とおまわりの記録番外編 | ナノ



店から出ると、幸子はオレに連れてきてくれてありがとうと律儀に礼を述べた後「行きたいところがあるの」と切り出してきた。幸子から言うなんて珍しいこともあるものだな、と思いながら「どこにだ?」と訊く。


「雑貨屋さん。日傘欲しいの。前友達と遊んだ時置き忘れちゃって…それでそのまま誰かに持って帰られちゃったみたい。取りに行ってもなかったから」

「なんともお前らしい理由だな」

「い、以後気をつけます」

幸子はきりっと顔を引き締め、ぴんと背筋を伸ばした。きちんとした人になりたいの、と真っ直ぐに言った幸子の顔が思い浮かぶ。

「…よし、行くか」

自然と瞳が緩んでいく。幸子の手に自分の手を絡ませると、嬉しそうに笑ってからぎゅうっと手を握りかえしてきた。


「幸子」

「なに?」

「これ、掛けてみろ」

幸子はオレの言う通り、それをかけた。それをかけた幸子を見て、ぶっと噴出してしまった。

「サングラス…くっ、似合わんな、お前は…!」

サングラスだけが異常に浮いている幸子を見て、くつくつと喉の奥で笑う。幸子はサングラスを外しながら少し膨れっ面になった。

「どうせ平べったい顔ですよー」

そう唇を尖らせたあと、「わたしも尽八に似合わないもの…似合わない…」とぶつぶつ呟きながら物色を始める。

「ワッハッハッ、このオレに似合わんものなどそう、」

「尽八尽八、ちょっと屈んでくれる?」

幸子が楽しそうに背中の後ろに何かを隠していた。ふっふっふ、と、どこか不敵に笑っている。その挑戦、受け取ってやろう、ということで、オレは幸子の言う通り屈んだ。自然と目線が同じになり、幸子の顔が近づく。耳の裏側に何かが差し込まれていく感覚が通っていく。

「…っ、ふ、はは、ふは、あははは!」

幸子は手を口に当てながら、けらけらと軽やかに笑い始めた。鼻と鼻の下にあたるプラスチックの感触。これは、と鏡を見る。そこには鼻眼鏡をかけた美形が映っていた。ふむ、と顎を引く。

「鼻眼鏡をかけてもオレの美しさは損なわれないのだな…。自分が怖い」

「はは、あはは、あははは!」

「しかしこれだとこの美形の顔が八割がた覆われていて美しさが隠されてしまって残念なことに、」

「あははは!あはははは!」

とうとう背を曲げながら腹を抱えて大笑いしている幸子の顔を両手で包み込み、頬をむぎゅっと持ち上げた。

「人の話をいつまでも聞かずに笑っている罰だ」

「ふへへへ、…ぷっ、鼻眼鏡で言われても…っ!あははは!」

そうしてまた笑い始めた幸子に「また笑うとは良い度胸だな」と口角を上げてから痛くない程度に頬を上下左右に引っ張った。よく伸びた。コイツの頬は餅か?



あれから暫しの間じゃれ合ったあと、幸子はシンプルな白いレースの日傘を買っていた。傘を差されていかれますか?という店員の質問に『いいえ』と即座に否定し、オレの元に小走りで駆け寄ってきた後に「お待たせ」と、ふんわりと笑いながら自ら手を繋いできて。

レースで得られる爆発するような昂揚感、達成感からはほど遠い。それでも、オレは断言できる。世界中に宣言できる。オレは今満たされている、と。ありふれた日常の中にある小さなしあわせによって、たまらなくしあわせだと。

ぎゅうっと手に少し力を入れてから「じゃあ、行くか」と自然と発される穏やかな声音で問い掛ける。幸子は「うん」と微笑みながら頷いた。



どんっと人にぶつかられた幸子が少しよろめいた。幸子にぶつかったキャリーバッグを引いているオレ達より少しばかり年上であろう女性は悪い人間ではなく、すぐに「すみません」と申し訳なさそうに謝る。隣の恋人と思われる男性が「何やってんだよお前」と少し呆れながら幸子にぶつかった女性に言った。女性はむっと眉間に皺を寄せながら「うっさいな」と毒づいたあと「大丈夫ですか?」と幸子に問いかける。幸子はいつも通り「全然だいじょうぶです、気にしないでください」と、顔の前で手をひらひらと振った。すみませんでした、と女性が謝り、つられて男性もぺこりと軽く頭を下げ、二人は去って行った。幸子は二人の背中をちらっと見たあと、言った。

