とおまわりの記録番外編 | ナノ



わたしからしたら、すごいこと。何かで全国から二番目にすごいと言われることは、とてつもなく、すごいこと。

でも、東堂達は二番目が欲しかったんじゃない。一番が欲しかったんだ。









「ふー…」

インターハイの、次の日。

お風呂をすませて、ベッドに倒れ込んだ。箱学は二位で、東堂は三位。メガネくんのことが好きだ。可愛い、いつまでも撫でていたい。おめでとうと思う気持ちは本物だ。巻ちゃんの嬉しそうな顔も見れて、嬉しいと思う。

でも、わたしに懐いてくれる真波くんの顔とか、礼儀正しく挨拶してくれる泉田くんとか、ぶっきら棒だけど優しい荒北くんとか、いつでもわたしに親切にしてくれる新開くんとか、真剣に向き合ってくれる福富くんとか、東堂とかのことを考えると。

…昨日、東堂と話せなかったな。
…電話をかけることもできなかった。

心臓辺りの服をぎゅうっと掴んだ。

あのあと、遠くからでしか東堂を見る事ができなかった。悲壮に暮れているわけではなく、凛々しく、毅然としていた。王者の副キャプテンという肩書を背負うのにふさわしい顔つきだった。

勝負の世界だ。勝つこともあれば、負けることある。素人のわたしだってそれくらいは理解している。今回は負けた。ただそれだけのことなのかもしれない。こんな気持ちになるのは失礼なことなのかもしれない。

けど。

その時、携帯電話がヴーッ、と振動を始めた。

携帯電話を開くと、画面には“東堂尽八”の文字があった。がばっと身を起こして、慌てて電話をとる。

「もっ、もしもし!」

『おー、吉井、インハイ、暑い中応援に来てくれてありがとう』

東堂はいつも通りの明るい声で喋っていた。

『今日は実家に帰っていてな』

「うん」

『久しぶりの家はいいなー、伸び伸びできた。それでだな』

「うん」

『今、お前の家の前にいるんだが』

「う…、へ!?」

カーテンを開けて、見下ろすと、ロードバイクから降りて、携帯電話を片手にわたしを見上げている東堂がいた。

け、結構な距離あるんじゃないの、東堂とわたしんちって…!

びっくりしながら見下ろしていると。

目と目が合って、静かに笑いかけられた。

たったそれだけと言えば、それだけのことなんだけど。わたしの心臓というやつは、とても単純で。

『こんな押しかけるみたいなマネして悪い。顔を見られて良かった。それじゃあ』

え。

東堂はそう言うと、電話を切ろうとしていた。

「ちょっと待ってて!」

口から声がついて出た。
電話口にではなく東堂自身に向かって大きな声で言った。東堂がえ、とぽかんと口を開いたあと小さく笑ったのも知らずに、引っ手繰るようにして薄手のパーカーをパジャマの上から羽織った。

「お待たせ〜…!」

階段をドタバタ駆け下りてきて、ドアを開いて、東堂のところへたどり着いた。距離は短かったけど、長く感じた。東堂はずっと穏やかな笑顔を携えている。

「少し、歩くか」

「うん」

東堂がロードバイクを押している横に、わたしも並んで歩く。

「吉井、もしかして風呂に入ってきたのか?」

「うん」

「ちゃんと髪の毛乾かしたか?」

「うん。東堂って、時々お母さんみたいだよね」

付き合う前からしてきたような、とりとめのない話をする。

「ロードバイクって見れば見るほど普通の自転車とは違う形しているよね〜」

「確かにそうだな。カッコいいだろう、俺のロードは。そう、持ち主にひけをとらないほど!」

「うん、かっこいいよ〜」

「ワッハッハッ。そうだろう、そうだろう」

「うん、ほんとかっこいい〜」

「…む?視線がロードにしかいってないのだが…」

風が前髪をさらっていくので、前髪を抑えながら、わたしは言葉を続けた。

「でも本当にね、かっこいい。わたし、この前ロードバイクに乗ってみたんだけど、うまく乗れなくてケガしちゃってさ」

「なに!?大丈夫なのか!?」

「だーいじょうぶ、ちょっと腕とか膝擦りむいただけだから。…すごいね、みんな。わたしなんか乗ることすらできなかったのに、みんなは乗って、あんな速く走るんだから」

友達になったころ。東堂は『大会見に来ないか』と誘ってきた。予定もなかったし、東堂を応援したかったので了承して見に行ったら、圧巻された。自転車があんなはやいスピードを出すことを知らなかった。いつもあんなにお喋りな東堂が静かに坂を登っている姿を見た時は目を疑った。でも、まぎれもなく、東堂で。

