吉井は、熱を出してしまった。俺の熱が移ったのだろう。それ以外考えられない。申し訳ないから顔を見て直接謝りたいのに、吉井は熱で学校を休んでいたのでふがいないがメールで謝った。全然大丈夫だよ〜という返信が来たが、吉井が学校に来たらもう一度直接謝る、そう思っていた。
実際、ああいうことをしてから顔を会わせると。
「お、おはよう」
「お、おはよ〜」
ものすごく恥ずかしい。
「そ、その、風邪はもう大丈夫か?」
「う、うん」
いつもならすらすらと会話を紡げるのに、今日はぎこちない。肩を並べて教室まで向かうが、お互いきちんと視線は合わさない。
だが、東堂尽八、これだけはなんとしてでも言っておかねばならない。
「…俺の熱が移ったんだよな。本当に、すまない」
きちんと、吉井の方を向いて頭を下げる。すると、吉井は「も〜」と困ったように笑った。
「だから大丈夫だってば〜。だいたいわたしが東堂のところに押しかけたのが、も…んだい、と、い、う、か…」
言っていくうちにあの日のことを思い出していったのだろう。顔がどんどん赤くなっていっている。俺の顔も熱くなっていっているので、俺の顔も間違いなく赤い。
カァッと顔を赤くして俯く吉井を、そっと盗み見る。
女子が柔らかいのか、それとも吉井だけが柔らかいのか、わからないが、吉井は柔らかかった。
胸は大きくて、先端を舐めると声を上げて、変な声だからと口を抑えようとした手を思わず抑えた時、吉井は羞恥で涙ぐんでいて。可愛くて、どことなく色気があって。
思い出して、ごくっと唾を飲み込む。
「…東堂?」
「…え、あ、すまない。少し、ぼーっとしていた。ワ、ワッハッハ!お前のボーッとする癖が移ったのかもしれんな!」
誤魔化すために高笑いをすると、吉井はじっと俺を見た後くすくす笑った。
「東堂こそ大丈夫?熱ぶり返したりしなかった?」
「おお。もうすっかり大丈夫だ。風邪も俺に恐れをなしたようだ…。そう、俺のあまりの美しさに!」
「そうか〜、だから、たいしたことないわたしのところに逃げてきたのか〜」
ほうほうと納得したように頷く吉井。ものすごく真剣な顔つきだ。え、ちが、そういうことを言いたいのではなく!
慌てて訂正しようと口を開いた時、吉井が俺よりはやく言葉を挟んできた。
「あの、ちょっと、つかぬことをお聞きしますが」
もごもごと、口ごもりながら言いにくそうに言う。ちらちらと俺を見たり、見なかったり。
「なんだ。なんでも訊いてくれ」
「…かった…?」
「…? すまない、もう一度言ってくれるか?」
吉井に耳を近づけると、吉井はさっきよりもう少し大きな声で言った。
「気持ち、よかった?」
…。
……。
………!!
言われた意味を理解するのに十秒はかかった。わかったのち、全身が熱くなった。
「そ、その、わたし初めてだったし、特になにもしなかったし、任せっぱなしだったから、いや、それでもいいって言ってくれたんだけど」
階段を昇りながら、吉井は少し早口でぼそぼそと言う。耳まで真っ赤だ。
「も、申し訳ないから、なんか、その、東堂が好きな、え、えーぶいとか、あったら、頑張って練習するから、貸して、いただけたら、なあ〜…とか、思っていて…」
言い終わったあと、「あ、あはは」と誤魔化すように、照れ臭そうに笑う吉井。
吉井はいつだって、本当に人のことばかりで。気遣ってばかりで。だから、俺も、何か頼みごとはできるだけしないようにしている。吉井は絶対に受け入れてしまうから。嫌じゃないよ、とか、大丈夫だよ、とか、そう言ってにっこりと笑う。
だから、大切にしたいって。俺の欲望のままに突き進んだらいけないって、理性を必死にかけているというのに。
階段を昇り切った。もうすぐで教室だ。吉井が俺の言葉を待つかのように、ちらちらと俺に視線を寄越す。
俺は吉井の手をぎゅっと握った。
「へ」
「悪い、少し、きてくれ」
俺は有無を言わさず、吉井を引っ張って、教室とは反対方向に連れて行く。吉井は抵抗もせず大人しく俺に引っ張られる。それどころか、小さな手でぎゅうっと握り返してくる。これだから、もう。
屋上へつながる階段を途中まであがっていく。ここは人気がない。しかも、もう少しで朝のホームルームが始まるから、誰もいなかった。
「東堂、どうしたの?」
吉井を見る。丸い瞳がじいっと不思議そうに俺を見上げていた。
あれだけ、散々触ったというのに、触れて、舐めて。それなのに。
「キス、していいか?」
頬に片手を添えて問いかけると、吉井は「へ」と漏らしたのち、ぼんっと顔を赤くした。
「ど、どうしたの。そんな急に」
