▼
鳴子くんは、眼光を鋭くして、きょろきょろ辺りを見渡しながら、周りを確認する。「いける。なんもおらん、なんも、今度こそ!」と、小さく呟いたかと思うと、ぐっと拳を握ってヨッシャアアアと息巻く。
「…何してんの…?」
「や、なんもない!いこかー!」
思わず怪訝な表情で、鳴子くんに問いかける。鳴子くんはぶんぶん首を振ってカッカッカッとけたましい笑い声を上げた。肩を並べて歩く。
今日は、鳴子くんと初デートする日だ。前行った花火大会はデートというにはにぎやかすぎたので、デートとみなしていない。や、楽しかったけども。あれはあれで良かったけど。
部活で忙しい鳴子くんとは、なかなか予定が合わなかった。何度もドタキャンされた。その度に『ほんまにごめん!ほんまに!!』と土下座する勢いで頭を垂れて謝ってくるものだから、怒りよりも呆れの方が勝ってしまった。調整に調整を重ねて、今日が念願の初デートだ。昨日は楽しみすぎて、なかなか寝付けなかった。
私なりに頑張ってお洒落をしてきた。髪の毛も巻いたし、少しだけ化粧もしてみた。それについて鳴子くんは一切コメント無し。それどころか。
「楠木さん楠木さん、あの雲、ウンコみたいやなあ〜!」
…せめてソフトクリームって言って…。
気付かれないように、はあ、と小さくため息を吐いた。
男子に苦手意識を持っていた時も、彼氏が欲しくなかったわけではない。大人びた年上の彼氏がいいなあ、と漠然と思っていた。大人で、優しくて、包容力と余裕たっぷりで、優しくエスコートしてくれて、お洒落なカフェに連れてきてくれるような、男の人がいいなあと夢想していた。
でも、実際の彼氏は。
「おっしゃー!うまくいったー!」
鉄板でお好み焼きを引っくり返して、大喜びしている。私たちはついこないだまで中学生だったから仕方ないのだけど、このはしゃぎっぷりは、中学生を連想させた。「はい、どうぞ、楠木さん!」と、切り取ったお好み焼きをお皿にのせてくれた。ありがとう、とお礼を述べてからソースとマヨネーズをかけてから、口に運ぶ。もぐもぐと噛んで、呑みこんでから一言。
「美味しい」
「カッカッカ!せやろせやろ!」
得意げに鼻を伸ばしながら「や〜時代は料理のできる男やで〜」と、うんうんと頷いている。
「すぐ調子に乗る…」
呆れたようにぼやきながら、もう一口、お好み焼きを頬張った。美味しい。普段、どちらかというと料理を振る舞うことの方が多いので、こうやって作ってもらえると、なんだか感慨深い。
「楠木さんに美味いって言ってもらえて、めっちゃ嬉しいわ〜」
にかっと八重歯を見せて笑いかけてきた鳴子くんは「さーワイも食べるか…あつっ!!」と予想以上のお好み焼きの熱さに慌てふためきながら水を飲んでいる様子は落ち着きからはほど遠い。冷静に観察すると、本当に好みのタイプから逆走しているということがよくわかるのに。
「…落ち着きなよ」
「お、おおきに…!」
ピッチャーを掴んで、鳴子くんのグラスに水を灌いでからふうっとため息を吐いたあと、自然と口元が緩んだ。
「やー食った食ったー!」
鳴子くんはお腹をバンバン叩きながらご満悦そうにカッカッカッと大きく笑う。肩を並べて、あてもなく、ふらふらと歩く。
「楠木さん、どっか行きたいとこある?」
「うーんと、」
顎に人差し指をあてながら考え込んでいると、視界に見慣れた人物達が入ってきた。向こうと目が合う。頭から冷水を浴びせかけられたような気分になって、体が硬くなっていく。
「楠木さん、どうし…」
鳴子くんは、挙動不審な私に気付き、視線の先を辿っていってから「あ」と小さく漏らした。
見慣れた人物達。もう一年以上口をきいてないけど。それは、中学時代同じグループで、今は鳴子くんと同じクラスの子達だった。私と鳴子くんを見たあと、ひそひそと言葉を交わした後、クスクスと笑っている。嘲笑の色をしている小さな笑い声は、いつまでも耳に纏わりついた。
心臓がごとりごとりと重く鳴る。口内の唾が増して、ごくりと呑みこむのにも力を要した。少し口を開くと、あっという間に口内が渇いた。自然と視線が足元に下がって、下ろしたての焦げ茶色のブーティが視界に入った。
「…楠木さん、いこか!」
