とおまわりの記録番外編 | ナノ



(※「全部ここにおいてって」の続編です)










「ん…」

自分の小さな呻き声で目が覚めた。目を開くと、白い天井が見えた。カーテンの隙間から漏れるオレンジ色の夕日が部屋に差している。身を起こして吉井の姿を探す。見つかったのは、吉井ではなくて、一枚の紙切れだった。

『もうそろそろお見舞いの時間がすぎるので帰ります。今日は本当にありがとう。お大事に』

見慣れた小さな文字でそう書かれていた。吉井はやっぱり、人のことばかりだ。お大事に、って。お前の方が負担でかいだろ。熱は引いた。けど、体がどこか気怠い。何もする気になれず、服を着てからもう一度ベッドの上に寝転がる。

…やったんだよな…。

目を閉じると、瞼の裏に、恥ずかしそうに涙目で声をあげる吉井の顔が浮かんだ。俺は童貞で、誰ともしたことがなかったから、AVとか漫画のやり方を思い出しながらやっていたが、中盤あたりからは本能の赴くままだった。気遣いはしていたつもりだが、実際のところ、どうかわからない。吉井は、すぐ我慢する。大丈夫だよ、嫌じゃないよと、そう言って笑うから。

ヤッたあと、女子というものは、男子に優しくしてもらいたい、と聞いた。俺は優しくするどころか、寝ていた。その俺を起こすことなく、丁寧にふとんをかけて、置き手紙までして、そっと部屋から出て行って。

「…もっとわがまま言えって」

掌がまだ熱い。柔らかくて、暖かくて、甘い匂いがする吉井の感触を噛みしめるかのように握りしめながら、ぽつりと天井に向かって言葉を漏らした時。

「よっす尽八!」

「てめーいつまでくたばってんだよ」

「東堂、熱は大丈夫か?」

バタンとドアを開けられて、隼人、荒北、フクが入ってきた。



「お、おお!もうすっかり大丈夫だ!」

吉井の体の感触を思い出している時に、友人たちが入ってきて、なんとなくバツが悪い気分になる。俺は少し慌てながら身を起こした。

「明日からはもう学校来れそうか?」

「ああ」

「静かだったのにな」

「おい隼人お前それどういうことだ」

「そのまんまの意味だヨ。おら、見舞い品」

「おお、サンキュー」

いつものように軽口の叩き合いが始まる。だが、フクは何も喋らない。じーっと、ベッドの横のタンスの上に目が釘付けだ。

…あ。

冷や汗が垂れた。

「リンゴ…」

しまった、まだ一切れ残っていた。フクがじーっと物欲しそうに見ている。

こ、これは、やれ、と…?

「や、やらんからな!」

吉井がせっかく剥いてくれたリンゴだ。俺の為に剥いてくれたリンゴだ。いくらフクと言えど、他の男にあまり食わせたくない。フクが「そうか…」としょんぼりと肩を落とした。

「ケチだな、お前〜」

荒北が“ケチ”を強調させて言う。隼人はもっさもっさとうまい棒を食べながら「そうだな」とでも言いたげに頷いた。

俺だって、本来ならリンゴの一切れや二切れくらい友人にやる。フクはナイーブだし。でも、これは、吉井が俺の為に小さな手で頑張って剥いてくれて。

…手。

「スマブラやろうぜ」

「お、いいな」

「俺は強い」

「知ってからさ。福ちゃんのピカチュウ誰もつかわねーからさ」

吉井の手が、俺の背中に手を回した時の感覚を思い出す。爪をたてられて痛かったけど、でも、吉井の方が俺の何倍も苦痛を味わっているのだから、これくらいなんでもないと、本気で思った。痛みよりも、幸せのが勝っていて。

「尽八ー、お前何使う?サムス?ガノンドロフ?」

「全然聞いてないからもうロボットでいんじゃナァイ?」

「俺はピカチュウだ」

「わかってからさ、福ちゃん」

口の中で舌を動かす。皮膚、汗、体液の味。こんなところ、実際に舐められるのか?とAVを見た時は自分がこんなところを舐めるのは嫌だと思ったところは吉井が相手だと簡単にできた。押し殺した声から漏れる喘ぎ声が色っぽくて、可愛くて、綺麗で。