「旅行かなあ」

「だろうな。キャリーバッグ引いてたし」

「だよねえ。旅行かあ。懐かしいなあ。卒業旅行で美紀ちゃんと依里ちゃんと北海道に行ったなあ」

「言ってたな。堀田さんが行く先々でソフトクリームを求め奔走していたんだよな」

「うん。本場のソフトクリーム食べたい〜って。ここのソフトクリームは生クリームって感じだけどあそこのソフトクリームは牛乳って感じ!って力説してた〜。わたしよくわかるねえ、すごいねえって感動しちゃったよ」

「本当にあの子は愉快だな」

「うん。美紀ちゃんは面白くて可愛い」

「好きだな、堀田さんのこと」

「うん、だいすき」

幸子はゆるやかに笑ったあと「旅行、楽しかったなあ」と懐かしむように目を細めながら言った。本当に楽しかったんだろう。表情が物語っている。オレがいない間幸子を楽しませてくれた二人に感謝をせねばな…と聞きながら心の中で感謝をする。オルゴールが綺麗だった、ガラスが綺麗だった、魚がおいしかった、と、ゆっくりと話していく。

「白い恋人尽八にも食べさせたかったなあ。…あ、ごめん。これ電話でも言ってたね。何回も同じ話しちゃうっておばあちゃんみたいだね」

あはは、と後頭部に手を当てながら恥ずかしそうに笑う幸子にオレは言った。

「…旅行、行くか?」

幸子は少し目をぱちぱちと瞬かせてから大きく見開き「…へ!?」と声をあげた。

「そ、そんな時間あるの?」

「…お前な。確かにオレは芸能人いやそれ以上の美しさを誇っているが芸能人のようなカツカツのスケジュールで生きている訳じゃないんだぞ。もう高校生じゃないのだから自由に使える時間だって増えた」

俄かには信じられないと言った調子で問い掛けてくる幸子に半ば呆れながら言う。幸子は「そ、そっか」と頷いた後、確かめるように「そっかあ…」と頷いて。

「行きたい!」

満面の笑顔で大きく頷いた。

どこか行きたいところある?北がいい?南がいい?と、幸子にしては珍しく饒舌に話しかけてくる。

「ワハハ、そう逸るな」

興奮しきっている幸子を落ち着かせるようにわざとからかうような口調で言うが、逸っているのは、本当はオレの方だ。胸の内にある心臓がどくどくと忙しく動く。

白状しよう。幸子と一緒に旅行に行けた二人の女子がたまらなく羨ましかったということを。







ぶらぶらと、とりとめなく歩いていく。「暑いねえ」に「暑いな」と返す。しかし手は繋いだまま。幸子の柔らかな掌がじっとりと汗ばんでいる。こんなに暑いのに離す気は全く沸いてこなかった。しかし本当に暑いな…と思った時、サーティワンが目に入った。すると、高二の頃の幸子の発言が頭の中で再生された。

『わたしクッキーアンドクリームがすきなんだあ』

どういう会話からサーティワンの話になったかは覚えていない。ただ、そうか吉井はクッキーアンドクリームがすきなのか。と、なんだかよくわからないが記憶にこびりついた。

「幸子」

「ん?」

「ちょっとここで待っとけ」

「わかった」

幸子はオレの言う通り、ベンチに腰を下ろした。「知らない人間に声をかけられてもついていくんじゃないぞ」と、からかいながら言いつけると「わたし小学生じゃないよ」と、むっと眉間に少しだけ皺を寄せながら返された。少し膨れた頬をむにっと引っ張っぱりながら「ワハハ、お前ならやりかねんと思ってな」と笑ってから、その場を後にした。


店員そして客に熱い視線を受けながらアイスを買い、幸子の元へ戻る。ぼけーっと空を見上げていた幸子を呼びかける。一度では返事しなかった。こういうところは変わらんな、幸子は。溜息を一つ零してから緩く笑った後、幸子の隣に腰を下ろした。

「…わ、尽八」

ようやくオレに気付いた幸子がへらりと相好を崩した。ああもう。幸子はアイスに気付くと目を丸くした。

「サーティワンのクッキーアンドクリーム、すきだと言っていただろう?」

幸子にアイスを手渡しながら言う。コーンよりカップの方がすきだと言っていたので、カップ入りにした。コーンやワッフルもすきなことはすきだが、『わたし、食べるの遅いからアイスが溶けてきて大変なことになっちゃうんだよね…、あはは…』と困ったように笑っていた幸子の顔が今でも思い浮かぶ。