とても早く、とても綺麗に、自転車で坂を登る東堂が、きらきらと輝いて見えた。

そう言いたかったんだけど、当時、東堂と友達になりたてのわたしはうまく言葉を紡げなくて、『すごかった、ほんとにすごかった』としか言えなかった。でも、東堂は『まあな!ワッハッハッ!』と笑ってくれて。

「…ほんとに、すごい」

二年前と、同じことを口にするわたしをじっと見たあと、東堂は視線を横に向けた。

「少し、座るか」

東堂が顔を向けた先は、公園だった。夜だからか、誰もいない。わたしは頷いて二人で公園に入って行った。ロードをたてかけて、自販機の前に立って東堂がわたしに問いかける。

「ジュース何か飲むか?」

「わたし今お金持ってないから買えないんだよ〜」

「奢るぞ」

「え、いいよー。あそこで水飲んでくる」

「えーっと、吉井はなっちゃんだな」

「え、えええ」

東堂はピッとボタンを押して、なっちゃんを買い、わたしに渡す。続いて、自分の分も買った。近くのベンチに腰かけて、並んでジュースを飲む。

「今度会った時返すね。120円か…。よし、覚えた」

「奢ると言っているのに」

東堂は苦笑した。その顔がいつもより大人っぽく見えて、どきっとした。

…この三日間で、東堂はいろんなことを経験したんだろうなあ…。

毎回、レースが終わる度に、東堂は少しずつ、変わっていく。色々な物を得るのだろう。わかったようなことをわたしが勝手に思っているだけで、勘違いかもしれないという考えはなかった。

だって、見てきた。ずっと、目で追ってきた。
ずっと、ずっと。
だから、東堂のどんな些細な変化も、わかるよ。
それだけは、自信をもって言える。

「…負けてしまったなあ」

ぽつりと、なにげなく漏らされた言葉は、今の東堂の頭の中で最も強く渦巻いている言葉に違いなかった。

「やれることはすべてやりつくした。あの時ああしておけば、こうしておけば、という思いも少しはあるが、ものすごく後悔するほどのものではない。やりきった、俺は」

淡々と、思いを言葉に乗せていく東堂を、わたしはじっと見つめる。

「けど、負けたというものだけで、こんなに、」

東堂の明るい声が震えていた。

「こんなに、苦しいんだな」

顔を上げて、月を見上げる東堂の姿は、見ているだけで切なくてさみしくて、どこかに行ってしまいそうだったから、わたしはぎゅっと掌を掴んだ。東堂が月を見るのをやめて、わたしを見た。

視線と視線が合う。

きゅっと唇を噛んで、東堂を見据えた。

「と、東堂」

おせっかい。でしゃばり。そんな言葉が頭に浮かんだ。だけど、わたしは過去に一度、既におせっかいを妬いている。それでも、おせっかいをおせっかいと責めないでくれた。わたしに弱さを見せてくれた。あの時でそれなら。付き合っている今なら。

「泣いちゃえ」

もっと、弱さを見せてほしい。

東堂は驚きで目を見張り「…え?」と声を漏らした。

「あっ、あのね、泣いてないなら、泣いた方がいいと、思う。じゃないと、感情が詰まって、ぐるぐるして、行き場がなくなって、大変なことになっちゃうと思うから」

わたしはジュースをベンチの空いているスペースに置いた。

「悔しいとか、悲しいとか、色んな気持ちでいっぱいいっぱいだと思う。前もいったけど、わたしはその気持ち、共感してあげられないと思う。福富くんとか、荒北くんじゃないと、その気持ちには理解できないと思う」