「尽八ー、はじまんぞー」

「呼ぶなって新開。こいつのダメージ200パーセントまであげといてから、呼ぼうぜ」

「ピカチュウ行くぞ!」

「頑張ろうぜ、福ちゃん」

「え、これチーム戦なのか?」

「ちげーけど」

…ヤバイ、どうすんだ、俺。

「東堂おいコラお前の分身今150パーセントだぞ。さっさと起きろ」

「なんだかんだで呼んでくれるところが、靖友って優しいよな」

「ッセ!!」

今すぐ、もう一回、シたい、とか。

「む。東堂、顔赤いぞ」

「熱ぶり返したのか?」

「どうせ吉井のエロエロ妄想でもしてんだろォ」

荒北の口から“吉井”と“エロ”いう言葉が出た途端、俺は弾かれたように、我に返った。

「え、は、え!?ななななななにを言って、ハハハハハッ!!そんなことあるわけないだろ!!わっはっはっ!そんな!!」

シーン、と場が静まった。ゲームの音だけが聞こえる。荒北と隼人が真顔で俺を見ていた。視界の隅でロボットがピカチュウに飛ばされたのが見えた。よし、とフクが手を強く丸めていた。

「ちょっ、ちょっと、外の空気を吸ってくる」

この気まずい空気から逃れたくて、そう言って立ち上がると、ゴミ箱が足に当たって、ごろっと倒れた。

そして。

ゲームに熱中しているフク以外の全員が、それに注目した。

ごみ箱から出た、モザイク処理物の、それを。

「福ちゃん、ちょっと、これ聞いとけ。これ聞きながらスマブラやったらすげー強くなっから。あとちょっとコンピューターと闘っとけ。ちょっと俺、そこのムッツリバカエロ大魔王に話あっからよ」

「ムッツリバカエロ…?」

「寿一は俺達の分までスマブラをやっておいてくれ」

フクにウォークマンを渡した荒北と、フクの肩にぽんと手を置いた隼人が、俺の前に立った。

荒北にガッと胸倉を勢いよく掴まれた。

「何盛ってんだァ…?」

「ま、待て!!これは…!!」

「やるじゃねえか、尽八!ヒュウッ」

「やるじゃねえか、じゃねーよ!!コイツ俺らに心配させといて、女連れ込んで盛ってんだよふざけんな死ねボケナス!!」

「心配…?荒北、お前いいやつだな…!ワッハッハッ!さてこの話はこれで終わりにして、」

「話逸らすんじゃねーヨ!!」

荒北はそう言って俺の頭を殴った。話を逸らすだけではなく、本心で言ったのに。というかこの野郎、よくもこの美形の顔を…!と怒鳴ろうとした時だった。隼人にガシッと肩を掴まれて、無理矢理座らされた。

「な、なにをする!」

「まあまあ、ちょっと聞かせてくれよ」

「なんでそんなことなんだヨ、寮に連れ込んでんじゃねーよオラァ。どうだったか聞かせろや」

お前も聞きたいのかよ。

こほん、と咳払いしてから、俺は言う。

「…言っておくが、最初からそのつもりだったんじゃないぞ。真波に、その、間違ってメールを送ってしまってだな、吉井に送るはずのメールを」

「どういうメールを送ったんだ?」

「…吉井に会いたい、って…」

「…」

「…尽八って、もしかして、吉井さんには結構甘えた…」

「うわあああ!!言うな!言うな!!」

「お前そういえば弟だったナァ」

「うわあああああ!!やめろォォォ!!」

「っせーんだよタコ!!で、なんでそうなった?」

「…そしたら、その、真波が気を遣って吉井を呼んでくれて、そういう流れになって、そうなった」

ぽつり、と言葉を落とすようにして言ったあと、隼人と荒北は何も言わなかった。スマブラの音しか聞こえない。

しばらくしてから、隼人がぱちぱちと手を叩いて「おめでとさん」と穏やかな笑顔を浮かべた。

「…おう…」

「いやあ、これで尽八も脱童貞か…。童貞のくせに女のことなら俺に聞けとか言うとか馬鹿じゃないのかコイツ、と思っていたあの頃がもう既に遠い昔のことに思えるぜ」

「お前俺のことそんな風に思っていたのか!?」

「吉井さん可愛かっただろ」

「…すっげー可愛かった」

「おっぱいでかかっただろ」

「そりゃあもう…って何言わすんだお前ー!!」

「てめーも何言ってんだ!!」

「お、靖友顔赤いな!さては想像したな!」

「荒北ァァァァ!!」

「してねーヨ!!新開殺すぞ!!」

「靖友巨乳好きだもんなァ」

「荒北ァァァァァァァ!!」

「新開ィィィィィ!!」

俺が荒北の胸倉を掴んで、荒北が隼人を視線だけで殺しそうな目で睨んでいたそのころ、吉井は体温計を見ながら「あちゃあ…」と呟いていたことを、当然ながら俺は知らないのだった。



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