「え、なんで知ってるの?」

「お前が自分で言ったんだろう」

「…覚えててくれてたんだ…」

幸子は小さな声で呟くとキュッと唇を合わせた。むず痒そうに合わせてから「ありがとう」と目尻を下げて笑った。ああ、だから。そう簡単に笑うな。いや笑ってほしいんだが。でも、ああ、畜生。

幸子が「尽八は大納言あずきなんだね」と言っているのに「そうだな」と、内心の動揺を悟られないようにして必死に平静を装いながら返す。

「というか、お前またぼうっとしていただろう」

「へ」

「一度呼んだのに気付かなかった」

「わ、そうなの?ごめん、気付かなかった」

「どうせ学校でもぼうっとしてるんだろう」

「うっ」

「ワハハ」

「で、でも、ぼうっとするの、かなり減ったよ!?高校の時に比べたら!授業とかもきいてるし…!」

「授業はきくのが当たり前なんだがな」

「う…っ!」

幸子は苦しそうに胸を抑えた。もう一度ワハハとオレは笑う。幸子がじとりと悔しそうに睨みつけてきた。全然怖くない。もう、と呟いてからアイスを掬う。スプーンを咥えた瞬間「ん〜」と美味そうに頬を緩めた。

「幸子、こっちも食うか?」

「え、ほんと?わー、ありがとう!」

幸子はぱあっと顔を輝かせてから、オレのアイスを一口サイズすくいあげた。「わたしのも」と、言って差し出してくる。ありがたく頂く。高校の頃、食堂でラーメンとカルボナーラを交換しあった時のことを思い出させて、ふっと口元が緩んだ。



すっかり日が暮れて。オレンジ色の空が濃紺に変わりつつあった。空を染め上げるオレンジと濃紺のグラデーションが綺麗で目に染みた。そうだ、と、ある考えが思い浮かび「幸子」と呼んだ。

「ん?」

「花火、しないか?」

幸子は目をほんの少しだけ見開かせた後「やる!」と笑顔で頷いた。よし、と顎を小さく引いてから幸子をコンビニに向かってやんわりと引っ張る。ぎゅうっと握り返してくる柔らかな掌の感触が気持ち良かった。


「もう少しで陽が沈むね〜」

どうせやるなら完璧に日が沈んだ真っ暗な中でやろう、ということで、時間を潰すためにオレ達は公園のブランコに座っていた。

「幸子と花火するのは初めてだな」

「そうだね、自転車部のみんなとはやった?」

「あるぞ。ねずみ花火が何故か荒北の方にばっかりいってな。あれは傑作だった」

「わ、わー。荒北くんそれはご愁傷様…」

「オレの美的センスを理解できん罰だ」

ワハハと笑い飛ばす。幸子もつられて笑ってから、「荒北くん元気かなあ」とぽつりと呟いた。

「元気だろうな。殺しても死なんようなヤツだ」

「あははは、そっか、元気かあ。会いたいなあ。洋南かあ〜。勉強教えてもらいたいなあ」

若干、面白くない気持ちが湧き上がって「ふむ」と、相槌を打つ。

「あ、またヤキモチ妬いた」

「…」

幸子は困ったように眉を下げながら「荒北くんにまでヤキモチ妬くかあ」と笑った。

「普通にお喋りしたいだけだよ。ついでに勉強とかも教えてもらいたいなあってぐらいで」

幸子はそこまで言うと「あ、そうだ!」と手をパンと叩いてから、弾けるような笑顔をオレに向けて「英検二級合格したの!」と、言った。幸子は高校の頃英検二級をあと一点のところで落としていた。あ、あと一点…とがっくりと机に突っ伏していた幸子が記憶にある。にこにこと嬉しそうに笑っている。本当に嬉しく思っていることが伝わってくる。

「秘書検はね、準一級合格したんだよ〜!」

そうして、幸子はへへへと嬉しそうに笑う。その笑顔を見ながら昼間見せた凛とした幸子の表情を思い出す。わたしもきちんとした人になりたいの、と、言っていた。『も』という言葉は、オレのことを指しているのだろう。確かにオレは天に三物与えられた天才だ。憧れ・目標にするには最高の人材だ。