わたしはロードレーサーでもなくて、一緒に戦った仲間でもなくて。
なんにもできないただの女の子だけど。

「けど、泣いている東堂を抱きしめることは、できる、っていうか、その、いやこれだって誰にだってできるだろうけど、えっと」

けど、それでも、わたしは嫌だ。

「…ひとりで、」

調子に乗るなと怒られるかもしれない。怖い。けど。

「ひとりで、泣いてちゃ、やだよ」

視線を下に落としながら、小さく呟いた。

「わたし、一応、東堂の彼女だから、弱いところとか、わたしにだけは見せてほしい」

「なにかいい言葉を言えるわけでもないけど」

「ほっといてほしい、って思っていたら、ほんとにごめんだけど、」

「…東堂がひとりで泣いていたら、いやだ」

ぽつりぽつりと漏らしていくわたしの言葉は、東堂に届いただろうか。

そっと、伺うようにして見上げた時。背中に手をまわされた。

目の前には東堂の服がある。

そして。

暖かい腕がわたしを包み込んでいて。

「…っとに、お前には、叶わんよ」

暖かい水滴がわたしの膝に落ちた。

鼻を啜る音。嗚咽。畜生、という小さな声が耳に入ってきて、わたしはそっと目を閉じた。

東堂の背中に手を回してぽんぽんと叩く。

「…うん」

「すごかったよ」

「かっこよかったよ」

わたしが言う言葉は、どれもこれも、わたしみたいに平凡だ。こんな言葉、言われ慣れているだろうし、言っても意味がないかもしれない。

でも、本当に、そう思ったんだよ。

なんて、すごくてかっこいいんだろう、って。心の底から。

王者、箱根学園。勝って当たり前。そんな重圧がのしかかる中、立派に副部長をはたして。きっと、後輩の前では泣かなかったのだろう。毅然と、凛々しく、山神という名がふさわしい姿で、みんなの前ではいたのだろう。

そんな東堂が、今、わたしを抱きしめながら泣いている。

東堂が泣いているのに、そのことを嬉しく思ってしまうわたしは、なんていうやつなんだろう。

…ごめんね。

心の中で謝ってから、わたしも東堂を抱きしめ返した。











東堂の体の震えがとまった。

「…前にも、こんなことあったな」

わたしを抱きしめたまま言っているので、どんな顔をしているのかわからない。でも、落ち着いた声色だったから、きっと今穏やかな顔をしているのだろう。

「あの時も、今も。俺は吉井に助けられてばっかりだ」

そっと、わたしを離して、優しい瞳を向ける。

「俺は、変わらないな」

小さく自嘲する東堂に、わたしはゆっくりと首を振った。

「変わったよ。東堂は、大きくなった。三年生になってからもっと大人になった。先輩って感じが強くなって。もっと周りのことも見渡せるようになっていて。真波くんと部活のこと喋っている時とか、わたし、東堂って副部長なんだなあ、って思ったもん」

今度はわたしが自嘲した。

「わたしは、何にも変わっていないけど」

ぽりぽりと頬を掻いて苦笑すると、もう片方の頬に手を添えられた。あ、と思う。どんどん顔が近づいてくる。そっと目を伏せると、やっぱり、キスをされた。触れるだけのものだけど、ちょっと恥ずかしい。嬉しいけど。

「そのままでいいよ、吉井は」

優しい眼差しが、目と鼻の先にある。吐息がすぐ傍に感じられる。

「いいの?」

「ああ」

「そっか」

「…そろそろ帰るか。送っていく」

「うん」

ベンチを立って、ジュースの缶をゴミ箱に捨てて、並んで歩く。また二人でぽつりぽつりと話をしながら、来た道を戻ってく。レースの最中の話をたくさん聞かせてもらった。呑みこまれそうになった時、荒北くんが背中を押して助けてくれたと聞いた時は「荒北くんカッコいい…」と感嘆の声を漏らしたら、「た、確かにそうだが…うぐぐ荒北め…!」と悔しがっていた。

空を見上げる。どこまでも濃紺に覆われた空に点々と星が浮かんでいる。その中でも一際目立つのは、大きな丸い月。

隣にいる東堂をそっと盗み見ると、月明かりに照らされた横顔が、とても綺麗だった。

「ん?どうした?」

夏目漱石がアイラブユーを月がきれいですね、と訳したのも、うなずける。

訳した時、隣に大切な人がいたんじゃないかな。

「…なんにもないよ」

わたしはゆるりと笑って、また空を見上げた。

やっぱり空には、大きな丸い月がぽっかりと、浮かんでいた。





やさしい夜をむかえにいこう


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