜!ほんとにすごい!今更だけど実感こみあげてきた!すごいよ鳴子くん!」
「なんなん小野田くん〜、持ち上げても何もでえへんで〜!帰りなんか奢ったるわ〜!!」
「出てんじゃねーか」
スカシのスカシたツッコミは耳に入らなかった。小野田くんの背中をバシバシ叩きながら「ま、いつか小野田くんにもできるって!」と鼓舞する。小野田くんは「え、ええ!そそそそそんな…!!」とまた、あわてふためいた。
「彼女ってのはなァ〜、あれやで、押して押して押す!!これでできんねん!ビビッときた子にアタックするのみ!!最初は嫌がられるのがちょっときついけどな、でもな、その嫌がられる時期を乗り越えた後にはな、最高なパラダイスが待ってんねん!」
声高々に力説すると、「おお〜…」という感嘆の声が杉元と小野田くんから発された。スカシは相変わらずスカシとった。
「…そ、の。鳴子」
「なんや」
杉元が目ン玉を左右に泳がせて逡巡してから、意を決したように口を開いた。口に手を経てるように当てて、潜めた声で言った。
「どこまでしたか、訊いてもいいかい…?」
…。
……。
………。
シーン、と場が静まり返った。小野田くんは意味がわからないようで頭の上にハテナマークを浮かべていた。スカシの耳がわずかに大きくなっていた。お前もこういうこと興味あるんやな、安心したわ…っちゃうくて!
「え、えーっとなァ…!」
顔が熱い。今絶対頬が真っ赤に違いない。頬をぽりぽり人差し指で掻きながら照れ臭さを隠すように「ま、まァ、ほ、ほっぺにチューはされたで!!」とカッカッカッと大きく笑った。
「…え、えー!?」
少しの間沈黙が流れたあと、顔を真っ赤にして、そう叫んだのは小野田くんだけで。
「え、それだけかい?」
「つまんね」
杉元とスカシの顔には“拍子抜け”と書かれていた。小野田くんのような反応を期待していたワイは、えっと鳩が豆鉄砲を食らったような表情を浮かべてぽかんとする。
「鳴子は派手好きだからもうあんなことやこんなことまでしてるのかと思ったけど…なんだ、全然だなあ」
「小学生かよ」
「な…っ!!」
こ、こいつら…!!怒りでわなわなと震える。帰るか、と腰を上げたスカシにワイは「ちょっと待てェ!!」と声を荒げた。スカシは「なんだよ」と鬱陶しそうにワイを見る。
「そ、そんなわけないやろ!!舐めんな!!」
カッカッカッと大きく笑ってから、ワイは。今世紀最大の大ぼらを吐いた。
「オッパイぐらい揉んだわ!カッカッカッ!!」
あーー!!アホォォォ!!
心の中に住んでいるもう一人のワイが頭を抱えた。何言ってるんやー!!
スカシの細い目が大きく見開いた。杉元が「え」と小さく呟いた後、「ええ!?」と驚きの声を大きくあげた。小野田くんはポカーンと固まってから「…へ!?」と、ぼんっと顔を赤くさせた。
「お前らみたいなお子様には刺激が強いやろうと思ってわざと言わんかったんや!ほっぺにチューなんて小学生どころが幼稚園児のすることやで!カッカッカッ!」
何を言ってるんやワイはー!!誰かこの口ホッチキスでとめて!!ほんま!!
「さ、流石鳴子…!浪速のスピードマン…!!」
「へ、も、揉む…!?え…!?」
「マジかよ」
「お、大人のキキキキキキッスとかしたのかい!?」
「キスのことキッスって言う高校生初めて見た」
「そ、そんなんしてるに決まってるやろ!!」
嘘ですしてませんほっぺたしかしてませんていうかしたことないです自分からはないですなんかタイミングが見つからんくて。タイミングってなんですか教えてエロい人。大人のキスなんてもう想像もつかん。恋愛モンは痒くてつまらんから観いひんし。
杉元、小野田くん、スカシがワイを尊敬の眼差しで見つめる。スカシにまで尊敬されるとは。…めっちゃ気持ちいい!
ま、まァ、いつかはすることやろうし?嘘をほんまにしたらいいだけのことやし?今は嘘やけど将来的にほんまにすればええんやし?と、心の中で言い訳を並べたてたら、なんかふっきれて、ワイは堂々とおおぼらをつけるようになった。
「そ、そういうことをするタイミングってどんな感じなんだい…!?」
「まァ〜、あれやな?なんか、こう?フィーリングってやつやな?」
「フィーリング…!?」
「なんかな〜こう〜こう〜、ふっ、すまん。説明できんわ。あれは体験したものにしかわからん空気や…」
「す、すごいな、鳴子きみってやつは…」
「い、今泉くん、鳴子くんって…すごい大人だったんだね…!!」
持ち上げられまくって、高くなる鼻を抑えられない。ワイはカッカッカッと大きく笑った。
「まァー、お前らもな!いつか彼女できたらオッパイぐらい揉めるって!!カッカッカッ!!」
「いつ?」
氷のように冷たい声が、バケツを引っくり返したように降り注いで、カッカッカッと、大きく笑う声が止まった。
こ、の、声、は。
ギギギ…とゼンマイ仕掛けのロボットのように、後ろを振り向くと。そこには、楠木さんが、綺麗な微笑を湛えて立っていた。作り物のように完璧めいた笑顔の奥にあるのは南極の氷のように冴え冴えした瞳。
「楠木さ、え、なんで、ここ、に」
「教室で友達と勉強会してたの。まだ残ってるなら、鳴子くんと一緒に帰ろうと思って」
それで。
形の良い唇から、冷たい声音が流れた。
「いつ、鳴子くんは“彼女”の胸を揉んだの?」
楠木さんは笑っていた。でも、目が全く笑っていない。
「ねえ、いつ?」
これはもう、腹を括るしかない。ワイは、その場で膝を付いて、頭を下げて、この世に生まれ落ちた日のような大声で、叫んだ。
「ほんっまにごめんなさい!!」
ワイの彼女は、優しくて面倒見良くてツンデレ入ってて、綺麗で可愛い。そんで、キレたら、めっちゃ怖い、デス。
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