しかしそれが、幸子の重荷になってないだろうか。

「幸子」

「ん?」

「無理はするなよ」

真剣な面持ちを幸子に向ける。幸子はきょとんとしてから、へらーっと笑って、言った。

「優しいね、尽八は」

そして、ゆるやかに細められた瞳をオレに向けた。幸子は「ううん」と穏やかに微笑みながら首を振る。

「してないよ、ほんとに。意地張ってるとかじゃなくて、ほんとにしてない」

幸子をじいっと見据える。嘘は吐いてないように見える。観察眼は鋭い方だが、幸子は弱味を隠すのが上手だから気が抜けない。幸子は困ったように「ほんとにだいじょうぶだって」と笑ってから、穏やかな笑みを浮かべて「わたしね」と言葉を継いだ。

「もし箱学行かなくて、行ってても、一年生の時尽八と違うクラスとかで、尽八と友達になんなくて、付き合わないまま卒業しちゃってても、多分今頃それなりに楽しんでるんだろうなあとは、思うの」

がつんと重い衝撃が心臓を襲った。出会わなくてもしあわせになれたと言われたのだ。幸子に。幸子に。幸子に。だが、ダメージを受けながらも、オレも幸子という存在を認識しなければ、幸子なしのしあわせを築けていただろうと冷静に判断もしていた。ダメージに必死に堪えながら。

「彼氏いるかどうかはわかんないけど。彼氏、いたら…うーん。わたし尽八と付き合う前ねー、良い人って言われる穏やか〜な男の子と付き合いそうって言われたなあ。だから他の人と付き合うとしたら穏やかな男の子とだったんだと思う」

もし、幸子が他の男と付き合ったら。という想像を幸子自身の口からきかされて、嫉妬しない訳がなかった。面白くない気持ちが胸の中を埋め尽くしていく。

「尽八以外の男の子と付き合ってたら似合ってないーとかなんであの子ー?とかそういう目で見られることもなくて、汚い自分とかあんま知らずに済んで、それで普通にしあわせだったかもだけど、」

幸子はゆるりと目を細めた。緩んだ目元に滲んでいるのは確かな愛情。それがオレに向けられていた。

「でも、わたし、こうやって尽八の隣にふさわしい人になろうって頑張ってる自分の方がすき」

くすぐったそうに笑う声が耳を心地よく撫でる。目が見開く。心臓が熱い。馬鹿みたいに。

「尽八すきになったから、きれいなご飯の食べ方とか英語とか、がんばろって思えたんだから。他の人すきになってたら、わたしこんな努力しようって思わなかった。良い子ちゃんになろうとかそういうのじゃなくてさ。何の努力もしない子がたくさん努力してる尽八の隣にいるのわたしが嫌だから頑張ってるだけ」

そうして、幸子はふへへへーと照れ臭そうに笑った。そんな幸子を見て思わずオレは本音を漏らした。漏らさずにはいられなかった。

「…怖い」

「…へ?」

幸子は目をぱちくりと瞬かせた。

「天に三物どころか四物、いや五物、いや六物与えられた自分が怖くてたまらん」

額に手を当てながら悩ましげな溜息を吐く。

「へ、え、え、どうしたの?」

「登れて、トークが切れて、美形で、」

「う、ん。そうだけど、急にどうし、」

「幸子と友人になって、幸子を好きになって、幸子に好かれて、」

幸子の目が心配そうなものから驚きに変わっていった。得意げな顔をして幸子を見る。距離を詰め、りんごのように赤く染まっている幸子の頬に優しく手を添える。まじまじと穴が開くほど見つめる。見つめ続けると、「え、えと」と震えた声で意味のない言葉が紡がれた。

「流石このオレが選んだ女だな」

ふっと目元を緩ませながら心からの本音を口にすると、幸子は目を見開いてから視線を下に向け、むず痒そうに唇を合わせていた。昼の時と同じ反応。いや、違うか。あの時よりも頬が赤い。

「ワハハ、幸子は褒められることに本当に弱いな」

「だって、褒められること、少なかったし」

「女子によく可愛いってオモチャにされてただろう」

「あれはゆるキャラとかそういうものに対しての『可愛い』じゃん。モデルさんとかに向けてのとは全然違うってことぐらいわかってるよ。男子がすきな『可愛い』じゃないもん」

「オレは好きだぞ」

「…そういうこと言うの恥ずかしくないの?」

「全然」

俯きながらもごもごと呟く幸子に即答で返す。幸子はそれを聞くと地面に大量の丸を足で生産し始めた。何やらごにょごにょと呟いている。髪の毛から透けて見える耳朶まで赤く染まり上がった耳は熱そうだった。空を見上げる。薄墨を流しかけたような藍色に、点々と星が瞬き始めていた。