あははと笑う吉井に顔を近づける。自分でも驚くほど甘えたような声が出た。
「…駄目か?」
吉井が目を見張った。そして、恥ずかしそうに伏せていく。そういう言い方、ずるい、と小さく呟いた後。
「…駄目じゃないよ」
そう言われるが否や、顎を持ち上げて、キスをする。我ながら大分慣れたものだと思う。初めてした時は、どうすればいいのかわからなかった。ぎゅうっと目を閉じて、恥ずかしそうにぷるぷる震えている吉井に唇を合わせることだけで精いっぱいだった。
普通に、男だし、それだけで十分とは言えなかったが、でも、それで舞い上がった。十分に、舞い上がった。今だって舞い上がれる。
けど、もっと、もっと、と欲望がどんどん深くなっていく。
「ん、んん…」
唇の隙間から漏れる吉井の声に反応して、うっすら目を開けると、苦しそうに目を閉じていた。唇を離して、呼吸するタイミングを渡す。吉井は、はあっと息を吸い込んで、目を開ける。俺と目が合って、曖昧に笑ってみせる。
ヤバイ、歯止めがきかない。
もう一度、キスをする。吉井は特に抵抗もしないでそのまま受け入れる。舌を入れるとびくりと少し肩を跳ねさせたが、大人しく口を開く。遠くからは同級生たちの話し声と、近くからは俺と吉井の息遣いが聞こえる。
もう一度、唇を離すと、吉井は肩で息をしていた。俺がじっと見ていることに気付いたのか、にこっと恥ずかしそうに笑う。
「も、もう少しでホームルーム始まるし、そろそろいこ…ひゃっ」
首筋をぺろっと舐める。吉井は慌てて口を抑えた。
「ほん、と、に、そ…んんっ」
頬をちゅうっと吸うと、身をよじったので、背中に腕を回して体を密着させる。吉井の胸が体に当たる。
「もう少し、だけ」
「…っ、ん、ぅ」
甘えるような瞳を向けると、恥ずかしそうに濡れた瞳を伏せながら甘い吐息を漏らす吉井。
少しでも嫌がったら、やめる。これは絶対だ。吉井が嫌がることは絶対にしたくない。けど、吉井は。
「…わか、った」
ほら、こうやって受け入れるから。受け入れてしまうから。甘えてしまう。どんどん、欲深くなってしまう。
「…気持ちよかった」
「…へ?」
三回目のキスを終えたあと、質問の答えを返す。はあはあと息切れをしている吉井は何のことを言われたのかわからずきょとんとした。
「気持ちよかった、本当に、すごく、よかった。吉井だからだ」
頬に手を添えたまま、切実にそう言うと。吉井の目が見張らせてから、嬉しそうに「そっかあ」と言った。
ああ、もう。
「あと一回、いいか?」
真剣にそう問いかけると。吉井はやっぱり恥ずかしそうに視線を下に向けて。そして震える唇を開いてから小さく呟いた。
「う、ん」
「よくねーーーーよ!!」
え。
振り向くよりもはやく、ものすごい衝撃が頭に走った。綺麗な星が見える。あれ、あれは…おお、曾御婆ちゃんではないか。久しぶりだ。え、まだ来るな…?その川を渡るな…?わかった、わたらない。
意識が混濁していた。はっと我に返る。よろめきながら振り向くと、チカチカする目の前には荒北がいた。
「てめーらなあ!!人が気持ちよく寝てる時になァ!!何発情してんだ死ね!!」
…あ。
荒北は、階段を昇り切った、屋上へつながるスペースで寝ていたらしい。ちょうど俺達の死角になるスペースで、悠々と寝ていたらしい。
「朝早く起きて自主練して教室行って眠くなってきたら教室がギャアギャアうるさくなってここに移動したら今度は発情した猿とされるがままになっている馬鹿がやってきてちゅっちゅっちゅっちゅ、今日は厄日かアアン!?教室行かせろ!!」
「ご、ごめんね荒北くん。いろいろと…」
「てめーもなあ!されるがままになってんな!!マジで幸せになる壺買わされんぞ!!もっと自分の意思を持て!!」
「も、持ってるよ!!」
吉井は手を丸くして、必死に訴えた。
「わたしは、東堂にたくさんキスをされて嬉しかったの!!自分の意思でされるがままになったの!!」
しーん、と水を打ったように静まり返った。
あんぐりと口を開けている荒北、あんぐりと口を開けながら、顔を赤らめる俺、そして、吉井は自分の言ったことに驚いて、顔を真っ赤にして、ぷるぷる震えながら両手で口を抑えたあと、
「さ、先に教室行ってる!!」
そう言って。脱兎の如くこの場から立ち去った。
廊下を走っていく音が聞こえる中、俺は荒北にありのままの心中を吐露した。
「荒北」
「はあ」
「吉井が可愛すぎて辛いんだが」
「千回死ね」
どうにも愛がやみませんので
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