いつもと同じ明るい声。だけど、その声はいつもよりも和らいでいる。私を気遣ってくれているのだろう。その証拠が、顔を上げた先にある、柔らかな瞳だ。氷が溶かされるかのように、心が暖かくなり、安堵が広がる。
きっと、鳴子くんは。これから、小さな体なりに私を守ろうと頑張ってくれるのだろう。私がそこにいないのに、私を守ろうとしてくれるぐらいなのだから。
その優しさに。強さに。泣くほど胸を打たれて、心が愛おしさであふれだして、そして、憧れた。不完全で不格好な強さに、戦隊モノのヒーローに憧憬の眼差しを送る子供のように、かっこいい、と思って、そのかっこよさに、少しでも近づけたら、と憧れを覚えた。
まだ私は弱くて。すぐにうじうじ考えて一人で頭をこんがらがせて、自分の殻にこもってしまうような大馬鹿者だけど。今、隣には鳴子くんがいる。それだけで。
「そうやってクスクス笑うの、やめてくんない?」
それだけで、強くなれる。
ずっと言ってやりたかった言葉を、真っ直ぐに、同級生たちに突き付けた。同級生たちは、一瞬、自分たちに言われたのかわからなかったようだけど、私の瞳が自分たちに向かって睨みつけられているということをようやく判断した同級生たちは、ぽかんと口を少し開けていた。ずっと言われっぱなしだった私が反撃に出て、単純に驚いているのだろう。
「耳障りなの。鬱陶しい」
真っ直ぐに言葉を継いでいく。やっと驚愕から怒りに感情が変換された彼女たちは「は…?」「意味わかんないんですけど」と顔を歪めて応戦してくる。
がくがくと震えそうになる足を、しっかりと地につけて、気丈に、なんてことのないように振る舞う。どんなに理不尽なことを言われても、言い返すのが億劫で、怖くて、何もしなかった。我慢すればいい、と言い聞かせていた。けど、私はあの暑い夏の日、戦うことの大切さを、小さな背中から教えてもらった。
「クスクス笑うのやめてって言ってんの。日本人なのに日本語わかんないの?」
「…ハァ?あんた馬鹿にしてんの?」
「男子のことしか考えてない脳みそスカスカ女に言われたくないんだけど」
鳴子くんが口を挟もうとしてきたのが空気でわかった。それを制すように、横目で見る。大丈夫だから、と瞳で訴えかけてから微笑むと、鳴子くんの頬に赤みが差して、動きがとまった。もう一度、同級生たちを真っ直ぐに見据えた。そしてはっきりと短く言う。
「だから?」
「…え」
「だから、それがなに。男子のことしか考えてないのは、お互い様だと思うけど。そっちはそっちの好きな人のことばっか考えてるんでしょ。私は」
ぎゅっと、鳴子くんの腕を掴んだ。細い腕は、意外と筋肉がついていて、固かった。
「私が、鳴子くんのことばっか考えてることの何が悪いの?」
しいんと、静寂が流れた。私達の間だけ、世界から隔絶されているのではないかというくらいに。それを破ったのは、カッカッカッという大きな明るい笑い声。
「楠木さん!」
大きな声で名前を呼ばれた。吃驚して、うまく反応できないでいると、鳴子くんは弾けるような笑顔を浮かべて、私の肩をバシバシ叩いてきた。い、痛いんですけど…!と抗議しようとしたら。
「最っ高!!さっすが楠木さんやで!!」
くしゃくしゃの笑顔で、褒めちぎってくるから、嬉しすぎて言おうとしていた言葉がどこかへいってしまった。
「恥ずかしがり屋の楠木さんがいじめっ子達に宣言してくれたんやから、ワイも言わななあ」
照れ臭そうに笑いながら、うんうんと頷く鳴子くん。なんだか嫌な予感がする。冷や汗が背中を伝う。鳴子くんは派手好きで、目立つことが大好きで…。あ、ヤバイ、これ。
鳴子くんが、すうっと息を大きく吸い込んだ。
血の気が引いていく。待って、と制止するのが、一歩遅れた。
「ワイも、楠木さんのこと、めぇーっちゃ好きやでぇぇぇー!!」
通行人の視線が、私達に注がれて、なんだなんだと好奇の目に晒される。同級生たちが「ちょ…っ」「うわ、はず…!」「も、もういこうよ」とそそくさと立ち去るのを視界の隅っこで捉えた。羨ましい。私もいますぐ消え去ってしまいたい。
「ふう…あれやな、あれ!ほらめっちゃ昔流行ったやつあるやん!なんやっけ…ピカチューみたいな略し方の恋愛小説!」
「知らない!!ほんとバカ!!」
「え、ちょっ、楠木さーん!?」
ハジからハジまで出来損ない
prev / next