「幸子、そろそろ花火の頃合いじゃないか?」

幸子はオレの呼びかけに答えないまま顔を俯けながらまだぶつぶつと呟いていた。まったく、と呆れながら笑う。ブランコから降りて、幸子の前に立った。まだそれでも気付かない。膝を付いて、幸子の顔を覗き込んだ。

「幸子」

「へっ、わ!!」

突然視界にオレの顔が入ってきて驚いた幸子が、驚きすぎて、後ろから落ちた。どしんっと尻餅をついて「あいたたたた…」と顔を顰める。

「え…っ、大丈夫か…!?」

慌てて幸子に近づいて心配すると「だ、だいじょうぶ、だいじょうぶ」と、顔の前で手をひらひらと泳がせながら幸子は恥ずかしそうに笑う。

「ほら、掴まれ」

「う、ん」

幸子はオレの手をしっかりと掴んで立ち上がった。

「ありが―――、」

照れ臭そうに笑いながらお礼を述べる幸子の声は遮られた。

―――ぐうきゅるるるぐおおおおおおるるるるる

他でもない、幸子自身の手によって。いや、腹の音によって。

しいんと静寂が流れた。竿竹を売る音が近づいてくる。そして公園の前を通り過ぎて去って行った。

その間、幸子の顔はこれ以上はないというくらいに赤くて。

オレは。

「…ぶっ、ははっ、ふっ、はは、ワハハハハッ!!」

腹を抱えて、笑わずにはいられなかった。

「はら、減ってたの、な、ら、言え、ば、ははっ、はははっ」

「だ、だって、その、あれだけ食べて、お腹すくって、」

「お前が結構食い意地張ってるのなんて、もう、し…っ、はははははは!!」

いつまでも笑い続けているオレを、真っ赤な顔の幸子は唇を噛みながら必死に羞恥に堪えていた。が、耐え切れなくなったようで「わ、笑いすぎ!!」と少し声を張り上げた。

「ははっ、すま、ん、でも今のはしかた、くっ、はは、仕方ないだろ…!」

目尻の涙を拭いながら恥ずかしそうに顔を俯けて縮こまっている幸子を見下ろす。「そう恥ずかしがるな」と頭の形に沿って撫でてから、また笑ってしまう。すごい腹の音だったから仕方ない。

「そんなに腹減ってるのなら今日はもう帰るか」

そう言うと、幸子が弾かれたように顔を上げた。悲しそうな顔に『花火は?』と書かれている。ふっと笑いかけてから、オレは言った。

「明日も明後日も、その先もあるだろう?」

幸子は目を少し見開けた。次第に緩やかに細められていく瞳が少し濡れていた。

「…うん」

そう言って、眉を下げながら目を細めて笑う。

その笑顔は、今まで何回も目にしてきたものなのに。なんでだろうか。ちっとも飽きる気がしなくて。何千回目、いやもしかしたら何億回目かの感情が、心の中にまたしても宿る。

「幸子、今日何か作ってやろう」

「…へ、ほ、ほんと!?」

「ああ。ビストロスマップのように作ってやる。ワハハ!」

「わ、わー。わー…!えっと、ありがとう〜!」

どちらからともなく手を繋いで、歩幅を幸子に合わせて歩く。幸子はオレの隣で頬を緩ませてしあわせそうに歩いている。表情筋が消えてなくなったのでは、と幸子の頬をつまんでみた。むにーんとよく伸びた。ゆっくりと離す。

「…すぐさわるなあ」

「ワハハ、そうだな」

照れ臭そうに自分の頬に手を添える幸子に笑いかけると、幸子も釣られて笑った。

「何がいい?」

「えっと…えっと…冷奴とか?」

「もう少し作り甲斐のあるものを頼む」

手を繋ぎながら、とりとめのない会話をしていく。一歩一歩進んでいく景色が少しだけ変わっていく。夏特有の匂いの中に、ゆるやかに甘い匂いが漂う。柔らかな掌に汗が滲んで、少しだけ湿っていた。

「幸子」

「なあに?」

名前を呼ぶと、首を傾げながらふわりと笑う幸子の姿。くすぐったくて暖かい大きな気持ちが胸の内に広がっていった。




なんでもないはなし


prev / next

[ back to top ]



×
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -